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没落の王女  作者: 津南 優希
第三章 その先の未来へ
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まどろみの深淵と文書配達

 ここはどこだ?

 遠くで鐘の鳴る音が聞こえる。


 コーン……コーン……


 方向は分からない、ただ遠くから繰り返し聞こえてくる。辺りは暗くて、右と左はおろか、上も下も分からない。

 そうか、私はこの深くて静かな闇に、漂っているだけなのだった。


 奇妙に浮いた感覚の、動かない体は一糸まとわぬ姿だ。

 横たわる自分の意識だけははっきりしているのに、指先ひとつ動かせない。この生ぬるい温度は、腹の中に似ている。

 胎内にいた頃の、既に忘れえた、それでも消えることのない、記憶の中の温度。

 しかしそこに、「心地よさ」は欠片もなかった。


(気持ち悪い……)


 倦怠感と吐き気と、頭痛。高熱を出したときのような気怠さが、泥のように全身を覆っていた。

 ああ、早くここから抜け出したい。


 かろうじて動く目で、辺りの様子を窺った。

 向こうの方に、黒髪の人影が見えた気がした。私と同じように、漂っている人がいる。


 大きさと形から言って、子供のようだった。

 遠くてよく分からないが、黒いものを抱えているように見えた。

 なんだろう、と思って、自分も胸の上に抱えているものがあることに気付いた。

 青い、光。


(神楽……?)


 自分の中心、胸の上辺りに、青い輝きがあった。

 形は違ったけれど、父王から受け継いだ愛剣だとすぐに分かった。


(ああ、そうか……)


 ここは、魂の眠る場所なのか。

 この暗くて底の見えない深淵は……

 気を抜けば、意識までもが周りの黒に溶けていきそうになる。


 この場所は嫌だ。

 気持ち悪くて、生ぬるいのに寒気がして、声を出すことさえも叶わない。

 誰とも、視線すら合わせることもままならない体は、どこまで行っても孤独なのだと思い知らされる。


(誰か……早くここから、出して) 


 誰か。




「――飛那ちゃん、飛那ちゃんっ?」


 突然、肩を揺さぶられる感覚に、息が止まりそうな程の衝撃を受けた。

 目を開いても、夢と現実との境がブレている。意識が体になじむまで、数秒かかった。

 どくん、どくんと、耳元で聞こえそうなほどに心臓が大きく脈打っている。


「……美威」


 喉の奥から、絞り出すような小さい声が出た。

 私を見下ろしている、濃い藍色の瞳と目が合った。


「苦しそうだったよ。大丈夫? まだ辛い? 熱、下がった?」


 立て続けにそう聞かれたと思ったら、私の答えを待つでもなく、ひんやりとした手のひらが額に置かれた。

 ズキズキと痛む頭も、気怠さも、吐き気も、みんな現実のものだった。


「まだ熱ありそうだね。なんか食べたいもの、ある?」

「……ない」

「じゃあもう一度寝てなよ。私買い物行ってくるから」

「嫌だ」

「はい?」

「……寝るのは、嫌だ」


 もうあの場所には、行きたくない。


 小さい頃から、高熱を出すと決まって同じ夢を見た。

 いつでも体は動かなくて、気持ち悪くて、生ぬるい暗闇の中を漂う夢。ただの夢とは思えない、死に近い世界の気がして、ただ恐ろしいと感じる。

 寝てまたあの場所に戻るなど、考えたくもない。


「何言ってるの。冷たいジュース買ってくるから、おとなしくしてなさいよ」


 そう言って出て行った美威の後ろ姿を見送って、私は深く息をついた。強ばったままだった体が、少しだけ柔らかくなって、いつもの呼吸をはじめた。


「大丈夫、ここが現実だ……」


 声に出したらようやく、心臓は落ち着きを取り戻していった。

 小さい宿屋のベッドに転がったまま、久しぶりの高熱を出した自分の体を恨めしく思う。

 どうやら流行の風邪にやられたらしい。昨日の夜発熱して、今に至る。


(美威に、うつらないといいけど……)


 意外にも美威はあまり風邪をひかない。

 ナントカは風邪をひかないを地で行っているとは思わないけど、謎のひとつだ。

 私は眠ることに抗いながら、一日を過ごした。


 幸いにも次の日、熱は下がって、美威にもうつることなく町を出立出来ることになった。


「本当にもう動いて平気なの?」

「うん、寝てても体がなまるからな……動いてる方がいい」


 もう一日くらい寝ていたらどうだという美威を説得して、私達は町を出た。

 この町は小さくて仕事がない。大きい町はここからそう遠くもないし、早めに移動した方がいいだろう。

 馬は借りずに徒歩で進んでいたら、沿道にある立て看板の影に、靴が落ちているのが見えた。ゆっくり歩いていると、いつもは見落としそうなものが見えるものだ。


「おい、美威。靴が落ちてる」


 私が指さした看板の下を、美威も振り返った。


「あら本当。まだ新しそうな革靴……」

「……ん?」

「えっ? あれ?」


 よく見てみたら、靴の先にはちゃんと足があった。

 

「ちょっ、誰か倒れてるわよ!」

「みたいだな」


 美威と二人で駆け寄ると、茂みの中に倒れていた一人の男を引っ張り出した。

 身なりは悪くない。傭兵というよりはどこかの侍従といった感じだ。


「おい、大丈夫か?」


 衣服がところどころ汚れている以外は、外傷もないように見える。ちゃんと息もしてる。私は男の頬をペチペチと叩いた。


「うっ……」

「おっ。起きたな」

「大丈夫ですか~?」

「……? お、俺は……」


 南の国らしい出で立ちの若い男は、私と美威の顔を代わる代わる見てから起き上がった。


「つっ、あいたたた……」

「もしかしてどこか怪我してます?」

「いや、怪我ってほどじゃないけど……いきなり後ろから殴られたんだ……冗談じゃないよ」

「異形にでも襲われたのか?」

「違う! 雇った傭兵に襲われたんだ! くそ……財布を持って行かれた……!」


 男は懐をあちこち探って、上着の内側から大きい封筒を取り出した。

 ほっとしたように、それを胸に抱え込む。


「文書は無事だったか……良かった」

「あんた、配達人なのか?」


 メンハトなどの連絡手段が使えない場合、手紙や物を運ぶのは人力だ。

 仕事を請け負う配達人が、護衛に傭兵を雇うのは普通のことだし、タチの悪い傭兵に裏切られるのも、わりと普通のことだったりする。


「ああ、だけど……こんな森の入口で護衛がいなくなっちまったら、話にならない。まだまだ先は長いし、どうしたもんか……もう届けるのも嫌になってきたよ」

「どこまで行くんだ?」

「モントペリオルだよ。グラナセアからの文書なんだ」

「そりゃまた……遠いな」

「だろう? ああ、もうギルドに戻って他のヤツに頼もうかな。城が報酬はずんでくれたから、遠くても行くヤツはいるだろうし……」

「城が?」


 キラリ、と美威の目が光ったのは気のせいじゃない。次に何を言い出すかも何となく予想がつく。


「ちなみに、その報酬って、どの程度もらえるものなんですか?」

「20万もらった。すごいだろう? 財布とは別にこっちに隠し持ってたからな、ほら、盗まれてなかった。ざまあみろだ」

「20万……」

「無事に届けたら、向こうの城からさらに30万もらえるんだ」

「全部で50万?!」


 ずいぶんと破格に高額な報酬だな。

 グラナセアの依頼ってのも気にかかる。城の誰かが使いに行くんじゃなくて、配達人ルートで文書を届けるなんて……それ、めちゃくちゃきな臭くないか?

 そう思った私の考えを知ってか知らずか、美威はにっこり笑顔で予想通りのセリフを口にした。


「なんなら、私達が運びましょうか?」

「えっ?」

「私達、傭兵なんです。責任もって届けますよ。良かったら詳細教えてください」


 この寒くなってきたのに、北に向かうなんて冗談じゃないって言ってたのは誰だったっけ?

 美威は勝手に話を進めると、気の毒な配達人から、報酬のうちの15万ダーツを奪い取って、ついでに文書も受け取った。


「ほ、本当に届けてくれるんだろうな? 配達人は信頼がモットーで……」

「大丈夫です。モントペリオルの城下門で『ブルクハルト様へ南の特産品を収めに来ました』って言えば通じるんですよね?」

「ああ、くれぐれも頼むよ。12日以内にちゃんと届けてくれないと、今後ウチが仕事もらえなくなっちゃうからな……配達完了したら、俺宛にこのメンハトで連絡をくれ」

「任せてください」


 結局、怪しい文書を届けることになってしまった。

 配達人の男は、そそくさと逃げるように帰ってしまったけど……絶対あいつも、この仕事を胡散臭いと思ってたな。


「美威、それ……押しつけられた感、すごいんだけど。本当に行くのか?」

「もちろん。受けたからには仕事するわよ!」


 責任感は立派だけど、多分、そういう問題じゃない。


「……北ねえ……」


 西を超えて更に北に進むことを考えると、結構な旅程だ。

 あまり気は進まないけど、美威が行くというのだから仕方ないか……


 こうして私達はうららかな南国から、真冬の北国へ旅立つことになったのだった。

寒い冬が続くと「早く春が来ればいいのに」と思い、いざ春が来るとアレルギー症状に悩まされ「ちっ、春のヤツめ……」と思うのは私だけでしょうか。


次回、北へ向かう途中、西の大陸のどこかからお届けします。

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