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没落の王女  作者: 津南 優希
第三章 その先の未来へ
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黒の記憶

 何も縋るところのない、感覚だけが研ぎ澄まされた世界だった。

 動かない四肢でも、自分以外に誰もいないと知覚することは出来た。


 ここは、魔剣の内部なのだろうか。

 同調したことで、私の精神が取り込まれてしまったのかもしれない。

 こんなところにずっといたら、頭がおかしくなってしまうことだけは確かだった。早く抜け出さなければ。

 でも、どうやって……


 この生温かい気持ち悪さを、振り払いたい。

 水の中とも空ともつかない緩やかな流れに乗って、ただ運ばれていく自分の体をどうにかしたい。

 唯一動く目をぎゅっと固く閉じたら、瞼の奥に知らない男の人の姿が見えた。

 すらりとした長身に黒髪。白い肌は女の人みたいで、線が細くて綺麗な人だと思った。


 誰……?

 私の記憶にはない人だ。

 彼は地面に膝をつくと、懇願するような面持ちで目の前を見上げた。


「命ある限り、その魔剣に抗いたいとお前が望むのなら……見届けようではないか。私とともに来るがいい」


 その視線の先に聞こえてきた、低く落ち着いた男声。

 そこには一人の剣士が立っていた。立派な身なりで、40歳前後。威風堂々、という言葉が似合いそうな人だった。

 強そうな雰囲気なのに、その目は誰かによく似た、優しい色をしていた。


 私は何を見ているんだろう。

 これは、誰の記憶にある景色なんだろうか……?


 また景色が変わった。

 周囲の様子から、お城の一室のようだった。

 大きな椅子に腰掛けて、先ほどの剣士が微笑んでいた。


高絽(こうろ)、私の娘に、剣を教えてやってはくれないか」


 その内容に、息を飲んだ。

 もしかしてこの人は……


 答えにたどり着く前に、その風景も別の部屋にとって変わった。

 両膝をついて、苦しそうに肩で息をする、初老の剣士。

 年は変わっていたけれど、同じ人だと思った。

 そしてその手に握られた剣は、私にとって見覚えのありすぎるものだった。


 神楽……!


修喜王(しゅきおう)……私は結局、この狂気を振り払う事は出来ませんでした)


 しずかな、独白にも似たそんな声が聞こえてくる。


「其方を、救えなくてすまない……」


 神楽を杖のように立ててそう言うと、剣士はかすかに笑った。

 無念だと、そう言っているような気がした。

 命の炎が尽きようとしている最期の時に、この綺麗な男の人に向けられた言葉。


(何を謝る……貴方は、何も悪くないのに……)


 苦くて冷たい何かが胸に広がった気がした。

 この男の人の感覚に、引きずられているのだ。


 再び、景色は変わった。

 飛び込んできたのは、見開かれた薄茶の大きな瞳。

 子供の頃の、飛那ちゃんだった。

 綺麗な髪にも顔にも血が飛んで、血まみれで、ひどい姿だった。


(私を……忘れないで、ほしい……)


 消え入りそうな声だったけれど、確かにそう聞こえた。

 愛おしいと、一人にしないでくれと、声にならない声が聞こえた気がした。

 自分が泣いているのか、この男の人が泣いているのかもう分からない。

 痛くて、悲しくて、狂おしいほど、飛那ちゃんが大事だったんだ。この人は……


 瞑った目の奥で、映像が切り替わった。

 今度はどこかの農村の風景のようだった。


「厄介者」


 耳のすぐ後ろで聞こえたかのような、悪意に満ちた声だった。

 自分に向けられたものではないと分かっていても、心臓は大きく跳ねた。


「お前なんか、引き取らなければ良かったんだ」


 しわがれた声の、女の人が立っている。

 濁った目が、真っ直ぐに憎しみをぶつけてきた。


「お前も姉さんと一緒に死んでしまえば良かったものを」


 そう告げる相手は、ネモだった。

 他にもたくさんの人がいた。大人も子供も、老人も皆、ネモを汚い物を見るような目で見下していた。

 これはきっと、ネモの記憶。


 わらべうたが聞こえる。


 (かご)め (かご)め……(かご)の中の鳥は

 何時(いつ) 何時(いつ) 出遣(でや)

 夜明けの番人(  )

 鶴と亀が滑った(  )

 後ろの正面 だあれ……?(  )


 輪の中心にいるのは、ネモだ。今より少し幼い。

 ネモを囲む子供達は彼の答えを待たない。

 一人の子が、至近距離から何かを投げたように見えた。


 ネモはこめかみに当たった石が地面に転がるのを、指の間から放心したように見ていた。

 頬を伝った血が、肩にぽたぽたと落ちる。

 それはとても恐ろしい光景だった。

 すぐにでも割って入って止めなければいけない、小さな村の中で行われていた虐待の一部。


 こんな景色には、覚えがある。

 私も、同じだったから。


「あいつとは目を合わせちゃいけないんだよ」

「側によると呪われるんだって」

「やだ、気持ち悪い」


 ネモは空っぽだった。

 悲しいとか、悔しいとか、当たり前に浮かんできそうな、そんな感情すら抱いていないようだった。

 自己防衛の本能を働かせて、必死に自分の殻に閉じこもっているように見えた。

 そうしておかないと、壊れてしまうから。


 先ほどの女の人だろうか。おばあさんが一人、布団の中で冷たくなっている。

 それを見下ろしたまま、ネモは静かに泣いていた。

 自分が涙を流していることも、気付いていないようだった。


 次に見えたのは、血に染まった村の風景。

 道のあちこちに、生きていたものとは思えない無残な姿で、倒れている人達。

 目を背けたくなるような惨状の真ん中に、ネモは黒い剣を握りしめたまま立っていた。


 何かを笑いたくなる衝動と、耐えがたい孤独を孕んだ狂気。

 どちらも似すぎていて、どれが彼の本当の感情なのか分からなくなる。


(どうしてみんな、僕をひとりにするの?)


 行いと矛盾した問い。

 もう、やめて欲しい。

 こんなものは、もう見たくない…………!!

 

 拒絶した瞬間、何かに吸い上げられるように意識が自分に戻ってきた。


「美威、厄介者」


 それは、今度こそ自分に向けられた言葉だった。

 投げられた石も、憎悪に満ちた視線も、悪意に溢れた言葉も。

 全部、自分の記憶にあるものだった。


「あんな子、生まなければ良かったわ」


 本当にね。と答えたのは、父だ。

 世間話でもするかのような気軽さで、全てを否定された。


 死んでしまった方が楽なのに、それでも死ぬのは嫌だと醜い生が叫んでいる。

 生まれてきたことの意味を知ることなく、ただ朽ちて死んでいくだけなんて。

 そんなのは嫌だと。


 誰か……誰か、私を必要だと言って。

 ここにいてもいいんだよと、その一言だけでいいから。


 重くて、暗くて、縮こまった気持ちを、誰かに受け止めて欲しい。

 触れてしまったネモの気持ちは、幼い私が抱いていたものと酷似していた。

物語終盤の、暗澹とした部分に差し掛かっています。

苦手な人はごめんなさい。


余談ですが、わが家には生き物がたくさんいます。

昨日はそれ関連でバタバタしてました。土曜日は訪問してくださる方が多いので、更新したかったのですが……相すみません。


次回は、「最後の選択」。美威と飛那姫のリレー語りで、お送りする予定です。

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