飛那姫
「嬢ちゃん、裏から薪を2本ばかしとってきてくれないか?」
いろりの火が弱まっているのを見て、暖をとっていた初老の男性はかまどの前の女の子にそう促した。
朝食の用意を手伝って野菜を刻んでいた女の子は、手を休めて振り向くと
「うんいいよ、2本ね」
と土間からはい上がった。
「ああ、悪いな」
「ちょっとおまえさん、薪なんか自分でとっておいでよ。この子は怪我人なんだよ?」
目の端をつり上げたのは、小太りの迫力ある中年女性だ。鍋をかき混ぜる手を休めずに、男に文句を飛ばす。
「あ、ああそうか。そうだったな」
「大丈夫だよ琴おばさん、すぐに取ってくる」
実際、怪我人とは思えないような身のこなしで勝手口に飛び降りると、子供はうひゃあ、また雪かー、などと空を見上げながら外に出ていった。
「しかし、なんだな今日は。また馬鹿に冷えるなあ……」
言い訳のように呟いて、男は子供の出ていった戸口を寒そうに眺めた。
「全く、ひなはああ言ってるけど、寒さは傷に響くんだよ」
「悪かったよ……だがなあ、本当にこの寒さは何とかならないもんか。今日は季節外れな雪だよ」
「そうだねえ、畑も困るしねえ」
男が季節外れというのも無理はないほど、今年の冬は長く続いている。
野菜の蓄えは十分にあるとはいえ、これ以上寒さが続くと村全体でかなり深刻な問題になりそうだった。
「でもねえ、なんだかこの冬が終わったら、あの子は家を出ていってしまうような気がするんだよ……」
「なんだって? 嬢ちゃんがか?」
「ええ、ひなが家に来てからもう半月だろう? あの時もこうして雪が降っていたじゃないか。あたしはたまに、あの子が冬そのものみたいに思えるときがあるんだよ。だから、冬が終わったら……ってね」
そう言って琴おばさん、と呼ばれていた女性はため息をもらした。
「俺には良く分かんねえが、もともと傷が癒えるまではって引き留めたのはこっちだろう? 傷が癒えたらそりゃ、行っちまっても不思議はないさ……」
しんみりしてきそうな雰囲気を振り払うように大げさに肩をたたくと、男は火箸でいろりをかき混ぜた。
ひなを見つけたのは、半月ほど前のことだった。
雪が止んだ朝、畑の様子を見に行った際に偶然出くわしたのだ。
背中にひどい太刀傷を負い、肋骨も何本か折れている状態で雪の中に倒れているのを見つけた時には、てっきり死んでいるものだと思った。
流れ出て失われた血も多く、普通なら死んでいてもおかしくない傷だったのだ。
そしてそれが、人によってつけられた傷であることは明白だった。
(……私にかまうな)
駆け寄って助け起こすなり、最初の言葉がそれだった。
(放っておいてくれ……もう、終わったんだ……)
幼い子供の言葉とは思えない口調で。
今にも消えてしまいそうな命とは思えないほど、意思の強い薄茶の瞳が二人を見返してきた。
(馬鹿言ってんじゃないよ! 何が終わったんだっていうんだい?! このまま放っていくわけにはいかないだろう?! とにかく家においで!)
有無を言わさないとばかりに叫んだのは、琴だった。
そんな琴に何かを言おうとしたまま、子供は気を失ってしまった。子供のいない夫婦は、この奇妙な子供を放っておけず、連れて帰って出来うる限りの手当てをした。
2日経って目覚めた後も、傷が治るまではここにいろと引き留めて、家においておくことになったのだが……
「全く、すごい生命力の持ち主だよあの子は」
ひな、と名乗った女の子の傷は尋常でない速さで、回復しているように見えた。
全身に魔力を行き渡らせれば、普通に動ける風に見せかけることが出来る。
この夫婦はそのことを知らないだけだったが、たった半月程度で、ひなが普通の人と同じように動けるようになっていたのも事実だった。
「あれから少しはあたし達に心を開いてくれるようになったけど、何があったのかは未だに教えてくれないねえ……」
ひなは太刀傷の訳はおろか、自分の家や親のことすら話そうとしない。
子供のいない2人には、この不憫で見目よい女の子がことのほか可愛く思えたのだが、どれほど優しく接してもひなは多くを語ろうとはしなかった。
「話したくないことを、無理に聞き出すこともないさ……」
自分たちが信用されていないとしても。
「そうだね……」
琴は寂しそうな笑いで、料理の続きにとりかかった。
瀕死の飛那姫でしたが、琴と正という2人の夫婦に拾われ、命をつなぎ止めます。
生きたい、と思えないのに、生かしたいと思う2人の優しさは、飛那姫にとって少し重たいのです。