エン:趣味の時間
「お前は輪廻の輪に戻れ」
審判が下るのを待っていた魂は、頭を掴まれて上空に放り投げられた。そのまま重力に逆らうようにして上っていく。雲のように見えていた魂の集合体に接触すると、どこかへ流れていった。
「ふぅ。これで一息つく」
数日間、休まず働いていたエンの肉体は元気だが精神的に疲れていた。
目を閉じて椅子の背もたれに体重を預ける。
静かな時間を堪能していると、エンは背後から気配を感じた。
「お疲れ様です。熱いお茶を用意いたしました」
腰から黒い羽を生やした女――アルゴスがコップを渡した。湯気が出ていて、中に入っているお茶はグツグツと泡を出している。
常人では火傷するほどの温度ではあるが、受け取ったエンは平然とした様子で一気に飲む。
「美味い」
空になったカップをアルゴスに返すと、エンは「起動」とつぶやいた。
空中に数十にも及ぶ半透明のウィンドウが現れ、それぞれ異なる人間や動物を表示している。
映像にいるのは罪を償うため、エンによって転生させられた魂たちだ。
当然ではあるが、平穏な生活などできていない。
拷問されて絶叫している男、オークの苗床にされている女、業火に焼かれながらも死ねない魔物……この世の地獄を集めたような映像が流れている。
「更生は順調なようだな」
一般的な感性を持っていれば、眉をひそめる光景ではあるがエンは笑顔だ。
許しを請う言葉を聞けば腹を抱えて笑い出す。溜まっていた疲れが吹き飛ぶほどの娯楽だ。
次々と映像を楽しんでいたエンだが、とある場所で視線が止まる。
「俺は無実だ! あの鬼は、間違っているんだ!」
鎖につながれ、牢へ入れられた男が叫んでいた。
後ろに控えているアルゴスは、事務的な声で罪状を読み上げる。
「あれは爆弾テロを実行した犯人ですね。直接的な死者は100人を超えています」
「無実と叫んでいるようだが、私の判断は間違っていたのか?」
「エン様が黒といえば、どんな色も黒になります」
正誤などどうでもいいと、アルゴスが伝えるとエンは満足そうにうなずいた。
誤審は起こらない。それが審判の場にある唯一のルールだ。
「誤審だと叫ぶあの男は、もっと深い反省が必要だな」
「その通りでございます」
「では、追加の罰を与えよう」
加護というか形で、エンは各世界へ間接的に影響を与えられる。
直接何かをしろと命令は出来ないが、牢に入っている男を拷問する人間に特殊な能力を付与して、より酷い苦痛を与えられるようにした。
一度でも拷問が始まれば、誤審だなんて叫ぶ余裕はなくなる。
早く殺してくれとしか考えられなくなるだろう。
エンは自分のやったことに満足して映像を次々と流し見していく。
どれも満足する結果ではあるが、何か物足りない。新しい刺激が無いかとエンが探していると、ふと少し前の出来事を思い出す。
「そういえばシリアルキラーの男はどうなった? 性別を変えたから面白いことになっていそうだ」
純粋な笑顔を浮かべながら、イチカを転移させた世界の映像を探している。
「これでもない、うーん。どこだっけな……」
「エン様、審判待ちの魂が増えてきました。そろそろ再開されてはどうでしょうか」
もう少しでイチカの世界にたどり着きそうだったところで、アルゴスが声をかけた。
「待たせておけ」
「よろしいのですか?」
普段のアルゴスは、命令に対して確認なんてしない。素直に従うだけなのだが今回は違った。そのことにエンは疑問を持って、視線を画面から外して魂が待つ場所へ移す。
長い列が出来ていた。
仕事を止めていたのは10分も満たないのに、かなりの魂が集まってきていたのだ。アルゴスが言うように、趣味を楽しむ時間はそろそろ終わりにしなければならない。
「最後に一つ見るぐらいなら、いいいだろ?」
「承知いたしました」
アルゴスが肯定したことで問題がないと判断したエンは、イチカが送り込まれた世界を覗く。
「ん? 部屋に隠れている? 強盗に捕まらなかったのか?」
用意したシナリオから外れることは、珍しいが絶対に発生しない、というわけでもない。エンは疑問に思いながらも、原因を探っていく。
「送り込んだ先にいた強盗は……全滅か」
都市のサーバに入り込んで、エンは当時の状況を確認していくが、先ほど魂を見ていた一瞬でアルゴスがすべて改ざんしている。
イチカとアルゴスが協力した事実は抹消されており、代わりに強盗が同士討ちして自滅したことになっていた。
「女の体を取り合って殺し合っただと? バカな……」
「罪深き人間は、私たちの想像を上回る愚行をするものです」
「むむ、確かに」
過去にも似たような事件があったことを思い出してエンは納得したが、このまま放置するわけにはいかない。平和な生活なんてしてしまえば、自分自身の存在意義にも関わってくる。
イチカには罪を償わせるためには、新しい過酷な運命を用意する必要がある。
同じ失敗はしたくない。人間は予想外の行動をしたためエンは魔物を使うと決めた。
デロス都市周辺に住む魔物へ加護を与えると、満足して魂の処理を始めていく。
アルゴスは、その姿を後ろからずっと眺めていた。




