第六十一話 俺の気持ちは……
レナが消えた。
「レナ……」
呼びかけても、手を伸ばしても。
何一つ反応はない。
締め付けられたかのように胸が痛い。
頭が回らない。
いろいろな言葉が、感情が、浮かんではすぐに消えていく。
閉園時間が来るまで、俺はずっと立ち尽くした。
待ち続けた。
レナは現れなかった。
遊園地を出て、とぼとぼと歩く。
来た時にはあれだけ晴れていた空は、どんよりと暗く、重たく、曇っていた。
「レナ……!」
ギリィィと歯を噛みしめる。
鋭い痛みが走って、口内に鉄の味が広がった。
だけど、この程度の痛みは気にならなかった。
心の中は、もっと痛くて苦しかったから。
涙がこぼれた。
すぐに溢れて、止まらなくなった。
どうして俺は、こんなにも傷ついているのだろう?
答えなど、考えるまでもなかった。
「……決まってるだろ。レナがいなくなるのが、世界中の何よりも嫌だったんだ」
もっと、ずっと。
レナと一緒にいたかった。
レナと過ごす時間はかけがえのないもので、今までの人生の中で一番楽しくて、離れ離れになることなんて考えられなくて。
──俺はレナのことが好きだったんだ。
人形のように整った可愛らしい顔立ちも。
パッチリ開かれた大きな瞳も。
艶やかな桜色の唇も。
肩まで伸ばされたサラサラな栗色の髪も。
オシャレなワンピースを着こなしているところも。
女王みたいにワガママなところも。
すぐにやらかすポンコツっぷりも。
素直になれずいつも素っ気ないところも。
でも、本当は寂しがり屋ですぐに構ってもらいたがるところも。
料理やお菓子作りを一生懸命に頑張る姿勢も。
誕生日をサプライズで祝ってくれる健気なところも。
手料理をおいしそうに頬張るところも。
プレゼントしたぬいぐるみを大切そうに抱きしめるところも。
普段は猫みたいに強気なのに、たまにデレて犬みたいに甘えてくるところも。
恥じらいながら手をつないでくるところも。
頭を撫でたら気持ちよさそうに目を細めるところも。
無防備なあどけない寝顔も。
甘い蜜のような極上の笑顔も。
それらすべてが。
レナの全部が、俺は大好きだったんだ。
レナが愛おしかったんだ。
いつも明るくて元気で、一緒にいるだけで最高に楽しかったんだ。
なのに──!
レナがいなくなって初めて、俺は、俺の気持ちに気づいた。
気づいたけど、もう遅かった……。
レナはもういない。
満足して、成仏してしまった。
「天月の……言った通りだ……」
俺は肝心な時に一歩踏み出せないチキン野郎で、レナがいなくなって初めて自分の気持ちに気づくような鈍感野郎だ。
後悔するなと言われたのに、後悔しか残らなかった。
何も言えなかったのが悔しい。
何もできなかった自分が嫌いだ。
最後の別れを、こんな寂しいものにしたくなかった。
もっとうまくやれたはずなんだ。
もっとレナを幸せに……。
気づいたら、俺は駅のホームに立っていた。
やってきた電車に乗り込む。
車窓からの景色はいつもと変わらないはずなのに、モノクロのように色褪せていた。
今朝まではあれほど輝いて見えていたのに……。
まるで俺の心の中をそのまま映し出したみたいだ。
あっという間に最寄り駅に着いた。
駅を出て、空を見上げる。
相変わらずの曇り空だった。
夜の帳が下り始めている時間帯だというのに、月はおろか星の一つすら見えなかった。
明かりの灯った住宅街の中を進む。
時折、楽しそうに談笑する家族の声が聞こえ、晩ごはんの匂いが漂ってくる。
俺だけが別の世界にいるような感覚がした。
「……着いた」
1LDK家賃二万円のアパートが俺を出迎える。
思えばここが、すべての始まりだった。
オカルト否定派だった俺は、こんな良物件を逃す手はないとこの事故物件アパートに引っ越してきて。
そして、地縛霊だったレナと運命的な出会いを果たした。
……思い出したら、また涙が溢れてきて止まらなくなった。
たった数ヶ月の、だけど今までの人生の中で一番楽しかった記憶が次々と蘇ってくる。
腹を空かしていたレナにごはんをあげたら、仕方なく同棲することになって。
一緒に過ごすうちに仲良くなって。
遊びに出掛けたら楽しくて。
だんだんレナに惹かれていって。
時々デレてくれるようになって。
ばあちゃん家に旅行に行ったあたりから、もっとデレてくるようになって。
最近はベタベタに甘えてくるようになって。
そんなレナを甘やかすのは楽しくて。
レナの見せてくれる顔はどれも可愛くて。
一緒にいるだけで幸せで。
──そして、俺はレナのことが好きになったんだ。
ドアノブに手をかける。
ガチャリと回す。
「……ただいま」
暗闇に向けて声をかける。
当たり前だけど、返事はない。
「いつもなら、笑顔でおかえりなさいって言ってくれるのに……。もう一度、言ってほしかったなぁ……」
叶うことのない、ささやかな願いを言葉にして、ドアを閉める。
鍵を閉めた、その時だった。
『おかえりなさい』
すべてを包み込むような、甘くて優しい声が。
聞こえるはずのない声が、俺の鼓膜を震わせた。
……聞き間違いだろう。
レナのことを強く考えすぎたせいで、幻聴が聞こえてきて……。
『おかえりなさい。何回でも言ってあげるわよ。これからもね』
さっきよりもハッキリ聞こえた。
幻聴だなんて、もう思えなかった。
思いたくなかった。
袖で涙をぬぐう。
レナが選んでくれた服がぐちょぐちょに濡れたけど、今はいいんだ。
霞んだ視界のままじゃ、何も見えないから。
ゆっくり振り向くのと同時に、勝手に電気がつく。
──そこには、心の底から求めていた少女の姿が。
いたずらが成功して喜ぶ子供みたいに小さくはにかんだレナの姿が、明るく照らされていた。
俺は精一杯の笑顔を作って、言った。
「ただいま」
『おかえりなさい』
次話で完結となります。
明日の12時に投稿するのでお楽しみに!





