深淵の入口
近くに寄るだけで身が削られそうな、凄まじい剣気だった。
腹の底から寒気をもよおすような、不気味で尖った、漆黒の剣気。
神楽の清廉な気とは全く異質で、でも質量の似た巨大な魔力から、それは無尽蔵に生み出されていくように見えた。
(まずい……)
あの剣にはかすり傷からでも、魔力を削り取られる。
戦いが長引けば不利だと感じた。
(早々に、決着をつけるしかないってことか)
美威の計画を実行に移すには、まだ抵抗があった。
だけど、それが最善であることも分かってはいた。
私は、もう誰も殺してはいけないんだろう。自分さえも。
もし美威の攻撃でネモが死ぬようなことがあったら……その時は二人で背負うしかない。
生きていれば、二人で負えば、耐えることも出来るはず。ここまで来てしまっては、そんな風に思うしかなかった。
「美威!」
覚悟を決めて、相棒の名を呼んだ。
「いつでも走れるように準備しておけ! チャンスは一回きりだから、失敗するなよ!」
私の呼びかけに、美威はしっかりと頷いた。
「何? 何か企んでるの? あっちのお姉さん魔法士でしょう? ぼく魔法士は嫌いなんだけどな」
「気にするな。私が助力を仰ぐほどには、お前が厄介だってだけの話だ」
「ふーん……」
翻った軌跡を追って神楽の刃で受けると、無理矢理力の方向を曲げた。
反転した刃を再び受け止めたら、両肩に強烈な重量がのしかかってきた。戦闘開始直後より、自分の魔力が削られていることを実感する。
剣術だけならまだ互角。だが完全に優位に立った上で、叩き伏せるのは無理だと判断するしかなかった。
時間が経てば経つほど、勝利は遠のく。
これ以上動きが鈍る前に、美威が近付く隙を作らなければいけない。
美威の安全が絶対に保証されることを条件として。
ネモの動きに全神経を集中し、頭よりも先に体で動いた。
(先を読め……)
斬撃の行方を。
最速の限界を越えて。
(……ここだ!)
左正面から突き出された剣先に、神楽の刃を滑らせて勢いを殺した。
鈍く突き刺す音とともに、左腕の付け根に衝撃が走った。
「なっ……?!」
目の前にある黒い瞳が、驚きに見開かれたのが見えた。
十分に避けられた攻撃だったはず。そう、目が語っていた。
己の持つ黒い刃が、私の体を突き抜けたことに理解が追いつかない顔で、ネモがその場所を凝視していた。
激痛が神経を伝って全身を巡っていく。
刺された箇所から容赦なく魔力が引きずり出されるのを感じた。
今更。痛みに泣こうとは思わない。
刃の痛みよりも恐ろしい、本当の痛みから比べれば、こんなもの。
「……美威! 来いっ!!」
「っ飛那ちゃん……!!」
私が呼ぶ前に美威は走り出していた。
呆然と動きを止めてしまったネモの手を、私は左手で剣の柄ごと握り込んだ。神楽のようにはじき返されるのかと思ったら、抵抗はなかった。
しびれる腕に力を込めて、神楽の刃をネモの首筋に押し当てる。
「動くなよ……スパッと、斬り落とすからな……」
捕らえた……これで、少しの間こいつの動きを止められる。
「お姉さん……なんで……死んじゃうよ?」
「……お心遣いは、遠慮する……」
思考を停止してしまったかのような表情に、精一杯の強がりを返した。急所を外したとはいえ、呼吸が乱れる。
身を焼き斬ろうとする高熱が、ズキンズキンと音を立てて広がっていくのを感じた。
この黒い剣に翻弄されたあの頃、死ねたらどれだけ楽かと考えたことなんて、数え切れない。
でも、もうあの頃とは違う。
私が死ぬのは、今じゃない。
「飛那ちゃんっ……何、何やって……!」
「やれ、美威……」
「……本当に、馬鹿っ!!」
駆け寄ってきた美威が、手を伸ばして私とネモが握っている魔剣の柄を掴んだ。
同時に、澱を帯びたプラズマが散った。
「ぅあっ、つ……!」
予想通り、魔剣も触れる対象全てを拒絶するかのような反応を見せた。
何故私が触れても平気なのかは、分からない。
痛みに耐えて魔剣の柄を握りしめた美威の手のひらから、白い光が噴出した。
(……これで、何とかなるか……?!)
光魔法を使った美威が「……ダメだ」と苦しげにうめく。
「入り込めない……弾かれる……!!」
私も傷口からどんどん力が抜けていくのを感じた。
……失敗、なのか……?!
「待って……! なら……同調して、パイプをつなげば……!」
何かに気付いた美威が、魔剣を握る自分の右手首を掴んだ。決して離さないように。爪を立てて痛みを噛み殺したように見えた。
美威の手から白い光が消え、代わりに黒い陰影を落とす魔力がもれ出した。
「美威? ……な、にやって……?!」
属性が真逆の光魔法で破壊するんじゃなかったのか?!
今美威が魔剣に浴びせているのは、どう見ても闇魔法だった。
「パイプを……つなぐのよ……!!」
「何……?」
「同調して、通り道を作る……!」
言っている意味の全部は分からなかった。
でも、やろうとしていることはなんとなく分かった。
なら私のすべきことはひとつだ。美威がしようとしていることを終えるまで、堪える。
生温かい液体が服を濡らして伝っていくのが分かった。
私の魔力を容赦なく鷲掴みにして引きずり出そうとする、悪意の手に対抗する術がない。
すぐにでもこれを引き抜いて、離れなければ魔力切れで死ぬかもしれないことは理解できた。
(だからって……ここで踏ん張らなきゃ、ダメだろ……!)
私達を取り巻く時間は、すごく遅く流れていた。
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これは、普通なら絶対に素手で触れようなんて思わない、汚穢そのものだ。
ましてや、その切っ先は飛那ちゃんの左腕の付け根を貫いている。
そこで抜けないように固定された魔剣にも、その状態でネモの首筋に添えられた神楽にも、凍り付くような寒気を覚えた。
手には既に感覚がない。私は黒い剣から離れてしまわないように、掴む指を必死で上から握り込んだ。
対極の属性である光魔法が弾かれるのなら、同じ闇属性を使えばいい。魔剣と波長を合わせて同調した上で、構造体の内部に侵入するんだ。
私が咄嗟に考えついたのは、そんな策だった。
道筋を作った上で、魔剣を構成する核にまで乗り込んで、光魔法で壊す。
それできっと、なんとかなる……!
予想通り、闇魔法は弾かれなかった。そのまま魔剣の内部に取り入ろうとした瞬間、濡れた布を引きずるような、重たい何かが自分の中に混ざってくるのを感じた。
「……!」
こみ上げる吐き気にはかまわず、なおも同調しようと闇属性の魔力をたたき込む。
(つながれ……!)
次の瞬間、世界が暗転した。
視界の中からすべてが消え去って、自分の存在だけが浮かんでいた。
頭上にある夜明け前のような薄明るさが、底に広がる闇の濃さを際立たせている。
どこからか、コーン……コーン……と、鐘の鳴る音が聞こえてきた。
生温かくて、気味が悪くて、底知れぬ深い黒がどこまでも続く空間。
感じるのは、気の遠くなるような孤独。
「何、ここ……」
呟いた言葉は、音にならなかった。
体の自由がきかない。
どこが出口なのかも分からない。
(何なの、ここは……!)
突如として堕とされた闇の深さに、私はひとり、声にならない悲鳴をあげた。
2019/05/25 追記
本日、5/25(土)の更新ありません。
突発的諸事情により、執筆の時間が取れないので……申し訳ないです。
明日もちょっと怪しいのですが、ご理解いただけると幸いです。
エタってませんので、引き続きよろしくお願いいたします。
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数年間の出来事を数行で書く。
ほんの数分間の出来事を、何話も使って書く。
文章は便利だなぁと思いつつ、本当に難しいです。
次回は、美威語りのまま続きます。




