魔道具屋の男
部屋に置いてある船内地図を片手に、私はソファーに転がった。
ハイドロマティック号に乗りこんで、今日で3日目。
まだ船の中は全部回れてないのよね。
「今日はどこに行こうかな~」
昨日のディナーの、このデッキと同じ階にあるレストランはおいしかった。その前の日のこっちのレストランもおいしかった。
あと食べに行っていないところはどこだろう。
何しろ乗船中は飲食ほぼ全てタダなので、あちこち食べ歩かねば損だと思う。
「あんまり食い歩いてると、デブるぞ」
私の考えていることを見透かしたように、前のソファーに沈んでいる飛那ちゃんが言った。
私よりよほど食べるくせに、ついているところにはついていて、くびれるところはバッチリくびれているズルい人には言われたくない。
「どうせ私は食べ過ぎるとすぐ太るわよっ。でもタダでおいしいもの食べられるのに、食べるの制限するなんてもったいないじゃない?!」
「じゃあ、その分動けばいい。私は運動不足で死にそうだ」
飛那ちゃんは剣の稽古をしたいらしいけど、船の中にはその場所がない。
彼女が愛剣を振り回すにはかなりのスペースが必要だし、何を壊されるか分からなくて恐ろしいので、場所がなくて良かったとも思う。
「私は今日こそプールに行くぞ。美威も少し運動しろ」
「私は泳げないんだけど?」
「知ってる。歩くだけでもいいから動いたらどうだ」
歩く? 水中ウォークって健康のためにお年寄りがやるとかいう、あれよね?
もしかしてこの人、私を強制的に運動させようとしてる?
……プールサイドでまったりお昼寝ならともかく、それは遠慮したい。
「私、今日はこれから魔道具屋に行こうと思ってるから、プールは飛那ちゃんだけで行ってきて」
特に予定にはなかったけど、危険を察知してそう答えておく。
地図にも「魔道具屋」の表示があるのは確かだし、各地の魔道具をチェックして歩くのはいつものことだ。
反対はされないだろう。
「ふーん……」
「私は魔道具屋を見ながら船の中を散歩してくるわ! それでも十分運動になるからっ!」
じとっとした目で見られたけど、飛那ちゃんはしぶしぶ了承してくれた。
私は彼女の気が変わらないうちにクローゼットからプールセットを出してくると、バッグに詰めて押しつけた。
「いってらっしゃい」
笑顔で部屋から押し出すと、ブツブツ言いながらも彼女はおとなしく出て行った。
危ない危ない。
飛那ちゃんの運動に付き合うとか、冗談でもパスだ。
翌日どれだけ筋肉痛になることか、今までの経験で嫌と言うほど知っている。
プールには行かないけれど、私も言った以上は本当に魔道具屋に行くかと部屋を出た。
5デッキの劇場手前に、小さい魔道具屋はあった。
主に生活用品が多いみたいだけど、壁際の棚には冒険者用の魔道具コーナーもちゃんとある。
置いてある商品は陸で買うより単価が高い。同じようなものでも少しずつグレードのいいものを扱っているようだった。
とりあえず今必要なものはないのよね。
さらっと見て、おやつでも買って帰るか……
そう思ってウィンドウショッピングをしていたら、見つけてしまった。
ガラスケースの向こうで、存在を主張している銀色に輝くコンパスを。
「高性能磁場センサー5方向検索方式、方位計測機能付高度コンパス……!」
その名もインパルス!!
発売されることを知ってから、ずっと欲しかった懐中時計型の最新式コンパス。
「冒険上級者の必需品」をコンセプトに売り出している、ロアー社の最新モデルだ。
実物はじめて見た!
値札は……35,000ダーツ。
はぁ、そりゃそうよね。
一番安いコンパスは1,000ダーツもしないのに。
そもそも個数限定で売り出している商品なので、お目にかかれただけでもラッキーだ。
どうしよう、欲しいけど、たかだかコンパスに3万超え……
いや、でもある意味大事なものだからたまには……
当初の予定より予算も少ないのだから、無駄遣いは控えた方がいいに決まっている。でも、どうしても欲しい。
別行動するとすぐに迷う、方向音痴の飛那ちゃんに持たせるためにも。
「うーん……」
10分ぐらいはそこで悩んでいた気がする。
それで、決心が付いた。
うん、買おう。
そう決意した瞬間に、後ろから手が伸びて、ガラスケース戸が引き開けられた。
きらりと銀色に光る洗練されたデザインのコンパスが、丁寧な手つきで取り出される。
(きゃーっ! 本物!)
ん? でも私まだ買うって言ってないよね?
私はコンパスを取り出した手の持ち主を振り返った。
長い紺色の髪に、グレーの瞳の男。
年上っぽい、涼しげな目元のちょっとしたイケメンだった。
同時に、男から薬品のような香りがした。
この匂いには覚えがある。というより、この魔道具屋にもかすかに漂っている。
魔道具の核を精製する過程で出てくる、不純物の出す匂い。
店員じゃなさそうだけど……
「あっ……」
そのままレジに持って行かれるコンパスを目で追って、私は理解した。
買うつもりなんだ、この人……!
「それ、今私が買おうと思ったヤツなんですけどっ?」
後ろからそう声をかけると、髪の長い男は気だるそうに振り返った。
「……もしやそうなのかと思って、先ほどから大分長い間後ろで待っていた。どうも買う気配が見受けられないので、私が買うことにしたのだが?」
「か、買いますよ。買うところだったんだもん」
悩んでいたところをずっと見られていたらしい。
ちょっと気まずくなって、私は言いよどむ。
「他人が買おうとするのを見て、惜しいと欲しくなる心理が働くのは理解できるが、私もこれを探していたので今更譲ることは出来ないな」
「えっ、ちがっ。私、本当に今買おうと思ったところだったの!」
意地の悪い言い方に、カチンとくる。
言い返す私を無視して男はレジにコンパスを置くと、さっさと支払いを済ませてしまった。
「同じの、在庫ありませんかっ?」
尋ねると、レジの中の店員は申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ございません、こちらはひとつしかお取り扱いがありませんもので……」
「そんなぁ……」
男が店員から箱に入れられたコンパスの包みを受け取る。
ちらっと私の方を見て、「悪いな」と欠片も悪そうに思っていない顔で一言だけ言うと、男は行ってしまった。
男の後ろから、小さい男の子が走ってついて行ったのが見えた。
その子が申し訳なさそうにこっちを振り返って、ぺこりとしてくれたけど。
「むぐぐぐ……」
ちょっとイケメンとか思って損した!
何あいつ! マジむかつく!!
飛那ちゃんの迷子センサー、じゃなくてコンパスがゲット出来なかった。
悔しくて私は帰り道にドーナツを3個とプリンを2個とアイスを2個買った。
もう! ヤケ食いしてやるんだから!!
部屋に帰ったらもう飛那ちゃんが戻っていた。
あれ? プール行ったんじゃなかったの?
なんか、飛那ちゃんまでイライラしてる。
おやつは当然のように半分取り上げられた。
「同じ船に乗っているかと思うと、吐き気がする」
飛那ちゃんが、謎の言葉を吐いた。
右に同じだ。
もう二度と会いたくないと思いながら、私は二つ目のドーナツに手を伸ばした。
ハイドロ号編、マルコに引き続き主要人物の一人が出てきました。名前その他はまた後話で。
美威は魔道具マニア。方向感覚はしっかりしています。
飛那姫はまっすぐの道でも迷うほどの方向音痴です。
船の中でも迷ってます。
次回は、プールサイドエンカウント。