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没落の王女  作者: 津南 優希
第一章 滅びの王国備忘録
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エピローグ ~狂気の終焉~

「姫様……こういう時に手加減するのは、かえってひどいと思うな……」


 無意識に急所をそらしてしまった私の剣に目を落として、先生は呟いた。

 こんな状況なのに、どうしてこの人は笑えるのか。


 神楽を掴む手にはもう力が入らなかった。剣を投げ出して、今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたい。

 そんな衝動に駆られるのを察したかのように、先生は自分の体を貫いている神楽を私の手ごと握りしめた。

 黒い魔剣が床に転がって、カランと乾いた音を立てる。


 震えが止まらなかった。叫ぶことも出来ずに気がおかしくなりそうだった。

 剣を放したいのに、先生の手がそれを許さない。


「……こうなってみて、何故か……すごく晴れた気持ちなのは、どうしてかな」

「……?」

「もしかしたら、これが……私の本当に望んでいたことだった、のかもしれないね……」


 刃を伝う血がはたはたと落ちて、冷えた床に赤い血溜まりを作っていく。

 二人の手を同じもののように染め上げていく生温かさが、呪いのように全身を包みこむ錯覚を覚えた。


「……手を……手を、放してくださいっ!」


 叫んだ自分の声が、まるで悲鳴のように響いた。振り払おうと思っても、その手は石のように固まって動かない。

 先生は私の目を見つめたまま、深く息を吐いた。

 それはまるで、心の底から安堵したようなため息に思えた。


「これで……姫様の心から、私がいなくなることはないね……永遠に」


 その言葉に少し先の未来が見えた気がして、恐怖が湧き上がった。

 私の手を握る先生の指に、更に力がこもった。


「あなたが私と生きることを拒むのなら……あなたが死ぬその時まで、私という人間を背負って生きてくれればいい……あげるよ、この命」


 血を流しているのは先生なのに、私は自分の全身から血が流れ出ていくような、寒気を覚えた。

 先生の命なんて、いらない。

 力いっぱい首を横に振って、拒絶を示した。


「……嫌です……先生! お願いだから、手を放してっ!!」


 泣きながら懇願した。それが聞き入れられることはないと分かっていても。


「あなたが生まれた時から……側にいた。これからも、ずっと……そう在りたい」


 私が抗うことの出来ない強さで、腕ごと神楽が引き寄せられた。

 確実に急所に届く深さで刃が立てられる感触に、気が狂いそうな程抵抗したかった。

 この狂気を終わらせるにはそうしなくてはいけないはずなのに、これ以上はどうしても無理だと、軋んだ心が悲鳴をあげていた。


「やめて……!!」


 私は堪えきれずに、とうとう神楽の顕現を解いてしまった。

 青白い粒子が宙に溶けていくのと同時に、剣が刺さっていた胸元から血が噴き出して私の視界を赤く染めた。


 先生の手が力を失って私から離れていく。崩れ落ちる長身の体に思わず腕が伸びた。

 取り返しのつかない傷を負った重い体を受け止めたら、私の体の方が引き裂けてしまう気がした。

 温かい。この人は生きてる。

 かき抱くようにその身を抱きしめて、嗚咽を漏らした。


 でも、死んでしまう。


「……せんせぇ……っ!」


 ……なんなのだこれは。

 仇を取っても、狂気を終わらせても、いいことなんて何もなかった。

 たくさんの人が死んで、憎んで苦しんで、悲しみの上にまた悲しみを増やしただけじゃないか。

 こんな、こんなことのために私は……


「もう嫌ぁ……!!」


 吐き出した言葉すらも私を傷つけていた。

 狂わされていた。受け入れがたい残酷な現実の全てに。


「……姫、様……」


 顔を歪めた私を、か細い声が呼んだ。

 小刻みに震え続ける手で抱えた頭を床に横たえると、私を見上げる先生の静かな瞳と目が合った。


「覚えて……おいて、ほしい……本当に、大切に……思ってる……」

「せん、せ……」

「私を……忘れないで、ほしい……」


 頬に伸ばされた手を握り返したら、いつもよりずっと冷たくて、もう生きている人のものだとも思えなかった。

 先生の言葉にどう答えたら正しいのか、分からない。

 分からないけれど……最後まで拒絶することは出来なかった。


「忘れません……! ずっと、忘れません……!!」


 先生は満足そうに微笑むと、両の目を閉じた。

 静まりかえった空間とともに、無力で弱い自分だけがそこに取り残された。


 何が間違って、どこで狂って、私達はこんなところにたどり着いてしまったのか。

 もう十分過ぎるほどたくさんの死を見てきた。誰にとってもこれが終わりであればいいと、願わずにはいられなかった。

 呼吸を止めた体がだんだんと冷たく強ばっていく様を見ていたくなくて、私は先生の手を離すとその場を立った。

 冷えた涙が、先生の亡骸に落ちる。


 私はふらりと、工場を出た。

 2年前のあの日に通った道をまた辿るように、逃げるように私は駆け出した。

 背中も肋も、あちこちが熱を帯びてバラバラになりそうだった。それは私の体の限界が近いことを知らせていた。

 それでも、よろめきながらも私は足を前に進めた。



 振り返れば悪夢の連続だった。

 2年前、兄様が行方不明になった時から全てが始まったんだ。


 どんなに確かにそこに在るものも、一瞬の先に消えてなくなることを、ある日突然思い知らされた。

 濁りなくきれいに見えていたものが、本当の世界でなかったことを、知ってしまった。


 自分を支えていた、たった一つの約束さえ嘘だった。

 大切だった人をこの手で葬らなければ救えないなんて、分かりたくもなかった。


 この先の未来は、既に行き止まりの道にしか見えない。


(私には、何もない……)


 取り返しのつかないものを失いすぎた。そう考えて過ごすくらいなら、いっそ思考の全てを放棄してしまえばいい。それで楽になれるだろう。

 あがいて、どうにかして、自分の心を誤魔化す術を手に入れることなど、もう出来そうにない。


 今はただ、折り重なるように降ってきた悲しいことや、苦しいことを思い出さなくてもいい場所に行きたかった。

 生きている限りずっと背負っていかなくてはいけないこの重さを、どこかに下ろしてしまいたい。

 そう思いながらも、走って、歩き続ける自分を哀れには思いたくなかった。



 みぞれ混じりの冷たい雨が、雪に変わろうとしていた。

 体はあちこち軋んで、悲鳴をあげていた。

 魔力でも抑えることの出来なくなった激しい痛みで、なんとか意識を保っていることが出来た。


(もう終わりにしよう……)


 日は暮れて、王都を後にした私が進む暗い山道は、暗澹(あんたん)とした未来そのものに見えた。

 王女の誇りを持って生きてきた私は、今日きっと死ぬのだろう。


 なんの感情も浮かばず、ただ事実としてそのことを思いながら、私は闇の中に消えていった。


前章「滅びの王国備忘録」はこれで完結です。

ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

続く第1章もお楽しみいただけますと幸いです。

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