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没落の王女  作者: 津南 優希
第一章 滅びの王国備忘録
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足りない覚悟

「飛那姫、野宿はやめて俺の家に戻る……って言ったら、お前どうする?」


 昼食の席で、師匠が唐突にそう言った。

 一瞬耳を疑ったけど、どうやら本気みたいだ。

 寝過ぎで寝ぼけてる……とかでもないよね?

 私よりもっと驚いた顔をしたのは、向かいに座っている杏里さんだった。


「ここは紗里真に近すぎるから危ないって言ったのは、師匠じゃなかったっけ?」


 ずっとそう言って、東岩に近寄らなかった人の言葉とは思えない。


「灯台もと暗しって言うだろ? それも意外と悪くないかもと思ってな」

「ふーん……」


 こんな近くにいると思ってないだろうから、逆に見つかりにくいってことかな?

 でもこの町にいたら、杏里さんに迷惑がかかったりしないだろうか。

 心配になって目の前の杏里さんの顔を覗ってみたら、なんだか複雑な表情をしていた。

 気のせいか頬が少し紅潮してて、目が潤んでる気がする。


(あれ? もしかしてすごい喜んでる?)


 そっか。師匠がここにいたら、きっと杏里さんはうれしいんだ。

 そう思ったら、ここに留まるのも悪くないように思えてきた。

 楽観かもしれないけれど、何とかなるんじゃないかって。


「私はいいよ。師匠の家なら杏里さんにも笹目にも会えるし。野宿しなくてすむし」

「そっか。じゃ、いつまでいれるか分からねえけど、ひとまずそうすっか」

「うん」



 昼食の後、私と師匠は一旦自宅の様子を見に行くことにした。

 町外れの坂道を上りながら、私は1年前にあった戦闘のことを思い出していた。

 あの時の空に広がっていた薄い鈍色の雲。

 野原の一本道を歩く兵達。

 近づく風景に、ざわりと心が揺れる。


 はじめて人を殺めた感覚は、あの後幾度となく私に悪夢を見せた。

 言葉に出来ない、重苦しい何かを背負ってしまったら、もうそれを下ろすことは一生出来ないと思えた。

 未だに薄らぐことのない罪悪感を、覚悟に変えようと努力もした。


 これまでに綺羅の追っ手とは何度も対面した。

 致命傷を与えずに戦意を喪失させるくらいには、私も戦えるようになった。

 甘い考えかもしれないけれど、出来るだけ誰かの命を奪うことはしたくなかった。

 いつも精鋭隊の兵士達と言葉を、剣を交えていた私は知っているから。

 あの一人一人の兵にも家族がいて、帰りを待っている人がいて、死ねば悲しむ人がいるだろうことを。


 でもそれに気付いて考えてしまうと、もう剣を振るうことは出来なくなってしまう。正気を保つことさえ、難しくなる。

 近い未来には、みんなの仇を討つために綺羅の国に行かなくてはいけない。

 そこで待っているのは、あの腐った王と大臣だけではないのに。

 目的を果たすために立ちふさがる障害があれば、私はそれを排除しなければならないのに。


 そう考えること自体が、私の気を重くした。

 時が来るまでは少しでもそのことを考えたくないと思ってしまう弱虫な自分がいて、師匠の家にこうしてたどり着いた今も、ここで自分がしたことから目を背けようとしてる。


 迷いのない心が欲しい。

 強い心が。


「飛那姫」


 名前を呼ばれて顔を上げたら、玄関の扉に手をかけた師匠が心配そうな顔でこちらを見ていた。

 いけない、多分……今ひどい顔をしていたに違いない。

 そう気付いて、私は無理に笑顔を作ってみせた。


「久しぶりだね、この家! わっ、蜘蛛の巣だらけじゃん! 日が暮れる前に掃除しないと寝るとこないんじゃないの?」


 玄関をくぐって家の中に入ると、私はなるべく明るい声でそう言った。


「布団は新しく買ってくるか。この間稼いだ金にまだ余裕があるから、食料も一緒にな」


 師匠は私の様子に気付かないふりをしてくれたようだった。


「じゃあ私掃除してる。師匠、買い物に行ってきてよ」

「ああ、そうするか……一人で平気か?」

「平気に決まってるじゃん。もう多少敵が出たって、負けないよ」

「……そうだな」


 師匠は私の頭をポンポンといつものように叩くと、何か言いたそうな顔をしたまま買い物に出かけていった。


 平気じゃない。

 全然、平気じゃなかった。

 草の上に倒れていた兵士達。

 紅く染まった神楽を握りしめた自分。

 何を思いだしても平気でなんかいられるわけがなかった。


 でもそれを口にするわけにはいかない。

 特に師匠には言っちゃいけない。

 私が先生との約束に縛られて、意に沿わない復讐をしようとしてると考えている師匠には。


(それが本当のことでも、本当にしちゃだめなんだ……)


 水道の蛇口をひねったら、水はちゃんと出た。

 にごった水が、ほこりのたまった洗い場を流れていく。

 そばにあったぞうきんを手に取ったら、布とは思えないくらいカサカサに固まっていた。


 あれから1年も経ったんだ。

 私は9歳になって、今まだここに生きている。

 いつ仇を討ちに行くかは決めていない。


 神楽を覚醒させるのに成功したら?

 季節が変わったら?

 10歳になったら?


 それとも、今すぐ?


「……っ」


 なんとも言えない気持ち悪さがこみ上げてきて、私は口元を抑えた。

 酸っぱい味が、胃からのどにせり上がってくる。


「……だめだ、こんなんじゃ……」


 こんなんじゃ、みんなの仇なんて討てない。

 魔道具に頼っただけの男と、魔力も何もない非力な男。

 たった二人を奇襲するだけなら、もう十分私は強い。

 まだ城に向かえない理由が、自分の心の問題だってことは分かってる。


 私は立てかけてあったホウキを手に取った。

 ほこりっぽい家の中を掃き出しながら、ふとこの家にずっと住むことを想像してみる。

 師匠がいて、杏里さんがいて、笹目がいて。

 私は最強の剣士になるためだけに、毎日剣の稽古をして暮らすんだ。

 もっと大きくなったら傭兵になって、世界を旅する。

 色んなものを見て、綺麗なものだけを探して、毎日楽しく生きていくんだ。


「……馬鹿みたい」


 くだらない想像をした自分を笑いたくなる。

 なんの覚悟もなく、甘ったれてわがままばかり言っていた王女だった頃の自分と、変わってないんじゃないか。

 そう思えた。


 いつだったか、母様が絵本を読んでくれた時に話していたことを思い出す。

 何の絵本だったかも覚えていないけれど、その時の母様の言葉はすごく印象に残っていた。


「飛那姫、人は好きなことや楽なことだけを望んでは生きていけないの。皆、それぞれに苦しいことや悲しいことや、辛いことがあって、楽しいことがまた楽しいと思えるようになるものよ」


 どうして今、それを思い出したのだろう。

 母様の優しい声がすぐ傍らから聞こえた気がして、久しぶりに私はすごく心細くなった。


「母様……」


 こぼれそうになる涙をかみ殺して、私はもくもくと掃除を続けた。

 何もない空間に響く床を掃く音が、私の心に広がった寂しい気持ちをいっそう大きくしていった。


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