第2話:マンデーパニック!
月曜日が、好きだという人間は少ない。
だが、今日の俺ほど月曜日を呪っている人間も、そうそういないだろう。
土曜日は死んだように過ごし、日曜日は「明日が来なければいいのに」と祈り続け、そして無情にも月曜日はやってきた。
午前八時三十分。
自動ドアが開き、俺は重たい足取りでオフィスのフロアに足を踏み入れた。
「……はぁ」
深いため息が出る。
二日酔いの頭痛は引いたが、心の重さは倍増している。
失恋の傷はまだ生々しい。元カノの連絡先は消したが、胸の空洞は埋まっていない。
「よう大塚。死にそうな顔してんな」
デスクに着いた瞬間、同期の男性社員、田所がニヤニヤしながら寄ってきた。
「……あん? 俺がフラれたのがそんなに面白いかよ」
俺が不機嫌に返すと、田所はきょとんとして、すぐに腹を抱えて笑い出した。
「面白いもなにも、お前、金曜の飲み会で『俺はもう恋なんてしない』って叫んでたぞ。散々くだ巻いてたくせに、覚えてないのかよ」
「うるせえよ。……で、なんの用だ。朝からニヤついて」
「いやいや、金曜は最高だったなーと思ってさ」
「最高?」
俺は首を傾げた。
記憶にあるのは、泥のように酔っ払って、誰彼構わず絡んだような不快な感触だけだ。
「アホみたいに飲んだことしか覚えてないわ。土曜の朝、なんで家にいるのかわからんかったくらいだし」
「覚えてないのか? 嘘だろ、あんな傑作」
田所は信じられないものを見る目で俺を見て、それからポケットからスマホを取り出した。
「見ろよ。俺、動画撮っといたから」
「は? 動画?」
嫌な予感がした。
全力で拒否したかったが、田所は強引にスマホの画面を俺の目の前に突きつけてきた。
再生ボタンが押される。
小さな画面の中に映っていたのは、金曜日の夜の居酒屋の風景だ。
――――――――――
『あ゛ー? うるせえな。ブチブチうるせえんだよ。イケメンだったらなんでも許されると思うなよ』
いきなり、耳をつんざくような大声が響いた。
ひどい手ブレの画面に映っているのは、赤ら顔でネクタイを頭に巻いた……俺だ。
そして、俺が指をさしているテーブルの向こう側には、見覚えのある二人の人物がいた。
一人は、営業部のエースであり、社内一のイケメンと名高い早乙女先輩。
そしてもう一人は――。
『おら、わかったらイケメンは邪魔だ。 帰れ帰れ。 美男美女の絡みとか、俺みたいなミジンコには毒なんだわ』
『だいたい、そっちも嫌なら嫌って言えよ! 顔にそう書いてあんじゃねーか!』
そっちと画面の中の俺が指差した先にいたのは、総務部の天草ひよりだった。
社内報の表紙を飾るほどの美女で、「うちのアイドル」とも呼ばれる高嶺の花だ。
画面の中の彼女は、俺の暴言を受けて、ポカンとした顔で硬直している。
隣に座っていた早乙女先輩は、『はぁ!?』と目を剥いて怒りを露わにしていた。
――――――――――
プツン。
動画が終わる。
俺の思考も止まった。
「……え、これ……俺?」
サーッと血の気が引いていくのがわかった。指先が冷たくなる。
「お前以外に誰がいるんだよ。あの『うちのアイドル』と『エース様』に説教かますなんて、勇者すぎるぜ」
田所は面白そうに肩を叩いてきたが、俺に反応する余裕はなかった。
「終わった……」
頭を抱えて机に突っ伏す。
早乙女先輩はプライドが高いことで有名だ。そんな相手に「邪魔だ」と言い放った。
しかも、社内のアイドル的存在である天草さんに対し、「顔に『嫌だ』って書いてある」などと無礼極まりない暴言を吐いてしまっていた。
これはもう、社会的な死だ。
モブ社員として平穏に過ごすはずだった俺の会社人生は、金曜日の夜に粉々に砕け散っていたのだ。
「今日、帰っていいかな……」
「今更遅えよ。ほら、噂の主役がお出ましだ」
田所の言葉に、俺はビクリと顔を上げた。
オフィスの入り口がざわついていた。
その中心にいたのは、天草ひよりだ。
透き通るような白い肌に、淡いピンクのオフィスカジュアルがよく似合っている。
長い黒髪を揺らし、誰にでも丁寧にお辞儀をしながら歩いてくる。
いつものように完璧な営業スマイルの中にも、どこか春の日差しのような柔らかさがある。
だが、今の俺には、その笑顔が死刑執行人の微笑みにしか見えなかった。
彼女はまっすぐに歩いてきた。
迷うことなく。
一直線に。
俺のデスクに向かって。
(ひいっ! 説教!? 始末書!? それとも左遷か!?)
俺は椅子の背もたれに張り付き、心の中で悲鳴を上げた。
周囲の視線が突き刺さる。
「おい見ろよ、天草さんだ」「大塚のところに行く気か?」「ビンタされるんじゃね?」
ひそひそ話が聞こえてくる。
天草ひよりは、俺の目の前で足を止めた。
ふわり、と甘い香りが漂う。
彼女は長い睫毛を伏せ、少し困ったように眉を下げて、俺を見下ろした。
「大塚さん」
鈴を転がすような声が、静まり返ったオフィスに響いた。
俺は覚悟を決めた。ここで罵倒されようが、ビンタされようが、甘んじて受け入れよう。それが罪人である俺の運命だ。
俺は震える声で返事をした。
「……は、はい」
「付き合ってもらえませんか?」
その言葉が落ちた瞬間、静まり返っていたオフィスが爆発したような騒ぎに包まれた。
「えええええっ!?」「マジかよ!」「告白!?」「マドンナが!?」
驚愕の声が四方八方から飛んでくる。俺も顎が外れるかと思うほど口を開けて固まった。
天草さんは、周囲の反応を見て、さっと顔を赤くした。
あわあわと手を振り、慌てて言葉を継ぎ足す。
「あ、ち、違います! ラ、ランチに! 今日のランチにお付き合いいただけないかと!」
一気に脱力した空気が流れる。
俺もガクッと膝の力が抜け、椅子からずり落ちそうになった。
(……あ、なんだ)
そうだ。そんなわけがない。
俺への呼び出しが、昼休みに先延ばしになっただけのことだ。
公開処刑が、個室での尋問に変わっただけだ。
――これが、俺の人生最大の「パニック」の始まりだった。




