前夜
「おおおおお、おちつけ、大丈夫だ。暴動=殺戮じゃないはずだ、だだだ、だと思う」
「おぬしがおちつかんか」
アキラからの言葉を聞いて挙動不審に陥ってた僕の背中に、小さな手が思い切り叩きつけられ喝をいれられる。
振り向けば、大部屋へと向かっていたはずの幼女が僕の背後に立っていた。
「団長……。私たちの友人がハイムで助けを求めているんです! どうすれば」
「アキラも落ち着け。ポストバードが来ということは、フレンド登録もできる状態じゃろ。登録してtelをいれてみるがよい。その後プロフィールをもらうのじゃ」
「プロフィールをですか?」
「それを現地にいるマルコに送って、合流させるのじゃ。私たちが行くまではマルコたちのホームで匿ってもらうのが今打てる最上の策じゃろう」
「わかりました、さっそく連絡してみます」
慌てる僕らと違い、落ち着き払った幼女はパトに白川さんの件を伝え、マルコと呼ばれる人たちの行動も指示していた。
とにかく慌てない。落ち着いた行動をとること。身の安全を確保し、助けられる仲間は助けること。多数の人間がとる行動にうかつに乗っからない等々。
僕には思いつきもしないことを次々に指示していく。
「とにかく今はギルドメンバーを集める。それから先ほどのハカセの話を公表し、皆の意見を聞く」
「今すぐ現地へ向かわないですか!?」
すぐにでも暴動が起こっている現地へ駆けつけ白川さんや仲間を助けるかと思っていた僕は、落ち着きすぎている幼女の態度が冷たくみえて、つい詰問口調になってしまった。だが、幼女はそんな僕にやさしく微笑む。
「おぬしの気持ちもわかぬではない。だが、考えもなく行動を起こせばミイラ取りがミイラじゃ。現状の情報を整理し、打開策を立てて目標を決める。それから行動するべきじゃ」
その後は振り向きもせず、廊下を歩いて行く。幼女の姿から想像できないほどの早足で駆けていき、他のみんなは半分走っていた。
僕の不満顔がわかったのか、ミンメイが隣にきてフォローする。
「団長も焦っていますわ。それはわかってあげて」
「うん。そうだね。闇雲に行動しても僕らが窮地に陥るだけだよね」
半ば自分自身に言い聞かせるように返事をした。
パトから連絡を受けていたのか大勢の団員で大部屋は埋まり、幼女は颯爽と中央通路を通り抜けて円卓へと向かう。通路両側の「団長!」「今日もかわいらしい」「だぁ〜んちょ〜〜」と声をかける団員の姿は、なんだかファンクラブのノリが見え隠れするな。
最奥の円卓までくると一番豪華そうな席に団長がつき、パトとハカセが両隣に座る。他に座ったのはハンゾウと僕が見知らぬ人たちが五人ほどで、他のみんなは最前列の席に着き、僕もアキラたちの近くに座った。
「パトリチェルから連絡がいったかもしれんが、この場にいる者と<リンカー>をつけている団員に改めて伝えることがある」
団員はギルドメンバーの証でもある<リンカー>と呼ばれるものを所持しており、これを持っているとギルドリストにいるメンバーと多対多、多対一、一対一の通信ができるそうだ。この大部屋で声が大きくもない幼女が、部屋の隅から隅まで話しを聞かせられるのもこれのおかげだよとアキラが教えてくれた。
「ラフィン・スカルの件は皆も知っていることじゃろう。私はこれがただのイタズラではないかと疑ってもおった。だが、ハカセたちと話し合い、その可能性が低いという結論にいたった」
部屋が若干ざわつくなか、幼女は追い打ちをかけるようにオーバークロックの件を話はじめる。このゲームによる死が現実世界の死である可能性が高いこと、時間が拡張され、自分たちがまだコンマ秒しか過ごしていないかもしれないということ等々。
ここまで語られると、先ほどのざわつきを数百倍にした声が部屋中にこだました。
「まじかよ! 俺はなんでゲーム前にトイレいってしまったのかぁ」
「かーちゃーん、今こそ俺を起こすときだ!」
「ユキィ〜俺を起こしてくれぇ」
「お前のユキってただの抱き枕だろ! だぁーってろ」
緊張感のない声も混じっていたが、混乱した状況が伝わってきたのは確かだ。
「落ち着け!」
幼女が一喝すると辺りは静まり、みんなの注目が団長へと注がれる。
「先ほども言ったように、現状ではパニックが一番怖いのじゃ。皆もおちついた行動を取るように。私はこの事実を知る前は、皆の連絡網をつくり、金を支払って脱出させ、おぬしたちの家族にVRマシーンの回線を切断してもらえば良いと思うておった。だが、この世界で666日、リアルで666秒。約11分という短時間では皆を助けることなどできない」
幼女は一気にそこまで話すと、一呼吸おく。
「私としてはグランドミッションをクリアし、このゲームから脱出する方法をとろうと思うておる。知人や友人、家族らが、このゲーム内におるなら一緒に連れてくるがよい。皆が無事脱出できるよう模索していこうではないか! 顔を下げるな! 諦めるな! 我らはまだ死んではおらぬ! 必ず脱出し、現実へ復帰しようではないか!」
幼女が鼓舞し、団員は「おお!」と部屋が振動するほどの声で答え、右腕を振り上げて サ・ク・ラ! サ・ク・ラ! とコールを鳴り響かせる。
サクラって何だ? と疑問符を顔に浮かべてると、アキラが団長の名前だと教えてくれた。
幼女あらためサクラさんが立ち上がり、声援に手を上げて応え、やがてみんなが静まるのを待ち、話を再開した。
「現在、べクルックス伯爵領で暴動が起こっているのは知っておるか?」
「え、まじで? あそこって確かアルカノの……」
「うは。さっそく暴動とか。あそこ知能指数低い奴らが集まってるから」
「笑ってる場合じゃねーぞ」
「おまえら副団のメッセージボードみてねーのかよ。マルコたちがあそこで足止めくらってるってよ」
僕の後ろから今知ったばかりという団員たちの声が聞こえる。
「他も確認中だが、危険度が高いのはマルコのチームだけのようじゃ。他にもおったら知らせよ。これからマルコたちと合流すべく対策を練ろうと思う。皆の忌憚のない意見を言うがよい」
「質問! アルカノのところはオーバークロックの件を知って、自暴自棄になった奴らが暴れてるんですか?」
「いや、まだオーバークロックの件は知らないと思う。暴動がおきた理由はパトリチェルのメッセージボードにも書かれておるが、アルカノがギルド資金を持ち逃げしたため、副リーダーのペッジが街を封鎖したのが事の発端じゃ」
「強欲らしいな」
「強欲だからな」
「まぁ強欲ならではだよな」
この件がみんなに行き渡ると、あちこちで「強欲」とささやかれる。どんだけ強欲なんだろうか。
部屋では近くにいる団員同士で相談が始まるなか、ハカセが挙手して意見を求めた。
「団長、その件なのですがアルカノはもうアセントしたんでしょうか」
「私にもわからん。だが、脱出したのならペッジが街を封鎖する理由にはならんじゃろ。持ち逃げと言うておる以上、まだ市街に潜伏している可能性が高いのでは?」
「そもそも一億ユピテルをどうやってラフィン・スカルに支払うのでしょうか。アルカノの現状を聞くと一億ユピテルを持っているプレイヤーが自動的にアセントされているとは思えません」
サクラさんはハカセの顔をみると、「たしかにその通りじゃ」と頷く。
「ならば、あの条件は嘘だったと。しかし、それでは他の条件も嘘という可能性もあり、皆このデスゲームを信用するまいて。う〜む」
「誰も一億ユピテル持ってないの?」
それほど大きな声でいったわけではないが、静まった部屋の最前列にいた僕の発言は団長たちの耳へと届いてしまったらしい。
「小僧もするどいの。たしかに一億持ってみればわかるか。ハカセ、ギルドの財源はいかほどあるかの」
「13億ちょっとですね」
サクラさんはギルド金庫から一億ユピテルを自分のマジックバックへと移すため、四人の幹部たちに許可を得る。
大金を自分のストレージに入れた瞬間、空間がゆがみポストバードが現れた。その姿は先ほどみた灰色の鳩ではなく、真っ黒なカラスではあったが。カラスは真っ黒な封筒をサクラさんに投げ捨てると、来たとき同じようにゆがんだ空間に飛び込んで消えてしまった。
手紙の封を切り内容を読み始めたサクラさんは次第に顔をゆがめて、隣のパトにそれを渡す。
あれって回し読みできるんだ。今度、アキラから白川さんの手紙を見せてもらおっと。
「この手紙はラフィン・スカルからじゃ。内容は一億ユピテルを持って<王城>に持ってゆけばクリア扱いとすること。裏ルールとして一億ユピテル以上を持ったまま666日を生き残った場合、これもクリア扱いとし、さらにその時点で持っていたユピテルを賞金として出すというものじゃ。これはあの強欲が飛びつくわけじゃ」
「団長、これにはさらに諸条件として、一億ユピテル以上を持つ者は自動的に【御尋ね者リスト】に掲載されるとありますぞ。まったくいやらしいシステムを作り上げてますな」
「パトリチェルの言うように、いやらしいシステムじゃ。御尋ね者リストに掲載とはな。これで誰が金を持っているかダダ漏れとういわけじゃな」
MMOには『持ち逃げ』といった、みんなで苦労して倒したモンスターのドロップ品を半ば奪うように持って行ってしまうプレイヤーがいる。また、ゲーム上で出回る機会が少ない稀少アイテムを持っているユーザーに近づき、ちょっと貸してと言ったまま逃げてしまう『借り逃げ』をする者もいる。当然そういったユーザーは糾弾されるのだが、シラを切り続けるものが多く、ネット掲示板などで晒されることになる。ここではそれを公式に取り入れてるようだ。
御尋ね者リストは酒場などに張り出され、かなりアバウトながら、位置情報も掲載されるらしい。デスペナルティがアイテムやお金のドロップとなれば、狙う人たちは後を絶たないだろう。
「誰か酒場にいる人はリストをみてくれんか」
サクラさんが<リンカー>に向けて発言すると、どこかの酒場にいた団員からすぐに返答があったようだ。
「アフロから返答があった。私の名前が掲載されているらしい。アルカノの名前もあるそうじゃ。【ascent】の刻印がないそうじゃから、この世界にとどまっているのは確かじゃな。アルカノのことじゃ、ギルド資金を持ったまま、どこかの街で潜伏しようとしたのじゃろ。まったく、あやつらしいいが、マルコたちが危険な目にあっているかと思うと腹立たしいやつじゃ」
「団長、そのマルコから連絡がありましたぞ。マルコ以下23名は全員無事、混乱も城門周辺に集中しており、ホーム周辺は被害も少ないそうじゃ」
パトは僕らの方をちらりと一瞥すると、
「アキラたちの友人とも接触が取れたそうじゃ。いま友人一行と合流する算段をつけているそうじゃて」
そう言ってくれた。
アキラと共に胸をなで下ろそうとしたとき、パトがさらに言葉を続ける。
「じゃが、ペッジのやつ、アルカノを街から出さないために、隣国に【領地戦】を宣戦布告したそうじゃ」
「「「「ええええええええ!!!!!」」」」
部屋中が「ええええ」という言葉で埋め尽くされたような錯覚を覚えつつ、それがいったい何を表現しているのかがわからない。いつもは説明役をしてくれるアキラも、口をあけたままだ。
「アフォじゃ! バカじゃ! 大間抜けじゃ! 何を考えておるんじゃペッジは。頭の中が空っぽとは思うておったが、これほどとは……」
「団長、これは悠長にことを構えている場合じゃありませんよ。今のペッジたちじゃまともな領地戦など出来ません。ハイムで攻防戦になるのは必定ですよ」
サクラさんとハカセの会話がかろうじて聞こえてくるが、部屋中はざわめきっぱなしで、それ以外はまともに聞こえてこない。
呆けていたアキラを正気にさせ説明させないと。
「アキラ! これってどういうことなのさ!?」
「え? ああ、いや、領地戦てのは文字通り領地を賭けた戦争なんだよ。勝てばそこの領地が手に入るし、負ければ奪われる。ハイムの周りを支配しているのはNPC支配国だけのはずだから、ペッジはそこに宣戦布告したんだろうね。でもなんで……」
「それはアルカノを逃がさないためですわ。伯爵領の首都ともなれば広すぎて、とてもペッジの手勢だけで封鎖なんてできませんわ。でも領地戦となれば話は別。戦争が終わるまで国へ出入りする転移魔法、テレポーターは使用不可、多数ある城外への通用門は封鎖され、大門と呼ばれる城門しか通行ができなくなるんですわ」
憤慨したミンメイが語る内容を聞く限り、ハイムの封鎖は本格的で、そこが戦場になることは確定じゃないか。暴動どころの騒ぎじゃない!
「皆聞け! ここにいたっては、我らも悠長にかまえておれぬ。隣国のNPC軍が戦闘をしかけてくるまでは一週間はある。全員でハイムにおしかけペッジに恫喝をかけ、マルコ以下脱出させられそうな一般プレイヤーを逃がすのじゃ! 今宵は動くのを控え、日の出とともに軍備等を整えはじめよ。各自休み、明朝9時に集合とする。幹部は残って今後の行動決めとチーム分けじゃ」
解散という声と共に団員たちが部屋から出て行き、この場に残ったのはサクラさんや幹部の人たち、ミンメイの取り巻き数十人だけとなった。
今後の行動をアキラたちも交えて語りだし、僕はそれを最前列の席に座りながら眺めていた。こんなときに何もできない自分にイラつきもするが、余計な口出しをするほど経験値が高いわけでもない。
一時間ほど(実際はこれもコンマ秒だろうけど)で会合は終わり、体を休めておけとサクラさんが労いの言葉をかけてくれる。まだ副団長たちと詰める話があるサクラさんやパトたちを置いて、アキラ、ユン、ミンメイ(と取り巻き多数)と共に休める部屋を探すことにした。
「まさかS+Mの中で寝るとか考えたこともなかったニャ」
「寝オチって文化はVRじゃ無くなったしね」
「でもベッドはあるんですのよ。結構寝心地はよかったですわ」
「ミンメイってば、そのベッドは寝る以外で何につかったのかニャ〜」
「な、何を言ってるのよぉ!」
ニャ〜とにやけなが言うユンに、顔を真っ赤にしたミンメイが追い回し、その反応を見ていた取り巻き連中は、ミンメイさんに限ってとか、もにょもにょとささやきあっている。アキラをみればこちらも顔を赤くしてそっぽを向いていた。
こ、この反応は!? もしアキラが○○とかピーなことをしていたら、その体を触らす以外に僕の怒りを収める方法はないと思ってもらおう。
学校のような作りをしている本部は広く、数十ある部屋のどれをつかってもよいというので、ベッドがある部屋に女性三人が、やや広めの何もない部屋に男性陣が寝ることになった。アキラは当然こちらにくるものだと思い、あとをついていこうとしたら取り巻き連中のひときわ厳つい顔をした男に首根っこをつかまれ、男部屋へと引きずり込まれる。
「え! あれ!? ちょっと! アキラは?!」
「アキラさんはあっちだろうが、おめぇ何を当然のようについていってるんだよ」
「いあいあいあいあ、君たちは何もわかってないし、あれだよ、あれ」
「ごちゃごちゃうるせっての。俺らのミンメイさんと親しくなった件も含めて、おめぇとは一度腹割って話し合いたいと思ってたんだよ」
「いやぁ〜〜腹割るって、あんたが言うと切腹しろって聞こえるよぉ!」
僕のは叫びは虚しく暗闇の部屋へと消えていく。
取り巻きからせっつかれつつも、良識のある人が間に入ってくれて、今日はもう休もうということになり切腹せずにすんだのは今後の良い思い出になるのだろうか。
みんなが雑魚寝をする中、僕も目をつむってみる。
この世界で起こっている現象は夢であり、寝て起きたら自分の部屋の天井が見える、みんなそう思って眠りについたのではないか。
体感で三十分ほど目を閉じていたが、寝付けるわけでもなく目を開けてみる。そこから見える天井は自分の部屋のものではなく、雑魚寝部屋のものだった。
「だめか」
目を開けてみても変わることのない景色を確認し、周りを起こさない程度のつぶやきを漏らして上半身を起こす。床に寝たために安眠できなかったわけではなく、やはりこんな現状のなかに寝ることは出来そうもない。
時間を確認するため、ステータスウィンドウを開く。
【Earth Time 21:31:59,Sword & Magic 4:15:20】
夜明けまではまだ時間がありそうだ。
これから何度も時間を確認することになるだろうから、時計をみるアクション設定をするためにステータスウィンドウをいじっていると、自分のステータスの数値が変わっていることに気がついた。
僕のステータスはわかりやすくLuck:10,000と表示されているのだが、それ以外の数値が変わっていたのだ。
「あれ? AGIの数値が変わってるぞ」
装備をほぼ脱ぎ、アンダーウェアだけの今、装備品による加算はないはずだ。基本ステータスが合計一万に制限されているS+Mで、AGIが一万だと合計二万になってしまう。
「これは、いよいよおかしくなってきたのかなぁ」
他にも異常がないかと調べてみると、アビリティ欄に【疾風】と表示されているのも発見した。こんなのを覚えた記憶はないし、これが何に使うのかもわからない。アキラに聞きたくてもこの場にはいないし、この荒くれどものを起こしてまで聞く勇気もない。
困り果てながらも、かゆくもない頭をかいて立ち上がる。
何を信じてもいいかわからない世界というのは、大地に足がついていないようで気持ちが悪くなってきそうだ。気晴らしのために本部をうろつこうと思い、そっと男部屋を抜け出してみた。
夏の夜明けは早く、すでに日は昇りはじめ、夜には気がつかなかったが、本部は小高い山の上に建っていたようだ。廊下の窓から見える城下町の景色はとても幻想的に僕の目に映った。現実世界では決して見ることの出来ないこの景色をつくった制作者は、現状をどう思っているのだろうか。
夜明けとはいえ、まだまだ暗い廊下を歩いていると、薄く開いた扉から明かりが漏れている部屋の前を通りかかった。
本当に何気ない気持ちとはいえ、その部屋へ忍び足で近づき、開いた隙間から中をのぞいてみる。もし男だらけの部屋ならそっと扉を閉めて、彼らの安眠に協力したいと思ったからであり、決して邪な考えが浮かんだからではないと明記しておこう。
隙間からのぞいた部屋は、淡い色調で、それほど広くもない室内に天蓋付きのベッドとテーブルセットが一組。テーブル上にのったワインらしき瓶と、それをグラスにそそぐサクラさんの姿が見えた。
その横顔には、あの剛胆さからは想像もできない憂いを含ませた面影がにじみ出ており、ここは何も見ないふりをして立ち去るのが紳士の嗜みだと言い聞かせ、そっと扉を閉めようとしたとき、
「れでーの部屋をのぞき見とは、あまり関心せんのぉ」
背後を取られ放題の僕も、さすがにこの不意打ちにはびっくりした。振り向く僕の目に映ったのは、たった今、部屋の中にいたサクラさんなのだから。
「サ、サクラさん!? あれ? なんで!? 部屋のなかにいたんじゃ」
「外に気配を感じたからのぉ。小僧は眠れんかったのか」
「いや、気配を感じたからって、いつ部屋を出たのさ! まるっきり見えなかったんだけど」
「ふふ。まぁ、よいじゃろ、その辺は。眠れぬのなら中に入るがよい。ちと話し相手にでもなれ」
「ええぇ〜、そんなぁ〜、いきなり女性の部屋に入るなんて、でも、サクラさんが良いと言うなら」
「ふん、お子様には早い妄想じゃ。もし変なことをしたら、ペインエンジンが悲鳴をあげるほどの斬新な拷問が待っていると思え」
どんな拷問かと想像するのも嫌になり、このまま帰ろうと身を翻したが手を捕まれて部屋に引きずり込まれた。
「まぁ座れ。本来ならアルコールはだめじゃろうが、この世界で気にしても仕方があるまい。シードルでも出してやる」
「これってやっぱりワインだったんですか。てかゲーム上でアルコールとか酔うことなんてできるんですか」
「そこら辺もS+Mのすごいところよ。さすがに泥酔とまではいかぬが、味も酔いの再現も現実そっくりじゃ」
「はぁ開発者の意気込みは相当ですね」
「そうじゃの。皆から嫌われておるが、痛みの再現は科学会でも認められていたほどじゃし、触覚、味覚の再現も他会社の追随を許しておらん。ましてや皆が当たり前に感じて気にもしておらんが、翻訳システムだけを取っても世界一じゃ」
「サクラさんは外国の人ですか?」
「いきなりリアルを聞くのも不躾じゃぞ。だが、まぁ隠すほどでもないから言うておくが私は日本人じゃ」
「いつか僕らも出会えるわけですね!」
「出会っただけでは何も起こらんぞ少年よ」
外見は幼女だけど、大人の余裕でリードされる会話は楽しく、しばらく雑談が続いた。
不意にサクラさんが今どの程度までS+Mの知識があるのかと尋ねられたとき、先ほどみたステータスのことやアビリティについて聞こうかと思ったのだが、ユンの言葉がひっかかり、切り出すことができなかった。
「なんじゃ魔法のことも初歩の初歩しか教わっておらんのか」
「基礎くらいしか教えてもらってないんです。回復とかそこら辺だけ。魔法ってすごいんですか?」
「まぁ熟練者になれば城の一つも吹き飛ばすことができるぞ。まぁ、そこまでやれたらS+Mでは奇人扱いじゃがの」
「ええ!? そんなことまでできるの? それって複雑なモーションを覚えるんですか?」
「いや、基本的なものじゃ。例えばこれじゃ」
サクラさんは親指と中指をスナッピングさせる。指ぱっちんと呼ばれる動作であり、誰でも簡単にできるモーションだ。
「そんだけですか?」
「そうじゃ。これはシールド(風盾)と呼ばれる魔法のモーションじゃ。魔法とは単純なモーションの組み合わせで、地水火風光闇の六種からなり、その組み合わせは無限じゃ。氷系の魔法を使いたいなら風と水をうまくミックスさせればよい。あとは威力をあげていくのが問題なのじゃ、今のシールドはスナッピングだけで発動するが、これで防げるのは石つぶてくらいじゃ」
「使えない盾ですね」
「これだけではの。そこで威力をあげるための努力が必要であり、これが魔法使いの楽しさでもある」
「どうやるんです?」
「おぬしはリズム系のゲームをやったことがあるか?」
「リズム系って、一昔前に音ゲーて言われていたジャンルのですか?」
「そうじゃ。魔法もその流れを組んでおり、重ね合わせとタイミングが重要なのじゃ。シールドもタイミングよくスナッピングしていくと」
サクラさんはリズムよくスナップを繰り返し、八回ほど繰り返したところで魔法発動のモーションを行う。サクラさんの目の前に風が流れこんだかと思うと、空気が膨張し、目の前にあったテーブルや僕を吹き飛ばした。僕は椅子ごと後ろに倒れ込みながらも、彼女の目の前にうっすらとダイア型の空気の層が何重にも現れていたことに気がついた。
「このようにモーションを重ねていき、タイミングが合っていれば高威力の魔法が発動するのじゃ」
「吹き飛ばすほどなら、やる前に言ってよ! なんでここの人たちは実戦派が多いのか」
「言うたらつまらんからじゃの」
「この……」
罵倒しようと思ったが、その後にくる鉄拳制裁が怖かったので、黙ってテーブルと椅子を戻す弱い僕がいた。
「これって例えばここを吹き飛ばすくらいの魔法を放つにはどのくらい重ねないとだめなんですか?」
「そうじゃのぉ、私も本格的な魔法使いではないからわからんが、城を吹き飛ばしたやつの話では512回ほど重ねたそうじゃ」
「512とか! しかも吹き飛ばすってことは爆発系ですよね? 当然風だけじゃないんですよね?」
「風とか火とか土とか色々と織り交ぜたそうじゃ。そやつ曰く音ゲーの最難モードをノーミスクリアx2セットするようなものらしい」
僕もゲームの類いは一通りやってきたが、この難易度は半端じゃないことはわかる。だいたいS+Mじゃそんな魔法唱えてる間にあっという間にボコられるに違いない。
「本来ならゆっくりと覚えていけば良いと言うところじゃが、そうも言っておられん。覚えられるうちに覚えておくがよい」
サクラさんにそう言われて、僕は二回ほどスナッピングし、魔法発動のモーションをしてみる。サクラさんほどではないが、僕がもっている盾よりも若干大きく分厚い空気の層が目の前に出現し、三十秒ほどで消えいった。確かにこの程度なら僕にもできそうだ。あとはタイミングの問題か。
「小僧、今のは」
「だめでしたか?」
「いやモーションもタイミングも合っていたが、今のシールドはツースナップにしては大きすぎるような……。私の見間違いかの」
人差し指と親指で目頭を揉むサクラさんをみて、僕は先ほど設定したアクションで時計を確認する。時刻は6時を示しており、さすがにこれ以上お邪魔してはと思い部屋へ帰ることを彼女に告げる。もうここまで起きていたら、お邪魔とかそういったレベルの話じゃないけどね。
「いや、私もいい気晴らしになった」
サクラさんはそう言って僕を見送ってくれた。剛胆に見えるサクラさんもやはりプレッシャーがでかいのだろう。扉の隙間からのぞき見た彼女の横顔から少しでも重圧を取り除けたのなら、僕のくだらない会話も役にたったと思いたい。
部屋へと戻りながら、窓外へと視線をむける。
S+Mで初めて見る朝日はとても美しかった。