静寂
「イヤハァー! フライング・ダッチマンたるキーファ・クリエルと出会えるとは! 馬鹿を始末するよりもよっぽの収穫だハァ!」
「あの方もきっとお喜びになるわ!」
ケハハと髑髏二人は哄笑しつづけ、笑う度に肩や腰が大きく不気味にうねり、見よう見まねの民族舞踊を披露しているかのようだ。
呆気にとられた僕は、髑髏二人が織りなす不思議な踊りに魅了され、精気が吸い摂られていく錯覚すらしたが、ハカセは違っていた。
クマ姿からは想像もできない素早さで彼らに近づくと、ありったけの力で凶器のメイスを振り抜いたのだ。
暴風となって、全てを巻き込むように叩きつけられた棍棒はカリストを掠り抜け、イオの顔面に直撃した。
先に水晶の髑髏仮面が砕けることなく吹っ飛び、素顔が見られるかと思う間もなく、次いでイオの体がフィギュアスケートの三回転ジャンプを演舞するように空中を舞った。
宝物庫にあった貴金属類をなぎ倒し、どんなに空を舞おうと、イオの体を覆う黒布は剥がれることなく壁面へと叩きつけられると、黒い染みとなって張り付いた。
壁に張り付いたイオは、ズルズルと重力に引かれて床へと落ちていき、最後には人型の黒い染みが横たわる。
ピクリとも動かないイオを見て、笑うことを止めていたカリストは、慌てるどころか、今度は先ほどと比較にならないほどの声音で爆笑した。
「あはははは、いやぁあああ、イオ、あなた今、最高にかっこ悪いわぁ! でも最高! あなた最高のコメディアンになれるわ!」
倒れている仲間を介抱するどころか、どうやって回転し、無様に転がったか、それが如何に滑稽だったかを散々あげつらうカリストに、僕の動物的勘が早くこいつらから離れろと警告を発している。ハカセも、狂ったように笑うカリストに対して、振り上げたメイスをいつ降ろそうか迷っているようだ。
「ガキ共が作った法則に縛られるのは不便すぎるなぁ」
僕らが逡巡している間に、イオは上体を起こし憤懣に悶える声を漏らした。
ハカセのことだから殺してはいないと思っていたけど、イオは相当のダメージを負ったのか、壁を背に生まれたての子鹿のように足下を揺らめかせながら立ち上がろうとしている。
黒布からぽっかりと空いた穴には素顔が露出し、青く透き通ったアクアマリンの双眸が、怨嗟の彩りを添えてこちらを見つめていた。
「「ペッジ!」」
ハカセと同時に叫んだ個人名は、僕がサクラさんと一緒に赴いた、西の大聖堂でみたペッジの顔そのものだ。
「まさかペッジがラフィン・スカル!?」
床に転がる水晶の髑髏と壁際に立つペッジへ視線を何往復もさせ、最後にハカセ見つめたが、クマは私にもわかりませんと首を振るだけだった。
どうりでイオから聞こえていた声を覚えがあるはずだ。ほんの数時間前に聞いていた彼の声なのだから。
ペッジはおぼつかない足で少し離れた箇所に転がった水晶の髑髏仮面を拾い上げると、再び人を小馬鹿にしたような笑い声をあげた。
「ケハハ。カリストちゃ〜ん、少し本気をだして、むかつくこいつらにお仕置きしてやろうぜ」
「あはは、最高に笑ったけど、私はむかついてないから、イオにお任せするわ」
「つれないぜぇ」
言葉とは裏腹に目がまったく笑っていないペッジは水晶の髑髏を改めて顔に装着する。
イオがどのような遠隔攻撃をしてこようとも対処できるように僕とハカセは盾を身構えた。
戦わないと言い切ったカリストは尚も笑いながら壁際へと引き下がり、僕らは彼女を無視して、ペッジだったイオを戦闘不能にするべく、彼を取り囲むようにジリジリと接近していった。
イオは両手を大きく広げると、ふわりと浮き上がり、纏っていた黒布は墨汁のように宙に散布し、空中に浮いているのは青く気味悪く光る髑髏だけとなった。
髑髏はフラフラと宙をさまようと、一瞬で姿を消し、ハカセの背後へと回り込んでいた。
「ハカセ! 後ろ!」
僕の声に反応したハカセは、後方に向けてメイスを叩き落とすように振り下ろす。
ハカセ自身もイオの動きを目で追えていたわけはなく、僕の指示通りにメイスを振り回したのだろうが、それは見事にラフィン・スカルの頭蓋骨を砕かんばかりにど真ん中にヒットした、はずだった。
会心のメイスの一撃は、髑髏をすり抜け、石床を叩くと鈍い音が室内に反響する。
「え!?」
ハカセの攻撃がすり抜けた!?
唖然とする僕と違い、ハカセは驚くこともなく二度、三度とメイスをラフィン・スカルにヒットさせるも、その攻撃は髑髏をすり抜けていった。
ハカセの攻撃がヒットしたと思わせるためかなのか、それとも小馬鹿にしているのか、イオはメイスがすり抜けるたびに「ぎゃぁ」とか「ぐはぁ」と、わざとらしく顔を歪めてみせるが、実際はダメージは全く与えているようには見えない。
実体を持っていたイオと違い、ラフィン・スカル化したこいつには物理攻撃が効かないと判断したハカセは、メイスを腰に納めると魔法を唱えた。
短い詠唱をクマの口が紡ぎだすと、二つほど光の球がイオの目前に出現し、髑髏へ襲いかかった。
光球はイオを交互に取り囲み、小さな二重の円を描きだしたかと思うと、球同士が接触し爆発した。光の奔流が部屋に溢れ、続いて熱線と爆音を四散させる。
魔法攻撃はこれだけで収まらず、ハカセは二度、三度と魔法を唱えると、イオがいた位置に向けて放っていった。
スターマインのように丸く広がる光粒子は、時には刃に、時にはレーザーとなって髑髏を攻撃し、もうやめて、イオのライフポイントはゼロよ! とすら思えるほどの派手なエフェクトを撒き散らす。
「まるで光のマジックショーだぁZE☆」
「なに!?」
魔法のエフェクトが消え去り、薄暗い空間に浮かぶ青く光る髑髏を見たとき、今度こそハカセは驚愕した。それを笑うように、無傷のイオが切り裂くような笑い声をたてる。
「Mr.フライングダッチマン、満足したかなぁ? それじゃ、こっちのターンだ☆」
水に垂らした墨のように空中に黒い染みが滲み、骸骨の両手が出現すると、その指先をオーケストラの指揮者の如く空に踊らせた。たったそれだけのことで僕らの視界は一変した。
体が強烈に壁へと“落ちて”いったのだ。
壁に落ちるとはおかしなことを言っているのはわかる。しかし、そうとしか表現のしようがないほどピタリと当てはまる言葉だった。
金の延べ棒も宝石も何もかもが、ガラガラと音を携えて自由落下を開始し、僕らの体も壁へ引き寄せられる。
僕らは壁に“着地”し、さきほどまで床だったそれと平行に立ち上がれたことから、この現象は部屋ごとひっくり返されたと言うべきか。
イオが指先を振るうたびに、天井や床、壁の重力が様変わりし、平衡感覚を失った僕らは次第に着地もままならず、“大地”に叩きつけられた。かつてゲーム上では受けたことがない、自分の立ち位置をまったく見失なわせる攻撃は、酔いにも似た目眩を起こさせ、精神的にかなりきつい。
「イオ〜、お遊びはそれくらいでいいでしょぉ。もう、そいつ連れて帰りましょ」
どんなに大地が移動しようとも、その位置を全く変えることがなかったカリストが、飽き飽きしたとアピールをすることによって、ようやく僕らは重力ゲームから開放された。
最後に落とされたのはかつての床なのか天井なのか。
「おーけぇい。それじゃ、さっさと帰りますか」
ぐったりと床に横たわったハカセにイオが近づくと、軽々とクマの巨体を持ち上げた。
カリストが手を何度か振り上げ、床に光すら吸い込みそうな黒い渦にが描き出す。躊躇いもなくカリストは黒渦のなかへ消え去り、イオはハカセを無造作にその中へと放り込んだ。
「ハカセェ!」
僕とハカセは、お互いに手を差し出すが、その距離は伸ばせば届くというものではなくクマの爪が何かを操作するように動いていた。
それもやがて暗闇に飲み込まれ、
『ラ、ラック君、逃げ』
直接通話によるハカセの言葉はそこで途切れた。
その場にへたり込み、ハカセを飲み込んだ渦をひたすら見つめていた僕の頭の中に、懐かしきシステム音声が聞こえてきた。
【新着メールが届き%$&9】
語尾が不可解な音声となった新着メールを伝えるメッセージが、後半は文字化けしながらポップする。宛先を確認するとそれはハカセからのメールだった。
無事だったのかと喜び、急いで開封するとそこには短い文章が一文だけ書かれていた。
これを君に託します
この文章だけで、何を僕に託したのかわからず、もう一度メールを読み返そうとしたとき、電子メールにクリップ型のアイコンが付いていることに気がついた。アイコンに視線をフォーカスすると、マジックバックに二つのアイテムが格納されたとシステムメッセージが流れる。
呆然とする僕の耳に、アルカノがイオを呼び止める声が入ってきた。
その声は僕らと一緒にあっちこっちに打ち付けられ、苦しい吐息に紛れ込ませるようにか細かった。
「待ってくれ、俺も連れて行ってくれ。キーファの件は俺にも功績があるはずだ!」
「ケハハ、うっかり忘れるところだったよ。アルカノちゃん、君の件をジュピターにしっかり伝えるよ。始末しましたってね♥」
骸骨の手が黒い槍を描き出すとアルカノへ向けて放たれ、身動き出来ない彼は為す術もなく、心臓部分へそれを受け入れた。
イオは渦に入り込む寸前だったんだ。それなのに、先ほどはハカセの件を伝えることによって死を回避したアルカノの行動が、今度は自ら死刑執行のサインをしてしまったのは皮肉としか言いようがない。
満足げに見つめたイオは、僕へと冷たく黒く凹んだ眼を向ける。
「君は見逃してあげるよ。精々このデスゲームを生き残ってくれたまえ。ああ、ステキなプレゼントを追加しとく。もっともっとこのゲームが楽しくなるぞ」
髑髏の顔を歪ませ、大きく笑ったイオは捨て台詞を吐いて黒い渦へ飛び込み、黒く大きく開けていた渦は縮小し霧散して消え去った。
僕はアルカノに向かって走り出した。
こいつは僕らを罠にはめ込んだ嫌な奴だ。たぶん普通のゲームをしていも友達には慣れなかっただろう。だが、それとこれとは話が別だ。
人が目前で殺されようとしているとき、黙ってみていることなんて出来なかったのだ。
アルカノの側までいき、肩を揺すると、焦点の合わない視点が何度も揺れ動く。
まだ生きてる!
だが、僕の思惑を冷笑するようにイオが放った黒槍は、突き刺さった部分が黒くジワジワとアルカノの体を侵食し始めていた。
苦しそうに呻くアルカノに、アキラ達から教わっていた回復魔法を何度もかけるが、効き目はなかった。
「だめだ、僕如きの魔法じゃ、回復できない」
どうすれば……そうだ! 僕がだめでも拘束された手を開放できれば、アルカノ自身が回復魔法を使うことが出来るかもしれない。
白虎の短剣で拘束具を斬りつけると、頑丈そうに思われた手枷は一撃で砕け散る。この手枷が脆かったのか、白虎の短剣がすごいのかわからないが、とにかくアルカノの手を開放できたことが嬉しかった。しかし、僕の想いとは裏腹にアルカノは動こうとはしない。
「おい! 何やってるんだよ! 早く回復しろよ!」
「もう……助からねぇよ……。例え、助かっても……あの方に見捨てられた時点で終わりさ」
「何諦めてるんだよ!」
「はは、赤の他人のくせにうるさい奴だな……」
「人が死んでいくのが嫌なんだ! 諦めるな! 動けよ!」
「……手をだせ……」
虚ろになりつつあるアルカノは彷徨わせるように僕へと手を差し出した。
「手を…」
何をしているんだ、薬なり回復魔法を唱えろよ。何度も何度もアルカノに向けて説得するが、力の抜けた手を伸ばして、それ以外の行動を起こそうとしなかった。
焦りと苛立ちが混在しはじめた僕は、アルカノの手を取り再度呼びかけた。
手と手を取り合うことはこの世界ではフレンドになるためのアクションだ。当然システムメッセージが流れたが、僕が知っているそれではなかった。
【相手がトレードを求めています。受け付けますか? はい/いいえ】
トレード? 今はそんなことをしている場合じゃないだろ! あんなに生にしがみついていたのに何やってるんだよ!
泣き声混じりの言葉はアルカノに届いているはずなのに、彼は僕の手を放そうとはしない。仕方なく【はい】を選択すると、僕のマジックバックにアルカノから荷物が受け渡されたことが告げられた。
「お前にやるよ」
アルカノはそれだけ口にすると、静かに目を閉じた。
【領土戦の終結をお知らせします。べクルックス卿死亡のため、フォーマルハウト卿の勝利となります。なお戦後処理の条件は賠償金か領土の割譲かは……】
アルカノの死によって領土戦が終結したことを告げるシステムメッセージが、頭の中に虚しく響き渡る。
立ち上がれ、そして直ぐにサクラさんに今起こったことを告げるんだ。
宝物庫の扉を殴りつけるように押し開け、来た道を全力で走り抜けた。
白虎ブーツのおかげか、体は軽く、空を切り裂きながら走る速度は相当なものだったと思う。
道中に直接通話でアキラやサクラさんに呼びかけたのだが、雑音が混ざり通話がうまくいかなかった。混線などこの世界にあるのかと疑いながら、嫌な予感に胸が押しつぶされそうになる。
行きとは違い、全速力で走ったおかげか、短時間で僕らが降りてきた階段が目前に迫る。
ハカセとアルカノから受け取ったアイテムはサクラさんたちと合流してから確認しよう、そう思った僕は階段を何段抜かしたかわらないほどの勢いで駆け上がり壁を抜けた。
きっと、桜花団のみんなは壁の向こうへ行った僕らを心配して、今か今かと出てくるのを待ってくれている、そう考えていた僕の予想は完全に的外れだったようだ。
暗い隠し通路を抜けた先には、壁に備え付けられた松明がパチパチと音をたて、辺りを照らしていたが、そこには誰一人としていなかった。
やはりと言うべきか、壁の外へと出たのにハカセは排出されず、壁の向こうから髑髏仮面が今にも出てくるのではないか、その考えが急速に膨らみはじめ、誰もいない空間に一人で立っていることが急に恐怖感を煽り始めた。
「サクラさん! アキラ! ミンメイ! パト! 誰かいないの?」
不安を掻き消すように誰もいない通路に向かって叫んでみたが、何の反応も返ってこない。
ノイズで通話ができなかった直接通話を再度試すべく、ステータスウィンドウを開いた僕は愕然とした。
フレンドリストを呼び出すためのボタンがなくなっていたのだ。
ほんの数秒前には確実にあったものがなくなる。
あの時と同じだ。
ラフィン・スカルが現れる前まではあったエグジットボタン。それが消え去ったために、僕らはこの電子世界からの脱出を不可能にされた。
あいつらは再度システムに介入し、フレンドリスト機能を削除したのか。そうとしか考えられなかった。
それだけではない、イオは僕の周りから人すらも消したのでは。
不安は雪山を転げ落ちる玉のように大きくなり、恐怖に押しつぶされそうになった僕はその場に留まることができず、ミンメイが付けてくれた目印を頼りに地上へ戻ることにした。
行きには気にならなかった靴音が、一人になってやけに耳にこびりつく。
コッコッ。
一人だけの足音なのに、その音は壁に反射され、後ろから誰かが付いてくる妄想をかき立て自然と僕の足を速めた。何度か迷いかけながらも地上への階段を見つけたときは、走り出していた。
地上にさえ戻れば誰かしらいるはずだ。
壁の向こう側へ行っていたのは、一時間もないはずだが、きっとみんなはお腹が空くなりして戻っていったに違いない。まだ、僕は心のどこかで、楽観しようと足掻き続けていた。
この時の僕は、気がついていたけど、気がつかない振りをしていたんだ。
ネットで動画を見る際にボリュームをミュートしたように、なぜ、こんなに世界はも静かなのか。
そのことを僕は受け入れることができなかった。
地上への扉を飛ぶように走り抜け、一階ロビーで僕を出迎えたのは、荒れ果てた室内と散乱した貨幣やアイテムだった。