こすもす
――― 一際真っ赤なコスモスに見つかると殺される
その日はよく晴れた日だった。
なんとなく流行に乗って始めた一眼レフカメラは、いつの間にか本気の趣味になっていた。休日には機材一式を持ち、愛車で日本各地のフォトスポットを巡っている。
それなりに名の知れた企業の営業事務に勤める私は、三十路手前のお金にも時間にも余裕がある独身を満喫していた。フォトスポット巡りという名の小旅行はリフレッシュに調度いい。
写真は無料素材としてHPに公開している。HPにはメールも公開しており、時々写真についての反応もある。それはもちろん良い事だけではなく、下手くそなどの悪口もくる。そう言ってくる人でも中にはアドバイスのような意見もあり、そのツンデレは有り難く参考させていただく。
そしてたまに撮影場所のリクエストもくる。独学で培った技術は目を見張るものは一切ないが曰く私の切り取る風景が良いらしい。そのデレにももちろん全力で答える。
だから昨日来たこのメールの真意が高度なツンデレなのか高度なデレなのか、はたまたただの悪戯なのか。
(一際真っ赤なコスモスに見つかると殺される、ねぇ・・・)
今年の私のブームは花で各地の綺麗な花畑ばかり訪れていた。それ以前も花はいくつか撮影していたが、確かコスモスは今まで撮ったことがない気がする。
ということは、赤いコスモスが綺麗な場所を撮ってほしいのだろうか。それにしても、見つかると殺されるとはどういう事だろうか。文面的には真っ赤なコスモスは撮るな、が近い。
今回のは高度すぎて真意が分からない。やはり悪戯の線が濃厚かな。
『まもなく山頂です。』
ロープウェイの機械アナウンスが響き思考を切る。今日は念願のとある山に来ていた。300メートル程登った先には眼下の景色はもちろん高地ならでは自然は最高のフォトスポットだ。去年も来たかったが休日の天候に恵まれず断念した。今年も月半ばまでは曇りが続き諦めかけたが、今週は奇跡的に晴れが続いていた。
「てるてる様のおかげかな・・・」
昨日の夜、藁にもすがる思いでてるてる坊主を3個作り吊るした。まさかこの歳になって一人で作るとは思ってもみなかった。昨日、後輩がミスをしそれの後処理に追われ21時まで残業した疲れによる行動だろう。
朝日に照らされた3人家族のように寄り添ったてるてる坊主を見て、なんとも言えない気持ちになった。
「んんー!気持ち良い!」
少し冷たい澄んだ空気を身体中に巡らせる。身体の中の栓が外れ血液が駆け巡るような感覚が気持ち良い。上を見れば真っ青な空に真っ白な雲が何個か漂っている。視界を遮る物が何もなく、自分も空の中にいるような感覚に襲われる。
少し移動し眼下に広がる町並みは、自分がいかに狭い世界で生きているかを思い知る。普段はこれよりも圧迫された灰色の中にいるんだなと思うと、上司に同僚に振り回され真面目に仕事しているのがあほらしくなる。
もう少し寛容な心を持って突き放そう。みんな良い大人なんだから自分の尻くらい自分で拭け。
・・・いけない。こんな素晴らしい景色の中にいるのにこんな事考えるのはもったいない。
見晴台から移動し、高原植物が自生するエリアへ向う。普段の暮らしでは見ることの出来ない植物たちはみんなイキイキと背を伸ばしている。一つ一つを見ながら自分の好きな角度を見つけ撮影していく。
空が青い今日は植物たちの色がよく映える。それぞれの植物には名札が付いており、初めて見る植物はどんな性格なのか調べながら撮影する。
「うむ。空気が澄んでるからか、今日は調子が良いぞ。」
休憩用に設けられたスペースに腰をかけ、データを確認する。私の好きな感じがたくさん撮影できてる。紅葉が綺麗に色づき始めるこの季節の花たちは、白やピンクもあるけれどどれも落ち着いた色合いのものばかり。
だが、それがまた空の青さと相性が良い。花の色、草の色、空の色が曖昧に混ざり合う景色は有名な画家のキャンパスだ。
もっとも私は絵画はよく分からないけれど。
「なんかすっきりした写真撮りたいなあ。」
まだまだ広がる高原を見渡し、ロープウェイから離れた所を目指す。奥に行けば行くほど人の数は減っていきのびのびと撮影タイムを過ごせる。
歩きながらあれやこれやと撮影し続け、気が付いた時には太陽が真上にあった。3時間ずっと歩いて撮影していたのか。気付いた途端に程よい疲労が身体を覆う。お腹もすいたし休憩スペースでお昼しよう。
んーっと伸びをして、涙をためた目をこする。一瞬、すごい鮮やかな赤いものが視界に入った気がした。
あんなにインパクトある赤いもの、なんでさっきまで気付かなかったのだろう。休憩スペースに背を向けて赤色目指して足を動かす。踏み固められた遊歩道から逸れて小さい石が転がるささやかな道に入る。道はまるでその赤色のためにあるように続いていた。
「うわ、なんか、綺麗だけど怖い。」
それは真っ赤な一輪の花だった。他の草花の色をかき消すような鮮烈な赤。太陽に向って咲いてるその様は舞台上でスポットライトを浴びた女優だ。それもちょっとエロいやつ。
― 一際真っ赤なコスモスに見つかると殺される
「まさか、ね。」
コスモスに似ているけれどコスモスではないと思う。根元を見るけれどそこに名札はない。特別知識がある訳ではないのでこれが何の花なのか分からない。
「とりあえず写真撮っておこう。」
もしあのメールの送付主が最強のツンデレ、むしろヤンデレさんだった場合、放置し続けると後で何を言われるか分からない。こういう人達の執念はすごいと聞くので、住所を特定し直談判なんかされた日にはニュース事案だ。
それに実際に綺麗なことに変わりはない。この花の周りだけ異世界のような、現実離れした雰囲気はどこか恐ろしいけれど美しくもある。人間の奥底にある欲求の開かずの扉を刺激するようだ。
何回かシャッターを切り満足する写真が撮れたので、今度こそ休憩スペースに向う。持ってきたおにぎりを食べながらぼーっと景色を眺める。自然の活力が溢れた景色は心が浄化される。定年退職後、第二の人生として自然豊かな場所へ移住する人がいるのも頷ける。これはなかなか良い。
「お一人ですか?」
突然の声に将来設計していた意識が戻される。はっと前を見渡すが誰もいない。しかし確かにあった声の主を探しキョロキョロと見渡すと、右側からにゅっとそれは現れた。
目が合うと柔らかな笑みを浮かべるそれは、イケメン。おそらく180センチ近くあるイケメンは私の肩くらいに位置する腰を曲げ顔を覗き込んでくる。どこか眠たげな黒い瞳は色気を放ち、太陽の光を浴びて輝くような黒い髪は肌の白さをいっそう際立てる。そのせいで、背丈や洋服を着ていても分かる体格の良さがありながらも、どこか女性らしい雰囲気がある。
これ私に話しかけてるんだよね。他に人いないし。
「は、い。一人ですけど・・・」
「やっぱり。さっきからずっと楽しそうに写真撮ってたけど、誰かに見せようとする仕草がなかったので。」
自分の予想があったのが嬉しいのか、さっきよりにこやかな顔になった。緊張感が薄れたその顔は、自分のテリトリーに入ることを許されたような感じになる。それでもイケメンの破壊力はすごいのでそのテリトリーから10メートル離れた感覚は縮められない。
「そんな姿を見られていたなんて、お恥ずかしいです。」
「いえ、勝手に見ていた僕が悪いのです。すみません。」
話しながら私の隣に座ってくる。さすがイケメン、全ての動作がスムーズだし、変な警戒心を抱かせない。恐るべしイケメン。
そのまま色々な話をした。私の撮った写真を見せたり、近くに住んでいるというイケメンさんから四季折々の植物たちの話を聞いたり。
イケメンさんはここへ散歩に来ているようで、私のように一人で撮影を楽しんでいる人はたくさんいるらしいが、その中でも私は一番楽しそうにしていたらしく思わず声をかけてしまったらしい。他にもあれやこれやとさっき会ったばかりとは思えない程会話は弾んだ。
会話を楽しんでいる時、ふと視界に赤い物が入る。あれ、あの赤いのってもしかして。イケメンさんと会話を続けながら視線を少しだけそちらへ向ける。それはやはり先程の真っ赤な花だった。でもあそこにあるのはおかしい。あれは私の背中側にあったはず。
それも少し離れて目視できない距離。それが今、私の右前方の目視できる距離にある。どういう事だ。見間違いではない。あんな鮮烈な赤、見間違う分けない。
冷や汗を流しながらもどこかまだ信じられない私は、イケメンさんとの会話に集中させる。
「そうだ、良かったら紅茶、飲みませんか。いつも散歩する時に持ってきているんですよ。」
そう言ってイケメンさんはカバンから水筒とコップを2つ手際よく準備する。さすがに知らない人から貰うのは気が引ける。短い時間で良い人そうというのは伺えるが、人はどんな裏があるか分からない。
どうしようかと悩んでいるうちに、どうぞとコップを差し出される。
「ありがとうございます。」
コップを受け取り覗いてみると、透き通った琥珀色が輝き紅茶のいい香り。どうやらなんてことない紅茶のようだ。
お兄さんが一口飲んだ姿に続き私も一口飲んでみる。市販のものより口当たりが良く優しい味が広がり、こくんと飲み込むと紅茶の香りがふわっとはじける。砂糖とは違ったほのかな甘みが残るがそれもすぐに溶けていく。心地のいい甘さを求めて二口三口と手が進む。
「すごい優しい甘さがありますね。」
「ああ、実はステビアという植物を使っているんです。」
「ステビア?」
「煮出すと砂糖の数百倍甘い甘味料になる植物です。それをほんの少し入れてます。」
「数百倍!?そんなものがあるんですね・・・」
イケメンさんは植物に詳しいらしくこの高原にある植物だけではなく色々な植物の話をしてくれる。私が持ってきたクッキーをお茶請けに会話は進む。
そんな穏やかな時間はすぐに終わりを告げた。
会話をしつつちびちび進んでいた紅茶の最後の一口を飲み干し、改めてイケメンさんにお礼を言おうとカップから顔をあげる。
そこには先程よりも笑みを深めたイケメンさん。その右手には真っ赤なコスモス。さっきまであったはずの右前方の地面は最初からそうであったかのように雑草すらもなかった。深い笑みをこちらに向ける人物に理解できない状況から救出して欲しくてじっと見つめる。
「コスモスってね、純粋で清らかな、とてもまっすぐな女の子なんです。」
「その中でもこの一番赤い子は僕の特別な子です。昔、僕が助けてあげられなかった子。」
「でも不思議とまだどこかで生きている気がするんですよね。僕にはその子が必要なんです。」
「だから、この子が気に入る子がいいなって。・・・ね?」
目の前の人物はいったい何を言っているんだろう。確かに聞こえる音は日本語のはずなのに、渋谷の雑踏のように私の耳を通り抜けていく。
その人の表情が分からない。確かに笑っているけれど、それは私に向けられたものではない。私の中を視るような視線に縛られて指一本も動かせない。
逃げなきゃ。逃げなきゃ逃げなきゃ。
本能がそう告げるが金縛りにあったかのようにカップを持った体勢から1ミリも動かせない。冷や汗が絶え間なく流れ背中にくっつく服が気持ち悪い。
その間にも目の前の人物が何か言っているが理解はできない。そのうち景色も歪み始め視界すらもおかしくなったのだが、目の前の人物の顔と真っ赤なコスモスだけは一切の歪みなくはっきりと見えていた。
逃げなきゃ。逃げなきゃ逃げなきゃ。
本能がそう告げる中、じわじわとそれを蝕むものがあった。
そうか、私、死ぬのか。
「大丈夫ですよ」
唯一鮮明に聴こえたその声を最後に私の世界は暗闇になった。真っ暗で何も見えないのに不思議と恐怖はない。さっきまであんなに怖かったのに。
何か暖かいものに包まれているような感覚。幸せな、不思議な感覚。
私は安心してわずかだった意識を手放した。
◇◇◇
『...――先週から20代後半女性が自宅マンションの防犯カメラに帰宅する姿が映っているのを最後にその後行方不明と――...』
『...――女性の部屋は特に荒らされた形跡はなく無抵抗のまま事件に巻き込まれた可能性が―...』
『...――捜査関係者への取材で女性の部屋には赤いコスモスが一輪だけ花瓶にあったとの――...』
『...――○○植物園の館長によるとこの時期に咲くコスモスなんて聞いたことがない――...』
『《スクープ!!消えた女性!犯人からの赤いメッセージか!?》』
『...――行方不明当日20代後半女性は□□山に行っていた事が判明し――...』
『ああこの子ね若いのにちゃんと山を知った格好していて
私はよくここに来ますがカメラを持った女性はたくさんいますから。ですが変わった様子の方は特に見てませんね。』
「大丈夫ですよ、彼女の一部になるだけですから。」
コスモスの花言葉:乙女の真心