目玉焼きとかすかな異変
野宿も5日目になると、さすがに体が痛くなってくる。
「ん……」
私は木の根に預けていた頭を起こして、首をさすった。
ずれていた羽毛入りの毛布を引っ張り上げて、ぶるっと身震いする。
「トイレ……」
野宿を始めて、一番困ると感じたのはトイレだ。
回りに壁もなければ流すところもないので、落ち着かないことこの上ない。
いつかは慣れるのだろうが、今はまだ慣れたいとすら思えなかった。
私は仕方なくごそごそ寝床を這い出した。まだ辺りは真っ暗だ。
火の番をしている師匠が、起き上がった私に気が付いたみたいだった。
「飛那姫……?」
「はい、トイレです……」
「そ、か……ちょうど、良かった」
師匠は座り込んだまま、私の側にある荷物を指さした。
「そこの、荷物の……小さいポケットに、ある……布袋を、取ってくれ……」
歯切れ悪くそう言う、師匠の表情は見えない。
また酔っ払ってるのかな。
私はリュックの横のポケットを探って、奥に詰め込まれていた小さな布袋を取りだした。
「これですか?」
起き上がっていって手渡すと、師匠は下を向いたまま「ああ」と答えた。
「トイレだろ? 行ってこい……」
「はい」
私は用を済ませるために、茂みに入っていった。
じ、じ、じ、と鳴いていた足下の虫の声がぴたっと止まる。
心細さを感じて少しだけ振り向くと、師匠が布袋から何か小さいものを取り出して、口の中に放り込むのが見えた。
何食べたんだろう?
朝起きると、いつもならご飯支度をしている師匠がまだ寝ていた。
きっと昨日飲み過ぎたせいだろうな。
ぐーがー聞こえるいびきに耳をふさいで、私は消えかかっているたき火に薪をくべた。
人間は城で暮らしてても、野宿しててもお腹が空く。
朝ご飯に食べるパンはまだ残っていたけれど、まな板とフライパンを見て、私は自分で何か作れないかな、と考えた。
師匠が作っているのを見ていたから、出来そうな気がした。
そうだ、目玉焼きだ。
フライパンに油をひいて、卵を割って、焼けばいいのだ。
うん、出来る。たぶん。
野宿初日に、魔力をこめた包丁で野菜ごとまな板を一刀両断してしまった私は、あれから包丁に触らせてもらえないでいる。
これは名誉挽回のチャンスだ。
昨日採ってきた、赤くて丸い果物をまな板の上に乗せて、私は包丁を握った。
魔力は使わない。
力を抜いて。
”普通に”切るだけ。
さくっとした感触がして、赤い果実は半分になって転がった。
やった! 成功だ!
一口大に切って、皿に盛り付ける。
おおっ、立派な料理に見える。
次は目玉焼きだ。
フライパンに油をひいて、卵を入れて……
あれ? 卵って、どうやって割るんだっけ?
フウセンキツツキのまん丸な卵とにらめっこしながら、私は考えた。
確か、師匠はこうやって、コンコンしてた。
私はフライパンの縁で、卵を叩いてみる。
コンコン。
割れた。
グシャッと。
「……なんか、違う」
黄身も白身もつぶれてる上にカラが散乱してるけど、いいんだろうか。
よくなくても、もう手遅れだけど。
仕方なしにそのまま火にくべたら、バチバチと油が散って、手に飛んできた。
「あつッ!」
料理って大変だ。
いつも城の料理人達はこんなに大変な思いをしながら、ご飯を作ってくれてたんだろうか。
すごい。これを毎日3回も繰り返すだなんて。私には無理かも……
あれが苦手だとか、これは嫌いだとか言って食べなくてごめんなさい。
私はそっと心の中で謝っておいた。
料理をすることは、修行をして強くなるより難解なことのように思えた。
ひとまず焼けたみたいだから、皿には移すけど。
食べられるんだろうか、これ。
「……飛那姫? 何やってんだ?」
声に振り向くと、夜露よけのタープの下から師匠が不安そうな顔でこちらを見ていた。
「師匠! 朝ご飯作りました!」
「……マジか?」
切り株の上に並べられた皿が2つ。そのうちのひとつに盛り付けられた目玉焼き(のようなもの)は、まだ温かそうな湯気を立てている。
うまく出来たかどうかは別にして、食べてもらいたい。
起きてきた師匠は皿の上を見て、無精髭の生えたあごを撫でた。
「おお、形は悪いけど……一応焼けてるみたいじゃねえか?」
「でしょう?! 包丁も使えたんですよ!」
すごいでしょう、と得意になって、私は箸を差し出した。
師匠は苦笑しながらそれを手に取った。
「じゃあ、いただくかね…」
ごつごつした手が、果物のカケラを1つつまんで口に放り入れる。
私はどきどきしながらそれを見ていた。
「うん、うまいな」
「!」
やった!
私、やれば出来るじゃない?
「でも、次からは皮をむいて、種も取ってくれ。こいつは種に毒があるから、食うなよ」
「え? そうだったんですか?」
毒ごとお皿に盛ってしまった……次からは気をつけよう。
次に師匠は目玉焼きに箸をのばした。ボロボロしているので取りにくそうだ。
口に入れて、微妙な顔になる。
え、何だろ。やっぱりおいしくない?
「く、くくっ……」
え?
「はっはっはっはっ!」
「え? え?」
なんか知らないけど、思い切り笑われてる。
どういうこと??
「飛那姫、味がない」
「えっ?」
「味がないし、油入れすぎだし、カラは余計だ」
「ええええ……」
それ、完全に失敗ってことですね……?
ヘ、ヘコむ……
でも師匠はそんな失敗目玉焼きを、ニヤニヤしながら食べてしまった。
ああ、駄目な弟子ですみません。
「でもな、俺は満足だぞ。お前はどうだ?」
「……不満です」
がはは、と声をあげて笑うと、師匠は私の短くなった髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回した。
もう、犬じゃないってば。
「じゃあまた作れ。お前が納得出来るまで何度でも。俺はそのうまくなる過程を楽しむからよ」
「……はい」
なんだろう。
褒められてないのに、うれしい。
天才だとか言われるより、ずっとうれしくて、心の中があったかい。
「ああ、あとな、ついでに1つ」
「はい」
「俺に敬語は使わなくていい」
「え? 何でです?」
「あのな、俺は初対面から馴れ馴れしいヤツが嫌いだが、いつまで経っても他人行儀なヤツも同じくらい嫌いなんだ」
「……はあ」
「お上品な場所で育ってきたお前には難しいのかもしれんが、そんなに丁寧に話されてるとこっちが疲れる。だから、敬語は禁止だ」
「……分かりました」
「分かった、だよ」
「分か……った。師匠」
「よし」
満足そうに頷いて、師匠はフライパンをもう一度火にかけた。
私の朝ご飯を作るために。
トイレは大変だけど、地面に寝るのも辛いけど、この生活は嫌いじゃないかもしれない。
師匠がいてくれて良かったと思いながら、私は「正しい目玉焼きの作り方」を、真剣に見つめていた。
夜中に起きたらなんだか様子のおかしい風漸。
目玉焼きは、シンプルだけど難しい料理だと思います。