美威
(あったかい……)
ぼうっとする思考の中、意識がつながりはじめる。
播川村の看板を見つけた所までは覚えているのだが……頭の芯がどうにもすっきりしない。
伏せたままの視界の向こうが明るいのに気が付いて、美威はそっと目を開けた。
見慣れない天井。
不思議に思いながら視線だけを泳がせて、そこが小さい民家の中だと分かった。
すぐ側のいろりに、自分と同じくらいの子供が座って火箸を動かしている。
薄い茶色の髪に、同じ色の瞳。白い肌に、彫刻のような整った顔立ち。
(……綺麗な子だな)
すごく、綺麗な色をした子だと思った。
完璧って、こういう色と形を言うのかもしれないと、ぼんやりした頭なのにそれだけははっきりと感じた。
美威の視線に気付いたのか、その子はふいと顔を上げた。
「ああ……気が付いたか。どうだ? 調子は?」
その子、飛那姫は表情を変えずに美威に声をかけた。
「ここは……?」
かすれた声で、美威は尋ねた。
どうしてここにいるのか、思い出せなかったのだ。
「お前、倒れてたんだよ、納屋の前で。覚えてないか?」
「あなたが、助けて……?」
ぶっきらぼうな物言いをする飛那姫に向かって、美威はおずおずと聞いた。
「あんな寒いところに、転がしておくわけにはいかないだろ」
「……ありがとう」
「別にいらないよ、礼なんて」
冷たく聞こえるようにも取れる口調でそう言うと、飛那姫は立ち上がった。土間に下りて、食器の置いてある棚を開けに行く。
その背中を見ながら、美威はなんとなく、違和感を覚えた。
まず奇妙に思ったのは、彼女のその表情だった。怒っているのかと最初は思ったが、そうではないらしい。
無表情なのだ。
見たところ自分と同じくらいの歳なのに、何であんなに感情を押し殺した顔をしていられるのだろう。
(わたしは、いつも泣いてばかりなのに……)
それはすごいことのようにも、悲しいことのようにも思えた。
「腹減ってるんじゃないか?」
木製の器を持って来て再び美威の前に座ると、飛那姫はいろりの上に温まっていた鍋から豚汁をよそった。
「食べとけよ」
「あ、ありがとう……」
ずいと差し出された器を手にとって、美威はぼうっと飛那姫を見返した。
暖かい湯気と、おいしそうな匂いが鼻をくすぐる。
「遠慮はいらないよ。とっとと食べな」
「あ……はい」
確かにお腹は空いていたのだが、ある意味それは美威にとっていつものことで。
あまりにも唐突に目の前に現れた食べ物に、少し混乱する。それが飛那姫には遠慮して食べられないように見えたらしい。
「いいから、冷める前に食えって!」
「はい!」
あわてて言われるままに、さじですくって口をつけた。
温かい汁が喉を通ってお腹に落ちていくと、そこから熱がじわりと広がる。体の芯から温まっていくようだった。
そして思い出した。もうずっと、こうして温かい食べ物を口にしていなかったことを。
「……なに、泣いてんだよ」
飛那姫が少し驚いた顔で、問いかけた。
「ご、ごめんなさい……おいしい、です」
「変なヤツ……」
「あ、あたし東、美威です。助けてくれて、本当にありがとう」
「……私は、ひなだ」
「ひなさん……どうもありがとう」
美威はもう一口、豚汁をすすった。そこからは夢中で、器を空にするまで一気に食べた。ふう、と一息ついてから「ごちそうさまでした」と手を合わせる。
少し体が温まると、頭も動いてくるようだった。
「あの、ここって……一人で住んでいるんですか?」
飛那姫の他に誰もいないので、不思議に思って美威は尋ねた。
それ程広い家ではないが、小さい子供が独りで住んでいるとは考えにくい。
「いや……私は」
飛那姫が答えようとしたとき、いきなり入口の引き戸が開いた。
雪が吹き込んでくるのを遮るようにして、二人の老夫婦が飛び込んでくる。
「うわー、寒い寒い!」
「あら! 気が付いたのね、良かった!」
まるでお日様のような笑顔を浮かべて、琴がどかどかと座敷に上がり込んだ。
美威の前にドン、と風呂敷を下ろして、中の野菜と少しばかりの肉を見せてみせる。
「……?」
「今晩はね、これでおいしいもの作ってあげるから。ゆっくり休むんだよ」
豪快な笑い声をあげて、琴は美威の頭を撫でると水場に向かっていった。
あっけにとられていると、少し遅れて正がもそもそと飛那姫の側のいろりに陣取る。
「いやぁ、外は寒かった! 起きたんだな、嬢ちゃん。具合はどうだい?」
微笑んでそう聞かれて、美威はそれが自分に向けられた笑顔だと理解するのに、数秒かかってしまった。
人に、こうして優しく笑いかけられるのもずいぶんと久しぶりだ。
「は、はい……大丈夫です」
「そうかそうか、まあ無理しないで寝てなよ」
「ありがとう、ございます……」
ぼうっとしながら、美威は答えた。
これは夢なのだろうか。こんなに火に近い場所で、親切な人に付き添われて雪をしのいでいる。
そんな自分が信じられなかった。この状況をすぐに信じられるほど、置かれていた環境は美威に優しくなかったから。
あまりにひどいことが多すぎて、人の優しさなんて忘れてしまうほどに。
(夢でありませんように……)
「そうだひな、薬草新しいのとってきたから、先に包帯変えようか。出しておくれ」
「はーい」
琴にそう促されて、飛那姫は風呂敷の中を探りだした。
中から取り出した薬草はこの辺りで良く知られる、化膿止めの効能のあるものだった。
(怪我、してるのかな……?)
美威が見ている前で、琴が飛那姫の服をまくりあげて、背中にまいてあった包帯を取り始めた。
その傷を見た瞬間、美威はどきりとせずにはいられなかった。
(た、太刀傷……?)
大きく、斜めに走った傷跡は紛れもなく刃物でつけられた傷だった。傷はあらかた塞がっているようだったが、それにしてもひどい大怪我だ。
琴が薬草をもみほぐして飛那姫の背中にはりつけ、新しい包帯を巻いていくのを美威はぽかんとして見ていた。
それに気付いてか、正が美威の肩を軽く叩く。
「心配することはないよ。あれでもう大分、良くなったんだから」
「あ……は、はい」
(でも……何があったんだろう)
普通、こんな自分と同じくらいの子供が太刀傷など負うだろうか。野党に襲われた、とかいうのであればともかく……
美威は考えながら、落ち着かない気持ちで飛那姫を眺めた。
「……何?」
じーっと見ていたので、決まり悪そうに飛那姫が首を回した。
「あ、いえ。痛そうだなーと思って……」
「大したことないよ」
包帯を替え終わると、何でもなさそうに言ってのけて、飛那姫はいろりに薪をくべ始めた。
見ているだけで痛そうな、あの傷のどこら辺が大したことないというのだろう、と美威は少しだけ顔をしかめた。
(我慢強い子なんだなぁ……)
それが素直な感想だった。
きっと、自分だったら痛くてもっと泣いている。
しん、となった室内にぱちぱちといろりの炎が弾ける音と、表の雪の舞いすさぶ音が聞こえてきた。
「しかし本当に早く、この冬が終わらないかねえ……」
正が呆れるほど繰り返し続けたセリフを、今日もまた呟く。
その言葉に飛那姫がわずかだけ表情を曇らせたのを、美威は視界の端に垣間見たような気がした。
飛那姫のそっけなさは、色んなことに関わらせたくない彼女なりの優しさ。