忍び寄る不安
先生はいつもの穏やかな表情のまま、話し出した。
「今回の暴動は南の港町、花島で起こったものです。花島は貿易に重要な拠点の1つですから、物資の略奪、船を破壊するなどの行為で紗里真に打撃を与えたいというもくろみがあったようです。暴動の動機は”光の始祖だけを崇めよ”という王族統治に反旗をひるがえすもので、これまでと変わりは無いようでした」
「うむ」
「信者の中には傭兵もおり、今回は兵士にも多数の死傷者が出ました……」
その一言に、私の背中を寒いものが通り過ぎていった。
先生の話は淡々と簡潔に、どのように宗教団体を鎮圧して、リーダー格を拘留したかという話に及んだ。
「捕らえたリーダー格の男ですが……どうも色々知りすぎていたのを奇妙に思って問い詰め、裏を取りましたところ、この国に密偵がいるらしいことが分かりました」
「密偵だと?」
「はい」
密偵って、いわゆるスパイというやつだろうか。本で読んだことがある。
私は難しい顔の父様を振り返った。それって、もしかしたらまずいことなんじゃないの?
「城内部に使徒団と繋がっている者がいて、それが我が国の内情を探っていると言うことか?」
「はい。使徒団は軍の出撃情報も、事前に入手していたようです。私たちが鎮圧に向かうことを知っていて、道中に襲撃を受けました。被害は軽微でしたが……」
「ううむ……」
ちょっと待って。
道中に襲撃って……先生達が向かうルートまで分かってたってことだよね?
「先生、それは……軍の詳しい出撃情報を、前もって手に入れられる立場の人が、密偵ってことになるのでしょうか?」
私がそう口を開いたことで、父様と先生がこちらを振り向いた。
二人とも少し驚いた顔をしている。
「さすがは姫様。ご聡明で驚かされましたが、仰るとおりです」
先生は一つ頷いてみせると、父様に向き直った。
「城内部の情報が何者かによって流出しており、それが各地の使徒団信者に伝わっているのは事実のようです。誰が糸を引いているのかは早急に調査する次第ですが、少々時間がかかるかと」
「そうか。よく調べてくれた。しかし、そうか……情報が……」
父様は考え込むようにして、黙ってしまった。
ずっと横で話を聞いていた母様が、そこで初めて口を開いた。
「高絽先生、実は、東に向かった蒼嵐と連絡が取れないのです」
「何ですと? 王子がどちらへ?」
先生が少しだけ表情を固くして、母様に向き直る。
「東の山境にある、東岩という町です。東の方面での使徒団の調査にやっていた先遣隊から資料がまとまったとの連絡があって、護衛を連れて蒼嵐が出かけたのが6日前のことです」
「6日前……私が経ったすぐ後ですね。しかしなぜ王子が……他の者をやればよろしかったのでは?」
「蒼嵐が、安全だと分かっているところなら、自分が行きたいと。視察にもなるし、東の地でしか採れない薬草や鉱石を研究したいからと言い出して……」
兄様自らが直接町の視察になんか出かけていったのは、そういう背景があったのか。確かに、研究馬鹿な兄様なら不思議ではない。
「……連絡が取れないのはいつ頃からでしょうか?」
「城を立った翌日に、もうそろそろ東岩に入るから、心配いらないと。3日ほど滞在してから帰ると、伝書鳩で連絡がありました」
これがその手紙です。と、母様は一枚の紙をテーブルに置いた。
手紙を手に取ると、先生は内容に目を通して「王子の筆跡ではありませんね……」と呟いた。
私もガタン、と椅子から立ち上がって先生の側に寄ると、その手にある手紙をのぞき込んだ。
兄様の字じゃない。
お付きの侍従? 護衛の騎士団の誰か?
手紙を人に書かせることなんて珍しくない。きっと、兄様は薬草や鉱石を探すことに夢中で、誰かに代筆させただけだ。そうに決まってる。
そう思いながらも無性に不安になって、私は先生を見上げた。
先生は難しい顔をしたまま考えていたけれど、少しの後、手紙をたたんで母様に返した。
「恐れながら……状況的に、かなり早い段階で王子の隊が襲撃を受けた可能性があります」
「!」
先生……今、なんて言った?
襲撃? 兄様が?
さーっと全身から血の気が引いていくようだった。指の先まで一気に冷たくなっていくようで、気持ち悪い。
でも私よりももっと気持ち悪くなったのは、母様だったみたいだ。
母様はよろめいてテーブルに手をつくと、口元を押さえて震えていた。
「母様……」
側に寄って肩に手をかけると、私の手の上にそっと白い手が乗せられた。
「大丈夫よ、飛那姫、ありがとう……」
弱々しいながらも笑ってみせる母様に、心臓のあたりがしめつけられる思いがした。
「大丈夫よ……」
それは、誰に向けた言葉なのか。
言いようのない不安が私を襲った。
「国王様、私に精鋭隊を1隊、お預け願えますか?」
「許可しよう。騎士隊の指揮権限を与える。お前の正しいと思う方法で動くといい」
「御意。すぐに東へ立ちます。御前、失礼いたします」
先生は深く一礼すると、不安そうに見上げる私を振り返った。いつも兄様がしてくれているように少しだけ、頭をなでてくれる。
先生の手は兄様のより冷たいし、父様のより小さいけれど、この国を守ってくれる何よりも心強い手だ。
大丈夫。先生が向かってくれるなら、きっと大丈夫だ。
「姫様、行って参ります。私が戻るまでは周囲に気を配り、どうぞ警戒を怠らぬよう」
そして先生は騎士団を連れて、本当にすぐ城を発った。
(兄様……今、どこに……?)
先生の言葉に安堵したい気持ちを押し流すかのように、ぬぐいきれない不安は私の中でどんどん膨れ上がって渦を巻いていた。
少し年の離れた優しい兄は、飛那姫にとってかけがえのない家族です。