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没落の王女  作者: 津南 優希
第三章 その先の未来へ
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幼い日の約束

「西の国にはどんな動物がいますの?」


 鈴を転がすような、高い無邪気な声。

 これは子供の頃の私だ。


 緑の生い茂る庭園の小径を、誰かと歩いている。

 手をつないだ先を見上げたら、背の高い銀髪の男の子がいた。

 優しそうな雰囲気が兄様と似ていて、なんだか安心感を覚える。

 私が投げかけた質問に、深くて濃い緑の瞳がこちらを向いた。


「うーん、そうだね。こことあまり変わらないと思うけれど……馬も牛も、犬もいるし……あ、でもね、僕は聖獣を飼っているよ」

「せいじゅう?」


 はじめて聞く名前だ。それはどんな生き物なんだろう。

 小さい私がキラキラした目で見上げると、綺麗な顔立ちの男の子は春の陽みたいに朗らかに笑った。


「見た目はただの犬だけれど、とても珍しい生き物なんだって。僕が5歳の時から一緒で、すごく賢くて強いんだよ」

「強い?」

「うん。姫がもっと大きくなったら見にくるといいよ。背中に乗せてあげる」

「えっ? 背中に乗れるんですの?! 本当に?!」


 そうだ、小さい頃から動物好きだった私にとって、あれはとても魅力的な提案で……


「本当だよ。力も強いし、空も飛べるからね」

「空も?? 行きます! 行きますわ! 私、西の大国に行きたい!」

「うん、いいよ。おいでよ」


 優しい目を細めて笑う男の子の顔を、私はよく知っている気がした。

 声変わり前の高い声は、聞き慣れないけれど。


「約束ですわよ? 絶対!」

「そうだね、約束。姫が大きくなったらね」


 私が右の小指を出すと、自分の小指を絡ませて指切りしてくれた。

 ふふふ、とうれしそうに笑って見上げる私を、彼がまぶしそうに見返す。


「その”せいじゅう”には、名前がありますの?」


 ふと気になって尋ねた私に、彼は「もちろん」と頷いた。


「インターセプターって言うんだよ」


 形の良い唇が答えたところで、夢は途切れた。




「……」


 突然光のある世界に浮上したような、くすぐったい感覚があった。

 夢と現実の境目が、ひどく薄い。


 うっすら目を開けたら、ここ最近見慣れてきたベッドの天蓋が見えた。

 意識は徐々に(うつつ)になじんできて、手のひらを包んでいる心地よい温もりを感じた。握られた手に、この上ない安心感を覚える。


(……兄様? 美威?)


 ぼんやりと視線を泳がせたところで、目に飛び込んできた見覚えのある銀髪に、一瞬思考が停止しかけた。

 ……何故、この人がここにいるんだろう。

 その姿を見て、はっと、目覚める直前に見ていた夢の内容を思い出す。


(え? ちょっと待って。あれが、アレク……?)


 すっかり忘れたと思っていたのに。

 私も覚えていたのだ、子供の頃のアレクを。

 幼いときの、小さな約束を。


 一人驚きを隠せないまま、ぼうっと目の前の銀髪を見つめる。

 どうにも自分の置かれている状況が把握できない。ここは、自室だ。それは分かる。


(……寝てる、んじゃないよね?)


 私の左手を両手で握って、額に押し付けたまま目を瞑っている顔を、まじまじと眺めてみた。

 まるで何かに祈っているみたいに見える。

 幼かった頃の面影は薄いけれど、整った顔立ちは昔から変わらないんだなぁ、長いまつげも銀色なんだ……そんな風に見ていたら、なんだか愛しさがこみあげてきた。


「……っ」


 話しかけようとしたら、かすれた息だけが自分の口からもれた。

 なんだろう、話そうとすると息苦しいし、体が異常にだるい気がする。

 そもそも私、どうして寝てたんだっけ……?


「……ア、レク……」


 小さかったけど、やっとかすれた声が出た。

 アレクは、一瞬肩をふるわせたかと思ったら、おそるおそる目を開けてこっちを見た。やっぱり寝てたわけじゃないんだ。


「……飛那姫?」


 信じられないものに出会ったような顔で私を見た後、端正な眉をひそめて、握る手に力をこめた。

 少しずつ、その顔に安堵が広がっていくのが分かった。

 どうかした? そう聞こうと思ったけど、微妙な沈黙を先に破ったのはアレクだった。


「ここで、祈っていたんだ……君が、目を覚ますようにと」


(目を、覚ますように……?)


 あ……そうか、私、死にかけて……


 私はそこでやっと、自分がどうなっていたかを断片的に思い出した。

 父様がいて、母様がいて、師匠や先生がいた世界に、足を踏み入れたことを。

 あの暗闇で出会った人達を思い出したら、まだどこかに浮いたままのような感覚が足下に戻ってきて、不安に心が揺れた。


 自分の中にある、時間の軸がずれていた。

 みんながつい先ほど死んで、別れてしまったかのような、奇妙な錯覚に襲われる。


(帰ってきて……良かったのか、こんな風に……)


 みんなは死んでしまったのに、私は戻ってきて、良かったのか。

 ここに帰ってきてしまって、本当に。


「飛那姫……私が分かるか?」


 握られた手が、少し痛いくらいに感じた。痛いということは、生きているということだ。

 うん……分かるよ。ちゃんと、聞こえてる。


 そう答えようとする前に、なんだか胸がいっぱいになってきて声が出なくなった。すごく突然に、大切な思い出の波が一気に押し寄せてきて、頭の中がパンクしそうだ。

 楽しかったことも、辛かったことも、全部がごちゃまぜになって、もう会えない人達に向かう強すぎる思慕に、息が詰まりそうだった。


 アレクは戸惑うような、困ったような表情で手を伸ばすと、私の顔に触れた。

 指先で拭われたことで、流れる涙に気が付いた。

 取り返しの付かないことが悲しいのか、ここに帰ってきたことがうれしいのか、もう自分でも分からないけれど、目から流れていく水が抑えられない。


「せっかく目覚めたのに、そんな辛そうな顔で泣かないでくれ……」


 その言葉にも涙は止まらずに、次々とあふれてきた。


「笑ってくれないか、飛那姫」


 懇願するように、アレクが言った。


 泣くな、笑えと。

 どうしてみんな同じ事を言うんだろう。

 そんな難しいことを、私に。

 どうして。


「君には……幸せでいてほしいんだ」


 続けられた言葉に、目を瞠った。

 欲しかった答えは、あまりにもシンプルなもので。


(幸せに)


 こんなタイミングで、答えがもらえるなんて、思っていなかった。


(ああ、そうか……そうだったんだ……)


 笑えと。幸せになれと。

 師匠が言いたかったのは、アレクと同じで。

 生きて、幸せになれと言った父様と同じで。


(そんな風に、想ってもいいんだ)


 自分が消えてしまうほど、誰かを想ってもいいんだ。

 みんなそうして、誰かに幸せを与えて、与えられて生きている。

 残されて、生かされた私が、それを願ってもいいんだ。

 怖がらずに、手を伸ばしても。


(あなたはこれから、あなたの大切な人の、(のぞ)みを叶えるのでしょう?)


 こちらへ帰ってくる前に、出会った人の言葉を思い出す。

 そうだ、そのために私は帰ってきた。


「……アレク」


 握られた手を少し持ち上げて、不安そうに見下ろす頬に添えた。

 指先に触れる私より低い温度が、確かにこの人がここにいることを教えてくれる。

 今こうしている奇跡を、確かに感じられる。


「アレクが、好きだよ……」


 濃い緑の瞳が、揺れたように見えた。

 想いを伝えるのは一瞬でも、消えることのない温かさを心に届けるために。

 こうして言葉にするんだ。


「……大好き」


 幸せに滲んだ瞳を見れば、ここに帰ってきて良かったと迷いなく言える。

 私は、この人の隣に、ここにいていい。


 頬に添えたままの私の手を、愛おしさをまとわせた大きな手が包み込んだ。


「私も……飛那姫が好きだよ。傭兵でも、王女でも、君という人が」

「……うん」


 今度は、ちゃんと笑えているだろうか。

 この間別れた時のような、作り笑いじゃなくて。


「きっと……必ず、幸せにすると誓うよ。君の残りの人生を、私とともに生きてくれないか?」


 伝えられた、泣きたいほどうれしい言葉に心がふるえても。

 大丈夫。私、今、ちゃんと笑えてる。


「喜んで」


 間違いなく極上の笑顔で、私は答えた。





……長い道のりでした。


次回、「結果オーライ」。

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