理不尽な運命への反逆
「静かだな。面白くねぇ」
女性が泣く姿に興奮を覚えるスキンヘッドの男は、物足りなく感じていた。せっかく楽しむのであればこだわりたい。
脅すために体の一部を変化させると、右腕が熊の手のようになった。
「魔物の血はかなり薄くなっちまったが、混血の俺はこういったこともできる。お前の細い腕を引き抜くぐらい、一瞬でできるぜ」
信じがたい光景を目にして、一瑠の顔は引きつっていた。
死ぬ前の世界では人体変化なんて技術は無かった。あったとしても強盗犯が使えるほどは普及していない。
一瑠は少なくともここが、元の世界と同じである可能性はゼロになったと思った。
「脅しじゃねぇ。何か言えよ」
怯えない姿を見て苛立ったスキンヘッドの男は、人間のままである左手で一瑠の首を掴んで体を持ち上げた。
抵抗の一つでもすれば楽しめただろうが、手足はだらりと下がっていて生きるのを諦めているようにも見える。
脅しすぎて抵抗する意思をくじいてしまったと、スキンヘッドの男は内心で舌打ちをした。
「仕方がねぇ。今はヤって楽しむことにしよう。泣き叫ぶ姿を見るのはアジトに連れ帰ってからだな」
一瑠が抵抗しなかったのは無駄な怪我をしたくなかったから。
生きるのを諦めてはいない。
ようやく準備が整うと口を開く。
「息がくせぇんだよ。素チン野郎」
儚い雰囲気とは対照的な暴言を吐くと、一瑠は中指を立てた。
あえて挑発することによって己に注目を集める作戦は成功する。
「いい度胸じゃねえか。これだよ、これ。グチャグチャになるまでヤってやる」
スキンヘッドの男は歓喜によって震えていた。手足を折って動けないようにしてから、徹底的に陵辱して蹂躙してやると決意し、首を絞める力を強める。
呼吸ができない。一瑠の顔色は悪くなっていくが、目は諦めていない。無理やり口角を上げて笑顔を作り、さらに煽っていく。
「粗末なブツを……ぶら下げて……恥ずかしく…………ないのか?」
「言うじゃねえか。これでも耐えられるか?」
獣になった右腕が少女の腹に伸び……スキンヘッドの男は後頭部に強い衝撃を受けて、手を離してしまった。さらにもう一度、頭部に強い衝撃を受けると脳が揺さぶられて倒れてしまう。
味方だと言っていたアルゴスが、後ろに回り込んで攻撃したのだ。
位置関係から一瑠は動きが見えていたので、バレないように挑発していたのである。
自由になると咳き込みながらも床に落ちた斧を取る。一瑠は体から何かが少しだけ抜けるのを感じると、刃の部分に光が発生した。
痛めつけてくれたお礼をしようとして、一瑠は足を前に踏み出して止まった。
エンの力によって加護という名の呪いをかけられている。たいしたダメージを与えなかった攻撃ですら、吐血するほどの反動があったのだ。斧で攻撃すれば死ぬだろうことは容易に想像がつく。
相手が犯罪者であろうが攻撃できない。
取れる手段は逃走のみだが、体格差を考えれば追いつかれてしまうだろう。己の尊厳を守るため、相打ち覚悟で攻撃するべきだろうか。一瑠は悩んで動けない。
「私に投げて!」
アルゴスが叫んだ。
倒れていたスキンヘッドの男は立ち上がろうとしている。
悩むなんて贅沢な時間の使い方はできない。即断即決だ。
「味方だって言葉を行動で証明して見せろ!」
斧を投げるとアルゴスは隠していたアーム状の腕を伸ばし、掴む。
「助けるんだから、後で話ぐらいちゃんと聞いてね!」
「約束する!」
一瑠の返事に満足すると、スキンヘッドの男に斧を振り下ろした。
サイボーグ化によって頭蓋骨は金属のように固いのだが、刃に発生している青い光の力によって、バターのように斬り裂いて喉元で止まった。
即死である。スキンヘッドの男は血を吹き出しながら倒れた。
「すごい威力だ……」
「感心してないで男のポケットから手榴弾を見つけて! 2分以内で敵の増援が来るわよ!」
安心していた一瑠は、まだ敵がいることに驚いた。
疑問は後回し。アルゴスの指示に従って脱ぎ捨てられたハーフパンツのポケットを漁ると、手榴弾を発見した。
「死体の下に入れて安全ピンを抜いて、レバーが外れないように固定してね!」
「わかった。やってみる」
アルゴスの指示通りに手榴弾を死体の下に配置して安全ピンを抜いた。レバーは体で固定したので動かさない限り爆発はしない。
「これで時間稼ぎができるわ。必要な物だけ手に入れて逃げるわよ。指示は私がするから!」
矢継ぎ早に言われながらも、一瑠は素直に従う。
破壊されたクローゼットからワンピースを見つけて素早く着ると、ショルダーバッグに下着とゴーグル、端末を詰め込む。すべてアルゴスが持って行けと指名した物だ。
玄関に移動すると靴を手に取ると、ドアの向こう側から足音が聞こえてきた。
「時間オーバーね。逃げましょう」
「どこに?」
「こっちよ」
空中に浮かぶアルゴスがバルコニーの方へ移動したので、一瑠は付いていく。
外の景色を見て、ここがようやくマンションだと気づいた。10階ぐらいはあるだろう。飛び降りれば死ぬ高さだ。
「私に捕まって」
「いや、無理だろ……」
アルゴスの言葉に一瑠は突っ込んだ。
浮遊しているとはいっても人間を支えられるとは考えにくい。捕まれば重さに耐えられず、落ちるイメージしか湧かなかった。
「……死にたいなら、あなたはその程度の存在だったってことで諦めるわ。復讐もせずに悲惨な結末を迎えなさい」
急に突き放すような言葉を放たれて、一瑠は思い出した。
シリアルキラーと勘違いされて酷い目にあっていることに。
静かな憎しみが落下への恐怖心を塗り潰す。
怪しい存在ではあるがアルゴスは、言葉の通り味方として行動した。捕まっても落下死しないと、一瑠は判断する。
怯えるな。
生き残れ。
そして上位の存在に恨みをぶつけるのだ。
「バースが死んでる! 何があった!?」
ドアを突破して敵が室内に侵入してきた。
一瑠は跳躍してバルコニーの外に出るとアルゴスを抱きしめる。
予想に反して、ゆっくりと落下していく。
数メートル下がると仕掛けたブービートラップが発動して、爆発が起こった。窓ガラスが割れてキラキラと太陽の光を反射しながら落ちてきた。