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没落の王女  作者: 津南 優希
第一章 滅びの王国備忘録
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渡会風漸

 目の前に差し出された水をじっと見つめたまま、飛那姫はそれを受け取ろうとしなかった。

 男は困り顔で頭をかくと、テーブルの上にグラスを置く。


「飲んでおけ。お前さん、見たところ脱水症状を起こしてるぞ」


 男はそう言って、自分のグラスに蒸留酒をついだ。


 飛那姫は確かにのどが乾いていた。それは飢えに近い渇きだった。

 でも水を見ると、血が冷めるような感覚が襲った。


 水は、怖い。


 だって、飲んだら死んでしまうかもしれないから。

 みんなのように。


 そんなことはないと頭で分かってはいても、グラスの中の水に手はのびない。


「毒なんか入ってねえぞ?」


 1つため息をついて、男は飛那姫の前のグラスを取ると、ぐいっと一口飲んで見せた。


「ほら、飲め。このまま飲まないでいると、お前さん本当に死ぬぞ」


 毒味してくれたのだろう。

 今の飛那姫を安堵させるのに、それはかなり効果的な方法だった。

 今度は差し出されたグラスを、おそるおそる手に取る。ひんやりとした感覚が、手のひらから伝わってきた。

 心地いいと感じるのは、自分の体が熱っぽいからか。


 震える手で一口、のどに流し込んだ。

 甘かった。

 水が甘く感じるなんておかしい。

 飛那姫は、グラスに残った水を一気に飲み干した。


「よしよし、いい子だ」


 男はその様子を満足そうに眺めて、自分もグラスに口をつけた。

 度数の高そうな蒸留酒を、水のように流し込む。


「……あの、聞きたいことが、あります」


 飛那姫は見覚えの無い市場を少しだけ見回して、そう切り出した。


「ここは、なんという街ですか?」

「ここか? ここは東岩(あずまいわ)だ。お前さん、どこから連れてこられたんだ?」

「……」

「お前さんの着てる服、汚れちゃいるが相当いい品だな。どこかの貴族なのか?」

「……言えません」

「言えません、てことは、はいそうですって言ってるのも同じ事じゃねえか。帰り道は分かるのか?」

「帰るところは、ありません」


 飛那姫は自分で吐き出した言葉に、絶望感が胸を占めていくのを感じた。

 あの時の灰色の魔力が押し寄せてきた時のように、息苦しさを覚えて視線を落とす。


 帰るところなど、どこにもない。

 あの暖かかった場所は永遠に失われてしまった。


(もう誰も、私を愛してくれる人はいない……)


「……あー、なんか、色々あったのかもしれないけどな。その、自分が世界で一番不幸みたいな顔はやめろ」


 男の言葉に、飛那姫は少しだけ顔を上げた。

 世界で一番不幸かどうかなんて分からなかった。でも、私の苦しみは私にしか分からない。そう思った。


「別に……そういうつもりじゃ」

「そんな辛気くさい顔してると、飯がまずくなるぞ」


 男は、ちょうど運ばれてきた焼きたてのパンとスープをあごで指して、スプーンを飛那姫に差し出した。


「とりあえず腹に入れろ。話はそれからだ」

「食べたく、ないです……」

「食べろ」


 無遠慮な物言いに、心がざわついた。

 なんだろう、この人は。私に何があったか知りもしないくせに。

 声には出さずにそう、呟いた。


 乱暴な物言い。雑な仕草。粗野な服。

 好きな人種じゃないことは確かだ。

 でも仕方無い。自分に何があったかを、この人に説明する訳にはいかないのだから……


 言い返すのも気だるく思えて、飛那姫は言われるがままにスプーンを握った。


 口に運んだパンは、城のものよりもずっと硬くて、甘みも少なかった。

 スープも薄かったし、具も食べたことのない野菜ばかりだった。

 それでも温かい食べ物が胃に落ちてくると、不思議と気持ちが落ち着いてきた。


「よし、食ったら次はその服だ」


 男はそう言うと飛那姫を引っ張って、近くの仕立屋に連れて行った。

 小太りの女店主が出てきて、愛想良く対応してくれる。


「この子の着ているものを、新しい動きやすい服と交換してくれ。靴もだ」


 女店主は飛那姫の着ているドレスを手にとって目を瞠ると、二つ返事で了承した。何着か、町娘の着るような服を出して並べて見せる。

 女店主は飛那姫のドレスの下から出てきた五色のネックレスも譲って欲しいと熱心に頼んできたが、男はそれを断った。

 渋々と、しかし桜色のドレスと揃いの色の靴だけは譲らないと、女店主は張り切って衣装を並べていく。


「そういうヒラヒラしたのはいらない。こういったのをくれ」


 男の注文通りいくつかの服が用意されて、袋に詰められていった。

 飛那姫は、そのうちの一着をドレスの代わりに着せられた。

 少し厚めの、水鳥の羽が入った上着にセーター。男の子用の丈夫なズボン。

 がさがさした厚手の靴下は履いたことのない感触で、足を入れた瞬間、思わず顔を引きつらせてしまった。

 おまけに髪をしばる紐をいくつかもらって、店を後にする。


「おじさま、これ……」

「おじさまはやめてくれ、鳥肌が立つ。俺は風漸(ふうざん)渡会風漸(わたらいふうざん)だ」

「……風漸、ありがとうございます」

「おお」


 日が傾きはじめて気温が落ちてくると、飛那姫はぶるっと上着の前を合わせた。

 ここに令蘭がいたら、お風邪を召されますとか言われてもっと厚着をさせられるか、すぐに部屋に連れ戻されるかするに違いない。


 そんな思いが浮かんでは、消えていく。

 考えていると、どこまでが現実でどこからが夢だったのか、もうよく分からなくなってきた。


(いっそ、みんな夢だったらいいのに)


 風漸はいくつかの商店に寄って食料や日用品を買った後、町外れの坂を上って行った。

 野原の真ん中を進んで行くと、向こうの方に小さな家がぽつんと建っているのが見えてくる。


(何故私は、この男について行っているのだろう?)


 飛那姫は目の前の不思議な男の背中を見ながら、自問した。

 ただ、流されているだけなのだろうか。

 今、本当に自分の頭で行動を選択できているのかどうか、判断がつかなかった。とにかく、どこもかしこも疲れていた。


 たどり着いた小さな家の門には、ねずみ色のオウムが一羽止まっていた。

 オウムは風漸の姿を見るなり羽をばたつかせて飛んできた。肩に降り立って、うれしそうに頭を振ってみせる。


「フーザン、オカエリ!」

「おお、ただいま」


 飛那姫は、目を丸くして目の前のオウムを眺めた。


「鳥が、しゃべってる……」

「ああ、俺の相棒、笹目(ささめ)だ。仲良くしてやってくれよ」

「ササメダ! ナカヨク、ヨロシク!」


 オウムは頭を上下に振って冠羽を逆立てると、踊りながらそう叫んだ。

 大きいオウムを近くで見たのははじめてだ。

 愛らしい姿に、思わず表情が緩む。


「私は、飛那姫。よろしく笹目」

「おいおい、俺にはよろしく無しかあ?」

「……風漸も、よろしく」

「俺はついでか……」


 大げさに肩を落とす風漸がおかしくて、飛那姫は少しだけ笑った。


「……やっと笑ったな」


 ポン、と無造作に頭に乗せられた大きな手が、飛那姫の髪の毛をかき回した。

 大分乱暴だが、もしやこれは、撫でてくれている? 飛那姫はきょとんとして、目の前のむさ苦しい男を見上げた。


「子供はその方がいい」


 雑な仕草に似合わない、優しいトーンでかけられた声は、完全に予想外だった。

 じわりと心に落ちてきた親切を、見ない振りでやり過ごす。

 飛那姫は下を向いて、ぐっと涙をこらえた。


 泣いてはいけない。

 油断してもいけない。

 先生との約束通り、みんなの敵を討つまでは。


「……家、入るか。寒いだろ」


 押し黙った飛那姫の頭を撫でる手を止めて、気遣うように風漸が呟いた。

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