私にしかできないことを
容赦ない太陽の光が、今日は何故だか目に痛い。
射した日に落ちる影が、いつもより色濃く見えるせいだろうか。
本当の意味で、紗里真復国祭が終わった。
この数日間は長かった。特に黒い魔剣が現れてから、ここまでの時間が。
私にしか出来ないことをするために、もう行かなくては。
地面に落としていた視線を上げて、迷いなく前を見た。
過去と向き合い、裁かれる時がきたのだろうと、頭の中でずっと考えていた。
美威の言うとおり、この先に進む未来があったとしても……避けては通れない、行き止まりの道が見えているような気がした。
私は城の中に戻ると、中央の大階段を上った。
3階の廊下を回って、たどり着いたのは兄様の自室。
「国王より仰せつかって参りました。部屋を、開けて下さい」
大きな扉の前に立つロイヤルガードに声をかける。何を頼まれてきた、などと聞いてくる者もいない。当然だが顔パスだ。
「かしこまりました」と、うやうやしく扉が開かれた。
兄様が玉座の間にいることは確認済みだ。しばらくの間はここへ戻ってこないことも。
部屋の中に足を踏み入れて、大きなテーブルの隅に置かれた、畳んだ紙に手を伸ばす。
取り上げて、目的のものに違いないことを確認すると、代わりに一通の手紙を置いた。
兄様のこの自室は、昔父様が使っていた部屋だ。調度品もすっかり変わっているけれど、壁の装飾などに懐かしい記憶が見てとれた。
ひとつひとつの部屋にしても、玉座の間にしても、昔の面影をなるべく残さないよう配慮して、内装を変えてくれているのを知っている。思い出さないように。
いつだって兄様は私を気遣ってくれて、優しい。
小さい頃から変わらず私を愛してくれる、兄様が大好きだ。
全部話せばきっと力になってくれる。何を敵に回しても、私を助けてくれるだろう。
だから、兄様には話せない。
あの魔剣を止めるために、どうすれば良いかを、話すことは出来ない。
甘えを受け止めてくれると分かっているからこそ、そこに逃げ込むことは許されないのだ。
「この国を……」
永く、よく治めてくださいね。
手紙の内容は、謝罪と、そんな願い。
畳まれた紙を持って、私は後ろ髪を引かれるような思いで、兄様の自室を出た。
開けられた自分の部屋の扉をくぐって、お茶を支度しようとする侍女達を止めると、側に呼んだ。
「色々あって少し疲れているの。部屋でゆっくり休みたいから、しばらく一人にしてくれる? 私が呼ぶまでは誰も部屋には入らないようにして欲しいの」
「まあ、ご無理もありませんわ。本当に色々ありましたから……」
「ええ、お願いね、令蕾」
「かしこまりました、飛那姫様。外に控えておりますので、ご用の際はお呼び下さいませ」
気遣うような侍女の笑顔に、心が痛む。
「ありがとう」
感謝の言葉に、偽りはなかった。
昨日の一件で、この侍女が私を慕ってくれていることが分かったせいか、嘘は気が引ける。
そろそろと侍女達が出て行き、部屋の扉が静かに閉まった。
一人きりになったところで、クローゼットから簡素な白い開襟シャツとショートパンツを引きずり出す。
鎧はない。マントも必要ない。
軽いシャツにショーパン。こんな感じの軽装が、私らしい戦闘服だ。
バルコニーに出て、少しだけ目を細める。
向こうに見える城壁までのルートに、見張りの兵がちらほら歩いている場所を確認した。
この程度の人数であれば、すり抜けるのに問題はない。
音もなく手すりを飛び越し、下の小径に降りると、風の速さで広く緑豊かな庭園を横切った。
大木を踏み台にいくつか枝先を蹴れば、あっという間に城壁の上だ。
視線の先に、美威が住むアパートが見える。
「美威……」
今ここで振り返り、想えることなんて多くない。
そんなに簡単に別れを口に出来るようなものでは、出来ていない。
(もし私が帰らなくても、元気でやれよ)
祈るような気持ちで、そこから視線を外すと、宙に出た。
深く膝を沈めて、城の外の砂っぽい地面に着地する。
立ち上がったところで、ふいに背後から、自分に向けられたとしか思えない呟きが聞こえてきた。
「……来たわね」
びくりと、背中を震わせて、ゆっくり振り向く。
気配を殺して、ここで待ち構えていたのだろうか。美威が、不機嫌そうな顔で立っていた。
「まさか私を置いて行くつもりだった?」
「……何で」
「何で、じゃないでしょ? 分からない方がどうかしてるわ。一刻も早くネモを止めに行きたいって顔に書いてあったもの。私も行くからね」
さも気に触ったように、片方の眉を上げた美威がぴしゃりと言い捨てる。
「ダメだ……お前を、連れて行けない」
「連れていけない? 私はあなたの相棒なんですけどね?」
「これは私の戦いだ。あいつは強い。どんどん強くなるんだ……止められるかどうか、正直なところ分からない。だから、お前を連れて行くわけにはいかない」
「何よそれ? はっきり言ったらどうなの? 相打ち狙ってるって」
さらりと伝えられた内容に、息を飲んだ。
それが答えになってしまったことに、少し遅れて気付く。
美威はさらに不愉快そうな表情になって「やっぱり……」と呟いた。
「どんなこと考えてるかくらい、分かるわ」
「分かってるのなら……余計に、連れて行けない」
「私が弱いから?」
「……いや」
「ねえ、私、子供の頃と同じで、足手まといなの?」
「足手まといなんかじゃない……でも、お前に見せたくない」
私の死体なんか、と続けた言葉に、美威は表情を強ばらせた。
憤りを隠せないように、私の前に歩いてくると両手を伸ばして肩を掴んだ。
「っ絶対に、見ないわよ私は! そんなもの……見てたまるもんですか! 何を飛那ちゃんらしくない弱気な発言してるのよ!」
「弱気なわけじゃない、必ずそうなるかも分からない。私にしか出来ないことを、やりにいくだけなんだ」
「それが相打ちなの? 冗談じゃないわ」
本気で怒った藍色の目が、揺れていた。
「いつもみたいに、自信たっぷりに言えばいいじゃない! あんなヤツ叩きのめしてやるって!」
「……美威」
言いながら泣きそうな相棒に、ごめん、と謝った。
「ただ倒すだけじゃダメなんだ。それじゃ、終わらない。また……先生やネモのような人間が生まれる。くり返しだ。その連鎖を、止めなきゃいけないんだ」
魔剣には、聖剣をもって。
「神楽なら、きっとあれを壊せる」
最大最強の攻撃用魔道具。
宿主の魔力に応じて、どんな特性でも持たせることが出来る魔法剣だからこそ、師匠は最期に道具として自分の剣を使った。
私にもきっと、あれと同じ事が出来るはずなんだ。
「あいつに斬り殺されるつもりはないよ。剣では負けない、誰にも」
「じゃあ、どうして……」
「魔剣は呪われた剣だけど、元は魔法剣として作られているんだ。製造過程で技師の気が触れて呪ってしまった魔法剣が、魔剣だと兄様が教えてくれた。元を同じくする魔法剣も、その製造の複雑さから完成品であっても不安定で……呪いにかかりやすいらしい。負の特性を持たせやすい、って言えばいいのかな」
特定の発動条件を持たせて、自分の死後に足枷として使った師匠のように。
魔法剣は、宿主が願えばどんな武器にでも変化しうる。
「斬り合って魔剣を破壊できればいいけど、おそらく出来ないだろう。だから神楽を使って、魔剣を破壊するんだ。それしか、方法がないと思う」
「神楽を使って、って……よく分からないけど、使った後はどうなるの?」
「分からない。誰も試したことがないから」
「まさか、壊れちゃったりしないよね? 神楽って、飛那ちゃんの魂と一体なんでしょ?」
「……道具として使うには、一回きりなんだ」
「……待って」
私の考えていることが、理解できたらしい。
美威は震えた唇で「待ってよ」ともう一度、絞り出すように言った。
「神楽が、もし壊れちゃったら……飛那ちゃんはどうなるの?」
「分からない」
宿主が死ねば剣は離れるけれど、先に剣が壊れた時に、一体となっている宿主の魂がどうなるかは、私にも分からなかった。
ただ、神楽と一緒に消える可能性は十分にある。
「だから美威は、そこにいなくていい」
「……」
「裁かれるのも、罪を償うのも私一人でいいんだ」
「本気で……」
美威は一旦そこで言葉を切って、深呼吸したようだった。
「本気で、私は怒ったわよ」
「……いや、お前最初から怒ってるだろ」
「弱気になって、相打ちになるって考えてるのかと思えば、そんな馬鹿な計画があったわけ?!」
「仕方ないんだ、もうそれしか方法が……」
「仕方ないって言わないのよ!! 私ね、前々から言いたかったの。私が、飛那ちゃんと会って救われなかったとでも言いたいの?」
「何?」
「飛那ちゃんがいなかったら、私はここに存在してないのよ? 仕方なく殺した数より、生かした人の数の方がもっと多いはずなのに……最後に自分の命で償えばいいだなんて、本気で思ってるのなら本当の大馬鹿よ! そんなの、ただ自縄自縛に陥ってるだけじゃないの!」
告げられた正しさに、言葉が返せなかった。
たたみかけるように美威が言った。
「自分がどれだけ誰かの救いになってきたかも知らずに、何も出来なかったとか、許されないとか、そういうのを筋違いって言うのよ!!」
こんな風に、面と向かって言われたことは今までになかった。
いつでも美威は、私が黙っている罪悪感について無理に聞き出そうとしなかったし、回復するのをただ側で見守ってくれていた。
それに甘えて、ずっと一人で溜め込んだつもりになっていた。けれど、美威も私に言いたいことを我慢していたのだと、はじめて気が付いた。
「飛那ちゃんがいなければ、幸せになれない人達が私の他にもいるのよ? それが現実で真実よ。もう今なら、知ってるでしょう、そんなこと」
美威の口から吐き出された言葉は、私が考えることを避けてきたようなことで。
目の前に突きつけられれば、否定は出来なかった。
そんな風に考えられたのなら、この悪夢も終わるのかもしれない。そう思った。
この短期間で増えすぎた、大切な人達の顔が次々と浮かんだ。
私が最も恐れていたことのはずなのに、そうなってしまえばもう、後戻りは出来なかったんだ。
私が生きていることで、誰かを幸せにするなんてことが、もし可能なら。
死んでしまってもいいから、なんて考えは、ダメなのかもしれない。
「……人間って、強欲だよな」
普通に生きたいと、幸せになりたいと、自分のことだけで手一杯なはずなのに、他人まで幸せにしたいなんて、欲張りすぎじゃないだろうか。
「そうよ。特に私は何も諦めるつもりはないわ。魔剣だかなんだか知らないけど、あんなくだらない根暗なヤツはさっさとぶっ飛ばして、明るい老後計画のために魔道具マスターの修行に励むんだから。もちろん、飛那ちゃんにはお婆さんになっても私の茶飲み友達でいてもらう予定なのよ。だから、飛那ちゃんも安心して欲張るといいわ」
「予定って、お前……」
筋が通っているのか通っていないのか、心底本気の口調に、反論する気も失せた。
「ねえ、私以外に大切な人を作らないなんて、もう言わないよね? その人達の為にも、帰ってこれるよね? 私達はいつだって、勝つために戦ってきたでしょ? 相手が竜だろうが神だろうが魔剣だろうが、関係ないわ。私は、飛那ちゃんと二人で幸せになるって誓ってるから、必ず勝つために戦えばいいのよ。飛那ちゃんが犠牲にならなくても、きっと他に方法があるわ」
「……美威」
「私達の戦いに、敗北の二文字はいらないでしょう?」
当然のように告げる顔に、くっと、喉の奥から笑いがもれた。
本当、敵わない。
「OK、相棒……悪かった」
「分かればいいのよ」
一刻前の自分と、今の自分の間に、ひどく確かな変化があった。
ただ運命に翻弄されて、強くなろうとあがいていただけの頃とは違うのだと。
本当の意味で強くなるために、与えられた光を守るために、今度こそ自分で戦うことを選べばいいのだと、そう思えるほどには。
「行こう、私達の戦いに」
青い晴天は、もう先ほどのように容赦ないものには感じなかった。
いつでも走るための力をくれる、頼りになる相棒と肩を並べて、私は足を踏み出した。
次話からエピローグに向かって話が進んでいく予定です。
とはいえ、まだそこそこ続くと思います。
……今回は長くてすみません。どこにも切れるところが見当たらなかったんです。
半分を2000文字以下で投稿するか、まとめて5000文字近いものを投稿するかで迷いました。
なに、推敲すると1.5倍のボリュームになることなんて、よくあることです(反省してない)。
「ブクマ3桁越えたらアレク描くぜ~」とかのたまわった件は、健在です。
今王手なんですよね……100を一度でも越えたら、とりあえず描きますので(2桁に戻ってもね)。
Raiotのサーバが遅くてイラっとしていることもあり……描き上がったら直接、活動報告に上げるかもしれません。




