ねえ、知っている? スズカちゃん
「ねえ、知っている? スズカちゃん」
鈴なる声であの子が喋る。
「あの林にうちの家の者じゃない人間が入ると戻れなくなるんだって」
私は「知らない」と不安げに言うと、コロコロと笑ってあの子は残酷な事を口にする。
「そうだもんね。スズカちゃんは、この家の子じゃないもんね。みんな噂しているよ」
だけど静かに底なし沼へ沈んだようにあの子は消えた。
そして……。
「さあ、帰ろう。スズカ」
ひどく優しく低い声が聞こえる。
*
半分、蔦で覆われた駅舎の屋根の下、最初は真っ青だったのかもしれないが太陽に当てられて白くなっている水色のプラスチックのベンチに私は座った。
蝉の鳴き声さえもしない異常気象と呼べる暑さ。私の通っている中学でさえも、暑すぎて部活が出来ないって事で夏休み中の練習は控えている。
そしてそんなクッソ暑い日々なのに、父の家に行くのはしんどい。決していい思い出なんて無く、憂鬱なのに。
ため息をつきたくなったその時、車のエンジン音が聞こえてきた。見ると眩しいくらいに白いワゴン車で、停車して降りてきたのは四十代くらいの小麦色の日焼けをした男性。
あ、風真おじさんだ。いや、正確にはおじさんじゃない。戸籍上だとお兄さんと言うべきか。
とにかく立ち上がってベンチに置いていたボストンバックと母に持たされたお土産の紙袋を持って行く。
「こんにちは」
「久しぶり、スズカ」
そう言って風真おじさんは私が持っているボストンバッグとお土産の紙袋を持って、車の中に入れた。
「乗ってもいいよ」
「あ、はい」
私はワゴン車の後部座席に乗って、風真おじさんは運転席に乗ると車は走り出す。父の家まで数分だから、そこまで時間はかからないけど。
「最近、暑いね」
「そうですよね。部活も出来ないくらいに」
「あ、やっぱりそうなんだ。うちの疾風もミニバスケットの練習が無くなっちゃったんだよ」
「ここって森の中にあるから涼しい場所って思っていたけど」
「異常気象にはかなわないよ」
風真おじさんは軽く笑って話す。車内のクーラーがとても涼しくて気持ちがいい。
ふと、車がある林に差し掛かった。等間隔に並んで植えている人工的に作り出された林である。建築とかに使う木材用の木だろうが、放置されている。林の中に入っても道路や畑などすぐに見通せる。迷う事なんて全くない場所だ。
その林をぼんやり見ながら私は風真おじさんに「凛々子は元気ですか」と聞くと、少し黙ったが「うん、元気だよ」と答えた。
私の家族関係は結構、異様だ。
まず父親は柳 真一郎で御年八十九歳である。柳家の家長って事になっているけど、つい最近ケガして寝たきりになってしまった。人生百年と言うけど、なかなか百に届くって難しいんだろうなって思う。子供は末っ子の私、三男の風真おじさん、次女の真紀子おばさん、そして長男の敬おじさんだ。敬おじさんは私が生まれる前に亡くなったらしい。
今の柳家の家長はのんびり屋の風真おじさんだ。その話をすると母は「大丈夫なの? あいつで」と言っている。
そして母親は滝沼 涼子で今年四十三歳。結構、サバサバした性格をしている。
父と母の年の差は四十以上あるのだ。多様性の時代って言っても、ここまで年が離れていると違和感しかない。そもそも私の母と出会った時、父の先妻はすでに亡くなっているから後妻に収まってもよかったのだ。
でも母はそれを選ばず、シングルマザーとして滝沼の姓を名乗って私を育てている。私も滝沼と言う姓だ。
こんな普通とは違う家族関係だから、私の出生について色んな噂があるのだ。
風真おじさんの運転で柳家に着いた。冬休みと夏休みに訪れるのだが相変わらず大きな家、と言うか屋敷だなと思う。昔は大地主だったらしいと母から聞いた。
「さあ、入って」
そう言って風真おじさんと一緒に私も「ごめんください」と言って入る。風真おじさんに連れられて、台所に行くと風真おじさんの奥さん 夏凛おばさんがいた。どうやらお昼の準備をしているようだ。
風真おじさんが「スズカを連れて来たよ」と明るく言うと、夏凛おばさんは「そう」とだけ答えた。何となく怒りのようなものも感じる。
「二日間、よろしくお願いします」
私の言葉におばさんは何も言わなかった。
次にリビングにいる疾風の所に向かう。疾風は生意気盛りの十歳の男子だ。
「疾風、久しぶり」
「あ、お姉ちゃん。久しぶり」
疾風はなんだか他人行儀な感じで最新ゲーム機から目を離して挨拶する。正月に会った時は、結構親し気に話してきて「ゲームしよう!」と言って来たのに。
「何のゲームをしているの?」
「……マリオ」
「そっか。また一緒にゲームやろうか」
疾風は言いづらそうに「……いい」と言って断った。よくいる生意気な普通の十歳の男子の印象だったけど、今は私に対して気まずそうな感じだった。
まあいいか。次はお父さんの方に向かう。最もお父さんとは言わないでお爺さんと言っているけど。
お爺さんは東側の部屋にいてベッドで穏やかに眠っている。部屋には薄型テレビなどがあって最新の電化製品が並んでいる。だけど年季の経った柱や襖を見ると長い年月が経っていると思う。
ふとお爺さんが起きてうわ言のように「凛々子」と言ってきた。
「凛々子じゃないよ。スズカだよ」
だがお爺さんは聞こえないようで「敬」と話し出した。
「あっちの林には行ってはいけないよ」
「うん。分かっている」
寝ぼけているのかマジでボケているのかお爺さんは私を凛々子と思って「そうか」と言い、再び眠ってしまった。
柳家の仏壇に行き、線香をあげる。
見上げると先祖の写真が並ぶ一番左が古い写真で顔の判別が分からないくらいぼやけている。小さい頃はこの写真が怖かった。そうして順々に新しい写真になっていき、色あせた敬おじさんの写真と綺麗なお爺さんの奥さんの写真が並ぶ。凛々子が居なくてちょっとホッとする。
何かお手伝いしないと思い、夏凛おばさんのいる台所へと向かう。漬物の鼻につくような酸っぱい香りがする。
「すいません。お手伝いする事は無いですか?」
夏凛おばさんは「大丈夫」と冷たく言って、淡々と漬物を切ってお皿に入れていく。
もしかしたら、これ言ったら怒られるかもと思ったが会いたい気持ちがあるので言ってみた。
「……凛々子に会えませんか?」
「……今は、会えない」
少し声が上ずっているように聞こえた。かれこれ、凛々子とは数年以上は会っていない。
凛々子のお母さんからすれば、私の言葉はどの面下げて言うんだって感じかもしれないけど、会いたいことは確かだ。
仕方がなくリビングに行くと疾風がゲームをやっていた。さっき見た所と同じ場所だから、どうやら行き詰っているようだ。
「疾風、多分、それは……」
「言うな! お姉ちゃん!」
「だってもどかしいんだもん」
「俺一人で解く!」
そう言って疾風はマリオをウロウロさせる。ちょっともどかしいけど、疾風のゲームだから自分で解かせるか。と思っていたけど疾風がチラッと見て「ヒントならいいけど」と言った。苦笑しながら私はヒントを言っていった。
無事に行き詰っていた所をクリアして疾風が動かすマリオは軽快に雑魚を倒していった。
「お姉ちゃん、お母さんと真紀子おばさんの噂話を聞いたんだけど」
怖がっていないと言いたげな、でもどこか恐る恐ると言った感じで疾風は私に聞いてきた。
「お姉ちゃんって、お爺ちゃんの子じゃないの?」
私が無言になっていると畳みかけるように疾風は言う。
「お姉ちゃんってお爺ちゃんの子供でお父さんの妹なんでしょ。でもお父さんと年齢はものすごく離れているから、本当はお姉ちゃんのお母さんが大嘘ついて、お爺ちゃんの子供って、言ったん、だろう、……って」
最後辺りは自信なさげで言い、上目遣いで私を見ていた。
私は無表情になったが、クスッと笑って口を開いた。
「私は、お爺さんの子だよ」
これだけは確実に言えることだ。だって役所にある戸籍に載っているのだから。
「そう言えば、疾風。凛々子は元気?」
「知らない」
疾風の答えに子供は正直だな、と私は思った。
「ねえ、疾風。こんな噂は知らない?」
「何?」
「うちの近くの林で、この家の者でない人間が入るとヤバいって」
「何それ、大嘘だよ」
ちょっと馬鹿にしたような顔で疾風はそう言った。正月の時に見た生意気な男の子に戻っている気がした。
そんな楽しいやり取りをしているとすぐに「お邪魔しまーす」と言う元気のいい声が聞こえてきた。
バタバタと元気のいい足音を響かせて、パッとリビングに入ってきたのは爽太だ。
「疾風! マリカーしようぜ!」
「おう! やろうぜ!」
ようやく同い年の従妹の爽太がやってきたので疾風のテンションは爆上がりだった。そして風真おじさんと私の姉でもある真紀子おばさんがやってきた。彼女はお嫁に行って、柳から鈴木と言う名字になっている。
「ほら、うるさくしないよ。爽太、疾風」
呆れた感じで真紀子おばさんはゲームをし出す二人を見ていると、私に気が付いた。ほんの少し嫌そうな感じもあったが、私が「お邪魔しています」と言うと真紀子おばさんは「どうも」と言って話し出した。
「うるさい子が増えてごめんね」
「いえいえ」
「お外で遊ばせたいけど、異常気象過ぎて遊べないのが辛いわ」
うんざりしたような感じで真紀子おばさんは話す。その後を風真おじさんがやってきて、「本当にそうだよな」と話し出した。
「俺達が子供の頃、魚釣りとか虫取りとか水遊びとか出来たのにな。世知辛いよ」
「何、黄昏てんのよ、風真! 午後はこの子達を室内プールに行かせてね!」
「はあ?」
突然の予定に風真おじさんは驚いた表情になり、子供たちは笑い始める。いくつになっても風真おじさんは真紀子おばさんには敵わないのだ。
*
風真おじさんの奥さんのお昼ご飯を食べて、風真おじさんと元気な爽太と疾風は近くにある室内プールに行った。私もお誘いを受けたが断った。元気な小学生と一緒に遊ぶ年頃では無いからではなく、ただ水着を持ってきて無いからだ。
いいよな。爽太と疾風は同い年な上に家が近いからよく遊んでいるから、気を使わずに、親友みたいに遊んでいる。一方の私はこの家から遠いし、年の近い子はいない。いや、かつてはいたんだけどな……。
今夜、私が眠る客間でぼんやりとスマホをいじる。すると、夏凛おばさんと真紀子おばさんの小さな声が聞こえてきた。
「なんで、毎年、あの子が来るのかな? あの子を見ていると、凛々子を思い出す」
「うん、そうだよね。でも、お父さんが……」
「どうしてさ、あの子は元気なのに、凛々子は……」
嗚咽のような声が聞こえる。夏凛おばさんが泣いているのだろう。それを真紀子おばさんがなだめているようだ。
この会話を聞いていると気が滅入る。多分、真紀子おばさんは泣き言を聞くために風真おじさんと子供たちをプールに行かせたのだろう。私も見学でいいからプールに行けばよかった。
そう思っていると眠くなってきて、視界がぼやけていく。そうだよね、朝早くから電車に乗ってきたのだから……。
「スズカちゃん!」
この家に来ると鈴なる声で凛々子は私の名前を呼ぶ。私と同い年でよく可愛らしい服を着ていて、みんなから愛されているって感じの子だった。小学校に上がる前までは仲が良くて、確か一緒におままごとをしていた気がする。
でも小学校になってくると親たちの噂とか私と言う存在の矛盾や違和感が見えて来る。
それは私が小学一年生の時だった。
「ねえ、あそこの林ってうちの家の子じゃないと消えちゃうんだって」
凛々子はそう言って、小さな私に覗き込むように「知っている?」と聞く。私が「知らない」と答える。
「そうだもんね。スズカちゃんは、この家の子じゃないもんね。みんな噂しているよ」
「なんて?」
「お爺ちゃんの子じゃないって」
笑顔で残酷は事を凛々子は吐く。私は何にも言えず凛々子を恨めしい目で見ていた気がする。
こんな事を言うので、あの頃はこの家で過ごす事が嫌でたまらなかった。最悪な事に母は仕事があるから一緒に来てくれないのだ。
それから凛々子は必ず私と二人っきりの時に言い、大人の前で言わないのだ。それに他人だけしかいない家で告げ口なんて出来ない。そもそも風真おじさん以外、みんなよそよそしいのだ。
だけど一度だけ母にこの事を相談した時があった。その時、風真おじさんと電話でめちゃくちゃ怒っていた記憶があった。
「スズカは別に行く義理なんて一切無いんだから! お前の願いで行っているんだからな!」
後ろで聞いていて、母に言ったことはかなり罪悪感があった。とは言え、私はあの家で正月とお盆は数日を過ごさないといけない運命らしい。
「あの家からスズカのランドセルとか、色々と支援してもらっているし。柳さんと風真のためにもさ、あの家に行ってほしいんだ。ごめんね、スズカ」
母に言われて「分かった」と答えた。
そんな事件後のお盆の時、凛々子は「お爺ちゃんの子じゃない」って発言は言わなかった。でもよく林の中に行こうって誘うようになった。あの噂が本当なら『お爺ちゃんの子じゃない』私は林の中で消えてしまうからだ。
本当にあの子は残酷な子である。そして私はそれを信じていて、嫌な気持ちであの林で遊ばされることになる。
あの頃、凛々子は恐ろしい子だった。だけど今はものすごく可哀そうと思っている。もっと残酷な目に凛々子は合わされたのだ。
「スズカちゃん?」
真紀子おばさんの声で私は目を覚ました。
「あら、寝ていたの? ごめんね、起こして。お布団敷けば良かったのに」
「ごめんなさい」
「別に謝る事じゃないよ。ここまで長旅だったもんね」
真紀子おばさんは手に持っていた二つのゼリーを私に渡した。
「悪いけど、お父さんの部屋で一緒にこのゼリーを食べてきてもらってもいいかな?」
「それは、構わないですけど……」
私はひんやりしたゼリー二つを持ってお爺さんの所に行った。
最初、会った時は寝ていたお爺さん、戸籍上のお父さんはすでに起きていた。ベッドが上半身を起こすような形にして、テレビに映し出される家で撮った動画や写真を見ていた。なかなかハイテクだな。
「お爺さん、お邪魔しています」
「やあ、スズカ。よく来てくれたね」
朗らかに笑うお爺ちゃんに私もつい顔がほころんでしまう。この家に来て初めて歓迎された気がする。
ゼリーを渡して二人で食べる。果肉が入っていて瑞々しくて美味しい。そして食べながらお爺さんと一緒に写真と動画を見る。
「この頃のスズカは小さかったな」
「そうだね」
風真おじさんとおばさん、凛々子と私が海に行った写真が現れる。風真おじさんに抱きつくように腰に手を回す凛々子を見て、そう言えばあの子はパパっ子だったなと思う。風真おじさんが来ると、「パパ! パパ!」ってよく言っていた。特に私が風真おじさんと話している時とか。
そうしてスライドショーのように動画や画像が変わっていく。そして風真おじさんとおばさん、真紀子おばさんと敬おじさんがあの林の前で立っている写真が出てきた。
「おばさんって風真おじさんと幼馴染でしたっけ?」
「ああ、そうだよ。よく遊びに来ていた」
目を細めながら、お爺さんは語る。よく四人であの林で遊んでいたようだ。
凛々子は言っていたが敬おじさんは小学生の頃、行方不明になったらしい。数日後、見つかったが一年後に原因不明の病気で亡くなってしまった。その時、お爺さんの奥さんはものすごく嘆いたらしい。そして死ぬまで敬おじさんの事を悔やんでいた。
「ねえ、お爺さん。あの林って、ここの家の人間ではない者が入っちゃいけないの?」
「そうだな。入るのは不味いな」
お爺さんがそう言った。思わず、びっくりしてお爺さんを見る。
「今はものすごく暑いから、林じゃなくても外に出かけてはいけないよ。何だっけ? 地球温暖化? 沸騰化? だったか。外に出ればミミズみたいに干からびちゃうぞ」
ちょっとおどけたようにお爺さんはそう言って、私は少し笑った。どうやら、私の話しを途中までしか聞き取れなかったのかもしれない。
「だが疾風は外に遊べずゲームばっかりで可哀そうだ。思いっきり遊びたいだろうに」
「今、風真おじさんと爽太君と一緒に室内プールに行っていますよ」
「おお、そうか。いいな、プールは。あれ? スズカは行かなかったのか?」
「水着を持ってきて無いんです」
「早く言っていれば買ってあげたのに」
残念そうにお爺さんはそう言った。孫にプレゼントしたい祖父って感じだった。
そしてお爺さんは「だから家の中が静かなのか」と呟く。耳が遠いからだろうか、夏凛おばさんが声を押し殺して泣いているのに気が付かないようだ。
凛々子は鈴なる声で言った。
「ねえ、知っている? 敬おじさんってうちの子じゃないから行方不明になって死んじゃったんだよ」
いたずらをしている子のようにニヤニヤしながら内緒話のように凛々子は言い、私は押し黙った。それに満足しながら凛々子は畳みかける。
「みんな言っているよ。親戚の人もお婆ちゃんも」
林の中には私と凛々子しかいない。薄暗い林の中で私は心細かった。お爺さんの子じゃないと私は行方不明になって死んじゃうんだと考えてしまう。
凛々子と一緒に林の中でお話をする。別に家の中でもいいじゃんと思うけど、いつも林の中でお話しをしたり、お小遣いで買ってもらったシールの交換をしていた。
でもあまりお小遣いが無いから、私のシールは少なかった。一方、凛々子はたくさん買ってもらっているのかシールも豊富だった。
こういうのを見ると色々な差を思い知らされた。
「お爺さんの子じゃないからシールも少ないね」
それは関係ない、お母さんが貧乏だからだと思ったが黙っていた。
そんな時、林の外で「凛々子ちゃん!」と言う声が聞こえてきた。知らない子の声だった。
「一緒に遊ぼう! 凛々子ちゃん!」
「うん! 遊ぼう!」
どうやら凛々子の友達のようだ。ここでちょっと不思議に思ったのは林の中に凛々子の友達は入って来れたのだ。
なんだ、ここの家の子じゃなくても入れるじゃん。
凛々子がからかったのかと思っていると、私の紹介をする。
「スズカちゃん。ほら、前に学校で言っていた子だよ」
ニヤニヤしながら凛々子がそう言うと友達は微妙そうな顔をして「そうなんだ」と言った。どうやら私の事を【お爺ちゃんの子じゃない】と噂しているようだ。そう思うとうんざりしてしまった。
凛々子の友達も増えたので、三人で鬼ごっこをした。友達と凛々子はグルになって、私を鬼にしようと追いかけられてばっかりだった。でも通間隔で植えられた林の中で苦戦していたが何となく凛々子や友達の戦略が分かってきたので、鬼になってもすぐにタッチできるようになった。そもそも凛々子より私は足が速いのだ。
「ねえ、次はかくれんぼしよう」
私が鬼にしても、すぐに凛々子にタッチするので嫌気がさしたようだ。
「それじゃ、スズカちゃん。目をつぶって百を数えて」
最後の鬼は私じゃなくて凛々子じゃん。と思ったけど素直に百を数える。
そして目を開けて凛々子と友達を探すが見当たらない。そもそも林の中には私以外、いないようだ。
等間隔に植えられた木々は幽かに揺れる。不気味なくらい真っ直ぐに伸びる木々しかいなかった。
あれ? 凛々子達が消えたの?
そう思っていると林の外からバタバタと走る音が聞こえてきた。林を出ると風真おじさんが焦ったように走ってこちらに向かってきた。
「スズカ、大丈夫か?」
「え? 大丈夫だけど」
「そうか、良かった」
そう言って、私は抱っこされた。ものすごく驚いたが抱っこされるのは、あまり無かったので嬉しかった。
ただ風真おじさんの肩越しから凛々子が見えた。遠かったけど、怒っているのが分かる。
「凛々子が、スズカが居なくなったって……」
「私達、かくれんぼしていたんだよ」
そう答えていると凛々子が駆け寄ってきた。
「ダメじゃん。スズカ、どっかに行っちゃ」
「え? 林から出ていないよ。私」
私が不思議そうにそう言うと風真おじさんは「そうか」と言って私を降ろす。するとすぐに凛々子は風真おじさんに抱きつき、私を睨んだ。
昔の事を思い出し、ふとお爺さんを見ると寝ていた。
部屋を出て、ゼリーの容器とスプーンを台所に片す。すると真紀子おばさんがやってきた。
「ありがとう。ゼリーの容器を片してくれて」
「いえ、大丈夫です。それからお爺さんが寝ています」
真紀子おばさんは「そう」と返事をした。なんだか疲れたような表情をしている。それもそうか、嘆いている人間をなだめているんだから。
「あの、私、ちょっと散歩に行ってきますね」
「え? 大丈夫なの? まだ暑いのに」
「日陰を歩きます」
真紀子おばさんが心配したが結局「そう」と言った。嘆いている夏凛おばさんの声が聞こえるこの家だと、私は辛くて罪悪感が生まれて来るって分かってくれたのだろう。
玄関で靴を履いていると真紀子おばさんが「ちょっと待って」と言いながら、日傘を貸してくれた。
「スズカちゃん。あなたは悪くないから」
「あ、ありがとうございます」
「そう、あなたは悪くないんだよ」
念を押すようにそう言う。そんな姿が申し訳ないような気持ちになったが、あの噂について真紀子おばさんに聞いてみた。
「あの、あそこの林って柳家の者じゃないと入ったら消えるって噂を知っていますか?」
「……何? その噂?」
「実は小学生の頃の凛々子ちゃんの友達と偶然会ったんです。総体の会場なんですけど。それでちょっとお話しをして、そんな噂を耳にしたって言っていたんです」
これは嘘じゃない。確かに総体のバスケ会場で昔、凛々子と鬼ごっこなどで遊んでいた子と偶然、会ったのだ。そこでこんな噂を耳にしたんだけど……と、話しになったのだ。
だが真紀子おばさんは「さあ、そんな噂は知らないな」と話した。
「ごめんなさい。こんな事を言って……」
「ううん。まあ、ここは古い家だから怪談話は、いくつかあるからね」
そう言って真紀子おばさんは、ほほ笑んだ。
家を出て、あの林の中に入って行く。見通しがよく林を抜けた景色もすぐに見える。そして等間隔で植えてある木々は子供にとってはいい遊び場だろう。鬼ごっことかケイドロとかしていたら楽しいだろう。
ふと何かを蹴った気がして下を見ると木の看板で【ひみつきち】と下手な字で書かれていた。恐らく疾風が書いたものだろう。ゲームばっかりやっても外で秘密基地は作るんだなと思い、ちょっと笑った。
林は見通しがあると言っても薄暗い。何だろう、木々の後ろに誰かが居そうな感じがあってちょっと怖い気がした。それこそ、凛々子が覗いてみていそうな感じで。
怖い気分を振り払うように私は総体であった凛々子の友達の話しを思い出した。
「柳、じゃ無いんだね。滝沼なんだ」
「うん。私って複雑な生い立ちなんだ」
軽い感じで私がそう言うと凛々子の友達は「ねえ、こんな噂を知っている?」と話し出した。
「昔、遊んでいた林はさ、柳家の者じゃないと入ったら消えるって奴」
「何、それ? 知らない」
「昔、凛々子から一回だけ聞いたんだ。その時は別にどうも思っていなかったけど、凛々子の事件後は親達がそんな噂をしていたんだ。前にもそう言う事がよく起こっていたのよ」
私は「いや、知らない」と嘘を言った。
その時は何とも思っていなかった。だけどこんな噂があるのなら、柳家の人々は辛いだろうって思った。しかも先祖代々の土地だから引っ越すと言う選択も出来ないし。
もしかしたら、心無い地域の人々の言葉や噂も夏凛おばさんの悲しみの一つになっているのかもしれない。
そう言えば、風真おじさんと夏凛おばさんって離婚危機になっていたよな。
「離婚なんて言葉を口にするな! お前には疾風もいるだろ!」
凛々子が無くなった一年後、風真おじさんは我が家を訪ねてきた。私が学校から帰ってきた時に気が付いて、お母さんがそう怒鳴っていた。子供心に何となくヤバいって思って、すぐに挨拶もそこそこに自分の部屋に入った。
離婚しちゃうのかな? って思って、風真おじさんが帰った後、お母さんに聞いたら「しないよ」と返ってきた。
「あそこの一族はみんな運が無いんだよ。風真も夏凛さんも柳さんもその奥さんも運が無かったんだ。そして私は意気地が無かった。あの時、逃げちゃいけなかったんだ」
そして私を抱きしめて母は更に優しく言う。
「一番、悪くないのはスズカだよ。ごめんね、こんな思いさせちゃって」
そんな事を思い出していると白いワゴン車が走った。一度、私と通り過ぎるが、すぐさまバックして林の前で停まって窓が開いて風真おじさんが顔を出した。
「何しているの? スズカ?」
「お散歩だよ」
「暑いよ。車に乗りな」
風真おじさんは呆れたように言う。確かに日傘を差したり、林の木陰にいてもやっぱり日差しは暑いな。お言葉に甘えて車に乗る事にした。
後部座席では疾風と爽太が仲良く眠っていた。短く切った二人の髪が少し濡れている。たくさんプールで遊んでいたんだろうなと思いながら助手席に乗る。
車を発射されると同時に風真おじさんは口を開く。
「スズカはあの林に入って怖くないの?」
「ほんの少し怖いかも。でも思い出の場所だから」
「俺は恐ろしいよ。凛々子と兄貴がいるようで」
車を走らせて家に着き、爽太と疾風を起こそうと思ったら、玄関から真紀子おばさんが出てきた。
「ごめん、風真。もう少しドライブとかしててくれない?」
「……ああ、分かった」
真紀子おばさんの言葉で私も風真おじさんも色々と察した。まだ夏凛おばさんは嘆いているのだろう。
「それじゃ、ドライブに行くか」
笑みを浮かべて風真おじさんはそう言った。
しばらく田舎道を風真おじさんは走らせる。私が「何処まで行くんですか?」と聞くと「凛々子の病院」と答えた。
「悪いな、スズカ。凛々子は元気かって聞いたけど、ずっと入院して分からない状態なんだ」
「あれ? 去年聞いた時は心の病を治すリハビリ施設にいて元気にやっているって言ってましたよね」
「春が来るちょっと前に風邪をこじらせたんだよ。それがずーっと治らなくて……今は入院しているんだ。あの事件以降、凛々子の免疫力は低くなってしまった。だから近くの病院に入院させているんだ」
遠い目をしながら風真おじさんは「兄貴と一緒なんだ」と呟いた。
「兄貴もさ、行方不明になったけど一週間以内に帰ってこれたんだ。だけど心もおかしくなって、病気がちになって亡くなったんだ。その前は丈夫な人だったのに」
「兄貴って敬おじさんの事ですよね」
「ああ、そうさ。俺も親父も女運が無さすぎるんだ」
車は大きな病院の駐車場に入って行く。大きな病院は駐車場も大きい。風真おじさんは病院から一番遠い駐車場に車を停めた。
「ここに凛々子が居るんだ」
そう言ってエンジンを切った。
「兄貴の頃より医療は進歩しているらしいから、医者はもしかしたら二十歳まで生きられるって言われている。だけど俺達がお見舞いに行くとヒステリックになって叫ぶから、面会謝絶されてんだ」
そう言い、風真おじさんは「もしかしたら死に目に会えないだろうな」とも呟いた。
私もきっとこの先、凛々子に会えないだろうな。彼女とはあの事件以降、ほとんど会っていないし、会ってもベッドにいるか叫んで部屋にいるかだったから。
しばらく無言だったが突然、風真おじさんは「この家に来るの嫌だろ?」と言ってきた。
「今日、疾風達がプールに行っている間、涼子と話したんだけど、スズカが辛かったらさ、もう家に泊まりに来なくてもいいから」
「え? 突然、どうしてですか?」
「こうして夏とお正月にスズカが泊まりに来るって恒例行事みたいになっているじゃん。なんか俺や親父が来てほしいからって言う理由みたいだけど、俺達は別に望んでいないし、泊まりに来なくなって支援を打ち切らないよ」
「でも風真おじさんとお爺さんが来てほしいってお母さん言っていましたよ」
「会いに行くなら、俺が車を走らせてスズカの家に行くよ。もしくはレストランを予約して会うとか」
突然、そう言われて驚いた。この憂鬱な行事は強制っていつも思っていたのに。
「本当はスズカが小さい頃から言い続けているんだよ。だけど夏凛がさ、俺に黙って涼子に連絡していたみたいで。なんでも俺や親父が会いたがっているからと言って、スズカを無理やり行かせていたらしい」
え? なんで? だって、夏凛おばさんは私を見ると凛々子を思い出して嫌って、私が来るたびに嘆いていたのに?
呆然としている私に風真は軽く笑ってこう言った。
「夏凛は自分が可哀そうな被害者って周りに思われたいんだよ。昔からそうだ。自分が悪いって認めない。悪者にされる身にもなって見ろよ、全く」
風真おじさんはため息交じりでそう言った。
その時、風真おじさんがうちに来て、お母さんに怒鳴られた後の事を思い出した。
フラッと風真おじさんはやってきて母と話し込んだ。風真おじさんは怒鳴られて泣いて、夜の九時くらいに帰って行った。
その後、母は初めて泥酔するくらいお酒を飲んで私にこんな話をした。
「夏凛さんは計算高くてね、妊娠したお腹を見せて風真の子供だって言い張ったんだよ。絶対に嘘けど、押しの弱い風真だったらいけるって思っていたんだ。だけど風真は珍しく怒っちゃってね。全力で否定していたんだ。だけど夏凛さんや周囲が風真に認めろって、ものすごく責められている風真の姿を見て、私は悲しくなって、嫌になって……、柳さんからスズカを認知してくれるって条件をもらって、別れて……」
母がこんなに弱弱しく言いながら泣いているなんて、ちょっと驚いた。いつも強気な感じだったのに。そして母は泣きながら更に言った。
「だけどさ、あんな事が起こって、風真が傷つくんだったら、あの時、駆け落ちでも何でもすればよかった」
ぼうっと凛々子が入院している病院を見上げて、あの噂を風真おじさんに聞いた。
「ねえ、あそこの林って柳家の者じゃないと入ったら消えるって噂を知ってる?」
「うん、知っている。俺達の家の近くに住んでいる奴らから聞いたのか?」
「最近、昔の凛々子の友達から聞いたんだ。でも凛々子からその噂をしていたと思う」
「周囲の奴らは噂をするんだ。俺達が小さい頃から、な。その都度、否定するのが大変だよ。疾風も辛いだろうな」
そうか。疾風にあの噂を聞いた時、「知らない」って答えていたけど本当は分かっていたのか。申し訳ない事をしたな。
そしておもむろに風真おじさんは「だけどな」と呟いた。
「所詮、現実離れした噂って思って本気にしていないだろうな」
「そうだね」
「だから夏凛は俺に最悪な大嘘をついたんだろうな。俺の言葉もあの噂も信じてくれないし、涼子は俺の元を去った。だから俺は噂の事を忘れて夏凛を愛したんだよな」
もし噂が本当と分かっていたら凛々子は風真おじさんを「パパ」って呼ばないだろう。もしくは自分がそうである可能性を一切考えていなかったか。
私はあの日の事を思い出す。疾風と同じ十歳のお盆の時だった。
凛々子は私のシールノートを隠したのだ。そんな事は知らず、私は夕方になってもあの林の中で探し回った。
夕焼けだった空は真っ暗になっていく。とても怖いのにシールノートが見つからない。母に買ってもらった大事なシールノートなのに。
もしかしたら噂通り、消えるかもと思うとポロポロと泣きたくなってきた。
そんな時、私を呼ぶ凛々子の声が聞こえてきた。
「スズカちゃん、家にあったよ。シールノート」
凛々子はそう言った。そしてニタニタと笑みを浮かべながら「まだ消えていなかったんだ」と呟いた。
シールノートを奪い取るように凛々子から取ると林の外から「凛々子、スズカ?」と風真おじさんの声が聞こえてきた。
嫌らしい笑みを引っ込ませて凛々子は「パパ!」と言って、林から出ようとした。私も立ち上がって林から出ようと思った。
その時、凛々子は落とし穴に落ちたように消えてしまった。
もちろん地面の中に穴があるわけが無く、この世界から元々いないと言わんばかりに居なくなってしまった。
呆然と凛々子が居なくなった場所を見て、そして風真おじさんを見た。
井戸の底のような深い闇のような目を風真おじさんはしていた。驚きもしなかったし、こうなるのを知っていたみたいだった。
そして風真おじさんは私を見て言う。
「さあ、帰ろう。スズカ」
ひどく優しい声で、凛々子の事なんて知らないような穏やかな表情だった。消えていった凛々子よりも平然としている風真おじさんの方が怖かった。
だけど心から安心できるような声に私は「うん」と頷いて、林から出て風真おじさんと手を繋いで帰って行った。
何となくお父さんと一緒に帰っているみたいな感じだった。
凛々子が居なくなったと分かってから家の中が大騒ぎだった。だけどお爺さんと風真おじさんは落ち着いていて警察に連絡をしていた。
そして凛々子は九月の初め頃、林の中で倒れているのを夏凛おばさんが見つけたと言う。それ以来、彼女は心身ともに弱り果てている。
何があったか、分からない。話しを聞こうとしても凛々子は心が壊れて、会話が成り立たないのだ。
後部座席で寝ていた疾風と風太が起きたのは病院の駐車場を出てすぐだった。
「あれ? お父ちゃん。お姉ちゃんに会いに行ったの?」
「ううん。病院の駐車場で停まっていただけ」
疾風は「ふうん」と相打ちをする。道を知っているって事は疾風も凛々子の病院まで行っている事だろう。
そんな時、爽太が「なあ、スズカ姉ちゃん!」と言ってきた。
「スズカってどういう漢字を書くんだ?」
いきなり何を言いだすんだ? と思っていると、爽太がニコニコで言ってきた。
「俺、クラスで一番、漢字を知っているんだ。いつも漢字テスト満点なの俺だけだから!」
「へえ、すごいじゃん」
どうやら自慢をしたいらしい。ちょっとクスッと笑って、私は口を開いた。
「涼しい風って書いて、涼風だよ」
「涼しいって、さんずいに京って言う字だよね。それで風が吹くの風?」
「俺の名前の疾風にある風と同じ漢字?」
「ああ、そうだよ」
なぜか風真おじさんが答えた。
小学生の爽太と疾風はまだ分からないだろう。だけど私 涼風と凛々子、そして風真おじさんの矛盾と違和感に気が付いて、そしてお爺さんと敬おじさんの事も知って間違い探しが始まる。
そして噂が生まれるのだろう。
あの林は何なのか、一切わからない。血がつながってない子供が消えると言う恐ろしい場所だ。だから風真おじさんはそれを利用して、凛々子を消したようにも見えた。
あの林よりも風真おじさんの方が残酷で恐ろしい。でも夏凛おばさんがあんな大嘘をつかなければ、凛々子は消えなかったかもしれない。
ドライブを終えて、車はあの林に差し掛かる。ふっと見ると林の影に凛々子がいたように見えた。




