ちょっと良いですか?
乃三花は目の前にある遺物について、異物、としか思えなかった。
アダムに手渡されたドレスや靴に何かがあった訳はない。
それらは素晴らしい事と、結局アダムの願いを叶えるまで自分が解放されないと乃三花には解っていたので、仕方なく(実は素直にありがたく)受け取った。
さらに言うなれば、ピンクの新作ドレスを纏い、久々に自分だと思える化粧を己に施したりもしているのだ。
ハイウェスト切り替えのドレスは体の線を出しながらシンプルに膝上までの丈というものだが、ゴスロリであるために裾はメロウ仕上げで裾に重ねられている繊細な黒レースがそこからひざ下まで出ている。
乃三花がバンシースキームのドレスを愛するのは、ストリートファッションとして進化した今のゴスロリではなく、ロックを愛する人達が好んだ時代のものをさらに洗練させた物だからである。
フリルやリボンも無く、ドレスの裾の膨らませも無いが、それこそライブ参戦するための仕様で、これこそヴィクトリアンを取り入れた正統なスチームファッションと言えるものなのだ。
「乃三花?」
アダムが乃三花を促すように、芳醇なお酒の様な甘い声で囁く。
乃三花はそこでもの思いから覚め、自分の思考を逃避行動させた理由に向き合って、思考だけでなく体ごと逃避したいと叫びたくなった。
乃三花とアダムがいるそこは、応接間と言うよりは紅茶などを飲むため専用サロン室と呼ぶにふさわしい場所であった。さらに言うならば、十九世紀のオカルトに傾倒した貴婦人たちが降霊会を始めそうな、黒で統一された悪趣味な部屋だ。
その部屋に招かれた乃三花とアダムは、彼らを待っていた依頼主と丸い天板のティーテーブルを囲んでいる。丸いテーブルだが実際は細長いテーブルの端と端で対面しているように、乃三花とアダムは密着しての横並びして、依頼主と向き合って座っているのだ。
さて、乃三花がこのように混乱しているのには訳がある。
彼女は前回のように人間の復顔をさせられると思っていた。
しかしながら目の前のフェンリールの族長がアダムと乃三花の前へと宝物のようにして差し出してきたものが、人間のものではない頭蓋骨であったのだ。
乃三花が逃避したいのは、その頭蓋骨が人間の物で無いからではない。
そもそも依頼主がフェンリールというオオカミの種族であるならば、実際に死んだ後に残る骨が人間の者でなくとも問題など無いのだ。
問題は、それがどうみても狼では無い、それである。
丸っこい形は短頭型というもので、牙にしか見えない三角の歯がところどころ抜けて並んでいるが、かみ合わせで考えると歯の合計は三十本だ。
どうしよう、と乃三花は怖々と目の前の依頼主を覗った。
目の前で悠然と座る青灰色の上等なスーツを着た紳士は余裕を帯びた顔つきでもあるが、彼の意に添わぬことを一言でも言ったら殺す、そんな文字がしっかり書かれたオーラを纏っている。
だがしかしこれは瑕疵、目の前の頭蓋骨が彼の息子であるはずで無いのだ。
目の前の男が本当にフェンリールという狼一族であるならば。
豊かでふさふさの長めの金に近い薄茶色の髪が鬣に見えるが、彼、ジョーン・マクフェンリーをライオンと称する人はいないであろう。
鋭い眼光に高い頬骨と細い顔で、彼を評するのは狼でしかありえない。
ジョーンが狼じゃ無いって線は全く無し、かぁ。
乃三花はアダムにすぐに訴えねばならないと強く感じ、隣に座るアダムの肘のあたりの布地を軽く摘まんで引っ張った。しかしアダムはまるきり無視の状態で、乃三花は彼の腕を両腕で抱えて引っ張ってみた。
え、為すがままで私に体ごと来た!!
顔にアダムの左側面が覆い被さる!!
化粧!!今の私の顔は触れたら付く鱗粉だらけだって!!スーツが汚れる!!
「むぐう」
「いいですな。子供はこうやって親に甘える。この子、レオネもそうでした。私はレオネの顔をもう一度見たい」
フェンリールの長ジョーンは、シルクの白い布に乗せられている頭蓋骨に指を伸ばしてそっと撫でた。
その亡くなった相手を悼む姿に、乃三花は言うべきことを言えない。
――本当に言えない!!潰す気か!!
乃三花は自分押しつぶそうとするアダムの体を動く手でぱしぱし叩く。
「お子様は静かにな?大人の話に口を挟んじゃいけないよ」
私に復顔させるためにこの場に引き摺って来たのはあなたでしょ!!
乃三花は言い返してやりたかったが、何も言えなかった。
言えるわけがない。
フェンリールの長が我が子の遺骸だと慈しむ目の前の頭蓋骨が、猫科の生き物のものでしかないという事を。
犬の歯は四十二本、嗅覚に関連する部分が猫と犬では面積が違う。しかし人に化けているからと考えてフェンリールの頭蓋骨がパグに近いかもしれないと想定しても、目の前の頭蓋骨とは違うと言い切るしかないのである。
パグの頭蓋骨はめり込んだ鼻腔にひしゃげた咬み合わせと独特すぎる特徴から、一目で猫どころか他の生き物と違うと言い切れるものなのだ。
以上のことから、乃三花は目の前の頭蓋骨が彼の息子のものであるはずがない、という結論に達しており、彼を傷つけずに真実を伝えるにはどうしたらいいのかとアダムの体を揺すっているのである。
人間である乃三花は人の心を持っているのだ。
「レオネを養子にする事について、私は色々と言われました。ですが、出会った時から大事な我が子で息子です。ああ、息子に自分が養子だと知らせなかったがために、この子は我が家を出て行こうとしたのでしょう」
「!!」
息子さんの種族は何ですか?
その一言を言う前に、乃三花はアダムに再び潰されたのだ。
「家出を止めるために殺してしまったあなただ。その後埋葬もしないで行方不明のままその骨を手元に置いていた。そのあなたが私に望む願いは何ですか?」
乃三花の動きはピタリと止まった。
復顔どころの話ではない。
そして耳をすませば、フェンリールの始祖が神を食い殺そうとした魔物でしかなかったことを証明するように、ジョーンは人でなしな願いをアダムに吐いた。
「息子の復活を頼みたい。ただし、息子はフェンリールとして復活させるのだ。そうでなければ、私はまたこの子を破壊せねばならなくなる」
無理だ!!
無理だ!!
乃三花はアダムに圧し潰されながら、大声で叫びたかった。
なのにアダムこそ人の心を持っていない妖精だった。
「息子さんの生前の写真を。魂の定着が出来ねば復活など出来ませんから」