【第1部 迷宮の妖術師】第4話「タルカ族」-2
2024/1/8に一部改稿しています。
「あれ? 誰かいません?」
「え、うそ⁉︎」
「ん? ゆずっち?」
声の方に反射的に向いていた譲がバッと顔を前に戻した。「時計」の中心に近いところにいたのが譲だったのだ。
「うそ、見られた――」
なにしろタオルすら無いのだ。桶も取る前だったから、文字通り生まれたままの姿だ。
「見てません! 眼鏡が曇ってたから見えてません!」
「えー、せっかくのラッキースケベだったのに、残念だったねぇ」
「美音ちゃん! あなたなに云ってるの!?」
「とにかく、岩の陰に入ってくれ。お互い見えなくなるから」
竜司が声を張って云う。譲もより円の縁の方に移動した。
「ああ、ビックリしたわ」
声と共に掛け湯をする音が聞こえてくる。
「ビックリしたのはこっちだよ。まさか異世界に来た初日に混浴イベントがあるとは」
悠が言葉を返す。
「ねえ、そっちにはタオルとか有った?」
「いや、無かった。濡れたまま着るのを覚悟して入ったよ」
「私たちも濡れたまま着ることになっても、温泉の誘惑には勝てなかったわ」
「ああ、気持ちいー――」
美音が湯に浸かって言葉を漏らす。
「温かいねぇ。毛穴が開いてくわぁ」
ようやく落ち着いて温泉を堪能したのも束の間、いきなり小屋の引き戸が勢いよく開かれた。
男子3人がびくついて扉の方を見ると、小柄ながらも筋肉隆々の男が褌一丁で立っていた。頭には熊のような丸耳、くすんだ金髪が鬣のように背中まで続いている。
「クマと云うよりライオンだな、ありゃ」
竜司が暢気な感想を漏らした。
「よし、獅子男――シシオと呼ぶことにしよう」
衝撃から立ち直った悠が応える。
男――シシオはチョイチョイと手招きした。3人は顔を見合わせた。
「どうする?」
「まぁ、逆らわない方がよさそうだな」
3人が立ち上がると、シシオは手を振って「アイー」と云って指を1本立てた。
「まず1人、ってことか。悠、行って来いよ」
「え、やだよ。譲、一番手の栄誉はお前に譲る」
「そんな栄誉はいりません。先輩命令でもこれだけは聞けません!」
「やれやれ、まったくビビリどもが」
「最初にビビったのは自分だろう!」
悠の抗議を無視して竜司は湯から上がるとシシオの前に立った。よく見るとシシオの方には白い布が掛かっていた。シシオは手近の桶を逆さにすると再び手招きする。座れということらしい。
「これはもしかしてアレかな? 昔銭湯にいたという三助さんか?」
「三助さんってなんです?」
「確か、銭湯とか温泉にいて、客の身体を洗ってくれた人――だったかな」
悠と譲がのんびりと会話を交わしていると、後ろから優莉の声が聞こえた。
「あの、ホントにいいですから」
気になった悠がチラと振り返る。シシオの衝撃で気が付かなかったが、さらしのような素材のワンピースを着た女性がいつの間にかいて、桶に腰かけた優莉の身体を洗おうとしていた。優莉は両手を振って遠慮――というか、辞退しようとしている。
首を振った優莉と目が合ってしまった。
「こらぁ、悠! どさくさに紛れてこっち見るな!」
悠は慌てて前を向く。刹那に見えた優莉の背中と肩のラインに心拍数が急上昇していた。
「わお、悠センパイってば大胆!」
「ばか、おれは心配してだな――」と云いながら前を向いた視界では、シシオが肩にあった手拭いに石鹸を塗っていた。
「ちょっと待て、その石鹸どこから出した!?」
竜司の抗議がわかるはずもない褌一丁のシシオは竜司を無理やり前に向かせると、背中を擦り出したが、すぐに竜司が悲鳴を上げた。
「いてぇ、痛いよあんた、力入れすぎ! 貸せ!」
竜司は手拭いを奪い取り、自分で洗い始めた。手持ち無沙汰になったシシオは桶を手に取ると、置いてあった大きな甕から水を汲んだ。洗い終わった様子の竜司にその水を頭からかけた。
「冷たっ。何しやがる!」
食って掛かる竜司に、シシオは自分の髪の毛を一房手に取って見せつける。
「真水で洗わないと髪が変色するんじゃないか?」
悠が説明したとたん、向こうからも「ひああっ!」と悲鳴が上がった。竜司と同様に優莉も水を掛けられたのだろう。
「せっかくの温泉なのに全然落ち着けやしない…」
譲の嘆息がうつろに響いた。
一通り背中を流してもらうと二人の現地人は風呂を出て行った。
「ああ、やっと落ち着いたぜ」
「背中がひりひりしますね」
「せっかく眼鏡してきたけど、洞窟の壁が見えるだけだったか」
「でも星はよく見えますね」
「ああ、いつの間にか暗くなってるな」
ざば、と悠が立ち上がった。
「おれはもう出るよ。ちょっと熱すぎるわ」
「そうか? 俺はちょうどいいが」
「おれはデリケートなんだよ。おおい、おれ出るからこっち見るなよ」
「りょうかーい」「かしこまり!」
「見たかったら見てもいいぞー」
「お前が云うな!」
「あたし見たーい」
「ばかやろ、タオルとか無いんだぞ――あ、そか」
悠は桶を手に取ると股間に当てて扉まで歩いた。引き戸を開けて、思わず「うわ!」と叫んでしまった。予想外に人が立っていたのだ。シシオではなく、若い女性だ。優莉たちの背中を流していた女性とは違って、胸と腰にさらしを巻いている。背は150cmに満たなそうだが、スタイルが良く、特にその胸の豊かさにまた悠の心拍数が急上昇した。
「ウォダ、ミルカ」
その胸に手を当てて云って、彼女――ミルカはにっこりと笑った。狐耳少女(?)の笑顔に、(お、可愛い)と思ってしまう。
「み、ミルカさん? おれ――ウォダ、ゆう」
「ユウ、サイダン」
手振りからしゃがめと云っているらしいと分かり、片膝をついた。それでも悠の方が高い。いつの間にか持ち込んだ籠からタオルを1枚取ると、悠の髪をわしゃわしゃと拭いた。さらに肩と腕にもタオルを当ててくる。
「あ、あの、ミルカさん、自分でやれるから」
シシオと違って華奢な身体だから無理に振り払うこともできない。さらに「ミルカダ、ジョータス」と云う。
(ミルカの仕事です、とでも云ってるんだろうなぁ)
背中を拭い終わると、また手振り付きで云った。
「ユウ、サイラ」
こうだろうと思って立った。股間に桶を当ててる姿が情けない。
ミルカは前面を拭い終わると、1枚の布切れを渡した。広げてみると、ボクサーパンツのような形をしていた。これも晒で作っているらしく真っ白だ。
「おお、パンツがあるのはありがたい――ミルカさん、向こう向いててくれないか」
ミルカを指さしてからミルカの背後を指す。ミルカは合点した様子で後ろを向いた。悠も後ろを向くと桶を下ろしてパンツを履いてみた。小さくないかと思ったが、胴回りや腿の部分は結構余裕があった。確かにみな背は低いが体つきはがっしりしている。
ほかの服も出してくれたが、小さすぎるので来ていたジーンズとシャツを身につけた。
ちょうどそこへ竜司と譲が来た。
「なんか、悠ばっかいい思いしてない?」
「別に、いい思いなんて――」
「おお、可愛い子だね。でも、子って云っていいのかな」
「こっちの人たちって、年齢がわからないですよね」
「じゃ、狭くなるからおれは外に出てるよ。ミルカさん、ありがとう」
「ユウ、ター、シューレ」
小さく手を振ってくる姿が可愛らしい。
なんとなく得した気分で悠は扉を開いて外に出た。少し冷えた空気が心地よい。
「もう暗くなっていたから、気温も下がってきたかな」
女性陣が出てきたのは、譲が出てからさらに10分後だった。美音はサイズが合ったらしく、用意されていた服に着替えていた。丈の短い浴衣にサブリナパンツのような組合せだ。浴衣よりは生地が厚めで今の気温にはちょうど良い。明るい緑色が美音に似合っていた。
村の広場に戻ってみると、大テーブルがいくつも設置され、その上には色とりどりの御馳走が並んでいた。宴の準備をしているらしく、大皿や大鍋が次々と運ばれてくる。
「これって、まさか私たちのために――?」
「まぁ、村長たちを救った英雄だもんなぁ、竜司は」
「俺一人で倒したわけじゃないぞ」
目ざとく5人を見つけたククが寄ってきて竜司の腕を引っ張った。
「オージ、ナルパ」
「ククちゃんは舌足らずなだけなのね。そこがまた可愛いんだけど」
「確かにサマリは普通に云えてたしな」
優莉の言葉に悠が応える。
引かれるまま連れていかれた先は、ひときわ大きな石造りの建物の前だった。中から村長とククの父親が出てきた。
「とすると、ここは村役場みたいなところかな」
「村長さんの住居兼会議場みたいな感じじゃないかしら」
悠と優莉がひそひそ声で会話する。
ククの父親は村長の1歩前に出ると、大音声を放った。
「オーライ、ティンセー!」
皆が作業の手を止めてククの父親の方を見る。ほかの家からも何人かが出てきた。木製のお玉を手に持ったままの人もいた。調理中だったのだろう。
続けて何事か云うと竜司の肩をポンと叩いた。
「え、何か云えってか?――そう云われても通じないしなぁ。おい、譲、先に行け。おまえ、英語が得意だろ」
「英語じゃないのは明らかじゃないですか!」
は~とため息をついて、端に立っていた悠が1歩前に出た。
「ウォダ、ユウ。よろしく」と云って一礼する。
拍手が沸き起こった。「セダーイン!」という掛け声も上がっている。
「お、拍手の文化は共通だな。ほれ、次」
隣りの譲を肘でつつく。
「ヲ、ウォダ、ユズル。よろしく…です」
再び拍手。今度は「マセル、ラウ!」という声がかかった。
「ウォダ、ユウリ」
優莉はスカートの端をつまみ、腰を屈めて挨拶をした。あちこちの男性から歓声が上がり、女性からも黄色い声が飛ぶ。
「優莉センパイの美しさは種族を超えたっすね。じゃあ、ボクも」
美音は両手を猫手にして、片足を上げて云った。
「ミネだにゃん」ついでにウインクもしてみせた。
「ウオー!」と優莉に倍する歓声が専ら男性陣から上がった。女性もちらほらいるが、若い娘が多く、「かわいい!」と云っているようだ。
「クーイー!」「ミネダァ!」
「ちゃうちゃう、ミネダじゃないよ、ミ・ネ。さん、はい」
「ミネェー!」
「すげー、言葉は分かっていないのに、通じ合ってる」
「美音ちゃんのコミュ力は世界を超えるレベルなのね」
美音の呼び掛けに応えた群衆を見て、悠と優莉は感心したが、竜司はツッコんだ。
「おまえ、ククとも同じやりとりしてなかったか?」
「気のせいです。そんなことより竜司センパイの番ですよ」
「トリか」
竜司は左手の平に右手の拳を当てると一礼してから云った。
「ウォダ、リョウジ」最後に笑顔も忘れない。
「リョウジィー!」「オルダイン!」「クースマン!」
広場にいる全員がと思われるくらいの大歓声が沸き起こった。男は拳を振り上げ「オルダイン」を連呼し、女はのどが裂けんばかりに黄色い声援を浴びせていた。
「ふえ~。まるでスーパースター並の扱いですね」
「あいつ、最後顔作ってたぜ」
悠が譲に小声で云った。
「イケメンは何してもサマになるからいいですね」
「……」
度の強い眼鏡をコンタクトに換えてボサボサの髪を整えれば、譲も十分イケてるんだけどなぁ。悠はいつもそう思っている。
ククの父親のすすめに従って、5人は丸太を伐っただけの椅子に腰掛けた。群衆が落ち着いてきたのを見計らって、村長が話し始めた。5人の予想に反して村長の話はすぐ終わった。
5人には陶器のカップが配られた。見ると配っているのはククだ。
「ククっち偉いなぁ。小さいのに働いてるんだね」
美音が頭を撫でると、ククは目を細める。
「ほんと、こういうところはまんま猫みたいね」
カップの中にはすでに液体が入っていた。匂いを嗅いでみたがアルコール臭は無く、色はオレンジジュースに似ている。
村長は手に持ったカップを掲げると、「ラボー」と云った。
村民の人々が唱和したので、5人も「ラボー」と合わせた。
「これが異世界の乾杯か」
悠はカップを傾けて一口飲んでみた。「お、なかなかイケるな。オレンジとレモンのブレンドみたいだ」
「ほんと、酸味が効いててさっぱりするわ」
「少し甘すぎるから、冷やして飲みたいですね」
「譲、それは云えてるな」云いながら竜司は一気に飲み干した。「さて、飯の方はどうかな~」
「あ、センパイ、取りますよ」美音は立ち上がって積まれた木皿の1枚を取りながらテーブルを見回す。「トングみたいなのは無いかなぁ。あ、これか」
竹を曲げて作られたトング状のものを手に取ろうとしたら、横から伸びた小さな手に先に取られてしまった。
ククは料理をいくつかヒョイヒョイと皿に載せると、
「ユォージ」と云って竜司に差し出した。
「おお、サンキュー」竜司は皿を受け取りながらククの頭を撫でる。ククは嬉しそうにのどを鳴らした。
「むむー、やるなククっち」
「お、これ鶏肉みたいで美味いな。ちょっと堅いけど」
「筋肉がしっかりしてるから、ジビエ料理かもしれませんね」
「確かに野性味が有るかも。狩猟民族なのかしら。あの荒野には獣はいなさそうだけど」
悠、譲、優莉の3人は、優莉が大皿に人数分取り分けた骨付き肉を手に取ってかぶりついていた。
「あー、もー食べてる!」
「当たり前だ。いちいち待ってられるか」
「あなたのも有るわよ、ほら」
美音は骨を引っつかむと肉を食いちぎった。「ククっちに負けた。くやしー」
「相手は子供なんだからムキになるなよ」
「女の戦いに悠センパイは口を出さないでください」
「……ククって女の子なのか?」
「え。センパイには男の子に見えるんですか?」
「どっちにも見える」
「私は男の子だと思ってたよ?」
「僕は女の子かと」
「おまえらは猫耳に騙されてるんだよ。あの父っつあんだって猫耳だぞ」
「でも今だってべったり竜司センパイにくっついてるし」
「あいつは男にもモテるからなぁ。分からんぞ」
地球人4人が侃々諤々としていると、現地人の間でどよめきと歓声が上がった。新たな料理が運ばれてきたようだが――
第5話「タルカ族」-3に続く