枕草子が残ったわけ
少し前に「コールドドラフト現象」について書いた時に、家は夏作れと書いたことで、
「吉田兼好以外に清少納言も言ってたんですね」
とのコメントをいただき、
「しまった、またやった」
と思いました。
実はこの間違い、恥ずかしながら三回目なんです。何がかと言いますと、ご指摘いただいた通り、書いてあるのは「徒然草」で「枕草子」じゃないんです。それ、知ってるのになんでか書く時にうっかり「清少納言が言うてます」と書いてしまう。これまでの二回は自分で気がついて訂正したので多分誰にも気がつかれてなかったんですが、今回はご指摘いただくまで気がついてなかった。
ということで、本文訂正したんですが、あらためてここにも書いておきます。徒然草ですから、読んだ方、どうも申し訳ありません。頭の中を書き換えておいてください。
しかしなんでかなあ、書いてるとつるっとそっち書いてしまうんですよね。間違えて覚えた道を一度そっち通らないとちゃんと目的地に着けないような、そんな感じです。もしもまたやってたら教えていただきたいと思います。
ということで、たまたまタイミングよくなんですが、枕草子についてちょっと面白い記事を読んだのでそのことを書きたいと思います。
一昨年の大河を見た方もいらっしゃるので分かると思いますが、よく言われるのは清少納言と紫式部がライバルだったとか、お互いに悪口書き合ってるとかいうことです。ドラマではちょっと違いましたが、お互いが仕えている主がライバルということで、どうしてもそういう立場になるのはしょうがない。
そして結果的には清少納言の主である中宮定子が亡くなった後、中宮彰子が正妻ということになり、生き残った方が勝ったという感じですか。そういう背景があったのに、どうして枕草子が歴史に埋もれてしまわなかったのか、という記事を目にしたわけです。
私はそんなこと考えたこともなかったんですが、当時だったら亡くなった前妻派の清少納言の書いた作品、政治的に抹殺されててもおかしくなかったらしいんです。なるほど、言われてみたらそんなこともあるのかと、初めて知りました。今と違ってそういうことへっちゃらでやりそうですよね。それが、千年後の今まで生き残ってるのはこういう理由ではないかと推察していました。
これも知らなかったんですが、清少納言って、
「藤原道長のスパイだっただろう」
と言われたこともあったんだそうです。その理由が、
「枕草子で中宮彰子の父親である道長派のことを悪く書いてない」
ということらしい。
そもそもがお互いのサロンを華やかに演出して、こちらのお方の方が帝にふさわしい、そういう宣伝目的で色々な作品を書かせていた部分もあるわけです。だったら勝負がついた後、枕草子も清少納言も歴史から消されていてもおかしくない。実際に、そうやって私たちの元にまで届かなかった作品、たくさんあるんじゃないかとも思います。
そこでその方が書いていたのが、
「清少納言はあえて道長派のことを悪く書かなかったから」
でした。
それは主亡き後も主のことをずっと伝えていきたいから。もしも道長派の悪口を書いていたら、消されてしまうかも知れない。だからスパイの汚名を着ても反論もせずにいたんだとのことです。
もしもそうだったら、清少納言ってなんかすごい人だなってあらためて思いました。
当時は有利になるなら主をころころと変えるのなんて普通のことでした。武士の世界になってからは主を裏切るようなやつは武士の風上にもおけないということになっていきますが、もっとゆるやかだったようです。だから枕草子で有名になった清少納言なら、その気になればいくらでもライバル方に取り立てられただろうにそれをせずに静かに身を引いたのは、何もかも定子のためだった。もしも本当だったらなんかすごくかっこいいです。
私は清少納言と紫式部、タイプが違うのでどっちがどうというのはあまりないんですが、どっちかというと紫式部の方が根性悪いなと思うことがちょこちょことあります。もしかしたらそれは、最後には勝者の側にいたから、強い方になってしまったからかも知れません。どうしても日本人って判官びいきみたいのが強いですしね。
本当のことは分かりません。でも、もしも自分の作品を後世まで残したいなら、それこそ彰子に鞍替えした方が楽だと思うので、なんとなくロマンチックな推測だと思うと同時に、清少納言にも意地があったのかも知れないなとも思います。それで考えた挙げ句の行動だったとしたならば、見事に作戦成功ですよ、清少納言さん。
訂正した「コールドドラフト現象」はこちらになります。
https://ncode.syosetu.com/n7477lo/39




