夜明け前
氷雨は夜更け過ぎに雪に変わり、大地を白く染めていった。
(寒い……)
今年は冬の明けるのが酷く遅い。
旅立ちに今この時は向かなかっただろうかと、今更ながらに少し後悔する。
(……でも、もうあそこにはいられない)
美威は感覚のなくなった手のひらに息を吹きかけた。
この峠を越えれば隣村のはずだ。なるべく早く、なるべく遠いところまで行かなければならない。
お父さんもお母さんも、隣りのおばさんも、神社の神主さんも、村長さんも、いじめっ子達も、誰も、誰にも気付かれないところまで。
吹きすさぶ雪の中、10歳の子供の足でもうどれくらいの距離を歩いてきたのだろう。
震える足を気力だけで進めていると、登り坂が途切れた頃から村らしき灯りがちらほらと見えはじめてきた。
その小さな灯りに、心にも少しばかりの希望が灯る。
(あぁ……あと、もう少し)
もう少しで、灯りのある場所にたどり着ける。後はどこか厩でもいいから、一晩泊めてくれる家さえあれば……
そう思って安堵するのと同時に、不安が押し寄せてきた。
果たして、あの灯りのもとで暮らす人達は自分を受け入れてくれるだろうか。
ここでもまた、同じように自分は忌み嫌われるのだろうか。
(ばれなければいい……)
この呪われた、忌まわしい力のことを、知られなければいいのだ。
(普通にしていれば、いい……)
自身に言い聞かせて、冷たい夜の空気を肺の奥に吸い込んだ。
翳りを帯びた灰色の感情を押し出すかのように、そのまま天に向けて白い息を吐き出す。
透き通った冷たい空気は隅々にまでしみて、小さい体を中からも凍てつかせた。
頭上の木々の合間からは、低く重たい雲ばかりが見てとれた。
雲の切れ間からわずかに覗く金色の月を、素直に綺麗と思うことは出来なかった。
その原因は心の中にあるということも、分かってはいた。
全てを呪いたくなるような、自分の弱い心の中に。
「これからは、もっと……」
自分が、自分であることを認められるところで、生きるのだ。
もう誰にも、存在を否定されない場所へ……
小さく呟くと、美威は町へと続く山道を、既に感覚の無くなった足でまた歩き出した。