【第1部 迷宮の妖術師】第1話「転移」-1
2024/1/8に一部改稿しています。
5人は辺りを見まわしてみた。
左右は切り立った崖がそびえ立っており、今5人は谷底にいるようだった。幅は25mプールくらいはあるが、左右の壁はそれよりはるかに高そうである。そして、かなり先まで続いているようだった。
「ここにとどまっていても埒が明かなそうだから、とりあえず歩いてみよう」竜司の提案に悠が疑問を発した。
「でも、どっちへ?」
「エレベーターの出入り口がこっちを向いていたんだから、その方向でいいんじゃないか?」
「なるほど」
男子はみなスニーカーを、女子も優莉はショートブーツ、美音はスニーカーを履いており、歩くのに不自由は無さそうだ。
かくして5人は深い谷底を歩き出した。自然と、2年生の3人が前、1年生の2人が後をついて歩く。
「それにしても、高い崖ね。しかも万里の長城のように続いているわよ」優莉が感想を漏らした。
「おそらく、数千年、数万年を掛けて川が削っていったんだろうな」
優莉の感想に竜司が答えた。
「……地球上の1箇所に思い当たる場所があるぞ」悠が考え込む表情をした後に云った。
「奇遇だな。おれもだ。実際に行ったことはないが、いちばん当てはまりそうだな」と竜司。
「アレだよな、やっぱり」
「ああ、アレだな」
「なによ、アレって」
「だからアレだよ」
「グランドキャニオン、ですよね」後から譲が云った。冷たい声で。
「おまっ、人がせっかく勿体を付けているのに」
「意味不明っす」
悠の抗議を譲は受け流す。
「と云うことは、ここはアメリカってことですか!?」美音が声を上げる。
「ま、可能性としては一番高いと思うが、決定的証拠が無いな」と竜司が答えた。
「アメリカ、それもグランドキャニオンにテレポートしたってことか?」
「エレベーターごと?」悠の言葉に優莉が返す。
「じゃぁ、ワープだ」
「スマホのGPSで解るんじゃないですか?」譲が云いながらスマホを取り出した。
「おお、そうだな」「なんでそんなに冷静なんだよ」「譲くん、えらい!」竜司、悠、優莉が口々に云ったが、
「ダメですね。完全に圏外です」
「まあ、グランドキャニオンじゃなぁ」と悠が嘆息した。
30分ほど歩いた頃、あたりが薄暗くなってきた。谷底にいるため、陽光が直接差す時間は極めて少ない。腕時計を見ると、まだ16時にもなっていなかった。
「このままだと野営になりそうだな」竜司の言葉に優莉が応じた。
「都合よく、買ったばかりのテントがあるしね」
「でも全員は無理だ」と悠が云うと、
「あら、もちろん女子が優先よね」と優莉が答えた。そして悠の向こうで竜司が考え込んでいる表情をしているのを見た。
「竜司さん、どうしたの?」
「ん――いや、なんでもない」
さらに30分ほど歩き、そろそろテントを張ろうかと話をし始めたが、問題となるのは水と火の確保だった。女子2人はマイボトルに入れたミネラルウォーターを持っていたが、5人で一晩しのぎきるのはさすがに無理な量だった。火に至っては、ガスはあってもコンロは買っていない。燃やせる物もない。
「あ、あそこに何かありますよ!」不意に声を上げたのは美音だった。
確かに美音が指さすあたりに何かがある。全然動いているようには見えないから、生き物ではないのだろう。
5人が近寄ってみてみると、それは幌馬車のようだった。しかし、馬はいない。御者台の後に箱形の乗車席があり、さらにその後は荷台になっていた。人が乗っていた形跡はないが、荷台には様々な物が載っていた。水らしい液体が入った革袋が幾つかと、干し肉らしいものや何種類かの果実のようなもの、薪と松明、鍋と蓋。そして鞘に入った剣とナイフが3本ずつあり、弓も2つ有った。矢柄には矢が十数本入っていた。
「これは狩りに使っているのか?」悠の誰にともなく云った声に、竜司が答える。
「そうだとしても、今時剣は使わないよな。護身用なら銃もやライフルがあっても良さそうなんだが」
「ここ、本当に現代のアメリカなの?」優莉の声はかすかに震えている。
竜司は革袋の一つを取り上げると、コルク栓を抜いて臭いを嗅いでみた。それから左手の指に中身を垂らして舐めてみた。
「うん、水だ」
その間に悠は、石を2つ見つけていた。「これ、火打ち石じゃないかな」
「だとしたら、どこかに火口になるモノもあるはず」
竜司の言葉に他の者も物色し、美音が麻紐を見つけた。
「おお、それをほぐせば火口になるぞ」竜司はナイフで麻紐を数センチ切り取ると、紐をほぐした。
「竜司さんはそういうのホント詳しいよね」
「台湾にいた頃はしょっちゅうキャンプ、というか野営をさせられたからな」
ほぐした麻紐のそばで2つの石を打ち合わせると、案の定、火花が飛び、3回目で麻に火がついた。すかさず細い薪を載せて火を確保する。
「よし、今日はここで野営にしよう。悠はテントを張ってくれ。女性陣は水を鍋に入れといてくれ。譲、おれ達はかまどを作るぞ」
見つけた石と足りない分は地面をナイフで彫ってかまどを作ると、その上で湯を沸かし、保存用に買ってきていたアルファ米と干し肉を炙ったもので夕飯とした。干し肉は豚肉に近い味がしたが、正確にはわからなかった。
取りあえず食事を終えてほっとしたとき、竜司が云った。
「やっぱり、都合がよすぎる」
「たしかにそうだね」と悠が応じる。「こんなところにぽつんと馬車の車だけあること自体が不自然だ」
「しかも今のぼくたちに必要なものばかりありましたね」と譲。
「人為的ななにかが働いている気もする。大体、俺達はなぜここに転移したんだ? たまたま次元の裂け目に入っちまったのか、それとも」
「誰かに呼ばれた、か」そう云いながら、悠は夜空を振り仰いだ。そびえる岸壁で区切られた空は、3割程度しか見えない。その細長い夜空には満天の星が瞬いている。
「ねえ、提案があるんだけど」
小さく手を挙げて優莉が云った。「圏外である以上、スマホをつけていてもあまり意味が無いじゃない?」
「そうですね。悲しいことに」
「だからさ、1、2台だけ電源入れてあとは電源を切ってバッテリーを温存した方がいいんじゃないかしら。ライトやカメラは使えるから」
「確かにその通りだな。さすが優莉だ、細かいところにも気が利くな。じゃあ、俺のから使おうか?」
「私モバイルバッテリーを持ってるから、先ずは私のを残そうよ。切れたら次の人に代わって、そして一周したら誰のスマホが一番長く使えるか大体分かるじゃない? そのスマホに充電したら一番長持ちするんじゃないかな」
「わたしもモバイルバッテリー持ってますっ」
「じゃぁ、2番目は美音ちゃんね」
「かしこまり!」
そして美音、竜司、譲がスマートフォンの電源を落とした。
「悠は聞いてた?」
いつしか仰向けになって夜空を見ていた悠に優莉が声を掛ける。悠はふいに身を起こすと、慌ただしく夜空のあちこちに視線を投げた。
「どうしたの、悠?」
答える悠の声はかすれていた。「ここ、アメリカじゃない。いや、地球上でもないかもしれない」
「どういうことよ!?」
「見慣れた星座や星が一つも見えない」
「南半球ってことはないのか」
「おれは南天の星座も知っている」
「えーーーーっ!?」と声を上げたのは美音。「ホントですか? でもなんで?」
「まさか、はやりの異世界転生ってやつ?」
「いや、死んではいないと思う。5人一緒に死んで、また同じ歳で同じところにいるとは思えないだろう」優莉の問いに竜司が答える。
「異世界転移、ってやつか。でもそうすると、大体召喚した奴がいるはずだよね」
「または、さっきも云ったが次元だかなんだかを偶然に飛び越えて、別の世界だか別の宇宙に来てしまったか」
「マルチバースですね」久しぶりに譲が発言した。ショックから立ち直ったらしい。
「ああ。ブレーン宇宙論は正しかったのか、ってところか」
「いや、バイストン・ウェルじゃないのか」
「あれは空と海の間にある世界だろ。空はともかく、海はなかったぞ」
「そんなこと、云っている場合じゃないでしょ!」男どもの勝手な話に業を煮やして優莉が云う。
「でもこれで都合の良さの説明がつくだろ」
「誰かが召喚した、ってのが正解っぽいな。これらも――」龍司は幌馬車の方を一度振り返り、「ご親切な召喚者が手配してくださったものだと」
「なるほど~」美音がパンと手を打ち合わせる。
「でもなんでその人は姿を現さないんでしょうか」
「まぁ、何かしらの事情があるんだろうよ。さあ、そうと解ったらもう寝ようぜ」
「お家の人、心配してるだろうな」顔を曇らせる美音に竜司が云う。
「1冊だけだが、異世界転移ものの小説を読んだことがある。それでは、転移者は転移した元の時間に戻されてた。おれ達も召喚者に会ったら元の時間に戻すように掛け合おうぜ」
そして女子2人はテントで、男子3人は幌馬車で寝ることにした。悠と譲は幌馬車の座席に脚をたたんで横になり、竜司はおれはここでいいと云って荷台で横になった。
程なくして、竜司の寝息が幌馬車の中にも聞こえてきた。
「この状況で、よく寝られるな」
「あの――」譲が悠に声を掛けた。「鷹宮先輩がラノベも読んでる、っていうのはちょっと意外でした。活動的な人だし、読むのはもう少し堅い、というか――そう、フィクションを読むイメージがありませんでした」
「んー、おれは付き合いが長いけど、ラノベを読んでる、って聞いたことも見たこともないな」
譲は声を潜めた。「じゃあ、ホントは読んでないんでしょうか。でも藤咲さんを落ち着かせるために?」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。でもそんなことを聞くのも野暮ってもんだ」
「そうですね」
「さ、おれらも頑張って寝よう。明日は何があるか解らないし。せめて、召喚者がいるなら姿を現してほしいもんだ」
「せめてここがどんなところなのかは知りたいですね」
「まったくだ」
会話を終わらせた二人も、いつしか夢の世界に旅立っていた。
第2話「転移」-2に続く