静かなる遭遇
「風が、強くなってきたな」
飛那ちゃんがぽつりと呟いた声も、吹きすさぶ音にかき消されそうだった。
頂上付近には、ともすると体ごと吹き飛ばされてしまいそうな強風が吹き荒れている。
そのおかげか霧や雲は晴れて、大きい木も生えていないこの場所は視界が良くなっていた。
「もうあそこが、頂上なのね」
見上げた先、距離にして300メートルほどだろうか。頂が見えた。
その下になだらかに広がる平原には、生き物の気配がない。
なんとかここまでたどり着いたけど、ネモは一体どこにいるんだろう。
まあ、いきなり現れたとしても機敏に対応できない位には、疲労困憊なんだけどね。
「美威、やっぱり、言っておきたいことがある」
足を止めて隣に立った飛那ちゃんが、感情の読めない声でそう言った。
「何?」
「お前、魔剣に光魔法叩きこんで壊すって言ったろ?」
「ええ、言ったわよ。やると言ったらやるからね」
痛い思いをしようが、難しかろうが、絶対にやるともう決めている。
止めたって無駄だ。
「それは可能かもしれないけど……魔剣を破壊したら、ネモは死ぬかもしれない」
告げられた内容は、全く想像していなかった訳じゃない。
でも彼女の口ぶりでは、その予想はかなり事実に近いものとして、突きつけられていた。
「お前、人を殺せるか?」
あえてシンプルに伝えられた問い。
出来る。それが飛那ちゃんを生かすために必要なことなら。
「……出来るわ。私がやらなかったら、飛那ちゃんがやるんでしょう? 同じ事だもの」
「同じじゃない。私の手はもう汚れてる。でも美威は……」
「同じよ! 私だって、大切なものを守るためなら不本意なことだってするわ! やりたいのと出来るのは違うけど、飛那ちゃんが死んじゃうくらいなら私は進んでそれを選択するわよ!」
私にとっての大義名分なんて、それで十分だ。飛那ちゃんみたいに、みんなを守ろうとか、負の連鎖を止めようとか、そういう気持ちもないわけじゃないけれど、正直ピンとこない。
絶対にやりたくないことを進んでやる理由があるとしたら、それは彼女の為に他ならない。
私の決意を聞いて、飛那ちゃんは辛そうに表情を歪めた。
「お前に、そんなものを負わせたくないんだ」
「勝手なこと言わないで。私は私のしたいようにするだけよ。よく考えてないわけじゃないし、生半可な覚悟で言ってるわけでもないわ。飛那ちゃんは、私が人殺しだったら、友達やめるわけ?」
「そんなわけ、ないだろ……」
「じゃあ、何も問題はないわ」
「……分かった。隙は私が作る。お前は、その時まで手を出すな」
「了解」
どれもこれも全部なんて選べないのなら、一番大切なものを優先するしかない。
いつだってそうやって選択してきたし、後悔はしない。
「……おい、美威」
何かに気付いたように飛那ちゃんが視線を投げた先、草原の中に、横たわる何かが見えた。
子供くらいの大きさだ。
草の緑と絡まるように見えるのは、黒髪に、簡素な服。
「……あれって……?」
「まさかな」
予測できることはただひとつ。こんな場所で他に考えられない。
でも、寝ているだけとも考えづらい。
キン! と神楽の顕現する音が、湿度の濃い大気の中に響き渡った。
私は、剣を横に構えたまま人影へと歩いて行く飛那ちゃんを、息を飲んだまま見守っていた。
人影をのぞき込んだ飛那ちゃんから、ピリッとした緊張が伝わってくる。
「外傷は、なさそうだが……死んでるのかどうか、判断出来ない」
「やっぱり、ネモなの?」
「ああ……そうだ」
なんてことだろう。こんなに気負ってここまできたのに、敵が既に倒れているなんて。
風竜との戦いで、怪我を負ったのかもしれない。もしかしたら、もう……?
そう思いかけて、私も数歩近付いた時だった。
「ああ、来てくれたんだね……」
じわりと、耳に聞こえてきたのは、安堵と歓喜を混ぜたような声。
飛那ちゃんは唇を引き結んだまま、倒れた少年の姿から目を離さなかった。
仰向けに閉じられた目はそのままに、口元だけが笑みの形を作ったように見えた。
なんの気配も感じなかった。
その姿が目に入っていても、気付かず通り過ぎてしまうほどの生気のなさ。
これほどまで完璧に気配を消すことなんて、私には出来ない。
まるで空白の部分から有が生まれるように、血色の悪い唇から少年の声がもれた。
「寝てたんじゃないよ。ちょっと、なじむまで時間がかかってたんだ。すごい魔力を一気に食べてしまったものだから」
そう言うと、ネモはゆっくりと草の上にその身を起こした。
そうだよね、死んでいるわけがない。でも……その存在はあまりにも希薄だった。死んでいるといわれても、納得出来るほど虚ろで。
今そこで立ち上がろうとしているのが、本当に生きた人間なのかどうか、分からなくなるくらいに。
「僕と一緒に生きるために、来てくれたの?」
「お前を、止めに……悪夢を、終わらせに来たんだ」
飛那ちゃんの言葉に、ネモは意外そうな表情で首をかしげた。
「何を? 終わらないよ、何も。ねえお姉さん、僕とずっと一緒にいようよ。その方がいいよ」
「……どうして私にこだわる?」
「お姉さんと僕が、同じものだからだよ。僕のこと分かってくれそうな人、お姉さんしかいないんだ。この意味が、分かるでしょう?」
ネモが飛那ちゃんに固執する理由は、同じような剣を所有しているせいなのだろうか。
二人が同じものだと言い切るところが、なんとも言えず不快だった。
「お前のことなんて、何一つ分かりはしない……それに私は、お前が大嫌いだ」
「それは、傷つくな……」
演技ではなく悲しげに眉をしかめたネモに、飛那ちゃんも表情を曇らせた。
「でもな、大嫌いってのは、死んじゃえとか消えちまえってのと、同じ意味じゃない。それ以前に、お前はなんか、可愛そうだと思う……」
「かわいそう? へえ、同情してくれてるんだ? じゃあやっぱり、僕のことが嫌いじゃないんだね?」
著しく話が通じない相手。
どこまで行っても同じレベルで会話が出来ないような、狂ったベクトルを感じた。
「同情か……私の嫌いな言葉BEST5に入れてもいい二文字だ。いつだって最後には、そんなもの意味をなさない」
「そうだね。だからやっぱり、力が必要なんだよ」
そう言ったネモの周りから、じわりと黒い染みのような気配が浮き上がるのを感じた。
次の瞬間。
空白地帯から、燃えさかる炎のように噴出した魔力の激しさに、私は声を失った。人は本当に恐ろしいものを目の当たりにしたとき、叫ぶことも出来なくなるらしい。
それまでの静けさとうって変わった怨嗟の塊が、ネモの周囲から沸き上がる。渦巻く中心に思わず焦点を合わせてしまったら、めまいがした。
あまりにも陰鬱な黒い剣がその手の中に出現するのを、私はただ見ていた。
(……なによ、これ……!)
人の気配じゃない。異形とも違う。
少年の体と握る剣から滲み出る毒に、大気までもが歪んで穢れていくような錯覚を覚えた。
その剣から黒い煙を上げながら、ネモは飛那ちゃんに向かって一歩踏み出した。
迫る、鬼気。
私はあれに、触れなくてはいけないのだろうか。
その禍々しさにゾッとして、鳥肌の立った自分の二の腕を握りしめた。
「始めようか、お姉さん……そして今度こそ、終わりにしたいな」
「同感だ」
練られた魔力が黒と青の弧を描いて、雷撃の激しさで衝突するのが見えた。
凄まじい轟音とともに、私の目前で石や土や、なんだか分からない物が盾にぶつかっては落ちていく。
最大まで絶界の盾の強度を上げるために、魔力を込めることに集中する。嵐の向こうで、斬り合う音が聞こえてきた。
「飛那ちゃん……」
ネモの剣は明らかに、復国祭の時よりも魔力の気配が濃くなっている。
交叉した二つの剣から放たれるのは、物理的な衝撃以上に魔力の爆発だ。強力な盾を持たない人間は、この場に存在することすら出来ないだろう。
感覚を焼き焦がしそうな衝撃波が吹き抜けていった後、少しの静寂とともに視界が開けてきた。
先ほどよりも近い位置で、切り結んだまま拮抗する二人の姿が目に入った。
ほんの1分ほどの間に、どれだけの攻防があったのか私には想像もつかない。
飛那ちゃんの体にも、ネモの体にも、受けきれなかった剣気で切り裂かれた無数の傷が出来ていた。
「いよいよ、本当の化け物になったか……」
「お姉さんこそ、ここまでやって互角だなんて、恐ろしい人だよ」
そんな会話が聞こえてきたと思ったら、金属音とともに、二人が後ろに飛んで離れた。
「……っ」
左の頬を拭うような飛那ちゃんの仕草に、その場所からかなりの出血があることを知る。
防御魔法はかけてあるはずなのに、意味を為していないらしい。
「煉獄はすごく喜んでいるみたいだけれど……魔力を吸い続けたら、お姉さん、そのうち死んじゃうよね」
本当に心配しているかのような口ぶりで、ネモが言う。
魔剣は、斬った相手の魔力を吸い取る。
同じようにダメージを与えても、魔力を持っていかれる一方の飛那ちゃんは、不利なんじゃないだろうか。
かと言って、私があの速さを見切って攻撃出来る訳がない。
どうしても飛那ちゃんに、ネモの動きを止めてもらわなくちゃいけないのだ。
「美威!」
私の焦りを察したように、飛那ちゃんが叫んだ。
「いつでも走れるように準備しておけ! チャンスは一回きりだから、失敗するなよ!」
チャンスは、一回きり。
その言葉に、私はごくりと唾を飲み込んだ。
飛那姫とネモ、戦闘開始です。
次回は、この続きをば。
明日は外出予定がある為、更新お休みの予定です。
らくがきを見に活動報告を訪れてくださった方々、ありがとうございました<(__)>




