決別
翌日、穏やかな弛緩した空気が漂う昼休み。
三人目の来訪者、詩風愛汰が化学室の扉を開いた。
「あれ、両国さんもいるんだ」
「どうもー」
「・・・・」
「それで、どうして急に集まったの・・・・紫花?」
吐き気に襲われる・・・彼の幼馴染の顔を満足に見られない。
私の心に闇を落とすのは、僅か前夜の出来事。
たったそれだけの事で、底の見えない渓谷の如き断裂が形成されてしまった。
「私がねー、見て欲しいものがあってー」
引き延ばされた、甘ったるい声。
蜂蜜のように濃く、同時に触れたものを絡め取る粘着性を併せ持つ。
「まぁ見てよ・・・驚くから」
楽しくて仕方ない、といった様子で両国由夢はスマホを横に倒す。
大画面に映る映像、鮮度抜群で記憶に新しい会話。
金髪の男と、少年のやり取りが大音量で流れる。
『スカイタワー崩壊、並びに大量殺人の立役者。よくもまぁのうのうと生きられるもんだなァ』
『あなた方にもメリットはあったでしょう』
「――――これ」
「いやぁビックリビックリ!昨日偶然小美野さんと歩いていたら、偶然詩風君がいるんだからぁ、ね」
・・・・・・・・・・。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い――――どうしようもなく気持ち悪い。
怒りよりも先に、無理解の拒絶が吐き気に変化する。
決定的証拠がスマホに映り続ける。この会話は、もはや自供にも等しい罪の告白であった。
常なら楽しく映画を鑑賞していた場所が、似たような状況で全く「異なる」様相を見せ始める。
ねぇ違う、違うよ。ここはそんな場所じゃないのに。
「うそ・・だよね・・・・」
『うそ』という言葉と裏腹に、既に私の眼に疑惑はなかった。
―――ただ確信していた。
有り得ないものを、酷く薄汚いものを見つめる、軽蔑の色が宿る。
「ちがっ、聞いて、その、理由が、あの時は、」
「・・・気持ち悪い」
胃酸が口に充満、ギリギリのところで口を押さえることに成功する。
酸の味しか、しない。
それを無理やりにゴクリと飲み込み、臓腑に押し戻した。
嗚呼、喉が焼ける。
ひりつく痛みに唇を噛み、血が噴出した。
熱く熱い熱き熱さの炎が、咽喉に灯る。
拒否反応―――入れないで、吐き出してという訴えを無視する。
吐き出すのは、この感情だけで十分だった。
「どんな気持ちで、私の傍にいたの」
「ぁ―――」
「よく、話しかけられたね」
「―――」
「真鶸ちゃんが、凪柊が・・・・!!」
「―――――」
「なに・・・考えてるの」
顔を背け、物理的に距離を置く。それは明確なまでの、
「裏切ってたんだ」
拒絶だった。
「いつから・・、ああ最初から?」
詩風愛汰はたった一言も声を出さない。
否定しない。
それは、自分でもそう思っているから?
それでも、体は一歩前に動いた。
私に向けて―――虚ろに手を伸ばして、繋ぎ止めようとするように。
「ゃ―――」
嫌々と首を振り、両手を胸で合わせ、さらに一歩下がる。
あれ・・・地震?
――――視界がブレて、焦点が定まらない。
――――ガタガタと震えが止まらない。
――――足に力が入らない。
――――動悸が激しく、血流がドクドクと音を立てる。
嗚呼嗚呼!
違う、恐いんだ。
騙されたから?―――違う。
傷つけられたから?――――違う!
得体の知れないモノが、一緒に笑っていたから。
申し訳ないと思っているなら、普通は嫌でも態度に現れるものだろう。
それが・・・ない。
どういう思考回路をしているのか見当もつかない。
分からないモノを形容するのに、気持ち悪い以外の言葉が何処にあろうか。
やがて詩風愛汰は、全てを諦めたように瞼を閉じた。
この瞬間。
そうこの瞬間だった―――彼が現在よりも未来を選んだのは。
血流が氾濫する、刹那・・・。
「グぁ!?」
「そうはさせないよ」
両国由夢が、詩風愛汰を仰向けに押し倒す。
そのまま腕を固めて、動きを封じた。ギチギチと、関節が軋む。
例え女子の細腕であろうと、圧倒的優位なポジションに加えて、関節を押さえられれば抵抗手段は皆無だった。
「君さ、瞬間移動の時、必ず目を瞑るよねー。昨日もそうだったけど・・・・。
それだけ集中する必要があるってこと?それにしても隙が大きすぎだって。
その能力、戦闘に向いてないよ」
「くッそ、あ、ァァァァァァッ――――――――!?」
「そして、継続的な強い痛みがあれば集中も出来ない。能力なんて、簡単に潰せるんだよー」
再び目を閉じかけた詩風愛汰、その腕がさらに捩じり捩じられる。
鬱血、肌色が青さを増す。
「さあ教えて。君はタイムラグの間、どこで、誰と会っているの」
そうか・・・、修学旅行中でも彼だけは自由に動けた。それならば何時でもどこでも、綿密な打ち合わせをすることができる。
そもそも、瞬間移動以上に裏工作が特異な能力もあるまい。
「ぁ――――、ッ!言う・・訳ないだろ!」
拘束された反対の手が、動ける僅かな範囲でポケットを叩く。
ガチリ、何かが噛み合う。
対アイドホールに用意されたソレが起動する。
「「―――――――ッ!!!?」」
スタンガンが起動、電流が流れ出た。
それが密着状態の二人の体を伝い、激しい痙攣を引き起こす。
堪らず両国由夢の手が離されて、その隙を突いた反撃は―――。
目を、閉じることだった。
「待って―――」
彼の目尻から水滴が漏れて―――床を濡らす。
そうして残された僅かな水溜まりだけが、彼がここにいた痕跡だった。
詩風愛汰は、もうこの世界から姿を消していた。
――――私は一人になった。




