老虎
つい先ほどまで白虎を取り囲み追い込んでいたパト達、小高い場所に陣取っていたユン達、その他にもいた百数十名のプレイヤー。
しかし、今、草原にたたずむのは白虎一匹と三人だけ。
生き残った僕らを襲ってくるかと思われた白虎は、爆発魔法を使ったときと同じく、その場にとどまり、こちらに攻撃してくる様子がなかったのは幸いか。
「この強さは……デタラメだわ」
一連の出来事を見ていたミンメイがぽつりと言う。僕もそれには同意したい。もしも、これがボスモンスターとしての強さなら、この敵を討伐するには、いったい何千人が必要なのか。
デタラメな強さの敵、僕らは何からはじめればいい?
通常のゲームならここからどうする?
「蘇生ってないの!? 何かアイテムや魔法をつかって生き返らせるとかさ」
「ラック。このゲームには蘇生はないんだ。死んだらホームポイントに戻るか、その場で観戦するかしかない」
「どうやら観戦もできないみたいですわ。みんなの死体が消えていきますわ」
目を向けると、乱雑に散らかっていた死体が次々と消えていき、眼下に広がる景色は草原にたたずむ白虎のみとなっていた。
「強制送還されたのかしら」
「たぶんね。観戦不可なのは、攻略法をつかみにくくするためだと思うけど、そもそも出会う方法もわからないのに色々と厳しいな」
どこか達観したミンメイとアキラの会話が横で聞こえてくる。
本当にこれで終わりなんだろうか。
三百人いた集団が闘っても勝てない相手に、三人で立ち向かっていっても勝てない、そんなことはわかりきっている。でも、ここまできて、ただ負けて帰るのは悔しかったんだ。
「パトが言ってたじゃない。楽しめって。僕らも最後まで楽しもうよ。そして次回に会ったときのために攻略法の糸口だけでもつかんでみようよ」
「攻略法と言ってもね。わたくし達が特攻しても簡単に死ぬだけよ?」
「ラック、ミンメイあれを見て」
アキラの視線が白虎へ向けられ、そちらを見ると、巨体から不思議な色の煙がたちのぼり、傷口がふさがっていく。
パト達の苦労が全て水泡と帰したわけだ。
ここまで絶対的な力の差を見せつけられると逆に清々しい気分にさせられる。そして、それが僕の頭を冷静にしてくれた。
思えば爆発魔法後も白虎は回復していたのではないか。ひょっとすると白虎は自分が受けたダメージに比例して、反撃をするのではないか。だったら白虎には正攻法で向かってはいけないのでは?
色々と考えながらも視界の中心に捕らえていた白虎の姿は、間近すぎて気がつかなかったが、離れた場所から眺めるそれは美しく神々しい。
広大な草原と遠くに見える山々を背に、悠然とたたずむ白虎の姿を眺める。
その姿に違和感を感じた。
あれは……。
「ねぇ、このゲームのモンスターってとにかく体力を奪って倒さないと行けないの? 何か別の手段があったりしない?」
「別の手段……と言われると弱点をつくことしかないかな」
「あとは反属性攻撃ね。白虎が何属性かわかれば対応できるのだけど、情報もないから探るしかないわ」
アキラ達が語る弱点とは、この世界のモンスターにはそれぞれ弱点があり、斬、突、打、貫等の武器による属性や、光に対しては闇、炎に対しては水、と属性の相性などで相手に大ダメージを与えられる。さらに弱点部位への攻撃も有効らしい。
「それだけ?」
アキラとミンメイはお互いの美しい顔を向け合い、顎に手を添えて考え込んだ。そして二人同時にかすかに漏れる息と共に吐き出した言葉は、
「サドンデス……。ソード&マジックの全モンスターに付随している特別な弱点。一撃で敵が絶命する設定なんだ。私も未だに突けたことはないけど」
この世界の動物は、サドンデスポイントと呼ばれる弱点を持っている。
代表的なのは狩りの対象となるモンスターなのだが、サドンデスポイントをついて敵を倒したユーザー情報はなく、存在自体を疑われていた。
開発側からは絶対に存在すると公式に発表されているのだが。
「なるほど。それではなさそうだけど、僕一つ弱点らしきものをみつけたよ。アレを見て。白虎の首裏辺りに矢が一本刺さったままなんだ。きっとあそこがウィークポイントなんだよ」
アキラとミンメイが改めて白虎をみやり、僕も一緒に再度確認すると、一本の細い矢が白虎の首裏に突き刺さっているのが確認できる。
「あれがいったい?」
「白虎は必殺の攻撃後に回復するんだ。でもあの矢だけが回復しない。それはきっと弱点だからじゃないかな」
「確かにあれだけ抜けずに、残ったままなのも不思議ですわ。やってみる価値はあるかもしれませんわ」
僕の思いつきにミンメイが乗ってくれたのは純粋に嬉しい。
ミンメイは自分の巻き毛を人差し指でいじりながら、微笑をこちらに向けてくれる。それに対してアキラは顔を渋めにし、ウンザリした口調で反論した。
「ミンメイ。ラックの思いつきに軽い気持ちで乗ると苦労するよ。私は何度も……」
「さすがアキラ。わかってる! んじゃ、僕があそこまで辿り着いてみせるから、白虎を引きつけて」
「ええー!? 私一人で白虎と対峙するの? 無茶振りすぎるよ!」
「お前なら出来る!」
「無責任だ!」
「あははは。アキラの困り顔が見られるなんて滅多にないですわ。いいじゃない。やってみましょうよ」
「ミンメェ」
「ふふ。わたくしもサポートしますわ。このまま普通に倒されるよりは面白そうじゃない」
はぁ、とため息をつきつつもアキラは覚悟を決めたのか、美しい顔を上げると白虎を睨みつける。顔自体は現実世界と全く違うが(性別も)、その瞳に宿る光は、親友の晃そのものだった。この目をしたときの晃は、いつだって僕の期待に応えてくれる。
軽く段取りを決めると、アキラは双剣を、ミンメイは片手に短剣を構え、僕は二人の後をついていく。
白虎へとゆっくり歩いていたアキラが、途中から走り出し、その行動を察知した白虎が身構える。敵の咆哮がアキラを包むが、事前に対策をしていたのでテラー効果はない。
立ち止まらないアキラに向けて白虎の右前足が振り落ち、それを余裕で避けると、敵の鼻面にアキラのX斬りが炸裂した。
苦鳴を上げ、白虎はのけぞりながらも回転し、巨大な尻尾を叩きつけてくる。
現実世界なら両手に抱えた丸太ほどの直径を備えた尻尾をアキラは紙一重でかわし、バックステップで一定の距離を取る。
白虎の攻撃は執拗に続き、噛みつきからフェイントの前足、振り向きざまの後ろ足キックなど千変万化だ。
アキラは、白虎から繰り出される攻撃を、ギリギリまで引きつけ、すれ違いざまに双剣で一太刀浴びせていく。
先ほどまでのパト達が鈍重な重装甲の受け止める盾なら、アキラは敵の攻撃をひたすら回避し、反撃の一撃を与える盾だ。
その姿はまるで白虎とダンスを踊っているようであり、今のアキラの姿と相まって、美しい映画のワンシーンを演出していた。
「アキラったら、わたくしを差し置いて、獣とダンスするなんて。負けていられませんわ」
僕の隣にいたミンメイが微笑みながら言うと、白虎に向けて草原を滑るように走り出す。
ミンメイは白虎の手前で大きくジャンプすると、アイススケートのアクセルジャンプのごとく身体を回転させながら短剣で敵を斬りつけ、アキラの視界に入る立ち位置を取った。
彼女の動作は一つ一つが派手でアキラの無駄のない動きと真逆だが、その激しい動きこそ踊りのモーションを織りまぜたもので、アキラが彼女の動きを見ることにより、体力の回復や回避力アップなどの効果が得られると、後から聞かされた。
ミンメイが戦闘に参加したことにより、アキラの動作速度は格段に跳ねあがった。
アキラ達が引きつけている間に、敵の背後に回り込み、白虎の背中に飛び乗る機会を伺っていた僕だったが、これはかなり難しそうだ。隙をうかがいつつ近寄るも、アキラのかわす動作に対応して、激しく動く白虎に度々踏みつぶされそうになりながら、なんとか動きを止めてもらう方法はないかと頭を抱え込んでいた。しかし、チャンスは意外と早くやってきた。
白虎がアキラを追うことを止め、四肢を踏ん張ったかと思うと、虎口を開ける。
先ほどユン達を一瞬で消し飛ばしたあのモーションに違いない。
この好機を逃せない。
渾身の力を込めて大地を蹴ると、華麗に白虎の背中に飛び乗るつもりだったが、アキラが白虎の臀部に剣を突き刺した時ほどの高さを得られず、尻尾にようやく捕まるのが精一杯だった。
このジャンプの差はステータスの差なのか、装備なのか、もっと他に要因があるのか。
それでもしがみつくことが出来たのは幸いと、尻尾をよじ登っていく。
『虎砲覇!』
虎口が光で溢れると、白虎の頭が持ち上がり、アキラ達めがけて光線が放たれる。
アキラ達も、一度それを見ていたため、光が放たれる寸前に大きくかわし、まともに受けることなく膨大なエネルギーの塊は空を斬っていった。
二人の無事を確認して胸をなで下ろしつつ、白虎の首元へ向け匍匐前進していく。
自分としては、このときは、戦争映画のワンシーンを頭のなかで再現していたのだが、遠目からみていたアキラいわく、動物の背をはい回るノミのようだったらしい。
激しく動く白虎に何度も振り落とされそうになりながら、ようやく首元へと辿り着いた僕が見たものは、白と黒の縞模様に刺さる細い矢とその周辺の傷跡だった。
「やっぱりここだけ回復していない。きっとここがウィークポイントだ」
確信をもった僕はショートソードを抜き放ち、白虎の首元に深々と突き立てた。
手に跳ね返る感触は、腹を切りつけたときと全く違い、豆腐に突き刺した箸のように、ショートソードは鍔元まで突き刺さった。
瞬間、白虎は今までに聞いたこともない悲鳴とも、苦鳴とも取れる咆哮を放つと、後ろ足だけで立ち上がった。
水平だった地面が垂直へと変わる。
とっさに突き立てたショートソードに必死にしがみついたが、鍔元まで突き刺さった剣は、徐々に抜けていき、やがて切っ先が首元から抜けると、僕は地面へ向けて落下した。
大地へと叩きつけられても、すぐに身構えられるような体勢を取った僕に、身体を反転させた白虎の鋭い牙が襲いかかってきたのは、落下し始めて直ぐのことだ。
迫り来る鋭い牙から、空中にいる僕は逃れることも出来ず、その身は成るがままに任せるしかなかった。
だめかな。
体から力を抜いた僕を、白虎は牙で引き裂くことはせず、丸ごと飲み込んだ。
「「ラック!」」
飲み込まれる寸前に、アキラとミンメイの絶叫が耳朶に届く。
閉ざされた口腔の中は暗闇となり、辺りには何も見ることができない。
だいたいゲーム上のモンスターに飲み込まれることってあるのか?
今までやってきたゲームでは、モンスターの外見は細密に造形されているものは多かったが、内部が存在することなどなかった。
ユーザーには見えない箇所に内臓等を作っても意味はないし、敵を斬ったときの表現ならグロテスクすぎて厳しい審査に引っかかる。
そう考えると、今の僕は死んだ状態なのだろうか。
今までは、死ぬと視点が主観から俯瞰へと切り替わり、自分を見下ろす形となった。
その場から動けないまでも、辺りを見回すことくらいはできたが、この暗闇はアキラ達が言っていた観戦不可状態で、いずれホームポイントへと強制送還される前段階なのだろうか。
考えを巡らせていると、目の前が明るく照らされ、自分がまだ動かせる状態なのがわかる。
光に向かって歩き出すと、子供の頃に一度だけ降った大雪が、いつもの遊び場だった空き地を染め上げたあの日のように、一面を真っ白く染め上げた広場に辿り着いた。
白銀の世界の中央には、白い虎がうずくまっている。
白虎のような巨大さではなく、僕が見知っている大きさの虎は、動きが緩慢で、四つん這いになっていた体をノロノロと起き上がらせた。
老年を感じさせる虎は、戦意むき出しの双眸をこちらに向け、唸り声を上げた。
こいつが白虎だ。
なぜだか、僕はその時そう思ったんだ。
手に持っていたショートソードを構え直し、老虎を直視する。
睨み合いが数秒続き、ある一定の距離まで躙り寄ると間合いは一瞬で零になった。
全力の一撃を、老いた虎に叩き込む。
僕は腰だめに剣を構え、突進した。
老虎はひとっ飛びに間合いを詰めると、前足で僕の両肩を地面へと押さえつけ、思い切り開いた口腔に光る鋭い牙で喉を引き裂こうとしていた。だが、僕が構えたショートソードは衝突時に白虎の胸へ深々と突き刺さり、その手に残った感触は、なぜだか老虎を一撃死させるサドンデスポイントを突いた事を確信させた。
老虎は一声か細く呻くと、その場に倒れ伏した。
何かが頭の中で響いた気がしたけど、老虎を倒した興奮で何を言っていたか聞き取ることは出来なかった。
老虎の下から這い出ると、白く輝く部屋は光量を増し、全てが光の中へと包まれる。
あまりの眩しさに手で抑えた瞳が次ぎに見たものは、つい先ほどまで見ていた山々と草原だ。今見た光景は夢の中で見た夢か。
ぼうとする頭を呼び覚ましたのはアキラの声だった。
「ラック!」
聞き慣れた可愛らしい声が僕の名前を呼び、そちらへ振り向くとアキラとミンメイが走り寄ってくる。
「ラック! いったいどうやったんだ」
「何が?」
「何がじゃないわ! あなた白虎を倒したのよ!」
「え?」
気がつくと僕の目の前には巨大な白虎の身体が横たわり、先ほどまで感じていた力強い波動はない。
つい先ほどの激戦が、遠い過去のものになったことを、草原に吹いた風が教えてくれる。
「僕が倒したの?」
「ラックを飲み込んだ白虎が動かなくなったと思ったら、突然倒れたんだ。中で何をした?」
「いや、それがよくわからなくて。飲み込まれたと思ったら年老いた虎がいたんだ。それを倒したら……」
飲み込まれたあとの事を、アキラとミンメイに話すが、二人とも飲み込めず不思議がるだけだった。
「神獣クラスを倒したのは初めてなんだし、色々と攻略があるんだと思いますわ。それよりも……わたくし達やったのよ! たった三人で! 信じられないわ!」
「そうだね、私も信じられない。もうダメだと思ってたし。これもラックのおかげかな」
「そう、僕のおかげだね! 感謝したらそのチャイナドレスを脱いでもいいんだよ」
「「調子にのるな!」」
三人で笑いながら、お互いの健闘を讃え合う。
今までのオンラインゲームでも度々あったことだけど、仮想空間で身体を動かして得た勝利は、画面上でやっていたゲームでは決して味わえない感動をもたらしてくれた。
「さて、事後処理をやろうか」
「そうね。お楽しみタイムね」
「何するのさ?」
「このゲームのお楽しみといったら、敵から得るアイテムでしょ!」
「そうそう」
ミンメイが興奮したように言い、アキラが頷く。確かにその通りだ。
ゲーム上でモンスターと闘う理由の十割がそのためと言ってもいい。
装備一つで変わるソード&マジックは特にアイテムへの依存度は高いはずだ。どうやってお宝を得るのかと眺めていると、アキラは持っていた武器を白虎に突き立てた。
【白虎の毛皮を十二枚獲得しました】
頭の中にシステム音声が響き、得られたアイテムが何かを教えてくれる。
それはアキラが剣を突き立てる度に、頭の中に鳴り響いた。
全てのアイテムを取り終えたのか、白虎の身体は薄くなり、消え去ってしまった。
「いっぱい手に入りましたわ」
「すごいね。これは何に使えるの?」
「皮とか肉は合成で装備や食事になるんだ。装備もあるね。『虎徹』って刀はすごそうだよ」
「アキラ、ラック。自分のマジックバックを見て、すごいお宝が入っていますわ!」
「イクスクルシブアイテム(Exclusive Item)が入ってた? わ、すごい! 『倚天の剣と青紅の剣』だ!」
「双剣使いのアキラにピッタリの武器ね。わたくしは『カールスナウト』って短剣でしたわ。ラックはどう?」
「……何も入ってないってことはあるのかな?」
「「え?」」
「……」
いいんだ。僕の運はこんなもんだ。
リアルでの不運が、ゲームの中でも引きずるとは思っても見なかったけど。
Luckに振った一万点は何も意味がなかったのかと叫ぼうとしたとき、ミンメイが腕を絡めて慰めてきたため、その感触に全神経を集中した僕の頭の中から、そんな考えは消し飛んだ。
周りに発生していた特殊フィールドが解除され、景色を歪めていた蜃気楼が晴れていく。
ソード&マジックの世界を照らす太陽は、いつの間にか地平線へと隠れつつ、昼前にはじめた戦闘が長時間に及んだことを教えてくれた。
テレポーターまで歩く僕は、老虎が倒れたときに聞こえた声を、あとで知ることになる。
【ラックの基本ステータスにAGI一万点が追加されました。特殊アビリティ『疾風』を身につけました】
書き直し(2012/4/11)