忘れていた小さな姫
「復国祭訪問の件ですが、ヒートウィッグに頼もうかと思っています」
夜半になって父王の書斎を訪れた私は、回りくどい挨拶などを全て省いてそう口を開いた。
父上は意外そうな顔で、書類から目を上げた。
トントン、と紙の束を揃えながら「珍しいことを」と呟く。
「珍しいですか? ヒートウィッグやエトックワールにも、外の世界を知る良い機会を与えられるかと思ったのですが」
「それは一理あるが……お前は行くと言うと思っていた。ヒートウィッグに行かせるのなら、私が行っても良いのだがな。しかしまあ、お前にとって楽しくない思い出もある国だろうから、無理に行けとは言わぬが」
「思い出? 何のことでしょう?」
「なんだ、そのことで行きたくないのではなかったのか?」
「?」
父上の言う、その「思い出」に思い当たる節はなかった。
私にとって、東の大国になんの思い出があるというのだろうか。
とまどう私を見ると、なんとなくからかうような表情で父上は唇の端をあげた。
「アレクシス、お前は修喜王や紗里真のことを覚えてはいないのか?」
「紗里真のこと、ですか……? 残念ながら私の記憶には」
「お前は11歳の時、私について紗里真に行っているのだがな」
「11歳の時?」
私は首をひねった。
確かに、10歳あたりから父上や大臣について、あちらこちらの国へ行った覚えはある。
東の大国に行ったこともあるかもしれない。だが、記憶にはなかった。
「お前、紗里真の姫に剣の試合で負けて猛特訓するようになったのに、本当に覚えていないのか?」
「えっ?」
言われてみれば、剣で誰にも負けたくないと思い始めたのは、そんなことがきっかけだった気がする。
それはもしかしなくとも、剣士としては屈辱的な思い出で……どうやら、意識的に記憶に蓋をしていたことに気が付いた。
嫌なことを思い出しそうな気もしたが、私は必死に記憶をたぐり寄せてみた。
……そうだ、あれはいつのことだったか。
隅々まで手入れの行き届いた、美しい庭園を見たことがある。あれが、東の大国ではなかったろうか。
「……あっ」
そして、思い出した。
確かに私は出会ったのだ。いつかの夢の中で見た、あの小さな姫に。
「……覚えて、います」
自分より年下で、小さくて、とてもかわいらしい少女だった。
それなのに恐ろしく剣の腕が立つ、不思議な姫で……
庭園を散歩するのに引っ張り回されて、剣の稽古につきあわされて、さんざん振り回された記憶が次々に蘇ってくる。
そうだ、あの時あの小さな姫に負けたことで、自分の弱さがあまりにも情けなく思えて、国に帰ってきてから、人一倍剣術の稽古に励むようになったのだったか……
「え……? あれが、飛那姫?」
呆然とした。
まさか、そんな昔に出会っていたとは。
私の様子を見て、父上は首をひねった。
「お前、このところふさぎがちだっただろう。しばらく旅にも出ていないではないか。北の件は落ち着いていることだし、少し外の空気を吸ってくれば良いと思ったのだがな」
「……」
「大丈夫かアレクシス? どうした?」
「いえ、少し、驚きました……」
全部が嫌な記憶ではなかったはずなのに。
何故、忘れていたのか。
(まずいな……)
あの強烈な彼女を忘れようと、このところずっと努力してきた。
父上に東に行かないかと言われて、渡りに船とばかりにはやる気持ちを、せっかく抑えたはずだったのに。
「関わらないでくれ」と、その言葉がはっきりと耳に残っていても……まだ、会いたいと思う気持ちがこみあげてくる。
「それで、どうするのだ? ヒートウィッグにはもう頼んだのか?」
「……いえ、もう少しだけ、考えてみます」
「そうか。もうじきに出立の時期になるぞ。早く決めなさい」
「はい……」
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「アレクシス・ヴァン・プロントウィーグル。
6月生まれの22歳。身長186cm、体重74kg。
西の大国の第一王子にして王太子。現国王が父。母親は8歳の時に死別。
弟が2人。第二王子は近隣小国へ婿入りが決まっている。第三王子は14歳でまだ成人前。
幼少期より剣術や学問において、優秀な成績をおさめる。
温和で品行方正、容姿端麗。臣下の信頼も厚く、人望がある。
趣味は剣術と、旅行……?」
先ほどメンハトで届いたばかりの身辺調査結果を手に、僕は書庫の中で椅子に座り直した。
西の大国の王太子。すなわち飛那姫の想い人。
先日の宝物庫での意思確認以来、水面下で相手の男の情報を集めていたのだけれど。
色んな方面から調査をしてみて、これが最後の調査結果になる。おおむね、どの資料にも同じ事が書いてあった。予想以上に好人物らしい。
でも旅行が趣味っていうのは、はじめて目にした。こういう機会に飛那姫と知り合ったのかな。普通に考えて、傭兵と王子が知り合うわけがないから。
「非の打ち所のない方のようですな。よろしかったではありませんか」
余戸が本を運び出しながら、そう声をかけてくる。
この見晴らしの塔から、城に蔵書を移す作業も今日で最後だ。
最終確認もかねて久しぶりにこの場所にやってきた僕は、すっかり空っぽになった書庫の中に視線を泳がせつつ、ここ最近の変化に思いを馳せた。
元々平穏無事な人生を歩んではいなかったけれど、このところ僕の周りは随分と賑やかになったと思う。
飛那姫に再会して、こうして国を再建するようになるなんて、数年前は予想すらしていなかった。
可愛い妹にまた出会えて、記憶も取り戻せたことは幸せだ。でも、こんなに早く飛那姫に恋人が出来て、認めざるを得なくなるなんて……
「どんなに人格者だったとしても、僕から妹を奪っていく相手には違いないよ」
「蒼嵐様……また、そのようなことを」
「大丈夫、別に社会的に抹殺しようとか、考えてないから」
「それは安心いたしました」
復国祭を間近に控えて、下準備は最終段階に入っている。
侍従達には新人も多いけれど、それぞれに慣れた人間を付けてあるし、スケジュールを見た限りで無理はない。後は無事に終わることを祈るばかりだ。
きっと、この西の大国の王太子も来るんだろうな……いや、考えると胃が痛いので、やめておこう。
それに、もっと他に考えなくてはいけないことはある。
紗里真が復国することで、今までの動きを牽制されることになった北のモントペリオルは、おそらく良い感情を持っていないだろう。
復国祭では、北が和平を望むか否かを判断しなくてはいけない。
元が好戦的な国だ。和平を望んでいたとしても、動向にはしばらく注意した方がいいか。
「分かってはいたけれど、国王って神経を使うよね。色々心配事が絶えない」
「ええ……例の黒い魔剣の一件も気になります」
「あれから動きもないからね……」
余戸の言葉に、僕も少し表情を曇らせた。
どこかで大量殺戮があった気配もない。それらしき人物を見かけたという情報もない。
黒い魔剣の少年は、完全に姿をくらましていた。
死んだ、とは思えない。どこかできっと、生きている。
明るい5月の日差しの下、黒い闇がどこかで息を潜めて様子を窺っている。
そんな想像が、僕の心配事を助長していった。
少女の頃から剣キチだった飛那姫のことを、アレクシスが思い出しました。
短編にしてある番外編「東の王女と西の王子」が子供時代の出会いのお話です。
今見に行ったらあとがきが大分古かった。たまに見直さないとですね……
次回、復国祭に向けて、各国からお客様がやってきます。




