最後の選択
横殴りの突風にあおられて、私の感覚は急速に現実へと引き戻された。
開けていく視界に、自分の手が握っているものを思い出す。
魔剣からの抵抗が、無効化されているのを感じた。
流しっぱなしの魔力の先に、魔道具としての本質である「核」が触れるのが分かった。
同調して、完全につながったのだ。
今ここで、この無防備な「核」に向けて真逆の魔法属性成分を浴びせれば、間違いなく魔剣の機能を停止させて、破壊することが出来る。
全てを、終わらせることが出来る。
そうすればネモはきっと、死ぬのだろう。
魂と結びついた半身を消せば、きっと彼も。
(……嫌だ)
今し方見た幻影のような、ネモの記憶が脳裏をよぎった。
殺すのは、嫌だ。
だって、あれは私じゃないか。
理不尽に耐えて、泣くことも忘れた子供の頃の私と、この子は同じだったのに。
知ってしまったら、この子だけ死んで、私は生き延びて幸せになんて、そんなこと、願えはしない。
「……出来ないよ……」
そう結論を出すまでに1秒もかからなかった。
怒りと絶望の淵をのぞき込んだような、ネモの黒い瞳と目が合った。
もう、それを怖いとは思わなかった。哀れみたくはないのに、ただ悲しくて憎めない。
その首筋から、神楽の刃がわずかに離れた気がした。
腕を振り払われたのも、一瞬のこと。
視界の隅に、黒い刃が赤い軌跡を残しながら引き抜かれるのが見えた。
衝撃が、走った。
「……あ」
斬り裂かれた胸の痛みを感じる前に、水平が揺らいだ。
ネモの顔が遠のいていく。
「っ美威……!」
私よりも先に後ろへ倒れ込んだろう飛那ちゃんの、呼ぶ声が聞こえた気がした。
そこでやっと、自分が何をしてしまったのか、理解出来た。
取り返しのつかないことを。
薄れゆく意識の中で口にしたのは、彼女への謝罪だった。
「……ごめ……ん」
自由を取り戻した黒い剣を、ネモが頭上に掲げるのが見えた。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
時間にして数秒。
美威が、攻撃の糸口を掴んだのが分かった。
魔剣の核に攻撃可能なところにまで同調した魔力が、私にも伝わってきた。
あとは、光魔法をたたき込めば、全てが終わる。
それなのに、美威は目を見開いたまま、ぼんやりとネモの顔を見ていた。
「出来ないよ」
美威の口から、そんな呟きがもれた気がした。
耳を疑った。理解できないまま、わずかに、神楽を握る手から力が抜けた。
ネモはその隙を見逃さなかった。
一気に引き抜かれた鋭い刃の痛みが、全身をバラバラに焼き尽くす勢いで襲いかかる。
足には力が入らない。後ろに倒れ込みながら、本能的に残った魔力を止血のため傷口に回した。
見上げた先で、鋭利な軌跡が黒く、弧を描いて走った。
頬に降りかかった温かい飛沫を、理解するのが一瞬遅れた。
……なんで。
繋がったと思ったのに、なんでその瞬間に手を止めたのか。
どうして、出来ないだなんて。
こんなのは、聞いていない。
「っ美威……!」
仰向けに倒れ込む体に無我夢中で手を伸ばし、地面にぶつかる寸前で受け止めた。
根元に傷を負った左腕よりも、心の方がちぎれてしまいそうだった。
美威の胸元を染めていく赤色と、自分のものに加わった濃い鉄の臭いが、脳の感覚を麻痺させていく。
違う。
こんな悪夢を見るために、連れてきたのじゃない。
眼前で、美威を襲った悪意の刃が再び振り下ろされるのが見えた。
渾身の力をこめて神楽で受けると、衝撃を噛み殺した。
どれほどに切り結んでもこぼれることのない刃が、ギリギリと擦れて不快な音を立てる。
「っ威……美威……!」
左腕に抱えた重みから、恐怖が伝わってくる。
間に合うのか、致命傷なのか、判断すらつかない。
もう私にも、十分に戦うだけの魔力が残されていないのに。
このままでは……二人とも、殺られる。
(させない……それだけは、絶対に……!)
するべきことが理解出来たら、頭の芯はすぅっと冴えていった。
「……ごめんな」
やっぱり、一人で来るべきだった。
何に変えても守ると、誓ったはずなのに。
神楽から聞き慣れない、キイィィィン……という音が聞こえてきた。
何かが高速で回っているような、耳障りな、高周波。
はじめは小さく、段々と強く、大きくなっていく共鳴音。
試したことはない。だが、やり方は知っている。
「お姉さん……何をする気?」
そう尋ねたネモの顔に、いつもの笑みや余裕はなかった。
「分かってるんじゃ、ないのか? お前には……」
逃れようとしたのか、上から押し付ける力が抜けた。
だが、ネモが引こうとした魔剣は、まるで磁石のように神楽について離れなくなっていた。
「神楽と煉獄は、同じものに、なるんだよ……」
「同じ、もの……?」
失血のせいか、視界が霞むのを感じた。
(もう少し……もう少しだけ耐えろ、私の体)
私が何をしようとしているのか、理解出来たのだろう。
ネモは「そんなの、おかしい」と呟いたように見えた。
「やめよう……お姉さん。そんなことしなくても、一緒にはいられるよ」
「悪いな……一緒にはいられないけど、一緒に、逝くことは出来るから、勘弁な」
同化して、消滅。
私が神楽に与えたプログラムは、それだけだ。
「待って!」
「……断る」
双頭の竜が首を絡め合うように、切り結んだままの神楽の青が、魔剣の黒と溶けた。
重なり合う刃から響いてくる、甲高い共鳴音が全てをかき消す勢いで大きくなっていく。
(ごめんな、神楽)
私の、もうひとりの相棒。
どんな時も一緒に戦ってくれた、大切な父様の形見。
お前を、この手で壊すときが来るなんて思いもしなかった。
酷い仕打ちを、どうか許して欲しい。
『やめろ……!!』
誰のものともつかない、重苦しい叫びが響き渡った、直後。
二つの剣は、凄烈な光を放った。
エピローグが近付いてきて、ますます暗さを増す作中です。
読んでいて疲れそうなので、1話を短めに設定中……
理屈じゃない選択って、いっぱいあると思います。
次回、「邂逅」。もうちょっとの間、お付き合いくださいね。




