投薬と僕と彼
いたってシンプルな感想だが「驚いた」という表現が適切なのだろうと思った。
美威の言うとおり、紗里真の国王は飛那姫とは似ても似つかない物腰の柔らかい男だった。
妹が大切なのだろう。疲労が滲む横顔は美威と同様の暗さを宿していたが、俺の説明を聞き、試してみる価値は十分にあると、生気を取り戻したような様子を見せた。
入城してみると、紗里真の城はここ最近に復活したとは思えないほど整然としていて、かつ歴史を感じさせる趣を残していた。
俺と美威とルーベルは謁見の間を出て、広く重厚な造りの廊下を国王一行に続いて歩いた。通されたのは飛那姫の自室。
当時は一介の傭兵だと思っていた飛那姫が、まさか大国の王女だったとは……この目で見るまでは現実味のない話だった。
しかし、ベッドに横たわるその姿を見て、やはりやんごとない生まれなのだと、真実を突きつけられた気になった。
まるでよく出来た人形のようだった。
元々尋常でない整い方の容姿だとは思っていたが、ぴくりとも動かないその姿は、生きている人間とも思えぬ神秘性を感じさせた。
よく見知っているはずの俺でさえ、巷で言われている「女神」の二つ名を彷彿とさせるくらいに。
「右の奥から、時計回りと反対に停止して……ゆっくり外していって。そう、その赤い線をずらして……」
飛那姫の兄である紗里真の国王が、医療用の魔道具を取り外すため、学士や医師達に指示を出している。
その口調はとても王族とは思えないし、彼は国王と呼ぶには若すぎる。俺よりも若いのじゃないだろうか。威厳を感じさせる風貌とはかけ離れていると言ってもいい。
しかし少し話してみて、恐ろしく頭の切れる人物だということは分かった。
凄腕の魔法士だということだが、本当に妹とは似ていないのだな。
ベッドの周りに備え付けられた魔道具は、俺の知っている医療用魔道具とは少し違うようだった。
紗里真のオリジナルなのだろうか。不謹慎だが、どのような造りなのか解析してみたいと考えてしまう。
周囲の魔道具が綺麗に取り払われた後、装置内に残っていた空気が、部屋全体に滲み出した様な気がした。
酸素の多く含まれる、夏の夜の空気のような。
少しだけ湿度を増した静けさに、肌寒さを覚えた。
「飛那姫……」
ベッドサイドに立つ国王から、小さく乾いた声がもれた。
容易に激情を出すことを許されない、王族としての性だろうか。
伸ばした指先を、動かない白い頬にわずかだけ触れて、鈍い傷でも受けたかのように引いた。
「レブラス殿、美威さん……お願いします」
振り返り、そう言う国王の顔色は明らかに悪かった。
美威が「はい」と頷いて、魔法薬の小瓶を手にベッドの脇へ向かった。俺も隣に続く。
「どうすればいいの?」
「蓋部分を開けるとスポイトになっている。目盛りの真ん中まで吸い上げて、1滴ずつ飲ませろ」
「分かった……」
美威は言われた通りにスポイトにピンク色の液体を吸い上げると、飛那姫の口の端から慎重に魔法薬を投与していった。その手は、少し震えているように見えた。
深層意識の底に作用して、忘れてしまった大切な記憶を呼び起こし、麻痺してしまった心を揺り動かす方法。
効果があればいいのだが……
「……これでいいの?」
「ああ」
何も変化がないことに、美威は不安そうな顔で俺を見上げた。
「すぐには結果が出ない……待つことだ」
「待つって……まだ、待たなきゃいけないのね……」
そう言う美威は、精神が疲弊しきっているように見えた。無理もない。
「一ヶ月待ったのだろう。あと数日待ったところで変わらん」
「数日……そうね」
美威は無理にでも自分を納得させたようだった。
国王は扉を開けて入ってきた侍従と何やら話を交わしている。
「ああ、大体予定通りだね。先触れは昨日もらっているよ……うん、かまわない、丁重にお通しして……そうだね、謁見の間で会おうか」
侍従が出て行ってしまうと、国王は飛那姫の様子が変わりないことを確認してから、俺に向き直った。
「申し訳ないけれど、来客があって行かなくちゃいけない。美威さん、レブラス殿と客室でゆっくりするといいよ。飛那姫の様子は令蕾や他の侍女達がついて見ているから」
「はい……」
気遣う言葉に、美威はおとなしく頷いた。
いつも騒がしくてうるさいと思っていた美威が、こうも静かだと調子が狂う。
(早く起きてこい……相棒が、大事なんだろう?)
横たわったままの飛那姫に、声には出さずにそう伝える。
やり切れない気持ちのまま、俺は美威とルーベルとともに、用意された客室に向かった。
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謁見の間に入ってきた彼の顔を見て、僕は人払いをすることにした。
どうせなら、忌憚のない話をしたい。部外者は不要だ。
礼の姿勢を崩さない彼に、「楽にして」と声をかける。
そろそろと出て行く侍従や護衛達を驚いたように見送って、彼は僕に向き直った。
「……君に会うのは、これで何度目かな」
彼の侍従も護衛も一緒に連れ出されて、完全に二人きりになったところで僕は口を開いた。
「3度目、でしょうか」
直立のまま、彼が答える。
どうやら覚えているらしい。昔の紗里真に来たことがあるのを。
僕は最近まで忘れていたけれどね……たぶん、この上なく不愉快だったから、意図的に忘却していたのだけれど。
「そうだね、初めて会った時の君は、確か10歳くらいだったかな?」
「ええ、11歳の頃でした。こちらの庭園が素晴らしかったのを覚えています」
「飛那姫のことも?」
「……覚えています。とても可愛らしくて、変わった姫君だったと記憶しています」
「飛那姫が小さい頃から可愛くて変わっているのは否定しないよ。歴史的に有名な偉人は全て変わり者だし、妹はただでさえ特殊な子だから」
「……ええ、そうですね」
「飛那姫が普通の姫とちょっと違うことは理解しているみたいだね……承知の上であるなら別にいいんだ。僕はね、とにかく君に聞きたいことが山ほどあるんだけれど……」
言葉を切った僕と彼との間に、ピリッとした緊張が走った。
「はい」
少し身構えた面持ちの彼が答える。
間を置いて、僕は小さくため息を吐いた。
「とりあえず、合格」
「……はい?」
「僕が飛那姫のことを報せてから今日で6日目。ここまでの旅程を考えるに、大分急いで出立して来たのじゃないかな?」
話の意図が掴めない様子のまま、彼は「ええ」と頷いた。
「とにかくすぐに飛んで来てくれたってことは分かったよ。大切な人が本当に大変な時に、重い腰を上げられなかったり、公務が忙しいからと仕事を優先したり、そういう人間じゃないってことだけは確かみたいだ。その顔を見れば僕なんかと話してる場合じゃないって書いてあるしね」
「……それは」
「いいんだよ、どうせ僕らしかいないんだから。取り繕わず、ただの飛那姫の兄だと思って遠慮無く話してよ」
「……恐れ入ります」
そう、僕は彼を試した。
贈り物や手紙なんて代理でも出来るし、どれだけ妹のことを真剣に大事にしてくれるかを判断する材料にはならない。
だからあえて「意識不明の重体だけれど、万が一目覚めるようなことがあったら報せるから、連絡を待っていて欲しい」というような内容の文書を送ったのだ。
来なくてもいいという事を暗に匂わせたのに、それでも彼は飛んで来た。
これは、評価するに値する行為だろう。
「飛那姫はね、もうずっと、起きてこないんだ」
ぽつりと僕が言った言葉で、彼はぎゅっと体の横の拳を握りしめた。
「原因は……分かっているのですか? 治療法などは」
「飛那姫の知人の薬師が来てくれてね、先ほど新しい方法を試してみたところなんだけれど……まだどうなるかは分からない」
「プロントウィーグルからも優秀な医師を連れてきています。治療についてお役に立てればと」
「ありがとう。でも、多分その必要はないよ。飛那姫に必要なのは治療じゃなくて……眠ったままの意識に呼びかけることなんだ。もしかしたら、自分が眠っていることすら分からないでいる可能性が高いから、気付いて、意識をしっかり戻してくれさえすれば……きっと……」
「意識を……」
精神だけが迷子になっているとか、冗談でも思いたくはないけれど。
あまりにも死に近いところまで行ってしまった妹が、こちらに戻ることをためらっている気がしないでもない。
そんな想像は、僕の心をより一層重くした。
「飛那姫に、会ってくれるかい? 君からも呼びかけてやって欲しいんだ……ちゃんと、帰ってこられるように」
もうこの際、神でも悪魔でも恋人でもいい。
飛那姫を目覚めさせてくれるのなら、誰でもいいんだ。
少しでも可能性があるのなら、なんだって利用してやろうと思う。
「はい。私に出来ることがあるのでしたら、是非に」
彼は、濁りのない濃い緑の瞳で、そう答えた。
彼が誰なのかは丸分かりですが、そこはそれ。
認めたはずなのに敵対心をぬぐい去れない、困った兄です。
次回、物語もいよいよ佳境、かな……




