襲撃の跡
(くやしい……)
その夜、ベッドに入った私は、なかなか寝付けずにいた。
兄様が城を出た理由が分かったのに。今すぐにその原因を作った本人を問い詰めてやりたいのに。
それが、出来ない。きっと、してもいいようにはならないから。
「ビヴォルザーク……」
昼間、王子がどこへ行ったか知らないかと、聞かれたことを思い出す。
よくそんなことを聞けたものだ。自分が行くよう仕向けたくせに。何も知らない私を、腹の底で笑っていたのか。
あの薄汚い大臣は、光の使徒団と関係があるのかもしれない。北の大国も、その背後にいるのかもしれない……
いずれにしても何も動けない自分がもどかしい。力がなくて、嫌になる。
兄様が無事かどうかも分からないのに、普段通り温かい部屋のベッドで侍女達に付き添われて、一人ぬくぬく眠ろうとしてる。
「最悪だわ……」
悔しくて、悲しくて、兄様が心配過ぎて涙がこぼれた。
考えれば考えるほど涙は止まらなくなって、頭から布団をかぶって、私はしばらく泣いた。
その夜は夢を見た。
母様と同じ明るい茶の髪と目をした兄様は、少し困り顔で私の頭を撫でてくれていた。
夢の中の私は、兄様にわがままばかり言っていた。
「本ばかり読んでいないで、お散歩に行きましょう」
「今日は一緒に遠乗りに出かけましょう」
「兄様だけ父様と城下町に視察なんて、ずるい!」
振り返れば、私はいつでも兄様に遊んで欲しいとか、かまって欲しいとか、ずるいとか、そんなことばかり言っていた気がする。
それでも兄様はいつも私に優しかった。
私がどれだけわがままを言っても、兄様はいつでも、どんな時でも、笑顔で私に接してくれた。
……これは罰だろうか。わがままばかり言っていた私への。
ああ、そうだ。きっと神様が怒って、私から兄様を取り上げてしまったんだ。
ごめんなさい、兄様。
ごめんなさい、神様。
どうか兄様を返してください。
もうわがままを言ったりしません。
兄様の勉強の邪魔をして、無理矢理外に引っ張り出したりしません。
本の虫とか馬鹿にしたりしないで、兄様を見習ってちゃんと勉強もします。
だから私に、兄様を返してください。
ごめんなさい。ごめんなさい……
翌朝、目が覚めた私を見た令蘭は慌てた。
そして心配そうに、腫れた目を冷たいタオルで冷やしてくれた。
なんだか朝食も食べたくない、と言うと、それはいけません、と却下され、いつものように着替えさせられた。
父様は朝から忙しいらしく、朝食は母様ととるようにとのことだった。
朝食の席での母様も、今日はさすがに口数が少ない。
料理長達には悪いけれど、おいしいとかよく分からないままに、ただ食べる。
結局半分くらい残して、食後に出されたお茶を飲んでいる時に、報せが入った。
「高絽様がお帰りになられたそうです」
東へ兄様を捜索に行っていた先生が帰ってきたのだ。
行儀が悪いと言われようがかまわない。私は椅子を鳴らして立ち上がり、令蘭が止めるのも聞かずに騎士団の到着場へ走った。
ロイヤルガードの任にあたっている護衛兵が2人、慌てて私の後を追いかけてきたけど、令蘭の足では到底私には追いつけないだろう。
でも、そんなことにかまっている場合じゃない。
鎧姿の騎士達の中、一人だけ鎧を身につけていない先生の姿は目立つ。
私は先生を見つけるなり、叫んだ。
「っ先生!!」
騎士団は半数ばかりが帰還して、到着場に集まっている。ここにいるのは、先生と一緒に城を出た兵士ばかりで、彼らによって馬車から荷物が降ろされているところだった。
その大きな荷物に目が釘付けになって、私は思わず足を止めた。
担架で下ろされている荷物の、布の下に見えたのは……
(腕……?)
「姫様! 何故このようなところに……!」
私に気付いた先生が険しい顔で叫ぶと、駆け寄ってきて私と馬車の間に立った。
視界が遮られて、はっと我に返る。
「先生、あ、あれ……」
「ご覧になっては、いけません……!」
そっと肩を押さえられて動けなくなったまま、私は胸の前で強く手を握りしめた。
動揺に心臓が波打っている。それに併せるかのように、体が小刻みに震える。
「護衛兵! 何故姫様をお止めしなかった?!」
珍しく、先生が声を荒げてロイヤルガードの二人を叱責した。
「「申し訳ありません……!」」
「先生、違うの。あの、私が勝手に飛び出して……だから、二人を怒らないで。それより……」
兄様は、と聞こうとして声が続かない。
怖い。
聞きたくない。
「姫様……蒼嵐王子は、見つかりませんでした。今、半数の部隊が行方を追っています。私も国王陛下にご報告次第、また戻るつもりですが……」
「見つからなかった……?」
「ええ、ですが……」
そこで言いにくそうに言葉を切って、先生は続けた。
「東岩の町へ向かう道の途中に、襲撃と戦闘の跡が見つかりました」
「……っ」
その言葉が意味するものにたどり着いて、私は愕然と先生の顔を見上げた。
「兄様が、襲われたの……?」
自分でそう口にしたら、足の力ががくんと抜けた。
その場に崩れ落ちる前に、先生の腕が私の体を横抱きに抱え上げた。
このまま先生の肩の向こうを覗けば、さっきの荷物が何だったのか、きっと分かる。
でも、そんなことをする勇気は無くて、私は震えの止まらない手で先生の胸元にしがみついた。
「姫様、お部屋に戻りましょう」
先生は静かにそれだけ言うと、私を抱えたまま、冷えた廊下を歩き始めた。