執着の行方
冷たい工場内に、金属の激しくぶつかり合う音が響いた。
本気で打ち込んだ神楽を難なく受け止めた黒い刃から、衝撃波が周囲に飛ぶ。師匠の魔法剣と打ち合った時とは違う、気味の悪い気配が私の腕に鳥肌を立てた。
「魔剣、煉獄……お目にかけるのは始めてだったかな?」
先生のふるう黒い魔剣は私の神楽を軽くいなしていった。
数度剣を交えただけで分かった。こんなんじゃダメだ、全然敵わない。
師匠でさえ敵わなかったのに、先生相手にどれだけの強さがあれば勝利が見えるのか、考えただけで気が遠くなる。
たたみかけるような連続技も、速さで勝負した横からの振り抜きも全て綺麗に交わされた。
私は全身を強化している魔力を更に上げると、立て続けに攻撃を仕掛けた。
神楽の剣気が今までにはない位、密度を増しているのを感じた。同じ量の魔力を流していても、一撃の威力が、重みが全然違う。
それなのに……自分の持てる限りの技全てが、少しも当たらない。
一瞬にこめられる最大の魔力を乗せて打ち込んだ、渾身の一撃すら正面から受け止められた。体ごと空中に投げ出される形ではじき返される。
「くっ……!」
(あきらめちゃダメだ……!)
絶対的な力の差を見せつけられても、動けるうちは、戦えるうちはあきらめちゃいけない。
父様や師匠の仇である、この人にだけは負けられない……!
(先生を、殺せるの?)
冷たい床に着地して、私は自問した言葉に唇を噛んだ。
過去の思い出が多すぎて、心の底から先生を憎むことが出来ない自分がいた。怒りで頭をいっぱいにしておかないと、思い出に飲み込まれてしまってもうこの人に剣を向けられなくなる。
あの頃と同じ笑顔を見せられたら、全てを許してしまいたくなる。
私は今までに光を帯びたことの無かった、神楽の緑色の宝石に魔力を流し込んだ。神楽全体を包んでいる光が、青から緑に色を変えた。
風属性の剣は、離れたところからでも攻撃を可能にする。
使ったことはなくとも感覚で分かる。私は渦巻く風の力を刃に乗せて、神楽を振り払った。
先生は向かってくる鋭い緑の斬撃を一瞥して、剣を構えた。黒い刃が下から上に向かって振り上げられると、その軌跡に乗るかのように緑の斬撃は方向を変えた。
「!」
爆発音を響かせて工場の屋根が吹き飛ぶ。
ガコン! ゴン! と床に落下してくる屋根の残骸を避けて、私は後ろに跳んだ。
これだけの威力の風の剣でもかすり傷すら与えられないなんて……!
切羽詰まった焦燥感で、息が詰まりそうだった。
次の瞬間、正面にいたはずの先生の姿が消えた。
いない……どこだ?!
「……本当は、こんなことをしたくはないんだ」
ぞくりとするような囁きがすぐ背後から聞こえてきて、右の肩口から斜めに焼け付くような痛みが走った。
「うあっ……!」
傷口から魔力が吸い取られるような感覚がして、私はその場に両手をついた。じわりと、自分の背中から生温かい血がにじみ出てくるのが分かった。
「予想以上に強くなったね。おかげであまり手加減が出来ない。逃げられてしまうことも考えるとこれは必要な措置なんだけれど、もちろん本意じゃない。大丈夫……致命傷じゃないよ、動けなくなる位に留めておくから」
「せんせ、い……!」
真剣で斬られたのは、はじめてじゃない。
でも、これまで戦ってきた相手とは違う。今私を斬り伏せたのは先生なのだ。
既に騙されていたと知りながら、先生が私を斬ったという事実はひどく私の心を揺さぶった。
心のどこかで先生が自分を害することはないと、そんな風に考えていたのだ。
自ら剣を向けておきながら、どれ程に甘い考えだったのだろう。
「もう、やめよう。無駄なことは……」
私の前に立った先生は、剣を横に下げた無防備な体勢に見えたけれど、全く隙がなかった。
神楽を握る手に力が入る。どこから斬り込めばこの人に刃が届くのか、分からない。
「どれほどに努力しても、私には敵わないよ。あなたのいるべき場所は私の隣以外にはないのだと……そろそろ理解してくれないかな? そうしたら、すぐにでも魔法士を呼んで傷を治させよう」
先生の声を聞いているうちに、体が強ばって心まで固まっていってしまう気がした。
勝てない。敵わない。
それが事実でも認める訳にはいかないのに、この人を止めなくてはいけないのに……
「姫様、もう頑張らなくていい。何も考えなくていいんだ……この先は私が、どんなに恐ろしいことからもあなたを守ると、約束する」
ズキン、ズキン、と熱を帯びていく痛みが、私から考える力を奪っていくように感じた。先生の言葉が弱った心に落ちて、染みていく。
あらがっても無駄なら、この人を受け入れて、昔のようにあらゆるものから守られて生きていくのも、悪くないのかもしれない。
限界なんてとうに超えていた。もうこれ以上恐ろしいのも、苦しいのも嫌だ。
この人を殺す代わりに、私の心を殺してしまえば、きっと楽になれる。
一歩、先生が私に踏み出した。
伸ばされた手のひらを見つめた私の右手から、神楽を握る力が緩んだ。
「一緒に、生きよう」
私の表情を見て何かを確信したように。薄い唇が緩やかな弧を描いた。
腰をかがめた先生の冷たい手が、頬に触れる。
(もう、どうでもいい……疲れた……)
生きて、幸せになりなさいと言った、父様の最期の言葉が思い出された。
(ごめんなさい、父様……)
最後まであきらめるなと、師匠の声が聞こえた気がした。
(師匠……私、弱いままだった……あんなにたくさん、教えてもらったのに……)
仇を討つことも、最強の剣士になることも、無理だったんだ。
流れていく涙を、頬に添えられた先生の指が拭っていった。
何のために流す涙なのか考えることすらわずらわしくて、思考を閉ざす。
全てをゆだねてしまおうと目を閉じかけた私の心の中に、もう一度師匠の声が響いた。
((あきらめるな飛那姫!))
「!」
はっと現実に引き戻されたら、冷静さを失った先生の顔が目の前にあった。
動きを止めたその足の甲に、懐かしい一振りの剣が突き立っていた。
私を励ますような赤い輝きを放つ、細身の剣が。
師匠の、魔法剣だった。
どうしてここに、と考えるまでもなかった。このほんの一瞬の隙を、見逃す訳にはいかない。
師匠が命をかけてまで作ってくれた時間だと、分かってしまったから。
私は神楽を握る手に再び力をこめた。無我夢中で、その一撃に残る全ての力を振り絞った。
骨の間を通って肉を貫く感触に、唇が震えた。
「……魔法剣に、こんな使い方があるとは……知らなかったな……」
先生が、冷えた笑いを浮かべてそう呟いた。
パキン、と陶器が欠けるような音を立てて、師匠の魔法剣は2つに割れると宙に溶けて消えていった。
時間が止まったような、静寂が訪れた。
神楽を握った私の手を、刃から流れ落ちてくる生温かい感触が伝っていく。
青白く光る刃が濃い紫の着物を赤く染めていくのを、凍り付いたように見ていた。
ゆっくりと私の前に、先生が膝をついた。
魔法剣は高性能な魔道具の一種。
使い切りの形で使えば、持ち主の意思で様々な特性を持たせることが可能。