親友
あれから3週間が経った。
飛那ちゃんとネモは、まだ目を覚まさない。
砂を噛むような思いで、一日一日を数えた。
今日こそは声を聞けるかもしれない。そう思いながら朝、目を覚まして、夜、疲弊しきって眠る。
それが私の日常になってしまった。
魂と結びついた魔法剣が壊れることで、宿主にどんな影響が出るのかは誰にも分からない。もう一生目覚めないかもしれないし、何かのきっかけで目覚めるのかもしれない。
確かなことが何もなく、ただ待つだけの日々は辛かった。
今、紗里真王国の中では、飛那ちゃんはまるで英雄か、女神のように謳われている。
大国のみならず、真国全土を脅かしていた黒い魔剣との戦い。
酒場に行けば、その話題で持ちきりだ。
神楽が消えただろう事実を国民や真国内に周知するために、蒼嵐さんが意識操作を行ったのもあるんだろうけれど、その噂は真国以外にも広まりつつある。
町の人達からもお見舞いの品が次々に届いたりして、国中が飛那ちゃんの目覚めを待っているようだった。
私は今日もここに来ている。
今にも起きてきそうな顔で眠っている飛那ちゃんは、本当に神話の女神様みたいに綺麗な顔をしていた。
生命活動を助ける魔力は、医療用の魔道具から供給されている。魔力はほとんど普通の状態にまで回復しているし、外傷も治癒したことから、何故目覚めないのか、理由は医師にも分からないらしい。
原因不明の昏睡。
肉体の時間を、止めるのに等しいレベルにまで落としているので、冬眠している状態に近いと、蒼嵐さんは説明してくれた。
すっかり顔見知りになった侍女の令蕾が、お茶のセットをテーブルに並べ始める。
「美威様、朝食はちゃんと召し上がりましたか?」
私の顔をのぞき込むなり、不安そうにそう尋ねてきた。
「ええ……一応」
白磁に花模様が入ったティーカップに、薄い水色の紅茶が注がれていくのを、ぼうっと見ながら答える。
「お顔の色が優れませんわ。お気持ちは分かりますが、このままでは飛那姫様より先に美威様がお医師のお世話になりかねません。国王様から昼食をご用意するように申しつけられていますから、後ほどちゃんと召し上がってくださいね」
「どうも、ありがとう……」
そこまで心配されるほど、私、ひどい顔なんだろうか。
つい先日、蒼嵐さんから大量の栄養剤をお土産に持たされたから、それも毎日飲んでる。
確かに、どれだけダイエットしても痩せなかった自分が、この3週間で3kg以上痩せた自覚があるけれど。
何を食べてもおいしくないのだから、それも仕方ない。
ベッドの向こう、壁際にあるサイドテーブルの上に、綺麗な包みの箱がいくつも置かれているのが目に付いた。
桜を思い起こさせる薄紅色、透き通る海の青、お日様の温かい黄色、それに色とりどりのリボンがかけられたプレゼント。
お見舞いの品だろうか。
ぼんやりそれを見ていたら、気付いた令蕾が教えてくれた。
「お菓子ですよ、全部」
「お菓子?」
「ええ、プロントウィーグルから先日贈られたものを、昨日の夜こちらに移したのです。飛那姫様、お小さい頃も西の大国のお菓子が大層お好きだったそうですよ」
西の大国のお菓子……ということは、これの贈り主は……
「贈り主様からは何度かメンハトも飛んで来ているのですが……国王様が『さすがにもう黙っている訳にもいかない』と仰って、先週、とうとう現状をお報せしたそうです。飛那姫様がお目覚めになりましたら、再度ご連絡することになっています」
「そう、だったんですか……」
プレゼントが積まれたテーブルの隅に、添えられるように置かれた封筒たち。
いつ届いたものなのかは分からないけれど、未だ開封されることのない手紙に心が傷んだ。
謝らなければいけない人が、多すぎる。
「飛那ちゃん……お菓子、早く食べないと、ダメになっちゃうよ?」
答えが返ってくることはないけれど。
そう声をかけずにはいられない。
「私が、食べちゃってもいいの?」
ダメに決まってるだろ、馬鹿。そんな声が聞こえた気がした。
堪えきれなかった涙が一粒、膝に落ちた。
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静かだった。右も左も、上も下もない。
明るいのか暗いのか、暑いのか寒いのかも分からない。
ただ、誰かが泣いている気がした。
側に座った誰かが……
「……飛那ちゃん」
……美威? なんだ、美威か?
「あの日、播川村を出た日の約束、覚えてる?」
唐突に、そんな質問が投げかけられた。
なんだよ急に……忘れるわけないだろ。
世界を見に行こうって。綺麗なものを見に行こうって、言ったよな。
「色んな所に行ったね……世界は広いって今でも思うけど、飛那ちゃんには色んなものを見せてもらったよね」
ああ、でもそれは私も同じだろ。
返したはずの言葉が、声になっていないことにそこでようやく気が付いた。
「本当は、私はもう十分に幸せなんだよ。小さかった頃に欲しかったけど手に入らなかったもの、いっぱい飛那ちゃんからもらったもの」
美威はなおも話し続けてる。
「それが、飛那ちゃんが私にしたかったことでしょう?」
頷けたかどうかは、分からない。
そう……だな。私は、美威を守りたかった。
もう、大事ものをなくすのは嫌だったから……理不尽に奪われて、泣くのは嫌だったから。
何より、お前には幸せになってほしかった。
「どこまでそうやって私だけを大切にするつもりなんだろうね? 馬鹿ね……私はもう魔法も使えないような、弱くて小さい子供じゃないのに」
そんなこと、知ってる……
そう反論すら、出来ない。
「自分を犠牲にしてまで、守って欲しくなんかないのに」
美威?
何の話なんだ、これは。
「私は、もう飛那ちゃんに守ってもらいたくないよ」
私は……もういらないってことか?
そういう話か、これ。
「……これからもずっと、友達でいたいよ。だから、飛那ちゃんはもう、私を守らなくていい」
……なんで?
「飛那ちゃんは強いけど、女の子だもん。もうそろそろ、守られる方になったらいいよ」
私が……守られる?
「だって、いるでしょう? 飛那ちゃんを守ってくれる人」
おかしなこと言うなよ。
私より強いヤツなんて、いないだろ。
「剣の話だけじゃないのよ。飛那ちゃん、傷ついてもすぐ我慢するから、癒やしてくれる人が必要でしょ?」
……そう、かな。
「もう我慢しなくていいんだよ。私も十分強くなったから、守らなくても大丈夫……それに、私にも守ってくれそうな人、出来たしね」
ああ、そういやそうだったな……
「だから飛那ちゃんも、もう、好きにしていいんだからね」
美威。なんか変だぞ。
さっきから、お前が近くにいることは分かるんだけど、何にも見えないんだ。
ここ、どこなんだ?
「だからね、お願い……」
美威?
「お願いだから、そろそろ起きてよ……飛那ちゃん」
泣くなよ、と言おうとしてまた意識が混濁した。
目が、開けられない。
声が出ない。
(美威……)
美威が、大事だ。
誰よりも。何よりも。
そう思って生きてきたのは……
私の不足を補う能力を持って、たまたまあの時に、あの場所で出会ったからなのか。
だから、手放したくなかったのか。
人肌の心地よさと、隣に立つことを赦される安堵だけで。
人格も、魂も、全て無視して、ただ守ることを生きがいとして側に置いておければ、それで。
(違う……)
そうじゃない。
絶対に、そんなんじゃない。
失えないと思うのは「必要」だからじゃなかった。
そんなこと、とっくに知っていたはずなのに。
美威から向けられる情に、私が美威に抱く情に、疚しさも、惨めさも、本当はいらなかったんだ。
依存の二文字に集約して考えていた、全ての感情を。
そんな風に思わなくても良かったのだと、今なら言える。
愛おしいものを増やしていっても、いいのかもしれない。
血に汚れた手でも、誰かの手をとっても、いいのかもしれない。
ただ好きなのだと、その想いだけで。
(ありがとうな……美威)
あの時、私にもう一度生きる希望をくれて。
こうして、友達でいてくれて。
もう少ししたら起きるから……
だから、もう少しだけ待ってて。
きっと、起きられるはずだから……
飛那姫と美威。家族ともただの友達とも言えない絆でつながっているふたりですが……
そういう「特別」があるって時点で、少なからず共依存の傾向がある気がします。
それを悪いと思うか、良しとするかも気持ちひとつ。
次回、紗里真を離れて西の国から。明るめのキャラに語らせましょう。




