生き残りの忠義
玉座の間にいる兵士達は、私を討とうという気になればすぐにでも向かって来るだろう。
神楽の炎を見て、攻撃をためらっている今がチャンスだ。
盾を壊した私は、即座に斉画王を仕留めようと踏み込んだ。
剣を振りかぶったところで、斉画王の隣にいた解里が右手をあげたのが見えた。その手に、銀色の筒状のものが握られているのに気付く。
勘が、このまま踏み込むなと言っていた。
私は横に跳んだ。
解里の持った銀色の筒の先端から何かが向かってきて、私のすぐ横を通り過ぎていった。
「ぐあっ!」
背後にいた一人の兵士が、胸を押さえて跪いた。
押さえたところから、血が広がっていく。
「ああ、せっかく近くで狙えたと思ったのに……」
解里はそう言って、銀色の筒を再び私に向けた。
そこに魔力が集中するのを感じた瞬間、何かがこちらに向けて放たれた。
「……っ!」
魔力を眼に集中して動体視力を上げたら、太い矢のような魔道具がかすかに見えた。
このスピードなら避けることは出来る。
体をねじって矢を交わした私の後ろで、また兵士の悲鳴があがった。
「馬鹿者、外れたではないか。弾の無駄遣いをするな」
斉画王がいまいましげに舌打ちする。
玉座から立ち上がった様子から、逃走も視野に入れているかもしれないと思えた。
魔法士が二人、斉画王の前に立って新しい盾を展開した。
その周りにも、既に兵士が集まりはじめていた。
(くそ……人数が多すぎる)
薙ぎ払うことは出来る。
でも、その場合に殺さない加減なんて出来ないのだ。
標的以外を殺さずにすまそうだなんて、やはり甘い考えなのか……
「生身の人間がこれを避けられるとは。恐ろしい姫様ですね」
解里は自分の攻撃で兵士が倒れることをなんら気にせず、矢を続けざまに放ってきた。
下手な飛び道具はいくら撃ったって、私には当たらない。
(全部、見えてる)
向かってきた矢の先端に集中して、剣を縦に薙ぎ払った。
ギン! と金属が弾ける音がして、方向を変えた矢が解里に飛んで返る。
鈍い衝突音がして、解里は私に向けていた銀色の筒をだらりと下げた。
「え……あれ?」
呟いた解里は、自分の胸元を見下ろしていた。
そこに刺さっているのは、たった今私に向けて放ったはずの金属の矢だ。
斉画王に張り付いて盾の中にいれば良かったものを……私を追うのに夢中で、フラフラと前に出てくるからそうなるんだ。
狙った訳ではなかったが、結果的に持ち主に返すことになった矢を見て私は唇を噛んだ。
どうしてだろう。
憎い相手のはずなのに、傷ついて倒れるのを見ると苦い気持ちしか残らない。
「お見事ですね、王女様……いえ、末恐ろしいというべきか。国宝神楽の主だけのことはあります」
床に崩れ落ちる解里を見ながら、斉画王は拍手をしていた。笑っていた。
冷酷な性格に今更驚くこともないが、どうしようもなく胸は悪くなる。
「……狂った王め」
「狂う? 私はこの通り正常ですよ。駒が無くなることをいちいち気にするあなたがおかしいのです。ここにいる者達は副大臣だろうが兵士だろうが、私にとってみんなただの駒。いわゆる使い捨てですよ」
「兵士は、使い捨てなんかじゃない……!」
当たり前の道理を子供に諭すような言い方に、私は吐き捨てるように返した。
そんなものが、正しい考え方のはずがない。
「歩兵にも騎士にも家族がいる。死ねば泣いて悲しむ人がいる。お前にはそういう人がいないから分からないんだろう!」
「家族? そうですね、私にはいません。あなたと同じです」
「……っ私の家族は! お前が……!!」
斉画王は盾の中で笑っていた。
「ええ、あなたのお父上、実に潔い最期でした。無抵抗でしたよ……その、ちょうどあなたが立っているところあたりで、一突きでした」
「……!」
ざわりと、全身にいい知れない悪寒が走った。
「とどめを差したのは私ではないのですが、よく覚えています」
「斉画王……っ貴様……!」
自分の立っている場所から血がしみ出てくるように感じて、足が震えた。
私自身が刺されたかのように、心臓が痛く感じた。
父様は、どれほどの痛みだったか……
「貴様だけは、絶対に殺してやる…!」
「いえ、それは無理だと思いますよ。いくらあなたが強くなったからと言っても……」
斉画王はそう言いながら、ひとつのボールを取り出した。
両の手のひらにちょうど収まるくらいのボールの中には、ぐるぐると灰色の煙が渦巻いていた。
斉画王はそれを目の前に持ち上げて私に見せた。
「これは、私が今開発中の攻撃用魔道具です。一度、ちゃんと試してみたかったので、ちょうど良かったです」
「……何?」
「ここのスイッチを押して投げるだけの、いたってシンプルな作りで、誰にでも扱えるのですよ。量産して他国に売りさばく予定なのですが……爆破の威力の程が未知でしてね。人を使って実験していなかったものですから。ここにいる兵士達は……ああ、50人位はいますね。あなたも含めて、これが一度に死ねば、成功ということになります」
「お前は、何を言って……?」
「言ったでしょう? 兵士は使い捨てで良いのです」
ここにいる全員を巻き込んで魔道具の実験をすると、そう言っているように聞こえた。
いや、間違いなくそのつもりなのだろう。
自分の兵士も、敵も味方も関係がないのだ、この男には。
「投げるのに腕力は必要ありません。起動した上で、盾の外に転がすことさえ出来ればいいのですから」
そう言って、斉画王はなんのためらいもなくボールの上部にある赤いスイッチを押そうとした。
「やめっ……」
その先にある惨状を思い浮かべた私が、魔法士の盾に全力で攻撃を仕掛けようとした時。
斉画王が顔色を変えた。
手に持っていた攻撃用魔道具を、横に立っていた兵士が奪い取ったのだ。
「と、取ったぞ!」
ボールを手にした歩兵が叫ぶと、その隣りにいた歩兵も叫んだ。
「そこの魔法士! 盾を解除しろ! でないとこの中でこいつを爆破させるぞ?!」
盾の中、斉画王の隣に並んでいた数人の兵士が、魔法士を脅して盾を解除させるのを、私は呆気にとられて見ていた。
「お前達! どういうつもりだ……!」
狼狽しきった顔の斉画王は、もう笑ってはいなかった。
十数名の兵士達が、ぞろぞろと斉画王を取り囲んでいく。
「斉画王……姫様の仰るとおり、お前には家族を失ったものの気持ちは分からないだろう」
「鮮血の31日に、精鋭隊だった俺の兄を殺したのはお前だ……」
「おれも、お前に家族を殺された一人だ!」
怨嗟の言葉が、斉画王の周りをうずまいていた。
兵士達を包んでいる、恨みのもやのようなものが目で見えるような気がした。
私もきっと、彼らと同じだと思った。
正気でいる紗里真の兵士が残っていたことはうれしかった。
一人だと思っていた戦いに、助けがあったことも。
でも、心の底から喜ぶことが出来ない自分がいた。
誰かを殺したいほど深い思いを背負って、あの日から生きてきたのはこの人達も同じだったのだ。
それは喜ぶことよりも、ぞっとすることのように思えた。
(なんで、今まで気付かなかったんだろう……)
苦しいのは自分だけだと思っていた。
民のことも、兵のことも私は考えていなかった。
それがたまらなく情けなかった。
「やめろ……お前達、こんなことをしてどうなるか……ぐっ!」
押さえ込まれて兵士の一人に腹を蹴り上げられた斉画王が、顔を歪めて激しく咳き込んだ。
2年越しの恨みを兵士達から浴びせられる斉画王から、私は目を背けた。
この玉座の間にいる全員が紗里真の兵士ではないだろうに、誰も自分たちの王を助けようとする者はいなかった。
「やめ……やめろ……こんな、馬鹿なことが……」
殴打の鈍い音とうめき声の中に、斉画王の声がどんどんかすれていった。
気を失ったところに、足に剣を突き立てた兵士がいた。
それを見ていた他の兵士も、剣を抜いた。
「ぐあぁっ……!」
致命傷を与えないように、急所を外して刺さったいくつかの剣が、兵士達の恨みの深さを表していた。
無理はない。それだけのことをこの男はみんなにした。
でも、それでも……
「もうやめて!!」
私が叫んだことで、兵士達が動きを止めた。
打って変わった静寂に、斉画王のうめき声と呼吸音だけが響き渡る。
「もう、いい……そんなことをしても、死んだ人間は還らない」
「姫様! しかしこいつは……!」
「あの時……みんなを助けられなくて、すまなかった」
謝罪の言葉に、兵士の視線が私に集中したのが分かった。
断罪されるべきなのは、自分かもしれないと思った。
「私だけ逃がされて、今日までこうして生きてきてしまった……町の暮らしも、兵達の苦しみも知らずに、今日まで……」
「姫様! それは違います!」
私の言葉を遮るかのように、斉画王を掴んでいた兵士がその手を離して言った。
「あの時に、姫様や国王様を守れなかったのは自分たちなんです!」
「罪があるのは我らでしょう。国王をお守り出来ず、なんのための兵だったのか……」
「姫様がご存命であられることは、皆が知っておりました。それを喜びこそすれ、恨んだ者などおりません」
「今日まで反逆の機会を探り、皆と堪え忍んでこの狂王に仕えてきました……こうして積年の恨みを晴らすことが出来るのは、姫様のおかげです」
「姫様がここに戻られたと聞いた時から、今度こそ皆でお守りしようと誓っておりました」
口々に、兵士達が私を弁護しはじめた。
私を責める者は、誰もいなかった。
「みんな……ありがとう」
良かった。
私を恨んでいるものがいないことが良かったのじゃない。
紗里真は、父様の国はまだここにあった。
それが分かっただけでも、ここに帰ってきて良かった。
皆が背負ってきた苦しみを、今日で終わらせる。
終わらせられる。
「大臣は……どこにいる?」
泣き出したいのを堪えて、私はもう一つの標的の居場所を尋ねた。
忘れてはいけない、私の本当の敵はあいつなのだ。
「おそらく、魔道具の生産工場にいるかと」
「私共もお供いたします」
兵士達の何人かが前に出て、案内役を買ってくれた。
「この玉座の間を出れば、斉画王の兵士は姫様に剣を向けるでしょう。綺羅の兵は紗里真に忠誠を誓った兵が抑えます。皆、号令の時を待っている者ばかりですから」
「ありがとう、助かる」
「行きましょう」
兵士達の手によって、扉が外に向かって開け放たれる。
走り出す兵士達の後に続く。
私は一人で背負った気になっていた重い何かをそこに置いて、玉座の間を飛び出して行った。
忠義――主君や国家にまごころを尽くして仕えること「広辞苑第六版より」




