きっとまたここで
初夏の香りがする、さわやかな朝だった。
朝の支度を始める侍女達に起こされて、私はベッドから足を下ろした。
なんだかまだ少し眠い。昨日あのまま鍛錬場で、長い間アレクと話しこんでいたからかな……色んな話をしていたら、時間があっという間に過ぎていて驚いた。
最終的に兄様がやって来て、「いい加減にもう部屋へ戻りなさい」とお小言を食らうまでそこにいたんだけれど。
アレクが子供の頃、紗里真に来たときの話が聞けた。
この城で起きた、紗里真崩壊の日のことも話した。
大事な話を、たくさんした。
西の大国を出て来た時は、また二人でこんな風に話せるようになるなんて思っていなかった。
傭兵でなくても、アレクとは向かい合って言葉を交わすことが出来る。
それだけのことが、ただうれしかった。
モントペリオルの王子と王女は、色々あって恥に思ったのか、朝一番で帰国したらしい。らしいってのは、私が見送りにも呼ばれなかったからで。
まあ、顔を見たら殴りたくなるだろうから、知らぬ間にさっさと帰ってくれて良かった。
西の大国の一行……アレクも、もうここを出てしまう。
イベントも終わったし、王太子が自分の国に帰るのは当たり前なんだけれど。
まだ、アレクには話していないことがある。
それを言わないまま別れるのが、後ろめたかった。
(怖いな……いつの間にか、こんなに普通に生きられるようになっていたなんて……)
どうして、こんなに薄くなるまで忘れていられたのか、自分でも不思議に思う。
子供だったあの頃。唇を噛みしめて、手のひらに爪を立てて、苦しんでいるうちはまだ良かった。
奪った命の重さに耐えられず、己を呪っているうちは罪人の自覚があった。
本当にどうしようもないのは、時間の経過とともに回復した心が、今こうして幸せを感じられるまでに身勝手になったことだ。
普通に眠れるようになって、普通に人と言葉を交わせるようになって、なおも普通に生きようと求めている。
そんなことが、赦されるわけがないのに。
私が思い出したのは、そういうことにまつわる全てだった。
美威の隣で辛いことから目を背け、彼女を守って生きることで自分をごまかし続けた結果、心から笑うことも可能になった。
罪を償っている気にすらなって、いつの間にか、普通の顔をして生きられるようになっていたんだ。
そんな私を断罪するかのように、再び現れた黒い魔剣が、忘れるなと、自分のしたことを思い出せと、言っている気がした。
私がこれからやろうとしていることが終わった時に、もう一度ここに帰って来られるかどうかは分からない。
その可能性を口にするのは、どうしてもためらわれて……アレクにはその一切を話せなかった。
「あの黒い魔剣には、くれぐれもお気を付けて」
かけられた声に顔を上げると、アレクが不安をにじませたような顔で立って、私を見ていた。
そうだ、城の玄関口まで見送りに出て来たのだった。弟王子は挨拶をすませて、もう馬車に乗り込んでいる。後は、アレクとその侍従達が乗り込めば、出立だ。
私は重い気分を振り払うように、笑ってみせた。
「大丈夫ですわ。我が国には最強の剣士と、最強の魔法士が2人もおりますから」
「そう……そうですね……」
「アレクシス様も、道中お気を付けて」
周囲にたくさん人がいるときは、立場上、他人行儀なしゃべり方しか出来ない。
歯がゆく思うのは、私だけでなかったみたいだ。
「飛那姫。少しだけ……いいだろうか」
やや迷った後に、アレクが手を伸ばして私の左手を取った。
エスコートされるように、そのまま引かれて、外に出る。
侍女や護衛達が慌てたように追ってきたけれど、それを軽く手を挙げて止めると、私達は皆から少し距離をとった。
「飛那姫、何か、私に言うことはないか?」
問いかけに、どきりとした。
平静を装って、その顔を見上げる。
「何も……なんで?」
「そんな気がした。危ないことをするつもりじゃないのか? あの黒い魔剣とは因縁があるのだろう? また接触した時に、勝算はあるのか?」
「心配性だな。大丈夫だって、さっきも言ったじゃないか」
「しかし……」
「勝算? 誰に向かって言ってるんだ? アレクはあいつより私の方が弱いって言うのか?」
「いや、君の方がおそらく強いのだろうが……」
「じゃあ、心配するだけ無駄だよ。私も油断とかしない。戦っても、やられたりしないよ」
勘の良い男だな、と思いながらも言い切って答えた。
「なら良いんだが……またしばらく会えなくなってしまうし、心配なんだ。それにまだ、答えも聞いていないから」
「答え?」
「君が、私をどう思っているかだよ」
その答えは、もう決まっているけれど。
幸せになることを赦されないと感じてしまうこの心のままでは、応えられるはずもなくて。
「それは……もし、次に会えたら……その時に言うよ」
曖昧さを含んだ言い回しに、アレクが表情を曇らせた。
まずい。言葉を間違えた。
「もし、なのか?」
「いや、言葉のアヤで……」
目をそらし気味に答えたら、何かを察知したらしいアレクとの間に沈黙せざるをえない空気が流れた。
少しの後、小さいため息をもらしたアレクが、繋がれたままだった私の左手を持ち上げた。
「説明していなかったが……このバングル、魔法士だった母の形見なんだ」
「え?」
「強い護りの魔法がかかっている。きっと君の役に立つから、これからも肌身離さず持っていて欲しい」
「これ……形見なのか?」
「ああ、私が無事に育つようにと、死ぬ前に母が想いを込めてくれたものだ」
高そうな魔道具としか、思っていなかった。
まさかそんなに大切なものだったとは。
「じゃ、じゃあもらえないよ! アレクが持っていなきゃ……」
「飛那姫に持っていて欲しいんだ。悔しいけれど、今は側にいられないから」
「でも、やっぱりもらえないよ」
「君はいくら言ってもきっと、どこかで危ないことをするんだろう。これくらい、私の頼みを聞いてくれてもいいのじゃないか?」
「……」
「飛那姫に、白銀の加護がありますように……」
左手の甲に口づけた温かさが遠ざかると、一気に寂しさが襲ってきた。
勝手だと知っていても、その温もりを手放したくないと思ってしまう。
「口実を作ってでも、会いに来るよ。必ず、君の口から答えを聞かせてくれ」
「……うん」
「またここで会おう、飛那姫」
さよならがないまま離された手の中は、あまりにも空っぽに感じた。
馬車のステップに足をかけたアレクが、乗り込む前に一度だけ、こちらを振り返る。
微笑んだ濃い緑の瞳と、視線を交わした。
笑うんだ。今日こそは、笑顔で別れると決めている。
またここで―-。
(ごめん……アレク)
その約束は、守れないかもしれない。
白いマントが馬車の中に消えるまで、笑顔を絶やさずにいられた自分を、少しだけ褒めてあげた。
西の大国旗を掲げる白い馬車が、城門を越えて駆けて行く。
遠ざかっていく馬車が見えなくなっても、私はしばらくの間、その場所に立ちつくしていた。
お見送り回でした。
さて、あと一話で最終章、じゃないな。最終編?(それもおかしいか)に突入です。
エピローグに向けて原文のカオスっぷりがひどく、手直しに時間がかかっていますが……
更新は1~2日に1度ペースで進めていきたいと思います。
やむを得ない事情で突如休載の際は、活動報告に載せますのでご了承くださいね。
本日も、ご愛読に感謝。




