屋敷崩壊
扉の隙間からそっと中に入ってきたのは、青いワンピースの女の子だった。
「マリーさん」
美威がそう言った瞬間に、頭上を飛んでいた妖精がすごい速さで扉の隙間をすり抜けて出て行った。
マリーが驚いて少しよろけたけど、妖精の姿は見えなかったみたいだ。
「い、今の光は?」
部屋の中に入ってきたマリーは、扉の向こうを振り返りながら私達に尋ねた。
なんで彼女がここに来たのか、こっちが聞きたいところだけど。
とりあえず、美威が「逃げちゃったー!」ってバタバタしてるのは放っておくとして。
「なんでここに来た? 身代わりの件は引き受けると言ったはずだろ?」
私はマリーの質問には答えず、そう聞き返してやった。
彼女は一瞬ひるんだように息を飲んで私を見た。
そして、意を決した顔でがばっと頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「? 何が?」
「人身御供なんて嘘なんです! 守り神様のお告げなんて本当はなくて……!」
「ああ……」
はっきりそう言われれば納得だった。
あの小さい妖精が荒ぶる神とか言うのも、大分話がねじ曲がって伝わってるんじゃないかと思う。
しかしなんでそんな嘘をついたのか。
マリーは何度も謝りながら、暗い顔で私達に事情を話してくれた。
意に沿わぬ結婚をさせられそうなので、自分を死んだことにして交際中の男と逃げるところだったという話を。
「それはいわゆる一つの、駆け落ちってやつね?」
美威の言葉にマリーは、こくりと頷いた。
「でも……計画は失敗です。父が、傭兵を雇うなんて思わなかったから……」
「マリーさん、本当にお父さんがあなたを人身御供にすると思ってたの?」
美威の質問はもっともだ。
普通、娘の命を差し出してまで守り神とやらに従おうなんて考えないだろう。
そんな賭けに出たところで、ある意味失敗して当然だと思う。
「父はビジネスと家の繁栄の為なら何でもする人です。だから、うまくいくと思っていました……でも父にとっては、いるかいないか分からない守り神様のことよりも、私の結婚話をまとめることの方が重要だったみたいです」
「なんだか、世知がしこいお父様なのねぇ……」
全然信用がないんだな、ここの父親……
私はちょっと自分の父親のことを思い出してみる。
うん、父様だったら私を人身御供とか、絶対にないね。
家が栄えるなら娘を差し出してもいい父親なんて、いるのかな?
私にはよく分からない。
「それで、これからどうするの?」
「……父に、全部話して謝ろうかと」
「その恋人と結婚したいって、話せば分かってくれるんじゃない?」
「それは……無理だと思います」
悲しそうに笑うマリーには気の毒だけど、とりあえずちゃんと誤解は解いてもらわないとな。
ん? そういえば、守り神は退治したことにしちゃっていいのかな?
マリーの狂言で結果逃げちゃったとか言ったら、まずいんじゃ?
美威も同じ事を考えていたのか、妖精の出て行った扉をじっと見てから私を振り返る。
もう、なるようになるんじゃねぇか?
そう口を開こうと思った時だった。
ズン! という重く鈍い揺れが室内に走った。
パラパラと天井から砂埃が舞い落ちてくる。
「何だ?」
「上で何かあったのかしら」
揺れは一度では収まらなかった。
すぐにグラグラと足下ごと部屋が揺れ始める。
普通でない事態なのは確かだ。
あと、場所が悪い。
「崩れたら生き埋めじゃない? 飛那ちゃん、ひとまず出よう!」
その意見には賛成だ。
私達はすぐさま黒い扉を開けて部屋を出た。
円筒形の空間を壁伝いに上る螺旋階段に、マリーと美威を押しやって急かす。
「押さないで飛那ちゃん!」
「んなこと言ってる場合か! 10段くらい一足で上がれ!」
「飛那ちゃんと一緒にしないでくれる?!」
言い合う間にも足下は地響きを立てて揺れていた。
「マジで崩れるぞ! もういいからお前飛んでいけ!」
「その方が良さそうね……」
マリーを抱えて浮遊呪文で飛び上がった美威を見送ると、私もその後を跳びながら追った。すぐに出口の黒い扉が上の方に見えてくる。
壁が崩れ始めて、はがれ落ちた石が下に向かって落ちていった。
「急げ!」
体当たりする勢いで黒い扉をくぐり抜けた美威とマリーの後ろから、私も滑り込むように脱出する。
屋敷の中に出てみれば揺れは一層ひどくなっていて、立つことすらままならないのではと思えた。
「何?! 地震なの??!」
叫んだ美威の言うとおり、そうとしか思えない振動だ。
このままでは、建物すら危ない。
「外に出るぞ!」
手近な窓を割って壊すと、私は二人に向かって叫んだ。
叫ぶ言葉も地響きにかき消えそうだ。
美威とマリーは窓に足をかけてよじ登ると、なんとかそこから外に飛び出た。
「屋敷が……」
庭園まで走り抜けて振り返った屋敷は、それ自体が何かに揺さぶられているのかのように震えていた。
多分揺れ始めて、時間にして3分くらいだったろうと思う。
ギシギシ……ミシミシ……
軋んだ音を立てながら、2階建ての建物が崩れ落ちていくのを私達はなすすべもなく見ていた。
「あっ、飛那ちゃん! あそこ!」
美威が指さした先、屋敷があった場所の空を見上げると、あの妖精がいた。
相変わらずくるくる回りながら飛んでいる。
でも、振りまいているのは光の粉じゃなかった。
どす黒い、すすのような粉。
((不幸になれ!!))
「うわっ?!」
距離的に聞こえるはずもないだろうあのかわいい声が、耳のすぐ側から大音量で響いた。
音量いっぱいのスピーカーを、すぐ隣から鳴らされた気分だ。
「美威、あいつ幸運の妖精じゃなかったのか?!」
「えええっと……」
また図鑑をめくって、美威がページに目を走らせる。
あ、と何かに気付いたように呟いた。
「<注意> 恨みを買うような囲い方をすると、後々リバウンドが起こる可能性がありますので捕獲の際は十分ご注意ください」
「リバウンド?」
「ようするに、しっぺ返しってやつかしら」
妖精が直接屋敷を破壊しているわけじゃない。
でも直下型地震がここにだけ来たような、あり得ない天変地異が起きていた。
なんなんだ、あれは……!
((不幸になれ!!))
また妖精の声が、割れんがばかりの音量で頭の中に響いた。
マリーと美威が思わず耳をふさいだけど、無駄だろう。
声はかわいくても、言ってることと、そこにこもった恨みの思念がなんとも気分を悪くする。
「おいこら! 妖精! もうやめろ!!」
屋敷はもう半壊を通り越して全壊に近い状態だ。
中に人がいたとしたら絶望的だろう。
どこまでやれば気が済むのかは分からなかったが、妖精の所業を止めないわけにもいかなかった。
妖精は私の声なんかまるで聞こえていないように、空中を回り続けていた。
フワフワゆらゆらと、黒い粉が屋敷以外にも広がって降り注いでいる。
ぞくり、と二の腕に鳥肌が立った。
感覚の端に、不穏な気配を捕らえたのは美威も一緒だったみたいだ。
周囲を見回しながら、美威が私の肩に手を置いた。
「何か来る……飛那ちゃん、気をつけて」
「美威もな」
置かれた手から全身に軽い電流が走ったのは、美威が守護魔法をかけたせいだ。
それは敵が近いことを意味していた。
「多分、あの妖精が色々ヤバいのをここに呼んでるんだわ」
「この街中にか?」
「そうね……この住宅街の裏……城下門を超えて砂漠の方から来るわ」
美威が顔をあげて見た先には、灰色の雲のようなものが見えた。
目を細めてそれをよく見るヒマもなかった。
瞬きする間に風のような速度で流れてきた雲が、ロックモルト家の敷地上空になだれ込む。
一瞬で敷地内のすべてに影を落とした雲の中には、いくつもの黒い気配が見て取れた。
「絶界の盾!!」
美威の周りの空気が圧縮されたように歪んで、物理攻撃にも魔法攻撃にも有効な最強の盾が作り出される。
盾の完成と同時に雨のように降り注ぐ黒い無数の影が、明らかな敵意を持って私達に襲いかかってきた。
盾を持った美威は放置で問題ない。側にいるマリーも大丈夫だ。
夫妻やハイデンがどうなったか気にはなったが、今は確認出来る状況じゃなかった。
私は頭上から振り下ろされた攻撃を避けて、青白く輝く長剣を構えた。
「これ……全部異形か?」
すごい数だ。
小さいのから大きいのまで、曇天から降ちてくる影はどれも異形独特の冷気を放っていた。
最初から全力で叩いていかないと、と思いながらも、どれから斬っていいか悩むくらいの数がいる。
私は手近なところから、確実に一撃で仕留められるように剣を振るった。
一振りで二匹、交わして一匹。また交わして一匹。
くそ、囲まれた。
キリがないってこういうことを言うんじゃないのか?
「飛那ちゃん!」
異形の壁の向こうから美威の声がして、私を取り囲んでた6体くらいが燃え上がった。
赤い炎を身にまとわせた絶叫に、軽く眉をしかめる。
灰色の煙をあげて空中に溶けて行く異形達の向こうから、同じく異形に取り囲まれている美威とマリーの姿が現れた。
美威の盾の効力は信用してるけど、こういう場面はちょっと焦る。
「美威! 私は大丈夫だから、とりあえずこの敷地内から出ろ!」
そう叫ぶと、美威は首を横に振った。
「無理! 今この敷地内から異形が出て行かないように、カゴ作って囲い終わった所なのよ!」
「何だって?」
私は上を見上げた。
白っぽい線が四方八方に張り巡らされて空に編まれているのが分かった。
美威いわく「カゴ」ってやつだ。
捕獲用だから、中からは出ていけなくても外からはまだ入ってきてる。
「街中にこんな大量の異形放すつもりなの?! ここでさっさと全部片付けちゃって!」
「さっさと、ねぇ……」
「私は一文にもならないタダ働きなんてごめんだからね!」
「ああ……」
確かに、屋敷がこの有様では報酬は期待できないかもしれない。
全部片付けろとか簡単に言うなよな、と思いながらも私は神楽を一閃して2体を屠る。
((きゃははははは!!))
ぐわん、と笑い声が耳に響いた。
思わず耳をふさぎたくなる甲高い声だ。
あの妖精……いい加減にしやがれ!
ふわふわ浮いている妖精からは、もう黒い粉が落ちていなかった。
ここを滅茶苦茶にして気が済んだのかどうかは分からない。
でも私達、そもそもお前の恨みとは無関係だからな?
見境なく復讐するのは勘弁して欲しい。
異形を全部仕留めたら、あの妖精とっ捕まえて少しお仕置きした方がいいかも……
私は襲いかかってきた異形をなぎ払いながら、耳元でけたたましく笑う妖精の声に軽く舌打ちした。
「絶界の盾」や「カゴ」は美威のオリジナル魔法です。
白魔法には色んな種類の盾魔法があります。