クロノス 〜ソード&マジックの変遷〜
ハカセはアルカノを見据えながら抑揚のなくなった声で淡々と語り出した。
私には歳の離れた兄がいました。とても優秀で、弟の私がいうのも何ですが、温和でやさしい自慢の兄でした。
兄は複数の大学を卒業したあと、とある研究所に入所し、博士号を修得するなど研究肌の強い人柄でした。
そんな兄が友人に誘われ、一緒にベンチャー企業を起ち上げると言ったときは驚きましたよ。
『スタンド』と名付けられた会社は、コンテンツ開発を主業務に、五年後には社員を四十人ほど抱える小規模な企業へと成長しました。
順風に見えていたスタンド社にひとつの転機が訪れたのはその辺りだったと思います。
初の試みで出したバーチャルワールド用アプリケーションがスマッシュヒットしたのです。
これに気をよくした兄たちは、欧州で大人気だったヴァーチャルサッカーにあやかり、VRゲームを出すことにしたんです。
ゲームとしてのスポーツものはその時点でほぼ出尽くしており、兄たちは悩んだあげく、二千年代前半に人気を博したMMOに目を付けました。
これがソード&マジックの原型です。
今でも覚えてますよ。
開発に難航した兄が、当時大学生だった私を引っ張り出してまで取り組んだプロジェクトは、大企業が投げ出すほどの内容でした。
どの企業も開発途上にあった翻訳システムやゲーム上で再現するには度が過ぎている重力計算など、とてもゲームとは思えない仕様が組み込まれていたのですから。
兄と一緒に会社を立ち上げた兄の友人たちも研究畑育ちで、ゲームそのものをあまりプレイしたことがなく、なぜゲームを作ろうと思ったのか、その時の私にはまったく理解できませんでした。
しばらくして原型らしきもの、プログラマー初心者の一歩である「Hallo World」程度に出来上がると、兄はそれを自宅に持ち帰り、息子にプレイしてもらうと言ったのです。
私は唖然としました。
なぜかって? 兄の息子……、私にとっては甥にあたるキースは生まれながら難病を患い、寝たきりだったからです。
キースを生んですぐに亡くなってしまった義姉の変わりに、私の両親や私が看病をしていましたが、とてもゲームなんて出来る状態じゃないのはわかりきっていました。
それでも兄は自分が作ったものを息子に遊んで欲しいと。私はそれ以上何も言えませんでした。
寝たきりのキースにVRマシーンを装着し、スイッチをオンにすると……キースはかすかに笑ったかのように見えました。
今までこのような事はなかっただけに驚きもしましたが、私は目の錯覚かと思い何も言いませんでした。
その時は五分ほどでVRマシーンを外して終わりました。
開発はその後も続きましたが、先の見えない迷路にはまり込んでもいた時期でもあります。
兄は疲れ切って自宅に帰りながらもキースにVRマシーンをつけては、話しかけることを日課にしていたのですが、その日は疲れのためか、そのまま寝入ってしまったのです。
大学の試験が間近に迫っていた私は自室で勉強をしていると、一通の電子メールを受信しました。
内容は……、あの衝撃は今でも忘れませんよ。
「おじちゃん、キースだよ! いつも看病ありがとう!」
それを見たとき私は驚きよりも怒りがわきましたよ。誰がこんなイタズラを!ってね。そして次にキースの身が心配になりました。キースには看護システムが付けられていて、何かあった場合は電子メールで家族に知らせが入るようになっているからです。
あわてて自室を飛び出した私は、キースの部屋へと駆け込みました。
部屋のなかにはベッドに顔をうずめて眠る兄と、VRマシーンを装着したままのキースがいました。
看護システムをチェックし、アラームが出ていないことに安心をすると、VRマシーンをキースから外し、兄に毛布をかけて部屋をあとにしました。
自室に戻ると電子メールが何通も着ていました。
それを開いた私は再び息をのみましたよ。
「おじちゃん! 僕だよ! キースだよ! VRマシーンを外さないで! 僕はこれを通しておじちゃんにメールを出しているんだ」
「やめて! おじちゃん! 僕からその機械を外さないで!」
「お願いだよ! 僕はキ」
メールを読んだあと私はモバイル端末を片手に再びキースの部屋へと駆け込みました。
私がキースにVRマシーンを装着するのと、モバイル端末にメールを受信したのはほぼ同時といっていいでしょう。
「はじめまして。僕はキース・クルエル。キーファーおじちゃんの甥っ子だよ」
端末を握りしめ、私は神へ感謝の祈りを捧げましたよ。「おお、神よ」とね。
寝ている兄を叩き起こし、起こっている現象を話すと、兄は難色を示しました。キースに話しかけた返答がメールとして着たと説明しても、どこかで盗聴が行われているのだと、信じようとはしませんでした。
何度かそんなやり取りを繰り返したあげく、事実を受け止めた兄の驚喜ぶりは、生まれてこの方見たことがありません。
ですが……、この出来事から会社の路線が迷走しだしたのも事実です。
ゲーム上では必要ないとされていた痛覚や味覚などの五感再現システム、空気力学や量子演算システムなど、兄は……いえ、兄たちは電子世界に現実世界を再現しようとしはじめたのです。
後にわかった事実ですが、兄と一緒に会社を立ち上げた友人たちにはキースと同じように難病を抱えた子ども達がいたのです。
なぜ兄たちがゲームを作ろうと言い出したのか、その時はっきりとわかりました。
彼らは何もしてあげられなかった子ども達に、自分たちが作り上げたおもちゃを与えたかったのです。
天才とも言われた兄たちが作り出すシステムは、大企業からも注目の的となりました。
バーチャルワールド上で再現される五感システム、物体の質感を再現するマテリアルシステムなど、すべては現実に体験することができない【チルドレン】へ、何かを与えたい、そう思う親心だったのかもしれません。
ですが、あまりにも開発に傾注する兄たちは会社運営という分野を蔑ろにし、倒産一歩手前の危機を迎えます。
研究分野のエキスパートではあっても会社運営とは縁遠い兄たちは、打開策として大学時代の友人であった一人の男に声をかけます。
「それが、アルカノ。あなたです」
「……」
「別に答える必要はないですよ。ただ……。あんたじゃないかもしれないが、スティーブ! もしテメェがスティーブなら俺は真っ先にお前を殺す!」
失礼、話をもう少しだけ続けさせてもらいます。
スティーブと呼ばれる友人は兄たちとは違う天才だったと言ってもよかった。
傾きかけた会社の運営権をスティーブが握ると、スタンド社は立て直すどころか、瞬く間に急成長したのですから。
兄たちが開発したシステムをライセンス契約という形でばらまき、四十人程度の小規模会社から社員数八千人を越えるほどの大企業へと発展させ、一流企業の仲間入りを果たしました。
潤沢な資金を確保したスタンド社は、ソード&マジックの開発に一つの区切りを付けます。
α1と呼ばれるテスト版がアップされ、我々がその世界へと足を踏み入れたときの感動。
これは筆舌に尽くしがたいものがありました。
周りで発表されていたゲームとは一線を画す世界。それがそこにはあったんです。
海際に立ち、一身に受ける潮風の感触と味覚に感じる塩気、肌に感じる日差しの暖かさ、踏みしめる大地の質量と地上に縛り付ける重力。すべてが現実のように感じられました。いえ、確実にここは新世界として誕生したんです。
振り向けば、キース、オットー、ニキータ、ルネ、シン、オトマール……【チルドレン】が楽しくこの世界を駆け回っている。それを何とも言えない表情で見つめる兄たち。私は感無量でした。何かが報われた想いでした。
もう驚くこともない、そう思っていた矢先、私はもう何度目なのかわからない人生最高の驚愕を味わいました。
【チルドレン】はVRマシーンを通してお互いに連絡を取り合い、一つのネットワークを作り出したのだと我々に打ち明けたのです。
彼らはVRを通して世界を渡り歩き、彼らと同じような難病を抱えている子ども達を助成し、彼らの間に一つのコミュニティを形成したのだと明かしました。
スタンド社にある一部門を兄たちの決済権をつかって立ち上げ、それを運営し資金を稼いでいたとも。
ハッカー顔負けの技術でサーバーへと侵入するなど、できることなのか? どうやって!? それは愚問だったのかも知れません。天才たちの子どもはやはり天才だった。そう言ってしまったら私の立場が危うくなりますが、そうとしか言いようがない。
冗談かと思ったことは調べてみると事実であり、しかも運営自体がどの部門よりも優良ときては兄たちは口を噤むしかなった。
【チルドレン】に驚かされることは、それだけは済みませんでした。
どこで習ったのかわかりませんが、彼らが吸収した技術は兄たちを遙かに飛び越え、世界でもトップクラスの能力を有していたのです。
彼らは各自の頭文字を取って【クロノス】と名乗り、活動を開始します。
子ども達だけでは心許ないと、私はお目付役として【クロノス】の一員となり【チルドレン】と共に行動しました。
【クロノス】は謎の集団として世界中を席巻し、今では当たり前になったVRワールドの気象システムや生物の運動力学など、電子世界の発展へ貢献していきました。
「ああ! ヴァーチャル恐竜ワールドってたしかそれがあったから実現したんだよね。あれはすごかったなぁ」
「はは。ラック君も恐竜が好きですか。キースも好きで、新世界に復活させてみせると意気込んでいましたよ」
現実のようで現実ではないファンタジックな世界、S+Mがα3として一般公開されたとき、世界中の人間が魅了されました。
テストプレイヤーはβ時に五千万人を越え、国が一つ引っ越してきたのではないかと思うほどの盛況でした。
兄たちも【チルドレン】も喜び、すべてが順調に思えた。
ですが、悪夢は忍び足で私たちの背後に迫っていたのです。
オトマールが突然亡くなったのです。わずか十歳という若さで。
寿命……と言ってしまえばそれまででしょうが、【チルドレン】に与えられた衝撃は我々以上だったはずです。
自分達も理解していた現実。それを突然つきつけられたのですから。
彼らの病気は根治できるようなものではなく、いずれは死んでしまう。しかもそう遠くない未来に。
それを知った彼らの焦りは、私にもわかるほどでした。
焦った彼らはS+Mをより高度な完成品へと仕上げにかかります。
構想からβ版まで作り上げるのに三年の月日がたっていました。三年でここまでのものを作り上げたとなれば、逆にどんな魔法をつかったのかと不思議がられるほどなのに、【チルドレン】はそれに満足していませんでした。
そしてある日……ついに禁断の果実に手を出してしまったのです。
【ブレインアッパー】
当時はそんな呼び名だったと思います。
脳に高クロックの負荷をかけ演算能力を高める技術。【チルドレン】にとっては時間を引き延ばす技術など喉から手が出るほど欲しいものだったのでしょう。
我々に隠れてアプリを組み込んだ【チルドレン】は信じられない速さで世界を構築していったのです。己の魂を削りながら。
「気がつかなかった我々にも罪はあります。彼らの天才性に目を奪われ、危険な橋を渡る【チルドレン】を止めることができなかったことが悔やまれてなりません。過去の遺物とも言うべきオーバークロック技術がどのルートを通って【チルドレン】に渡ったのか。それを知ったとき兄ともども怒りに震えましたよ」
「……」
「スティーブ、あなたですよね? あなたが【チルドレン】に禁断の果実を手渡した」
「……」
「しかもそれだけではありません。S+Mのリアリティは別の所にも発揮されたのですから。これは【チルドレン】の名誉のためにも言いますが、決して彼らはそのようなものを開発したかったわけではないはず。誰かに作らされた……私はそう思っていますよ。十代になったばかりの少年、少女たちがセックスに関する技術開発などするわけがない!」
「そ、そんなにすごいの? ごふぅ。痛い、やめて、殴らないで」
「真剣な話に茶々をいれるでない!」
「団長、その辺でおやめに……。ラック君、君にはまだ少し早いのかもしれませんね。そんなあなたに言うのも何ですが、今のS+Mでは性接待として、おおっぴらに遊ぶことができない政治家や有名人たちが好んで使用するほどですよ。S+Mを冒涜するかのような所行です」
「……く、くはははは! 冒涜だって! おいおい。それを本気で言ってるのか? さっきから黙って聞いてれば未練たらしいことばかりを並べ立てやがって! お前達が好き勝手にやってこられたのは誰のおかげだ! 俺だ! 俺のおかげなんだよ! 見ろこの世界を! ああ、お前らがいうようにここは一つの世界さ! 現実を教えたかったんだろ! だったら教えてやれよ! 楽園なんてものはどこにもねーんだと!」
「貴様ぁ!」
ハカセの強烈なクマの爪がアルカノの顔を襲うのと、いつの間にか魔法を組み上げていたアルカノの手がハカセの目の前に差し出されたのはほとんど同時だった。
クマの一撃は惜しくもアルカノの顔をかすめただけに留まり、アルカノの手から発動された魔法は辺り一帯を覆う薄もやの霧を発生させた。
自分の手先すら見えないほど濃い乳白色に彩られた空気が晴れるころには、アルカノがいた場所はもぬけの殻となっていた。
ハカセに視線を送ると悔しさに肩が打ち震えているのが見てとれる。
なんて声をかけていいかわからなかったけど、小さなサクラさんが側によると何もいわずにクマの足を軽くなでていた。
「団長、すいません」
「何を謝ることがある」
「みなさんに黙っていたことです。申し訳ありませんでした」
「いいんじゃ。ところで聞いていいのかわからぬが、その……その後【チルドレン】はどうなったんじゃ」
「……全員亡くなりました。寿命ではありません。彼らは命をすべて燃やし尽くしたのです」
「そうか……」
朱雀の件で右往左往していたのが嘘のように沈黙が辺りを支配する。
どうしようもない現実。
僕らは本当のデスゲームに巻き込まれた、そんな現実がみんなの肩にのしかかっていたんだ。
また、寄り道的なお話になりました。