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没落の王女  作者: 津南 優希
第一章 滅びの王国備忘録
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残された時間の使い方

 町医師の弦洛は大して疲れた風でもなく、相変わらずの無愛想な顔で再訪した。

 昨日夜中に飛んで来て、朝方帰ったばかりだった気がするんだが……そうとは思えぬ涼しい顔だ。


 さっきから耳に下げた心音器とやらを人の背中に当てて、注意深く何かを聞いている。


「左の腕をあげろ」

「……へい」

「そのまま前に倒せ。背中に痛みはあるか?」

「引きつれるような感じがする」

「息を吸え。吐け……もう一度吸って止めろ」

「先生よぉ」

「しゃべるな」

「……」


 しばらくそんな事を繰り返して一通りの診察が済んだのか、弦洛は心音器をカバンにしまいながら椅子に腰掛け直した。

 代わりに、針のついた筒みたいなのを取り出す。


「腕を出せ。どっちでもいい」

「……」


 俺が黙って腕を出すと、弦洛はそこに針を立てた。

 地味に痛い。

 患者に対して優しさのかけらも感じられない手つきなのが、原因なんじゃねえか?


「お前はつくづく馬鹿だ」


 針を刺した跡を拭き取ると、弦洛はそういって道具類を片付け始めた。

 そんなことは分かってるし、今更なんだが。


「これでも少しは利口になったと思ってたんだがなぁ」

「何を根拠に? 馬鹿が増しただけだろう。1年以上も経って、もう死んだかと思っていたら突然帰ってきて人を真夜中の往診に駆り出すとは……どれだけ杏里に負担を与えるつもりだ?」

「そう言われると返す言葉もねえな」


 この若い医師はいちいち言うことが的確だ。

 確かに俺は馬鹿だし、有能な医師を振り回してるし、杏里に負担を与えてる。

 そんなことは百も承知で、ここに戻ってきた恥知らずだ。


「先生、確かに俺は馬鹿だが……まだもう少し、やらなきゃいけないことが出来ちまってな」

「……最初はここを死に場所にでも選んだつもりかと思ったが、そういう訳ではなさそうだな」


 俺の言葉を聞いて、弦洛は少し興味深そうに立ち上がりかけていた腰を下ろした。


「少しは医師のいうことを聞く気になったか?」

「ああ、今更って見捨てないでくれよ」

「……杏里が言っていた、例の子供の件か」

「ああ」


 飛那姫のことは弦洛にも話が伝わっているらしい。

 俺が少しでも長く生きようと思ったきっかけ。化け物級の魔法剣と、飛那姫の目に惹かれたあの日。

 強くなりたいと願うあいつを助けることに生きる意味を見つけた。


 あいつの願いに手を貸すのは、復讐をさせたいからじゃない。俺は敵討ちの為に飛那姫を鍛えてるんじゃない。

 戦いで死んじまう確率が少しでも低くなるように、あいつを鍛えてる。

 最近では、そう思うようにしてる。

 そうとでも思わなけりゃやってられないからだ。


 自ら望んで近づいたとはいえ、飛那姫と俺の師弟関係は少し歪んでると思う。

 俺は正直、あいつが剣士としてどこまで強くなるのか興味がある。純粋に鍛えてやりたいし、強くなって欲しいとも思ってる。

 だがあいつは今、綺羅の王様と大臣の首を獲るためにしか強さを求めていない。

 その意識の違いが……時間が経てば経つほど、俺とあいつの間にある埋まらない溝を掘り下げてる気さえしちまう。


 生活力もゼロだったお姫様に、どう生きていけばいいかを教えることも必要だった。

 何しろ何も出来なかった。家事と名の付くものはすべて。

 今でもかなりズレたところがあるが、大分マシになったと思う。


 でも、まだ足りない。

 今ここであいつを一人にしたらと思うと、まだくたばるのは早いと思っちまう。


「もうちょっと生きられたらと思うのは、過ぎた願いかね?」

「お前の行動次第だな」


 そう言うと、弦洛は俺の目の前に白い錠剤が大量に詰まった瓶を取り出して見せた。


「これは俺が作った新薬だ。朝と晩、毎日飲め。理論上は効果があるはずだ……ちょうどいいから、お前で実験させてもらうとしよう」

「黄色くねえんだな?」

「追加で渡したあれはあれで必ず手元に置いておけ。発作が起こったときには今までと同じように口に入れろ」

「ああ、分かった」


 俺が瓶を受け取ると、弦絡は大きい黒いカバンを手に椅子を立った。


「これでどの程度長らえるかは俺にも分からん。だが、お前に生きる意志があるのなら俺は俺に出来る全てのことをしよう」

「悪いな、先生」

「風漸」


 そこでいったん言葉を切って、弦洛は俺に尋ねた。


「……残された時間を、どう使う?」


 その時、どういう意図でこの若い医師が俺にそれを聞いたのかは分からなかった。

 だが、俺が答えられることも、そう多くはなかった。


「飛那姫が、一人でも戦えるように……鍛えるさ」

「その子供をどうこういうつもりはない。だが、もう少しお前の帰りを待っていた人間のことも考えてやったらどうだ」


 杏里のことを言っているのだろう。

 あいつが未だに結婚もしないで、俺のことを待っていたのだとしたら。

 俺は目を背けていたことに、無理矢理顔を向けさせられた気分になった。


「……俺には、そんな資格はねえな」

「そう思っているのはお前だけだろう。残された時間は少ない……もっと、よく考えろ」


 そう言い残して、弦洛は部屋を出て行った。


「本当に、そんな資格ねえんだよ、俺には……」


 俺は仰向けに転がって天井を見上げると、このベッドの持ち主のことを考えた。


 杏里は俺より11歳も年下だ。

 器量だって悪くないし、まだまだ結婚くらい出来るだろう。

 何度となく町を出て、出戻って、好き勝手やって生きてきた俺じゃあいつを幸せには出来ない。

 ずっと昔からそう思ってきた。

 死ぬことが分かってる今なんか、なおさらだ。

 大切に思われたところで、俺があいつに返せるものなんて何もないじゃねえか。


 それ以上、何を考えればいいというのか。


「……くそっ」


 俺はもう一度体を起こすと、投げてあった上着を着て部屋を出た。

 魔道具屋の店に出る扉を開けると、杏里がカウンターの中から顔を上げた。


「風漸、もう起きて平気なのかい?」


 疲れた顔で、杏里が言う。


「ああ、悪かったな。弦洛に薬ももらった。もう大丈夫だ」

「……そうかい」

「すぐに、ここを出るから……邪魔して悪かった」


 俺のその一言で、杏里の顔色がさっと変わったのが分かった。

 何に怯えているのか、分からないフリで目をそらす。


「……邪魔って、誰のことだい?」


 冷えた口調でそう言うと、杏里は立ち上がってカウンターを回った。

 店の出口と、俺の間に立ちはだかるように仁王立ちになる。


「あんたはまたそうやって一人で決めて出て行って、あたしの知らないどこかで……!」


 杏里はそこで唇を噛んで言葉を切った。

 続けるはずだった内容は分かった。結果的にはそうなるだろうとも思った。


「……この町にいてもいいんじゃないの? もう兵だって大分前からここを見回りにきたりしてない」

「ここは、紗里真……いや、綺羅に近い。危険は増す」

「でも、あたしはあんたに……もう出て行ってほしくない」


 それは気の強い杏里が普段口にしないような、精一杯の本音のように思えた。


「……随分と殊勝なこと言うようになったんじゃねえか?」

「はっきり言わないと分からないんだろう! 馬鹿!!」


 どん! と胸をこぶしで叩かれる。

 地味に痛い。というより、俺は一応病人なんだが。


「あんたの残りの時間を、あの子のために使うのはいいんだ……でも、その十分の一くらい、あたしにも関わらせてほしい」

「……この町に俺たちが留まると、お前にも迷惑がかかるかもしれない」

「迷惑とか言うな! あたしだって関わりたいって言ってるんだ! あんたにもあの子にも!」


 だから胸を叩くな。

 そんな顔でそんな風に言われたら、どう返していいか分からなくなるじゃねえか。


「悪い……杏里」

「謝るな馬鹿!」

「……泣くな」

「……あんたのせいだよ!」


 ああ、気が強くて感情的で、意外と泣き虫なところは小さい頃から変わってないんだな。

 大人になって、対等になって、泣き顔を見ることもなくなって。こいつはもう一人で平気だろうと思ってた。

 ただやせ我慢がうまくなっただけだったのか。


「いつもみたいに、さっさと行っちまえって言ってくれないと、困るんだが……」

「あんた本当に馬鹿なの?! 言えるわけないだろう? あんな姿見て!」


 ぽかぽか殴られながら俺は正直、困り果てていた。

 もしかして俺が護らなきゃいけなかったのは、飛那姫だけじゃなかったのか。

 さっき弦洛が残していったばかりの「もっと、よく考えろ」の捨て台詞が、頭に蘇る。


「うっ……風漸の馬鹿! 大馬鹿……!」


 殴るのを止めた手が流れる涙を拭うだけになったのを見て、俺は小さく息をついた。

 これは完全に、俺の敗北かもしれない。


「参ったね……」


 しゃくりあげている小さい肩を抱き寄せて、子供にするように頭を撫でてやると俺への悪態は止まったが。

 どうやら、この先の予定を大きく考え直さなくてはいけないようだ。

 残された時間の使い方を、自分一人で決めてしまったのがそもそもいけなかったのかもしれない。


 いつでも勝手にしてきた自分の行いを、俺は心の中でそっと懺悔しておいた。



6歳で両親を亡くし、東岩の祖父母に引き取られて育った風漸。

杏里のことは生まれた時から知っています。


ここぞという時の、女の涙は最強。

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