馬上の夢
久しぶりに城の夢を見た。
大好きな庭園の中を歩く夢。
道に並ぶ季節の花や、よく手入れされた大好きなバラの垣根に、ヒラヒラと舞う蝶々や蜂たちが、忙しなく蜜を集めている。
小さな噴水の近くには黄色い小鳥が水を飲みに来ていた。
日差しは春で、暖かい。
「令蘭、どこ……?」
私は自分付きの侍女の姿を探した。
ロイヤルガードもいない。
誰もいない。
なんだかおかしい、と少しだけ不安になる。
何か起こりそうな、そんな予感がする。
「姫様」
私を呼ぶ優しい声にほっとして振り向くと、そこには先生が立っていた。
薄い青紫の着物で立つ騎士姿でない先生は、本当に剣の達人には見えない。
私がそう言うと、先生はいつも「私は筋力がない分を魔力に頼っていますから」と言っていた。
筋力がなくても強くなれるって、教えてくれたのは先生だったっけ。
「先生、令蘭を見ませんでしたか?」
「さあ……でも大丈夫ですよ。私がいますから」
先生はそう言って笑うと、私の手を取った。
「少し歩きましょうか」
先生と並んで、庭園の中を目的もなく歩く。
ただの散歩がこの上もなくうれしいのはどうしてだろう。
こみ上げてくる思いが、時間よ止まれと叫んでいる。
不思議に泣きたい気持ちで手をつないだ先生を見上げると、先生も私の方を向いた。
「姫様、覚えておいてくれますか?」
不意の先生の言葉に、心臓が嫌な音を立てて揺れた。
その先は、聞きたくない。
「私は、本当はもっとこうしていたかったのです。私を拾ってくださった王の為に働き、この国を護って、姫様の成長をずっとお側で見ていたかった……理不尽に奪われたものは、大きすぎました」
「先生」
私の声がうわずった。
「王も、王妃も、王子も、誰一人としてこの国が滅ぶことなど、望んでいませんでした」
「……やめて」
「まだ、生きていたかったのですよ」
「やめて!」
私の脳裏に、一人の兵士の姿がフラッシュバックした。
城下町に恋人がいると話していた、兄様のことを教えてくれたあの兵士。
まだ死にたくない、そう言い残して、私のドレスの裾に赤い血の跡をつけたあの人も。
「強くなって、あの裏切り者達に、制裁を与えてください。皆の無念と、恨みを晴らすのです……」
「先生……私っ……!」
本当は、と言おうとしたが声が出ない。
先生はただいつものように静かに笑って、私を見下ろしていた。
つないだ手の冷たい温度が、生きている人のものとは思えなくて。
振り払う事も出来ない指先が、恐ろしく感じる。
(本当は、誰も殺したくなんかないの……!)
最後の言葉は、叫びにならなかったと思う。
先生のつないだ手が離れて、代わりに温かな体温が私を包んだ気がした。
「お前の強くなりたい理由は、最強の剣士になるためでいいんじゃないか?」
どこからともなく、そんな言葉が聞こえた気がした。
「……師匠?」
呟いたところで、私の意識は現実に戻ってきた。
だんだん周りの音が聞こえ始める。
足下の落ち葉を、大きな蹄が踏みしめる音。
馬の後ろにぶら下げた、荷物のきしむ音。
私を抱える、大きな温かい腕。
「飛那姫? 起きたのか?」
私は師匠の腕に抱えられて、馬の上にいた。
そうだ、山を越えるのに馬を借りたんだっけ。
揺れが心地よくて、眠ってしまったらしい。
「あと少しで水場だから、今日はそこで野営しよう」
師匠の低い声が、まだ鳴り止まない心臓の不安定なリズムを落ち着かせていく。
落ち着いていくはずなのに、泣きたかった。
心臓の音とは別に胸の中に広がった波紋が、まだ私の心を揺らしている。
私は師匠の大きな背中に手を回して、その胸にぎゅっと力一杯しがみついた。
「お? どした? まだ眠いのか?」
顔をふせたまま、ふるふると首を横に振る。
「……そうか」
それだけ言って黙ると、師匠は私の頭をぽんぽんと軽く撫でてくれた。
不器用だけれど、それは今の私にとって心から安心できる、誰よりも優しい手だった。