3時の苦いお茶
「珍しいお菓子が手に入りましたので、午後のお茶に姫様をお呼びしたいと仰っております」
父様付きの侍従がやってきたのは、不在の先生に代わって、団長に新しい剣舞の型を教わっていた時だった。
屋内練習場の壁に掛けられた大時計を見上げる。
短針は2時過ぎを指していた。
父様が剣の稽古中の私を呼ぶときは、たいていお菓子で釣る。
そうしないと、稽古を切り上げないのを知っているからだろう。
「……3時に参りますとお伝えください」
「かしこまりました。お待ちしております」
お菓子に釣られた訳じゃない。父様はきっと私の顔が見たいのだ。親孝行と思って行ってあげなければ。うん。
団長には稽古のお礼を言って、退出する旨を伝える。
「姫様は剣舞にかけても天賦の才がおありですな。どの型も非常に美しくて、感心させられましたぞ」
「ありがとうございます、理堅様。また次回、続きを教えてくださいませ」
剣に関してはほめられると素直にうれしい。
特に剣を使った舞、剣舞はここ2年ほど一生懸命練習しているから上達が分かるとやる気が出る。
目標は父様のように立派に舞えるようになることなんだけど。
まあ、道のりはまだ遠いかな。
自分の記憶には残っていないけれど、私は2歳から剣を持ったらしい。
騎士団の稽古場に出向くのが散歩の日課となるほど剣が好きで、大人のまねをしておもちゃの剣を振り回しているのを見た父様が、本物の剣を与え、稽古をつけたのだという。
私は剣の才能に加えて生まれ持った魔力も高く、かなり貴重な存在ということで、奇跡だの、天才だの、国宝だのと言われている。
まあ、ある意味当然でしょう。
私、将来は世界最強の剣士になる予定だし。
一度部屋に戻って湯浴みを済ませ、清楚な着物に着替えさせてもらう。
着物は、東の国に古くからある装束だ。
袴ではないので、ドレス以上に動きづらいのだけど、嫌いじゃない。こう、気持ちが引き締まる感じがするのだ。
「飛那姫様、そろそろお時間ですから参りましょうか」
令蘭にそう促されて私は部屋を出た。
剣の稽古も大事だけど、おいしいお茶とあま~いお菓子の時間も大事だよね。
自然、足が早くなる。
自室がある東の塔から本塔へ渡る廊下までやってきて、向こうに見えた人影に私は思わず足を止めた。
姿が見えなくても、音で誰だか分かる。片足が悪いとかでいつも杖をついて歩いている、人を威嚇するようなあの音。
やせこけた頬の割に油っぽい肌。骨張った手。
黒に近い髪でも、先生の黒髪とは全く違う、美しさのないオールバック。
でも一番嫌いなのは、あのぎょろぎょろした目だ。
「これは姫様、ご機嫌うるわしいようで」
ああ、この濁った声も嫌いだったっけ。
既に60歳近い年齢だろうその男は、私に気が付くと廊下の端に下がって道を空け、うやうやしく礼をした。
これがこの国の大臣が一人、ビヴォルザークだ。
北の国と東の国の間に産まれた出生をちらつかせ、「国の架け橋」と称して、北の大国から紗里真に送り込まれてきた男。
大国間の人材交換なんて、ありがたくないプレゼントだ。この男を見てそう思うのは、私だけじゃないだろう。
「いつにも増して、姫様はお美しくていらっしゃいますな」
ビヴォルザークは顔を合わせる度に、こうやって粘着質な目で人をじろじろ見てくる。
私、あなたのこと大嫌いなの分かってる? 心底気持ち悪いからやめて欲しい。
出来ればそう言ってやりたい。言わないけどさ。
「ビヴォルザーク様、父様のところにおいででしたか?」
早くどっか行って欲しいな、と思いつつも私はそう返した。
「いえ、私は通信塔の修理が完了したとのことで、視察に参りました帰りです」
「そうでしたか、ご苦労様です」
通信塔は三日ほど前にあった落雷で、重要なアンテナが折れたと聞いている。
有事の際、真国間にある他の小国とのやりとりに必須の情報棟なので、技師達が総出で直していると聞いていたけれど、もう直ったのか。それは良かった。
「時に姫様……」
ぎょろりとした目を向けて、大臣は何か含むような笑みを浮かべた。
「王子が視察に出かけられたとのことですが、どちらへ行かれたかご存じですかな?」
「……いえ? 詳しい場所は存じません。東の方としか……」
「そうでしたか」
「なぜそのようなことを?」
いぶかしく思って聞き返すと、大臣は軽く手を振って不自然な笑みを返した。
「いえ、何。今進めている法案のことで、急ぎ王子にお聞きしたいことがあったのですが、私の知らぬ間にお出かけになられてしまったようで……」
「……そうですか」
居場所なら父様に聞けばいいだろうに。
なんとなく釈然としなかったが、まぁどうでもいい。この男と長話をしたくないので、私はさっさとその場を離れることにした。
父様の自室に着いて、令蘭が護衛の兵に来訪を告げると、重たそうな扉が中から開かれた。お茶会用の部屋ではなく、今日は自室で内々のティータイムということのようだ。
少し疲れた顔の父様と、いつも華やかな母様が表情を曇らせてお茶のテーブルについていた。
(何か、あったのかな……?)
そんな気配を感じて、私はわずかに眉をひそめた。
「父様、母様、ごきげんよう」
「おお飛那姫、来たか……まぁ座りなさい」
引かれた椅子に腰掛けると、若草色のお茶がカップに注がれていく。
昔ながらの取っ手のない湯飲みより、私はこの取っ手付カップの方が使いやすくてお気に入りだ。
珍しいお菓子というのはやはり口実だったようで、いつもの米を砕いて焼いた塩味のあられと、薄くのばして焼いた甘い卵のお菓子がテーブルに並んでいる。
「めずらしいお菓子って……聞きましたわ」
私は少しふくれて、父様を見た。
優しい父様は申し訳なさそうに、次は本当に用意しておくからと謝った。
「話があったのだ、飛那姫」
父様は少し緊張した母様の様子を横目で見ながら、そう切り出した。
父様が片手をあげると、侍女や兵達が、一礼してぞろぞろと扉から出て行く。
人払いが必要な内容らしい。
「お話とは何ですか? 父様」
「……うむ」
皆がいなくなったところで尋ねると、重たい口を開くように父様は話し出した。
「蒼嵐と……連絡が、取れないのだ」
父様の話は、6日前に出かけた兄様と連絡がつかないという内容だった。
日程としてはもうそろそろ帰路に着いていてもいい頃なのに、伝書鳩も飛んでこないこと。
現地の先遣隊にも連絡をやったのに、そちらも応答がないこと。
「蒼嵐には先にやった先遣隊と合流して、町の視察を行い、資料を取って帰ってくるように言ってあった。向かった先で激しい暴動が起きている訳ではないし、先遣隊の話では危険はないと言っていたので問題ないとは思うが……」
「父様、護衛には誰がついて行ったのですか?」
「第二精鋭隊の余戸と衣緒をつけてある」
その二人なら知っている。
騎士団でもトップクラスの精鋭隊にいる、隊長補佐の二人だ。剣の腕前も人柄も問題はない。
聞けば他にも騎士隊から6人、魔法士が2人、ついて行っているということだ。
それだけいたら道中に盗賊が襲ってこようと、人を襲うという化け物、異形が襲ってこようと大丈夫だと思うのだけれど。
「誰か、様子を見に行かせたのですか?」
「同じ精鋭隊から3人ほど選抜して向かわせるところだが……もし何かあったのだとしたらそれだけでは心許ないので、人選を急いでいる」
何かあったのだとしたら。
その「もし」を想像しただけで、背筋がすっと寒くなった。
「では……では、私も兄様を探しに行きます!」
「ばっ、馬鹿なことを言うではない!」
ぎょっとしたように、父様が落としていた視線を上げて私を見た。
「飛那姫、そんなことを言わせるためにそなたを呼んだのではないぞ。少し落ち着きなさい」
落ち着いてなんかいられるわけがない。
連絡が取れないだなんて、何かあったに違いないのだ。ここでただじっと待っているなんて、耐えられない。
「兄様の行方が分からないのでしょう? 私だって馬に乗れますし、捜しに行くことくらい出来ます!」
「そういう問題ではない、其方は王女なのだぞ?」
「王女ですけれど、兄様の妹でもあります!」
憤った私が椅子から立ち上がりかけたところで、コンコン、と扉をノックする音が聞こえてきた。
「ご歓談中、失礼いたします。天海高絽、ただいま戻りました。至急、国王陛下のお耳に入れたいことがあり、参上いたしました。入室をお許しいただけますでしょうか」
先生の声だった。
例の宗教団体の鎮圧、もう終わったのだろうか。
「許す、入れ高絽」
「はっ」
先生は一礼して部屋に入ってくると、私を見て少しだけ目を細めた。
先日のかやく事件のことは、もう忘れていて欲しい。
「至急伝えたいこととは何か?」
「はい、光の使徒団についての新しい情報です」
「聞こう」
光の使徒団。その言葉にピリッとした緊張が走った。
今は、父様も母様も私も、その名前には敏感だ。
どんな情報でもいい。兄様につながるものが欲しい。
祈るような気持ちで、私は先生が続ける言葉を待った。