相談と迷い
船を下りてから3日目の午後。
インパルスの正確なナビのおかげで、私達は早々に見晴らしの塔にたどり着くことが出来た。
「そうか、中立地帯から北まで……それはもう、世界一周したも同然だね。こんな時期に北へ渡ることになったなんて大変だったろう?」
帰還祝いという名のもとに出て来たごちそうの数々を平らげて、今はまったりお茶の時間。
蒼嵐さんは大分落ち着いたみたいだ。飛那ちゃんが戻ってきたことがよほどうれしかったみたいだけど……
ちょくちょく手紙もやり取りしてたし、無事なことは分かっていたんだから、涙ぐんで抱きしめるまでしなくてもいいと思うのよね……見ていてこっちが恥ずかしくなる。
この1階の食堂には私と飛那ちゃん、蒼嵐さんに何故だかマルコもいる。
飛那ちゃんは北で兵士に殺されかけたことと、肺炎になったことは言うつもりがないらしく、詳細を突っ込まれる前に話題を変えた。
「ええ、とても寒かったです。それで実は、兄様に見ていただきたいものがあるんですが……」
お茶を飲む手を止めると、蒼嵐さんは差し出された数枚の紙を受け取った。
「なんだい?」
「グラナセアから運んだ文書の写しです。兄様なら何か分かるかもしれないと思って」
すっかり忘れていたけど、そういえばあの意味不明な数字の羅列、写したっけ。
でもいくら東の賢者だって、あんな大量の「0」と「1」を見ただけで、何か読み取れるとは思えなかった。
蒼嵐さんは紙を交互に眺めると、指で辿って「ふーん」と呟いた。
そして飛那ちゃんに向き直ると、驚きの一言を発した。
「ぱっと見読めないようにしてあるだけで、至極簡単なものだよ」
笑顔の蒼嵐さんは席を立つと、背後にあった黒い壁に白墨で数字をカツカツ書き始めた。
ああ……なんでそこだけ黒いんだろうと思ってたんだけど。そういうものだったのね、その壁。
「たとえばこれ、これは 1010 で10を表すだろう?」
「だろうって……全然分かりません、兄様」
2進法ですか? 私にも分かりません。
「いいかい飛那姫、古代文字は82文字あって、全て2つの数字で表すことが出来るんだ。古代文字をコード化した体系表って言えば分かるかな? 「10」の場合は、この文字になる」
蒼嵐さんは10の隣に、私も知っている古代文字のスペルを書いた。
「手紙の2進数を頭から飛那姫のよく知っている数字に変換して、コード表に照らし合わせれば判別可能な文字の羅列が出来上がる。更にそれを現代語訳する。それだけのことだよ」
おお、今この人、さらりと「それだけのこと」って言い切ったわ……
「蒼嵐さん、まさか0と1見ただけで、なんの数字か全部分かるんですか? 古代文字のコード表も覚えているとか?」
「ああ、僕ね、数字も文字も、一度覚えたら忘れられない体質なんだ」
信じられない言葉を聞いたような気がするけど、本当のことみたいだ。
東の賢者の名は伊達じゃなかった……彼の頭の中に、一体どの位大量の知識が詰め込まれているのか、想像するとちょっと怖い。
蒼嵐さんは紙を見ながら、カツカツと黒い壁に白い文字を連ねていく。
古代文字なら私も読める。書かれていく文字を見て、先ほどから「さっぱり分からない」といった顔の飛那ちゃんに、翻訳してあげることにした。
『輸出予定だった兵器の一部が送れなくなった。
西の王太子妃の座はそちらに譲る。
事がうまく運ばなければその後の協力は惜しまない。』
手紙としては短いけれど、以上だ。あんなに「0」「1」写したのにこれだけ?
でも「兵器」だなんて、なんだか不穏な感じね。
「グラナセアがモントペリオルに輸出予定だった、その兵器については心当たりがあるよ」
横から、マルコが唐突に言った。
「飛那姫ちゃんが倒したリザードマン、モントペリオルに運ばれる予定だったらしい。他にも調べたら、運び屋が物騒な生物を北に運んだっていう情報があった」
「物騒な生物……生物兵器ってやつかしら? じゃあ、西の王太子妃の座を譲るっていうのは?」
私の疑問に、椅子に座り直した蒼嵐さんが「うん、それはね」と言って注目を集めた。
「西の大国は今、王太子妃を選ぶ時期なんだ。グラナセアは争わずあきらめて、婚約打診を取り下げるつもりかもしれないね。最後の、うまく運ばなければっていうのは……西の大国がモントペリオルからは王太子妃を迎えない、って判断した時の話かな。物騒だけど、戦争を起こすなら協力するって言ってるように読める」
「え? じゃあ西の大国VS北と南の大国になるってことですか?」
「西は北と南に挟まれているから、そうなったらひとたまりもないかもね」
それまで黙ったまま話を聞いていた飛那ちゃんが、蒼嵐さんに向き直った。
「兄様、ご相談があるんです。二人だけで、話せませんか?」
大きい声ではなかったけど、はっきりと緊張の乗った口ぶりで。
少しだけ静寂が走った。
「……今かい?」
「はい」
「じゃあ僕の部屋にお茶を運んでもらおうか。美威さんとマルコ君は、ここで好きなだけくつろいでいてくれて構わないからね」
そう言い残して、蒼嵐さんは飛那ちゃんと食堂を出て行った。
もしかしたら飛那ちゃんは、かすかにでも、全部から逃げ出したい気持ちがあるのかもしれない。
出て行く際の表情をなくした顔を見たら、そんな気がした。
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大国の三竦みの話は、博識の兄様に説明するまでもなかった。
ただ、私が北で何を見て、知ったのか、ルドゥーテと会って何を話してきたのかを全部話した。
「……兄様は、紗里真の王になる気はありませんか?」
私はこのところずっと考えていたことを口にした。
「唐突にすごいことを言うね、飛那姫」
私の言葉を予想していたのかもしれない。
大して驚きもせず、兄様は静かなため息をもらした。
「戦争を避けるため、か……確かに、東の大国は世界にとって必要な存在だったからね」
「王位継承の証、神楽は私が持っています。でも、私は小さい頃から兄様が王になると思っていました……今もそうなればいいと思っています。紗里真を復活させるのなら、私なんかよりも、兄様に国を治めて欲しいんです」
王女だった頃の私は、漠然と「兄様が次期王」としか考えていなかった。
でも、紗里真が崩壊してから「王の剣」の意味を知った。
私が神楽を受け継いだ時点で、兄様は事実上、継承権を無くしてしまったことになる。それは国がなくなった今でも、申し訳なく思う。
「飛那姫の気持ちはうれしいよ。でも、そうだね。実は当時、父様からもそんな話をされたことがある」
「え? じゃあやっぱり神楽は兄様が継承する予定で……?!」
「いやいや、僕がそんな規格外の魔法剣を扱えるわけがないじゃないか。父様は、神楽の継承で王を決める制度自体に、疑問を持っていたんだ。宝物庫の件さえなんとかなれば、あとは王たる器に相応しい人間が、王になるべきじゃないかとね」
知らなかった。父様が、そんなことを考えていたなんて。
まあどう考えても、私より兄様の方が王に向いているもんね。
当時のわがまますぎた自分を振り返って、しみじみとそう思う。
「飛那姫は女の子だし、お嫁に行った先で幸せになればいいと父様は思っていたみたいだよ。でもね、飛那姫。僕は飛那姫が王になればいいと思っていたんだ」
「えっ?」
どうしてそうなるんだろう。
「だってそうすれば、飛那姫はずっと紗里真にいられるだろう? どこか遠い国にお嫁に行ってしまうこともないし、僕は国のブレインとして飛那姫を完璧にサポートする自信があったからね!」
「……はあ」
そうか、忘れていた。
兄様はこういう人だった……
父様の跡を継ぎたかったとか、王位への執着とか、多分、カケラもないんだ。
「だからね、飛那姫。王になりたいんだったら、なっていいんだよ」
「……えっ?」
いや、私は兄様に王になって欲しいんですけど……なっていいんだよってどういうこと?
「実のところ、紗里真を復活させるのはそんなに不可能な話じゃない。王位継承の証である神楽がある以上、飛那姫が王になることに近隣小国も文句はないと思う」
「え、ええ?」
何か、話が勝手に進んでいる気がする。
「飛那姫は戦争を起こしたくないんだろう? これまでの歴史のように三竦みを成立させるには、南を強化するのではダメなんだ。南を強化してしまうと、挟まれる西の大国がかえって危なくなるからね。東のこの位置にある大国が、牽制には必要なんだよ」
「き、騎士団は……? もうほとんど騎士も残っていないのに」
「体裁だけなら、僕の計算では十分な人数が集まるはずだ。昔の精鋭隊レベルの騎士を鍛えるには、それなりの時間がかかるけれどね。綺羅はもう滅んでいるから、残る6つの小国に対しては実質的に統治する立場をとればいい。持てあましてる兵を引き取って……全体では6000人超規模の騎士団がすぐに出来ると思うよ」
「そ、そんなに……?」
「一人でこんなところに住んで色々やっているとね。僕を消そうとする動きもでてくるんだ。でもそういう面倒なのは困るだろう? だから、それぞれの小国に対して弱みを握ったり、借りを作ったりすることにしたんだ。実質、6つの国の内情は全て把握してるし、僕が協力を仰ぐのなら、どの国も喜んで動いてくれるはずだよ」
東の賢者は、恐ろしかった。
紗里真が存在してなくても、この東の真国は兄様の手の中ということか。
情報を制する者は、ひとつの島国をも制するのね……
「飛那姫、王になるかい?」
「……に、兄様は王にならないんですか?」
「現状からいくと、僕よりも飛那姫の方が適任かな。小国を動かすのに、神楽のあるなしは大きい。戦争を止める意味ならなおさら、絶対的な武力の王が必要だろうと思う」
「……そう、ですか」
ここまで来て、兄様の話を聞いて、戦争を止めることが出来るかもしれないと分かったのに。
まだ迷うことしか出来ない自分が情けなかった。もう何に対して迷っているのかも、よく分からない。
そんな私の様子を見た兄様は、困った様に笑うと手を伸ばして私の頭を撫でた。
「自分の目で見て感じたものを、信じるといいよ。いつだって人の目を通して得たものは、人の考えでしかないからね。よく考えて、飛那姫がいいと思う答えを見つけるといい。僕はいつでも飛那姫の味方だからね」
兄様の声が、すぐ側で優しく響いた。
急に現実的になってきた、紗里真復興の話。
逃げ腰の飛那姫に、蒼嵐は意外とやる気です。
次回、早々に東を発って西へ移動。ひとまずレブラスの店を目指します。
 




