わがまま王女
毎朝のこととはいえ、この時間が退屈でたまらない。
「金の髪飾りって、重たくって、邪魔で、大嫌い」
ため息をひとつつくと、鏡に映った不機嫌な自分と視線を合わせた。
侍女の手が朝日に透ける薄茶の髪をすくいあげる。
「もうすぐですよ、飛那姫様」
私の愚痴をさらりと流した令蘭は、てきぱきと指を動かした。
編み上げていかれる自分の頭を、うんざりとした気分で眺める。
「もう髪の毛なんてどうでもいい」
「第一王女ともあろうお方の御髪が、どうでもいいなんてありえません」
出来る侍女はそう言って完璧な笑顔を返した。
純白のリボンに添えられた金の髪飾りは、大きさといい細工といい、大国の王女にふさわしいと彼女は言う。
でも私はこの邪魔な髪飾りが大嫌いだ。
さらに言うなら、最近よく着るようになったこのドレスも嫌いだ。中にヒラヒラしたのがくっついていて、すごく歩きにくい。
剣の稽古に着る袴の方がずっと動きやすいのに……いっそ、普段着るものも全部袴にしてくれればいいと思う。
「飛那姫様、お支度が整いましたよ。朝食に参りましょう」
ようやく飾り付け完了ね。
椅子から勢いよく立ち上がったら、即座に「所作が美しくありません」とお小言が飛んでくる。聞こえないふりで自室を出た。
向かうバンケットルームからは、朝の涼やかな音楽が聞こえてきた。
楽士達が奏でる今日の曲は、昔からある春を待ち望む歌だ。思わず口ずさみたくなるメロディに、自然頬が緩んだ。
優しい音色は、漂っているスープの匂いにも合う気がする。
今日はチーズのミルクスープね。これは大好き。
朝食はいつも家族そろって食べる。
左右に立った侍従達がバンケットルームの扉を開くと、父様達はもう席に着いていた。
「父様、母様、兄様、おはようございます」
スカートの裾をつまんで優雅に礼をすると、正面に座った父様がにこやかに手をあげて応えた。
「おはよう飛那姫。またドレスでの礼が上手になったな」
笑顔の父様はそう褒めてくれたけれど、ちっともうれしくなかった。
礼だとか座り方だとかマナーだとかは、家庭教師の先生が教えてくれるお勉強の中でも一番嫌いなジャンルだ。
やれ角度が小さいだの、手の位置がおかしいだの、あれこれ細かすぎて頭痛くなってくる。
同じ時間するなら、文字のお勉強のほうがまだマシだと思う。
「私、ドレスよりも袴を着ていたいですわ」
面白くない気持ちを思いきり顔に出して答えると、横から蒼嵐兄様がたしなめるように声をかけてきた。
「飛那姫は何を着ていても最高に可愛いよ。袴も良いけれど、その水色のドレスもとてもよく似合っているじゃないか」
私に甘すぎる兄様が、目尻を下げてそう思うのは勝手だ。
でもこれは似合うとか似合わないとかの問題じゃない。
「私に分かるのは、袴は動きやすくて、ドレスは動きにくいってことだけです」
可愛いとかどうでもいい。
ツンとして答えると、椅子を引きながら令蘭が言った。
「動きにくさも慣れですわ。飛那姫様はこのところ、ドレスでの礼が本当に美しくなってこられましたよ。心がけ次第ではもっと素敵な所作が身につくはずです」
だから、そこをほめられてもうれしくないってば……
みんな分かってくれなくて不満だ。
そんな私の思いなどさておき、いつもの朝食が始まる。
たった4人の家族は、王族としては決して多くない人数だ。
父様と母様、それに兄様と私。
剣の得意な父様に似なかった兄様は、武芸よりも学問の人だ。
いつも部屋にこもって本ばかり読んでいる。
温和を絵に描いたような見た目は筋肉とは無縁の人、と言ってもいい。
それでも生まれ持った知能指数は凡人とかけ離れているらしく、学問の世界ではちょっとした有名人だ。
「希代の天才」と称えられ、成人前だというのに、既に政治の世界でも学問の世界でも名が通るほどのすごい人らしい。
優しくて賢い、自慢の兄様。
一方、私は思いきり父様似。こと剣術に関しては、天賦の才があると絶賛されている。
学問のほうは……まあいいとして、剣は面白い。もっと強くなりたいと思うし、稽古も苦じゃない。大好きだ。
机に座っているより体を動かす方が得意な私と、本の虫の兄様は、そんな感じであまり似ていない。
「飛那姫、去年この時季に取り寄せていた南の黄色い果実を覚えてるかい?」
食べる手を止めて、兄様が尋ねてきた。
甘いものが好きな私は果物も好きだ。その果実のことも覚えている。
「ええ、もちろんですわ」
「飛那姫が喜ぶと思って、今年も取り寄せたんだ。初物だよ。とろけるように甘いと評判の一級品をオーダーしたから、3時のお茶を一緒にどうかな?」
父様と母様以上に、兄様は私に甘い。
隙あらば私を甘やかそうとする。
「うれしいですわ、兄様」
「良かった。じゃあ決まりだね」
ニコニコ笑う兄様を、侍従や侍女が生温かい目で見ているのは気のせいじゃないと思う。
いつも通りの朝食が済めば、父様は公務。母様は社交。兄様はお勉強だ。
もちろん私も遊んではいられない。部屋に戻れば文字のお勉強が始まる。
今日は数字のお勉強もあった。最悪だ。
「飛那姫様は本当に利発でいらっしゃる。もうここまでのことを覚えてしまわれて、そのうち教えることがなくなってしまいますな」
家庭教師の先生がいくら褒めてくれたって、私が兄様に敵わないことくらい百も承知だ。山のように積まれた本に興味もないし、敵いたいとも思わないのでどうでもいいけれど。
午前中はさらに楽器のお稽古が続いた。楽器の音は好きだけれど、自分で練習するとなると話は別だ。
横笛も鍵盤楽器も聞いているだけでいいのに、「たしなみ」とやらはいくつ身につければ淑女として合格点なんだろう。
どこまで練習すれば楽士達みたいに指が動くようになるのか、考えただけで疲れるわ。
こんな感じで、私の一日の半分は終わる。
昼食は部屋で取ることが多いから、ほとんど一人。嫌いなものを残しても誰にも文句を言われないので気が楽だ。
給仕している令蘭は何か言いたそうだけれど、知ったこっちゃないわね。全部食べて欲しいのなら、私の嫌いなこの緑色の苦い野菜を出してこなければいいと思う。
そして昼食の後、やっと勉強から解放される。
待ってました、自由時間よ。
ああ、今日は天気もいいから庭園に出たいな。
騎士団のみんなも訓練中の時間だし、散歩にも稽古にももってこいね。
「令蘭、令蘭」
私はいそいそと振り向くと、自分付きの侍女を呼んだ。
「はい、飛那姫様」
「精鋭隊と稽古がしたいわ。着替えさせて」
精鋭隊は騎士団でも一番位が高い、熟練騎士の集まりだ。
城に常駐していて、国の中枢を守っている。そして、私の剣の稽古相手でもある。
「飛那姫様……そう仰ると思っていました」
困ったように頬に手を当てると、令蘭は首を横に振った。
「今日はいけません」
「え? なんで?!」
「そのようなお言葉遣いもいけません。なぜかしら、とおっしゃってください」
今はそんなことを訂正されている場合じゃないのに。
午前中は逃げずにちゃんと勉強したじゃない! 大好きな剣を振り回す時間をくれないなんて、ひどい。ひどすぎる。
「今日の精鋭隊は、剣の稽古ではなく、火薬の取り扱いについて訓練をするそうです」
頬を膨らませた私に、令欄はそう説明する。
「……かやく?」
「危険がともなうので、姫様におかれましては、騎士団の稽古にお出でにならないようにと、騎士団長より仰せつかっております」
よく分からないけど、なんか危ないことするから来るなってことらしい。
はあ。残念だけど、それなら仕方ないかなぁ……
そうあきらめかけたところで、令蘭が言った。
「それよりも、午後はこれから予定がございます。来月は飛那姫様の8歳のお誕生日がございますでしょう? パーティーでお召しになる衣装を、そろそろ最終的に仕立て合わせなくては」
「えっ?!」
それは、もしかしなくともありがたくない予定じゃないだろうか。
衣装を仕立てるっていうのは、あれだ。
布のいっぱいある部屋で何度も服を脱いだり着たりしながら、腕だの足だのを計られたりするのにじっとしてなきゃいけない、あれだ。
あの死ぬほど退屈な時間が、稽古の代わりだなんて。
ますますひどすぎる。
(そんなの絶対お断りよ……!)
なんとしても、そんな予定は回避しなければ。
私はとっさにいいことを考えついた。
「まぁ、そうなのね……でも、今日はちょっと無理かもしれないわ」
そばのソファーに座り込んで、ふぅ、とため息をついてみせる。
「無理とおっしゃいますと?」
「本当は騎士団の稽古にも、衣装を合わせるのにも、行けそうにないの。実は昼食の後から気分がすぐれなくて……」
「まあっ! それはいけませんわっ」
ささっと令蘭が私の額を触って、熱はないか、寒くはないかと質問攻めを始める。
「少し寒気がするの」
「風邪の引きはじめでしょうか。昨晩は冷え込みましたから……」
心配そうに言って顔をのぞき込むと、令蘭はてきぱきと寝具を整えはじめた。私の着替えも手早く済ませると、有無を言わさずベッドに転がされる。
「お医師を呼んで参ります。おやすみになっていてくださいませ」
足早に部屋を出た令蘭が遠ざかっていく音に、私はぺろりと舌を出した。
もちろん、気分が悪いなんて嘘だ。寒気なんてこれっぽっちもしない。
ベッドから飛び降りると、音を立てずに衣装部屋の入口を開ける。
かかっている剣の稽古着を引きずり出して、着ているドレスを脱ぎ捨てた。
いつも令蘭達が着せてくれるように白衣に袖を通す。ひもをくるくる巻き付けて袴を履いてみるけど、残念なくらい不格好だった。まぁ脱げなければ問題ないだろう。
上から袖の短い羽織をはおれば、すっかりいつもの稽古スタイルだ。
私はにんまりと笑って、部屋を出た。
入口には護衛役のロイヤルガードが立っているから、出るのはもちろんバルコニーだ。
ここは二階だけど問題ない。
私はひょいっと手すりに跳び乗ると、両方の足に意識を集中した。
体の中にある魔力がぐん、と動いて足をコーティングする。バネと鎧のイメージだ。
「よ……っと」
10メートル以上の高さから、下の庭園へ続く小径へひざを沈めて着地する。
7歳の私が大人と対等に剣で渡り合えるのは、こうやって魔力で身体機能を上げる特殊能力を持っているからなのだ。
生まれつき豊富な魔力と運動のセンス。
これさえあれば、腕力だって脚力だって、超人的なレベルにまで押し上げることが出来る。
ほら、脱出成功だ。
「へへっ、私って天才!」
誕生日の衣装なんてどうでもいいもん。
騎士団がやってる「危ないこと」を見物に行った方が、絶対楽しい。
私はスキップで、庭園の向こうにある演習場へ足を向けた。