帰ってきた日常
「ルーベル、これ十希和よ。よろしくね」
紗里真王国、遠距離馬車の乗り合い所。
私が前に押し出した黒髪の少年と視線を合わせると、ルーベルは呆気にとられた顔になった。
「え? ……あ、よ、よろしくお願いします……」
ぱちぱちとまばたきして、すぐに笑顔になる。
「わぁ……びっくりした。レブラス様が仰っていた会わせたい子って……」
「お前より年は少し上かもしれないな。何も分からないそうだから、友達兼教育係になってやれ」
「友達…………っはい!」
ルーベルと十希和は、同じ半妖精だ。そのことをレブラスに話したら、二人を会わせてやりたいと言ってきた。
半妖精はすごく珍しい種族で、人間と時間の進み方が違う。どう見ても7~8歳にしか見えないルーベルでさえ、私より年上の28歳だって言うんだから、10歳に見える十希和も余裕で30は越えてるんだろう。
同じ時間の流れを生きる友達が出来るとしたら、それは二人にとって大きな救いになるんじゃないか。私もレブラスもそんな風に考えていた。
「美威、じゃあ少しの間こいつは預っていくぞ」
魔剣がなくなって、記憶をなくした十希和が起きてきたのはつい一昨日のこと。
私が十希和を引き取ることになった話をすると、レブラスは「半妖精は人間と似ていて違うところも多い。性別も違うし、お前の家に二人住むのは手狭すぎる。お前がこちらに来るまでウチで預かって教育してやろう」と進言してきた。
確かに言うとおりだし、ありがたくお言葉に甘えることにはしたんだけれど……
「なんかレブラスがそう言うと、人質に取られるみたいで嫌ね……」
「どこから人質なんて言葉が出てくるんだ。人聞きの悪いことを……こいつはルーベルと一緒に教育するのが一番いいと、お前も同意しただろう。そんなことを言うのなら、お前もこのまま西に来ればいいんだ」
眉間にしわをよせた顔で、レブラスが私を睨んだ。
背後の馬車は、すっかり出立の準備を済ませた状態でレブラス達が乗り込むのを待っている。そりゃ私だって、このままプロントウィーグルに行きたい気持ちもなくはないんだけど。
「私は飛那ちゃんが西の大国に行くタイミングで、一緒に移動するって言ったでしょ?」
「相変わらずのべったりなんだな。依存はやめるんじゃなかったのか?」
「いいのよ、開き直ることにしたの。お互いに」
ふふん、と私が笑うと、レブラスは片方の眉をあげて「ほう」と興味深そうに呟いた。
「それで、具体的にいつ移動するつもりなんだ?」
「ひとまず正式に婚約の申し込みが来たら、こっちで結納式をするんだって。挙式はその数ヶ月後になるんじゃないかって言ってたわ」
「……その位なら、先に来ていてもいいんじゃないのか?」
「何よ、その位も待てないわけ?」
「何故俺に転嫁する? お前が人質云々と馬鹿なことを言うからだろう」
「私は素直な感想を述べただけよ?! 100%善意だって言うなら、保育料とか生活費とか、後で請求してこないでよねっ?!」
私のセリフに肺の奥から出たようなため息を吐いた後、レブラスは指先で私のおでこをはじいた。
「たっ! 痛いじゃないの!」
「そんな狭量なことを言う訳がないだろう。大体、数ヶ月後にはお前自身を保育することになるのだから、請求先が俺自身になってしまう」
「保育……失礼ねっ?!」
子供扱いにカチンときたところで、おでこをはじいた指先がさらりと頬を撫でた。
「いつでもいい……待っているから、早く来い」
それだけ言うと、レブラスは身を翻して馬車に乗ってしまった。
不意打ちな上に、一方的に言われて逃げられた。悔しい。赤くなった頬を押さえて、歯がみする。
「美威さん、美威さんが来られるまで、彼はぼくが責任持って面倒見ますから、どうぞご心配なく」
「ルーベル……うん、ありがとう」
レブラスと違って、本当に可愛い子だ。この笑顔には心から癒やされる。
西の大国に行ったら、レブラスに立ち向かうために、私にとって最大の味方になってくれるだろう、この子の幸せも祈らずにはいられない。
「十希和、ちょっとの間お別れだけど、ルーベルの言うことちゃんと聞いて、元気で過ごすのよ。そっち行ったら一緒にご飯食べたり、買い物行ったり、いっぱい遊ぼうね」
私がそう言うと、十希和は黒い瞳をうれしそうに細めて、不器用に笑った。
「……はい。あの……ありがとう」
こういうの、庇護欲っていうのかしら……年上だろうがなんだろうが、この子は私が守って育てていかなくては。そんな気になる。
もしかしたら、私にも家族が出来たのかもしれない。穏やかな少年を見ていたら、そんな風にさえ思えた。
レブラス達を乗せた馬車が出発した。大通りの角を曲がって、見えなくなったところで、私は「さて」と、馬車の乗り合い所から紗里真城に足を向けた。
今日は飛那ちゃんと約束があるのだ。
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心地よい夏の風が、庭園の緑を揺らし、森へと吹き抜けてゆく。
「うーん、気持ちいい……」
私は自室のバルコニーで、一人大きくのびをした。
約束の10時を過ぎたのに、美威はまだやってこない。せっかくピクニック用に折詰め弁当作らせたのに。時間がもったいないな。
眼下には庭師達が丹精込めて作った、バラのアーチが見えた。庭園はすっかり昔の姿を取り戻し、生き返ったようにそこにある。そのことが心からうれしく思えた。
父様や母様と過ごした思い出深いこの城を、私はもう、恐ろしいだけの場所だとは思わない。
消えない過去を抱えていても、前を見て進むことは出来る。
振り返って恐ろしくなる瞬間があっても、手を取って一緒に歩いてくれる人達がいる。
そんな穏やかな想いが芽生えたことで、自分の中にある黒い影が身を潜めたことは、私にとって大きな変化だった。
庭園の向こうに見える騎士団の演習場では、精鋭隊が手合わせの稽古をしている。余戸や衣緒、マキシムの姿も見えた。
剣を打ち鳴らす音がここまで聞こえてきて、私はふと、自分の右手のひらに視線を落とした。
そこに「在る」感覚は、もうない。
あまりにも体になじんでいた魔法剣の残響が、まだ魂のどこかに引っかかっているような気はするけれど。
神楽は、あの深淵ごと消えてしまった。そのことに、半身を失ったような虚しさを覚えてしまうのは、否定出来ない。
でも、後悔はしていない。
誰も殺さずに、今度こそ守ることが出来たから。
手に入れたものの大きさは、失ったものに代えられるようなものじゃない。
私の住むこの世界には、愛おしいものがたくさん生きている。今はそれだけでいい。
私はひとつ深呼吸をすると、軽くジャンプしてバルコニーの柵の上に立った。
長い髪がなびいてワンピースの裾が翻えるのを、手で押さえる。
ちょうど自室の扉を開けて、兄様が入ってきた声がしたけれど、私は構わずにそこから飛び降りた。
「っ飛那姫! そんな格好でそんなところから飛んだらダメだって……!」
地面に着地してから、バルコニーの柵に捕まって身を乗り出す兄様を見上げる。
「大丈夫です、兄様。ちゃんとスカートの裾は押さえて飛びましたから」
にっこり笑ってそう言うと、兄様は頭を抱えて首を振った。
「そういう問題じゃないよ! 本当にやめて!!」
「はーい」
まだ後ろからお小言が追いかけてきたけど、聞こえないふりで私は演習場に足を向けた。
魔道具の戦闘兵が広場の隅に何体か並べられている。中には見たことのない形のものもあった。
「新しいタイプが出たのか?」
そう言えば最近、新しく30体ほど増やしたと聞いたけれど。
まだそんなに戦力が必要なのかな。
「バランス型の大男タイプだそうです。これに負けじと訓練するので、生身の騎士達の実力も底上げされているような気がいたしますよ」
一歩後ろに控えた余戸が、そう答えてくれた。
魔法士は魔道具に興味ない人が多いらしいけれど、兄様は元々魔力が少なかったからか、魔道具の良さは身に染みていると言っていた。そして言葉通り現在進行形で、いっぱしの魔道具屋を遙かにしのぐ便利魔道具を作り続けている。
魔法薬を作るのも元から得意みたいだし、レブラスと話が合うのか、交流が進んでいると聞いた。
距離に関係なく双方向通信の出来る、新しい魔道具を二人で共同開発中だって話だけど……兄様のその情熱がどこから来るのかは、なんとなく考えたくない。
「飛那姫様、まさかその格好で手合わせとか……ないですよね?」
横から頬をひくつかせて顔を覗かせたのは、精鋭隊、第一部隊長のマキシムだ。
「ああ、そう言えば……どうするかな、着替えるのも面倒だし」
膝丈スカートの裾をつまんで、王女にしては軽装な自分の普段着を見下ろす。
一応中にはスパッツ型のアンダースコートを履いているので、跳んだり跳ねたりしても下着が丸見えになるようなことはないんだけど。
「冗談キツイですよ。俺、この間もジャクリーンに血相変えて『ちゃんと止めなさい!』って言われたばかりなんですよ?」
「そうか、やっぱりまずいか?」
「まずいに決まってるでしょう! 目のやりどころに困るんで、剣の腕とは関係なく大敗するじゃないですか」
「それは確かに困るな。木刀対木刀なら、余戸やマキシムとは良い勝負が出来そうなんだから」
「魔法剣がなくとも飛那姫様は最強ですけどね……大体、魔法剣は存在自体が最強なんですから、魔力ドーピング以上に反則ですよ。ああ、俺も欲しいなぁ。風漸さんや飛那姫様みたいな魔法剣」
「そうか? 取り込む際にちょっと死ぬほど苦しいし、場合によっては本当に死ぬけどな」
「……やっぱり普通の剣でいいです」
がっくりと肩を落としたマキシムに、思わず笑みがこぼれる。
周囲でこっちを見ている騎士達までだらしなく口角が緩んでいるのは、私につられたからだろうか。
「マキシム隊長……姫様に対する言葉遣いがなっていない。無礼の極みだ。私が鍛え直してやろう」
「えっ? あ、すみません! つい……!」
余戸に首の後ろを掴まれて引きずられて行くマキシムを苦笑いで見送っていると、横にいた衣緒が話しかけてきた。
「マキシムの言う通り、姫様は神楽がなくとも我らにとって、最強の武の女神ですよ」
「その呼び方、仰々しくて嫌だなぁ……まあいいや。余戸達行っちゃったから、衣緒、私と手合わせしよう」
「光栄です。ですがその前に、お召し替えをお願いいたします」
「みんなして……ああ、じゃあまた明日にするよ。今日はもう出かけるし」
ちょうど到着しただろう、慣れた魔力の気配を感じて、私は自室のバルコニーを振り返った。
「じゃあまた明日な」
微笑んで手を挙げると、私は演習場を後にした。
エピローグ前の、閑話のような回でした。
完結話の後に、ひとつオマケ話がつく予定です。




