元王女と元王女
結局、普通に起き上がれるようになるまでに5日もかかってしまった。
今日は昼食に運ばれてきた消化の良さそうな野菜のスープを見て、「まるで病人扱いだな」と呟いたら、美威に「まだ自覚がなかったの?」と怒られるし。
美威は私が寝込んでいる間、外に出るでもなく、屋敷の書庫にある本を読みあさって過ごしていた。いつでも側にいてくれるのはありがたかったし、美威自身も楽しく過ごしているように見えた。
ヒマじゃないのかと聞いたら「おいしいご飯が三食付き、ゴロゴロしてても誰にも文句を言われないし、危険もないし、最高」という答えだったので、間違いないだろう。
私はまだ痛む頭を抱えて、息苦しさの落ち着いた胸に大きく空気を吸い込んだ。
どうやら少しは動けそうだ。
美威が書庫に行った隙を見計らってベッドから這い出すと、なまりきった体をひねってほぐした。
扉がノックされる音がして、すっかり顔なじみになった侍女が入ってくる。続けて、2日目以降、姿を見ていなかったルドゥーテが部屋に入ってきた。
起き上がってストレッチしている私を見て、なんとも言えない表情になる。
「もうそんなに動いていいのか? 少し体が起こせるようになったと聞いて来たのだが……」
「ああ、問題ない。すっかり世話になってしまったようですまなかった。色々助かったよ」
「なに、紗里真を訪問した際には丁重にもてなしてもらったからな。大分時間は経ったがその礼だ」
微笑んでそう言うと、ルドゥーテはソファに腰を下ろした。
すぐに侍女達がお茶を運んできて、白磁の綺麗な茶器をテーブルの上に並べていく。
「起きていられるのなら少し話せるか? 無理にとは言わないが」
「ああ、私も話をしたいと思ってた」
こちらも聞きたいことがある。
何しろ、ルドゥーテのことは見た目より年上で42歳だということ。この屋敷の主で私と小さい頃に会ったことがあるというくらいしか知らないのだ。
向かいに座ると、彼女はゆったりと話し出した。
「パートナーの美威から話を聞いたぞ。今は流れの傭兵として暮らしているそうじゃないか。一体どうして傭兵などになってしまったんだ?」
「紗里真が崩壊してから、ずっとそんな暮らしだ。今は好きでやってる。それより、私と会ったことがあるって言ってた、あれはいつのことなんだ?」
「もう10年、いや、もっと経つだろうな。父と一緒に4国協議に東へ行った時のことだ。王の剣神楽はそこで見た。修喜王の剣舞をな……ああ、当時のお前は大変に可愛らしかったぞ。少々、言動が普通でなかったように記憶しているが」
「はは……父様の剣舞を……そうか」
「紗里真崩壊の報せには、耳を疑った。当時のことを聞かせてはくれないか」
「……ああ」
私は紗里真のことについて、聞かれたことを答えていった。
鮮血の31日と呼ばれる日に何があったのか、どうやって神楽を受け継いだのか。王国の滅亡の後、綺羅が崩壊するまでのこと。そして、美威と出会ってからの暮らしのこと。
お茶のおかわりを煎れに来た侍女が出て行くと、ルドゥーテは深いため息をもらした。
「……にわかには信じられないような話だが、嘘とは思えないな」
「嘘じゃない。あんたに嘘をついて私が得することもないしな」
「飛那姫、お前は今のままでいいのか?」
「どういう意味だ?」
質問の意図が分からなくて、私はお茶を飲む手を止めると聞き返した。
「王の剣がありながら、傭兵の身で暮らしているなど、私にとっては不可解以外の何物でもない」
「ああ……さっきも言ったけど、傭兵は好きでやってる。今はこの生き方が性に合ってるんだ」
「……北の国を見てどう思う?」
「え?」
ルドゥーテの質問は、いちいちよく分からない。どう思うって……
「ピリピリしすぎだな。戦争が起きるとか起きないとか、そんな状況なんだろ?」
「西の大国の出方によっては戦争になる。それは事実だ」
「……大国同士が戦争するなんて、本気なのか? 何故そんなことになったんだ」
「何故、か……」
大国が争えば、世界規模でどれだけ影響が出るか分からない。勝利したところで、得るものよりも失うものが大きいはずだ。戦争を起こすことに意味があるとは思えない、私がそう言うとルドゥーテは首を横に振った。
「私は先代の王の娘だ。今の王は私の義理の叔父にあたるが……非常な野心家でな。全てを手に入れたいと考えている」
「全てを……」
ん? 待てよ。先代の王の娘ってことは……
「え? ルドゥーテ、王女なのか?」
「昔の話だ。今はただの貴族として暮らしている。色々あって降嫁したが、その夫も既に亡くなっている」
「色々あってって……兄妹はいないのか? 義理の叔父ってことは、元々王族ではないんだろう? なんで血族でないヤツが王に……北はそういう風習なのか?」
「色々、あったんだ」
先王は病気がちで、晩年はいつ亡くなってもおかしくない状態だったらしい。
ルドゥーテを王として掲げようと考える者と、先王の妹婿、グリゴレンを新しい王として祭り上げようとするもので、当時は派閥が分かれたそうだ。
その派閥争いに疲れたのだと、ルドゥーテは言った。
「モントペリオルには飛那姫の神楽のような継承の証がない。女が王になることを反対する声も多くてな。父王には私以外に子が出来なかったから、私さえ何とかすればいいと思われたんだろう。様々な嫌がらせを受けたよ。私は王位に執着はなかったし、最終的には脅される形で降嫁した」
「なんだそれ……じゃあ、今の王はやっぱり血族じゃないのか」
王国には王族の血を持った者でしか政治を回せないような仕組みが、必ずある。
それを考えれば、王族の血は絶やしてはいけないし、血族が王にならなければ正しく国を動かすことは出来ない。王が純血でないことはあるにしても、血族ですらないなんてことがあるのだろうか。
「遠い親類ではあるらしいが、血族とは言いがたいな。叔母から産まれた子であれば次代で血統は守られるから、自分は中継ぎの王として役割を果たす。そんな言い分だったようだ……」
「なんか、複雑なんだな、北の国」
「モントペリオルは迷走している。三竦みが成立していた昔ならいざ知らず、東の大国が無くなった今、あの愚かな王の暴走を止める者がいないのだ」
「さんすくみ?」
聞き慣れない言葉が出て来た。
東の大国が無くなって、なんで北の王の暴走を止める者がいない話になるのか。
「大国の三竦みの話を知らないのか?」
「……知らない」
「昔から南のグラナセアは情けないだろう? 最近は我が国と裏でコソコソしている不穏な動きも見られるが……西と北と同程度の軍事力を有しているとは言いがたい。紗里真が崩壊してからは、西と北で互いに睨み合っている状態だ」
「どういう、ことだ?」
「3つの大国があれば、それぞれが妙な干渉をせずにいられたんだ。2つの大国が戦争を起こしてどちらかが勝ったとしても、残る1つの国に滅ぼされる危険があったからな」
「ああ、だから三竦み……」
私はヘビと蛙とナメクジが睨み合っている様子を、思い浮かべた。
「北と西は近年、交渉がうまくいっていない。北からすれば、西の豊富な資源は魅力的だから、出来るだけ安く多く手に入れたい。しかし、西は西で自国の資源は確保したいだろう。北の言いなりになるわけがない」
「資源が欲しいからって、戦争を起こしたら互いに消耗し合ってつぶれるだけじゃないか」
「そうかもしれない。だが、数で圧倒すれば制圧出来るかもしれない。それがグリゴレンの考え方で、今の徴兵制度に繋がっている」
「……」
紗里真が滅亡した後に世界にどんな影響が出るか、考えたことがなかった訳じゃない。
でも、今聞いた話のように他国の戦争の引き金になるとは、思い至らなかった。
三竦み。3つの大国が睨み合って、お互いに動き出せない状態。和平を結ぶしか無い状況……
(紗里真がなくなったことの重大さを、今改めて思い知った気がする……)
「西の大国が北から王太子妃を受け入れて、貿易や政治に口を出させることを良しとするのなら、当面戦争は回避できるやもしれない。だが……もし、西が完全に拒否の姿勢を示すのなら、近い将来争いが起こることは避けられん」
「止められないのか? 止める方法は……」
「飛那姫、そなたはもう、紗里真の王に未練はないのか?」
「……なんの、話だ?」
「城はまだ原型を留めているのだろう? 紗里真の城下町も形が変わってなお健在と聞く」
ルドゥーテの言葉は、全てが寝耳に水だった。
「三竦みの条件が整えば、半永久的に戦争は避けられる……東の大国は、世界にとって必要なんだ。紗里真を、再建する気はないのか?」
質問の内容は分かった。
でもそれは到底、即答出来るようなものではなかった。
現実のものとして考えたこともない、あまりにも大きな問いかけ。
私は声を失ったまま、私の真意を問う、水色の瞳を見つめ返した。
元、王女対談でした。
突然紗里真復興の話が出て、目が点の飛那姫。
次回で文書配達編は、おしまいです。