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没落の王女  作者: 津南 優希
第二章 没落王女と家出少女
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美威

(あったかい……)


 ぼうっとする思考の中、意識がつながりはじめる。

 播川村(はりかわむら)の看板を見つけた所までは覚えているのだが……頭の芯がどうにもすっきりしない。


 伏せたままの視界の向こうが明るいのに気が付いて、美威はそっと目を開けた。

 見慣れない天井。

 不思議に思いながら視線だけを泳がせて、そこが小さい民家の中だと分かった。


 すぐ側のいろりに、自分と同じくらいの子供が座って火箸を動かしている。

 薄い茶色の髪に、同じ色の瞳。白い肌に、彫刻のような整った顔立ち。


(……綺麗な子だな)


 すごく、綺麗な色をした子だと思った。

 完璧って、こういう色と形を言うのかもしれないと、ぼんやりした頭なのにそれだけははっきりと感じた。

 美威の視線に気付いたのか、その子はふいと顔を上げた。


「ああ……気が付いたか。どうだ? 調子は?」


 その子、飛那姫は表情を変えずに美威に声をかけた。


「ここは……?」


 かすれた声で、美威は尋ねた。

 どうしてここにいるのか、思い出せなかったのだ。


「お前、倒れてたんだよ、納屋の前で。覚えてないか?」

「あなたが、助けて……?」


 ぶっきらぼうな物言いをする飛那姫に向かって、美威はおずおずと聞いた。


「あんな寒いところに、転がしておくわけにはいかないだろ」

「……ありがとう」

「別にいらないよ、礼なんて」


 冷たく聞こえるようにも取れる口調でそう言うと、飛那姫は立ち上がった。土間に下りて、食器の置いてある棚を開けに行く。


 その背中を見ながら、美威はなんとなく、違和感を覚えた。

 まず奇妙に思ったのは、彼女のその表情だった。怒っているのかと最初は思ったが、そうではないらしい。


 無表情なのだ。

 見たところ自分と同じくらいの歳なのに、何であんなに感情を押し殺した顔をしていられるのだろう。


(わたしは、いつも泣いてばかりなのに……)


 それはすごいことのようにも、悲しいことのようにも思えた。


「腹減ってるんじゃないか?」


 木製の器を持って来て再び美威の前に座ると、飛那姫はいろりの上に温まっていた鍋から豚汁をよそった。


「食べとけよ」

「あ、ありがとう……」


 ずいと差し出された器を手にとって、美威はぼうっと飛那姫を見返した。

 暖かい湯気と、おいしそうな匂いが鼻をくすぐる。


「遠慮はいらないよ。とっとと食べな」

「あ……はい」


 確かにお腹は空いていたのだが、ある意味それは美威にとっていつものことで。

 あまりにも唐突に目の前に現れた食べ物に、少し混乱する。それが飛那姫には遠慮して食べられないように見えたらしい。


「いいから、冷める前に食えって!」

「はい!」


 あわてて言われるままに、さじですくって口をつけた。

 温かい汁が喉を通ってお腹に落ちていくと、そこから熱がじわりと広がる。体の芯から温まっていくようだった。

 そして思い出した。もうずっと、こうして温かい食べ物を口にしていなかったことを。


「……なに、泣いてんだよ」


 飛那姫が少し驚いた顔で、問いかけた。


「ご、ごめんなさい……おいしい、です」

「変なヤツ……」

「あ、あたし東、美威(あずまみい)です。助けてくれて、本当にありがとう」

「……私は、ひなだ」

「ひなさん……どうもありがとう」


 美威はもう一口、豚汁をすすった。そこからは夢中で、器を空にするまで一気に食べた。ふう、と一息ついてから「ごちそうさまでした」と手を合わせる。

 少し体が温まると、頭も動いてくるようだった。


「あの、ここって……一人で住んでいるんですか?」


 飛那姫の他に誰もいないので、不思議に思って美威は尋ねた。

 それ程広い家ではないが、小さい子供が独りで住んでいるとは考えにくい。


「いや……私は」


 飛那姫が答えようとしたとき、いきなり入口の引き戸が開いた。

 雪が吹き込んでくるのを遮るようにして、二人の老夫婦が飛び込んでくる。


「うわー、寒い寒い!」

「あら! 気が付いたのね、良かった!」


 まるでお日様のような笑顔を浮かべて、琴がどかどかと座敷に上がり込んだ。

 美威の前にドン、と風呂敷を下ろして、中の野菜と少しばかりの肉を見せてみせる。


「……?」

「今晩はね、これでおいしいもの作ってあげるから。ゆっくり休むんだよ」


 豪快な笑い声をあげて、琴は美威の頭を撫でると水場に向かっていった。

 あっけにとられていると、少し遅れて正がもそもそと飛那姫の側のいろりに陣取る。


「いやぁ、外は寒かった! 起きたんだな、嬢ちゃん。具合はどうだい?」


 微笑んでそう聞かれて、美威はそれが自分に向けられた笑顔だと理解するのに、数秒かかってしまった。

 人に、こうして優しく笑いかけられるのもずいぶんと久しぶりだ。


「は、はい……大丈夫です」

「そうかそうか、まあ無理しないで寝てなよ」

「ありがとう、ございます……」


 ぼうっとしながら、美威は答えた。

 これは夢なのだろうか。こんなに火に近い場所で、親切な人に付き添われて雪をしのいでいる。

 そんな自分が信じられなかった。この状況をすぐに信じられるほど、置かれていた環境は美威に優しくなかったから。

 あまりにひどいことが多すぎて、人の優しさなんて忘れてしまうほどに。


(夢でありませんように……)


「そうだひな、薬草新しいのとってきたから、先に包帯変えようか。出しておくれ」

「はーい」


 琴にそう促されて、飛那姫は風呂敷の中を探りだした。

 中から取り出した薬草はこの辺りで良く知られる、化膿止めの効能のあるものだった。


(怪我、してるのかな……?)


 美威が見ている前で、琴が飛那姫の服をまくりあげて、背中にまいてあった包帯を取り始めた。

 その傷を見た瞬間、美威はどきりとせずにはいられなかった。


(た、太刀傷……?)


 大きく、斜めに走った傷跡は紛れもなく刃物でつけられた傷だった。傷はあらかた塞がっているようだったが、それにしてもひどい大怪我だ。

 琴が薬草をもみほぐして飛那姫の背中にはりつけ、新しい包帯を巻いていくのを美威はぽかんとして見ていた。

 それに気付いてか、正が美威の肩を軽く叩く。


「心配することはないよ。あれでもう大分、良くなったんだから」

「あ……は、はい」


(でも……何があったんだろう)


 普通、こんな自分と同じくらいの子供が太刀傷など負うだろうか。野党に襲われた、とかいうのであればともかく……

 美威は考えながら、落ち着かない気持ちで飛那姫を眺めた。


「……何?」 


 じーっと見ていたので、決まり悪そうに飛那姫が首を回した。


「あ、いえ。痛そうだなーと思って……」

「大したことないよ」


 包帯を替え終わると、何でもなさそうに言ってのけて、飛那姫はいろりに薪をくべ始めた。

 見ているだけで痛そうな、あの傷のどこら辺が大したことないというのだろう、と美威は少しだけ顔をしかめた。


(我慢強い子なんだなぁ……)


 それが素直な感想だった。

 きっと、自分だったら痛くてもっと泣いている。

 しん、となった室内にぱちぱちといろりの炎が弾ける音と、表の雪の舞いすさぶ音が聞こえてきた。


「しかし本当に早く、この冬が終わらないかねえ……」


 正が呆れるほど繰り返し続けたセリフを、今日もまた呟く。

 その言葉に飛那姫がわずかだけ表情を曇らせたのを、美威は視界の端に垣間見たような気がした。


飛那姫のそっけなさは、色んなことに関わらせたくない彼女なりの優しさ。

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