4.騒動
「して、この件いかに処理する」
大理石の床、美麗なガラス細工に彩られた荘厳な一室。古の巨人達がすっぽりと入るほど高い天井に重苦しい声が響く。
「そうやすやすと解ける封印ではなかろう」
「えぇ…デュラハンの封印は冥牢の製作者である先代教皇が施したものですから。それを抜きにしてもタイミングが良すぎるでしょう」
やりとりされてる内容は言うまでもなく『処分失敗』に関する案件である。デュラハンの乱入、不可解なゲート。重なりに重なったイレギュラーが教皇庁上層部の胃に穴をあけていた。
「そもそも彼女達はなぜその場で処理しなかったのだ?いくらガロンが使えないとはいえ、星占がいるならいくらでもやりようはあったはずだが」
「損耗状況を鑑みての撤退です。彼女達を責めることはできませんよ」
「しかしなぁ…」
この状況下にあって教皇庁はアレの扱いを決めあぐねていた。本音では早く処理したいと思う人間がいる反面、本人の善性、死に体とはいえデュラハンを木っ端微塵にする力、不確定要素。次処理しようとして安全にことを進められるだけの確証がない以上、現状維持の声も上がり始めているのが現実だった。
「そもそもアレはなんなんだ」
そんな疑問が挙がるのも致し方のないことである。
あまりにも未知、あまりにも不可解。
「そもそも人間なのかも怪しいところだな…心臓が剥き出しになっていたと言う証言もある」
「だが今の状態は健康体そのものなのだろう?そんなものもはやアンデッドじゃないか」
そんな暴論まで飛び交う議論が続かなか、その不安は上から下へと伝染し始める。
「本当にアレなんなんですかね」
アイリーンがぐでーとテーブルに顎を乗せてため息をつく。アレから5日後、報告書の提出、事情聴取、団員のケアに奔走しようやく落ち着いたところであった。
「お疲れ様でした、アイリーン殿」
「ギッシュさんもう動いていいんですか?」
声をかけてきた騎士ギッシュを労いながら、もう一つのカップにお茶を注ぐ。
「どうぞ」
「かたじけない」
今回の件にて騎士二名が重傷、イコラスの隊員数名と騎士数名が軽傷を追った。
「ほぼ聖女様方にお任せしてしまいましたから、私はほんのかすり傷です見ましたよ」
「そんなこと言って、腕の骨ヒビ入ったって聞きましたよ」
「いやはやお耳が早い様で」
ギッシュは一本取られたと言う様子で左腕をさする。
あの巨体の突進を数名で抑えたのだ。それだけでもはや人間の領域ではない様に感じるが、ヒビが入りながらも押し返していたと言うのだから恐ろしい話である。
「聖女殿は?」
「皆さま揃って会議ですよ〜。そろそろアレの扱いを決めなきゃ行けないですから」
処分決定からもう一週間以上。イレギュラーとはいえ処分待ちにしては長すぎる時間が経過していた。無論、放置したから何かまずいことが起きるかなんてのは分からない。分かるわけがないのだが、それでも放置が愚策であることは教皇庁の誰もが理解していた。それでもなお…
「やっぱり殺したくないですよね〜…」
「初対面ですがあそこまでの善性を兼ね備えた人間を殺すのはやはり忍びないものですな」
彼の生存を心のどこかで求める人間は、あの場に居合わせた面々の中には少なからず存在していた。ただただ哀れ。その一言に尽きる彼の境遇に皆心のどこかでは『自分ではやりたくない』と思っているのかもしれない。
「記憶がないからなんでしょうけど、あそこまで行くといささか不気味ですらあります」
無論手放しに喜べるほどアイリーンもギッシュもおめでたい頭はしていない。なにせの前で起きたあの奇怪な現象は今でも脳裏に焼き付いているのだから
とある会議室にてシャロンは議事録を眺めている。
度重なる会議への出席に、シャロンは言うまでもなく気疲れを感じていた。無論必要なことであると自覚しているので間違っても愚痴などこぼさないのが彼女らしいところなのだが、それでもやはり一向に進まない彼の処遇に内心苛ついていることに、ニーナやチェインモータスの面々は気づいていた。
「シャロン最近寝れてる?」
「寝れてます」
(寝れてないのね…)
即答するシャロンに対しニーナはため息をついてその心中が穏やかでないことを察した。
「彼の扱いどうなるのかしら」
「どちらにしろ早く決めるべきです。留置なら留置、処分なら処分。下手に希望を与えて彼を苦しめるのは見ていられない」
彼には死を恐れない精神力も人間性への乖離もないだから。シャロンはそう続けた。そんなことはニーナだってわかっている。ガロン照射時、怯えに満ちた表情で体を震わしていたのを見ているのだから。彼は紛うことなき『優しい普通の人』なのだ。それに対して死刑と無期懲役を目の前でチラつかせられているこの状況が彼にどれだけのストレスを与えているか。いうまでもない話だ。
「でもシャロンだって彼に死んでほしいとは思わないわけでしょ?」
「私達の活動指針を考えれば処分すべきだと考えています」
「建前はいいの。あの子は歪んでいるわ。記憶を失い、何かしらの理由で善性のみを与えられている。そうとしか考えられないほどに達観しているのにも関わらず死を恐れる人間性だけは手放してない。これを歪みと言わずなんといえばいいのかしら」
「人を見るのが仕事の聖女がいうと重みが違いますね」
シャロンはニーナの言葉を反芻する。彼が何かしらの理由で人の持つ本来の悪性を欠落ないし封印されている可能性、あるいは二重人格や信じられないが我々全員を謀っている可能性はある。
「決めました」
シャロンは一つの決意を胸に、本日数度目の会議に臨んだ
「聖女シャロンより進言があると聞いた。忌憚なきその姿勢に敬意を…」
「お世辞は結構。私からの進言させていただくのは他でもなく第一級隔離指定存在15号に関するものです。結論から言わせていただくと、彼の検査を私に委ねていただきたいと考えています」
その発言に議場がざわめき始める。そんな状況に我知らずとシャロンは進言を続けた。
「あまりにもデータが少ない。処分、留置、封印、如何なる手段を取るにしてもアレをもっと知る必要があります。期限は一週間、この期間内に私からできる限りの情報を上げさせていただきます。その上で一週間後決定を下していただきたい」
「待ってくれ聖女シャロン、いささか性急に過ぎないだろうか?貴公の言う通り情報が少ないのは事実だ。確認すべき問題があるのも理解している。だがだからこそ慎重に行動すべきで…」
「処分や封印を決定したところで、実際にできるかどうかはわかりません。それを調べるためにも…」
この調査は必要である。そう言おうとした時、スッと手が上がった。上げた手の主はエステリア、星占の聖女である。
「あれを聖遺物認定すれば良い」
挙手したその流れで静まった議場に爆弾が投下された。その発言に誰もが目をむき、先ほど以上の騒乱を呼ぶ。
聖遺物認定、それは通常『物』に使われる用語である。神時代の産物には二種類ありその中でも強力で調査により現代の技術では解読不明、あるいは複製不可と判断されたものを教皇庁では『聖遺物』とすることにしている。
聖遺物の多くは冥牢に保管されるか聖女に『預ける』形で装備として支給される。そもそもそう言った類の遺物収集及び解析は教皇庁の中でも聖女達の仕事である。というのも神時代の遺跡や魔王一派の装備品であるため、回収が非常に困難かつ大抵の場合副次的に取得することが多いからだ。
つまりエステリアはあれはもう人間ではなく聖遺物ということにして冥牢に押し込むか私達聖女によこせ、そう言っていることになる。その上でエステリアは言葉を続けた。
「そもそも冥牢にしまっとけば安全なんてのは間違いだってことは今回の一件で分かったろう。それならいっそあれに聖女を付きっきりで面倒見させた方が安全だと思うがね」
「それは理解しているとも聖女エステリア。しかしだな、あれに地上を闊歩させるのは…」
「ならどっかのだだっ広い田舎にでも聖女ごと飛ばしておけば良いんだ。近くにいる聖女がいて対処しきれないならそもそも冥牢に押し込もうが何をしようが無駄だよ」
「それはそうだが…」
放置は愚策。特に冥牢に放置した結果あそこにあるいくつかの聖遺物がデュラハンの様に再稼働した場合、どれだけの損害があるのかそれを分からぬほどこの議場にいる人間は愚かではなかった。
「だが貴重な戦略である聖女だ。たった一人だとしても行動に制限をかけるのは…」
「それこそバカな話だ。任務よりも婚活してる奴や、辺境に閉じこもって本ばっか読んでる奴が許されて、聖遺物の管理にあたる聖女が戦力低下の要因になるんだい?」
「そ、それは…」
誰も反論することができない。
教皇庁の活動は聖女のワンマンプレーと、地方支部の地道な努力によって成り立っている。曲者の多い聖女達に統率を求めるのを諦めた教皇庁が今更「戦力足りなくなるからダメ」なんて事言えるわけがないのだ。
「それにしたって生きた人間を聖遺物と認定するのはいささか無理があるでしょう」
「まともな人間が左胸がっぱり開かれて心臓丸出しにされて生きてるわけないだろう。あれはもう人じゃない」
「だからこそ処分すべきなのでは?」
「それができるかわからないからこういう提案してんだろ?」
次々と上がる反論をちぎっては投げちぎっては投げと返していく。「処分すれば良い」という意見も、冥牢に閉じ込めておくという考えも、全て「できれば」の話である。
少なくとも近くにいれば対処可能、そんな聖女にしか断言しきれない言外の主張に議場は次第に静まり返った。
「他には?」
「聖女エステリア、貴女のいう通り聖遺物として認定し聖女の監視をつける事でことを治めることが可能なのは認めよう。しかし多忙な聖女の身、そして曲者揃いな彼女達のいったい誰にこの件を任せるのかお聞きしたい。それとも貴女がやってくれるのかな?」
「私はパスだ。一箇所にとどまるのは趣味じゃないんでね。でもそうだね私が言い出したことだ推薦くらいは…」
エステリアは思案する。何せ彼女の言った通り聖女は基本多忙かつ曲者達だ。パッと名前は出てこない。
しかし
「私がやりましょう」
「シャロン!?」
手を挙げたのはシャロンだった。ニーナが驚くのも無理はない。シャロンは一見常識人であるがその実重度のワーカーホリック。年中仕事で各地を飛び回り、遺物を回収したり魔性災害を鎮圧しては報告に戻る生活を送っている。
「シャロンわかってるの?これ受けたら仕事をできる限り減らせって話になるのよ?」
「監視は業務のうちでしょう。何よりいざという時に封印できる人間がいた方がいいです」
「それはそうだけど…」
仕事を安定的にするシャロンの制限に反対する者、現実的な解決案であることを認め賛成する者、それぞれがシャロンの挙手に思うところを羅列する。
「わたしが提案しといて何だけどよりにもよってあんたが手をあげるなんてね、シャロン」
「そんなに変ですか?」
訝しむようにシャロンが聞き返す。
「変っていうか…あんたが仕事と男を秤にかけて男を取るなんて」
「仕事と仕事を秤にかけたんです。変な言い方しないでください」
「あんたが良いならいいけど、途中で投げ出したりしないでくれよ?後任なんてどうせいないだろうし」
活発に意見が飛び交う中、議長が手を掲げて静粛を促す。
「聖女シャロン、立候補感謝する。では聖女エステリアの案に反対のものは挙手を頼もう」
ちらほらと手が上がった。全体の3割ほどだろう。
「では聖女シャロン、貴公にこの件を委ねたい。頼んでも良いな?」
「仕事ですから」
「頼んだ。では早急に詳細を詰めていこう」
こうして議会は『隔離指定存在の聖遺物認定』を可決することなった。
会議を終え、部屋にはニーナとシャロンだけが残った。エステリアは会議が終わった瞬間に出立している。よほどこの都に拘束されたのがストレスだったのだろう。ステラリードの面々含めようやく解放されるといった様子だった。
「名前何にしましょう」
「ペットじゃないんだから…あ、でも遺物だもんね。命名は…」
「彼は人間ですよ」
シャロンのその言葉に、ニーナはキョトンと目を開いた。
「遺物だっていうものかと思ってた」
「死を恐れる心があるのなら、生きていると言っていいでしょう」
「まぁそれもそうね。真っ当な人間かどうかは別として」
とりあえずと、シャロンは立ち上がる。
「彼に会って来ます」
この日、シャロンの数奇な日常が幕を上げた
次回から本編始動です
ここまでがエピローグかな?