プールサイドエンカウント
いくらでかい豪華客船でも、しょせん船は船。
(剣の稽古をするスペースがあるわけないもんな……)
たった3日目にして、私は存分に体を動かせないことにうんざりしていた。
10デッキにあるプールは、大きくて泳ぎごたえがあるって聞いて来たんだけど。
日頃の私の運動量を考えるに、泳いだ程度で動いた気になるのかどうかは疑わしかった。
しかし、体よく美威に追い払われた気がするのは気のせいだろうか。
私は相棒に押しつけられたバッグをロッカーに投げ込んで、頭からシャツを脱いだ。
更衣室には、日焼け止めの甘い匂いが漂っている。
私はどれだけ日に当たっても日焼けしない体質なので、美威みたいにこういう匂いのものを塗りたくらなくてもいいところは楽なんだけど。
どこまでも白いままだと、たまにはこんがりと日に焼けたくもなる。
(ま、無理なんだけどね)
私は水着を取り出して着ようとしたところで、手を止めた。
「おい……これ……」
布が少ない気がする……いや、実際に少ない。
思わず頬がひくついた。
ディナーの時のドレスもそうだった。わざわざ足が横から見えるようなセクシーデザインで。
「せっかくだから、うんとお洒落してねっ」
そう言う美威に着せられたドレスで部屋の外に出たら、すれ違う人間がみんな私を見ていった。
じろじろ見られながら食事するって、どうなんだ?
王女時代はどんなに注目されても気にならなかったのに、庶民に慣れた今では人の視線がちょっと不愉快に思える。
自分の容姿が人並み以上なのは理解しているつもりだが、だからこそ着飾るのは遠慮したい。
どこに行っても衆目を集めるって、あんまり喜ばしいことじゃないと思う。
私は上下に分かれている真っ青な水着をつまみあげた。
「早く泳げるやつ」と伝えたはずのリクエストが、完全に反映されていない気がする。
あいつ、私を着せ替え人形かなんかと勘違いしてないか?
「後で絶対買い直させてやる……」
今日のところは仕方ないので、美威の用意した水着をしぶしぶ身につけた。
周りもほとんどこんなデザインのを着ているから、多分そこまで目立たないだろう。
更衣室を出て階段を登ると、もう目の前がプールサイドだった。
ビーチチェアがずらりと並んでいて、小さい子供用のプールなんかもある。
天気がいいからか、結構な人がいて賑わっていた。
おお、このプール、噂通り縦にも長いじゃないか。
水がキラキラしていてまぶしい。
早速泳ごうと水辺に近づいたら、チビっ子が3人、向こうから走ってきた。
後ろに避けて道を空けたけど、前をちゃんと見ていなかった1人が、私のすぐ隣にいた、トレイを持ったクルーに勢いよくぶつかった。
(あっ)
ぶつかったチビっ子はコケて、クルーがよろけて、持っていたトレイが手から離れる。
中身は入ってなかったけど、グラスがいくつか宙に舞った。
このままいくと、コケたチビっ子にグラスが直撃だ。
私は手を伸ばして、空中のグラスを捕まえた。
スローモーションの速度で落ちてくるように見えているので、別に難しいことじゃない。
合計4つのグラスの縁を、割らないように指で掴んで回収する。
「……いたーい!」
そこでやっとチビっ子が叫んだ。
反応ニブいな。
よろけたクルーが慌てて取り直したトレイに、私は4つのグラスを置いた。
面食らったように、クルーは割れていないグラスと私を見つめる。
「プールサイドで走ったら危ないぞ」
それはもう基本だろう。
とりあえず、チビっこは起こしてやった。
さて、泳ぐかな。
ここから飛び込んだら白い目で見られそうなので、私は端の方にある階段に向かった。
「君、もしかして、特殊訓練でも受けてる?」
そんな男の声が背後からかけられて、私は足を止めた。
今のを見てた誰かなのは間違いない。
急いでいるわけじゃないけど、正直反応するのも面倒くさかった。
「……だから何?」
仕方なく不機嫌な声で振り返ったら、どこかで見たような顔の男が立っていた。
短い金髪に、つり目気味の青い瞳。
人なつっこそうな、満面の笑顔を浮かべている。
「……あっ」
あの時のコソ泥だ。
つい先日、レストランでスリを働いていた……
声かけてくるとか、正気か?
現場を見てたのに気付いて、脅しをかけておこうとかそういう……ことでも、なさそうだな。
うれしくてたまらないような表情をした男を見て、私はちょっとだけ引いた。
とりあえず、目の前の男から殺気とかが感じられないのは確かだ。
「もしかして俺のこと覚えててくれた? あれからずっと君のこと探してたんだけど、なかなか見つからなくって、やっと会えてめっちゃうれしい……!」
「……は?」
「君、水着のセンスサイコーだね! いや、本当、ありがとうございます」
私は、ぽかーんとした顔で男を見返した。
なに言ってんだこいつ。
なんで拝まれてるんだ、私。
頭おかしいのか?
「俺、マルコ。マルコ・エアーズ……って、あ、本名名乗っちゃった。はは。まあいいか」
勝手に手を取られて、ぶんぶんと握手をされた。
そこで私はようやく我に返った。
よく分からないけれど、こいつとは関わらない方がいいような気がする。
「泥棒となれ合う気はない」
ぺしっと手を払って、腕を引っ込める。
睨んでやったのに、マルコと名乗った男は余計にうれしそうに間合いを詰めてきた。
「えっすごい! やっぱり俺の仕事見えてたの? どんな視力してるのさ君。いや、さっきのもすごかったよ。よくあんな一瞬でグラス4つもキャッチ出来たよね」
早口で詰め寄られて、私はさらに引いた。
うん、今確信した。こいつ、絶対関わらない方がいい奴だ。
「良かったら名前教えて欲しいな。あ、あと出来れば部屋番号も……え? 無理? じゃあ俺の教えるから……」
「必要ない。あと、近寄るな」
「そんな冷たい……ああ、でも怒った顔もかわいい……」
「はあ?」
「あ、心の声が出ちゃってた」
なんなんだろう、この自分のペースがかき乱される感じは。
すっごい疲れるんだけど……
「あの、突然こんなことを言うと、驚かれるかもしれないんだけど」
もう十分びっくりだよ。
この私にこんなに食い下がってくるヤツ、なかなかいないだろ。
「……俺、君のこと運命だと思ってるんだ」
「はい?」
目が点だ。
「もし良かったら、俺と付き合ってくれませんか?」
「…………は?」
話してる内容が、全く理解できない。
というか、理解したくない。
そして最近、どこかでその「運命」とかいう二文字を聞いたことがあるような気がする。
「……冗談キツい」
完全スルーだ。
それがいい。そう決めた。
私は頬を染めて、うっとり私を見ているコソ泥に背を向けた。
変なヤツに会ってしまった。
今日はもう泳がなくていいから、帰ろう。
「待って待って! 無視しないで! せめて名前くらいは教えて!」
後ろから腕を掴まれたことで、私は完全にカチンときた。
振り向きざまにコソ泥のシャツと腕を掴んで、即座に腕に魔力をこめる。
「……っ教えるわけないだろ!」
一瞬、海に落とすという選択肢がよぎったけど、さすがにそれは死ぬだろうと思ったのでプールに投げ込むことに決めた。
コソ泥の体が大きく弧を描いて、プールのちょうどど真ん中、一番深いところめがけて落ちていく。
盛大な水しぶきがあがって、少しだけスッキリした。
周囲の人間が私のことを遠巻きにし始めたので、やっぱり泳がずに帰ることにする。
くそっ、せっかく運動出来ると思ったのに……
出だしから疲れることだらけな船旅に、ストレスがたまっていくのを感じた。
美威がなんと言おうと、今日は船中をランニングしてやる。
そう心に決めて、私はプールを後にした。
飛那姫とマルコの温度差がありすぎる回でした。
次回は、女子トーク(?)で盛り上がります。