騎士隊襲撃事件
プロントウィーグルに到着したのは、夜も遅くなってからだった。
星空の中をインターセプターと飛ぶのはいつでも気持ち良いものだが、冬場の長距離はやはり寒さが応える。
城の自室に灯りが灯っているのを見下ろして、何とはなしにほっとした。
今日の夜には帰ると先触れを出しておいたからだろう、バルコニーで私の帰還を待つイーラスの姿が見えた。彼は一体いつからあそこにいるのか……
今回の外出は公的なものではないので、城の入口から戻らなくても問題は無い。
私は自室目掛けて降下すると、インターセプターの背からバルコニーに降り立った。
「お帰りなさいませ、アレクシス様」
安堵した顔のイーラスが出迎えてくれる。
「ああイーラス、戻ったよ。予定よりも2日ほど早くね」
休暇中のはずなのに、呼び戻されたのだ。恨み言のひとつくらい言っても構わないだろう。
本来ならまだ、飛那姫と剣の話でもしていられた頃だ。
「王子……羽を伸ばされているところを承知でメンハトを送りましたが……致し方ないことで」
「分かっているよ。すまない、ちょっと意地の悪い事を言った。でも私のメンハトは目立つから、人と一緒の時に受け取るのは困るよ。飛那姫に見られてしまって冷や冷やした」
「他に手段がなく……えっ? 大翼の鳩を見られましたか?!」
魔道具として使われる伝書鳩は、その人の持つ血の情報に基づいて姿が形成される。大きさや形は多様で、一生変わることはないとされている。
そして、あまり知られていないことだが、王族の中でも秀でた血を持つとされている者のメンハトは、「大翼の鳩」と言われる特殊な形状を取るのだ。
「うん。まあ……全然気にしていないようだったから、良かったけれどね」
私のメンハトは白い大翼だ。大きさだけで言っても、普通サイズの10倍くらいはあるだろう。
しかしそれを目にした飛那姫からは、「白くて綺麗だな」のコメントしかなかった。
「……やはり変な娘ですね。王子のメンハトを見ても驚かないとは」
「飛那姫が変わっていることを否定はしないけれど、『変な娘』はやめて欲しいかな……」
「あ、申し訳ありません」
うなだれたイーラスの肩をポン、と叩いて温かい自室に足を踏み入れる。
冷えた体に軽く湯浴みをして、着替える。座り慣れたソファーに沈み込んだら、休まずに飛んで来た疲れがどっと出て来たようだ。
気の利く侍従が湯気の立つ紅茶と、甘さの控えめな焼き菓子をテーブルに並べていく。
ありがたいが、一息つくという気分ではなかった。私はカップを取り上げ、帰還することになった理由に話題を振った。
「それで、具体的には何がどうしたんだ?」
テーブルに置かれた地図に目を落とす。手紙の内容から、北に近い騎士団の駐屯地で、訓練中の1隊が何者かに襲撃されたということだけは分かっている。
「はい、襲撃を受けた騎士隊は歩兵と騎馬兵からなる43名の隊です。20日の未明に本部である駐屯地と連絡がつかなくなり、行方不明とされていましたが……」
「見つかったのか」
「はい。生存者は……おりませんでした。かなり大きな規模の襲撃だったと見られています。場所はこの部分、ちょうど谷になっている箇所ですが……奇襲にあった可能性が高いかと」
「……襲撃した者について、どの程度のことが分かっている?」
「駐屯地からの報告では、爆薬の類いが使われたことが分かっていますが……どこの製造なのかまではまだ。王は事態を重く受け止めてらっしゃいます。今朝方、騎士団長と精鋭隊の第3部隊が調査のため、出立しました」
「シャダール先生が……」
私の師であり、騎士団長であるシャダール先生自らが出張ると言うことは、かなり深刻な背景がありそうだ。
地図を見ながら、私は突如の襲撃に関して、考えを巡らせていた。
ふとイーラスを見たら、何か言いたいことがあるのか、落ち着かない様子で瞬きしているのが分かった。
「イーラス? まだ何かあるんじゃないのか?」
「は、はい……その、国王様がですね……この件で王子をお呼びになられたのですが、その、ご不在でしたので、侍従の私が直接、お伺いしまして……」
「ああそうか、それはいらぬ気苦労をかけた。それで?」
「はい……それで、その。外出の理由を聞かれましたので、『剣の立つ傭兵に教えを請いに出かけられた』と、申し上げました」
「まあ間違いではないな。それになにか問題が?」
イーラスはその時の様子を思い出したのか、疲れ切った顔で続けた。
「先日のイザベラ姫のお菓子の件と合わせて、諸々聞かれまして……正直にお答えしていたところ、王子が未だに縁談に興味を持たれないのは、想う姫が他にいるからではないのかと、そう仰られまして……」
「……それで、なんと答えたんだい?」
「分かりません、と」
「……いないとは、言わなかったのかい?」
「……はい。それで、今日の夜に王子が帰還される話をいたしましたら、何時でも構わないから、自室に尋ねてくるようにと仰られました」
「父上が? 私に?」
「はい」
それはもしかしなくとも、面倒な話だったりしないだろうか。
気は進まなかったが、私はイーラスを連れて部屋を出た。浮かない顔で着いてくるのを見れば、留守中に色々大変だったのだろうと察しがついた。
王の自室前にいる護衛兵に手を挙げて、扉を開かせる。
正面の机に座る父上は、書類仕事を片付けているようだった。もう大分遅い時刻だと言うのに、仕事は尽きないのだろう。
「父上、夜分に申し訳ありません。お呼びだと聞きましたので参りました」
「おおアレクシス、帰ったのか……ちょっと待ちなさい、これを片付けたら手が空く」
簡易な部屋着にローブ姿の父上は、顔を上げないままサラサラとペンを動かしていた。
数枚の紙にサインを終えると、書類の束をまとめて机の端に避ける。
「最近は近いものが見えにくくなって敵わんな」
「書類仕事用の眼鏡をお使いになれば良いのでは? シャダール先生が仰るには、大変便利だそうですよ」
「年寄り扱いするのではないぞ、アレクシス……時に、今回はどこへ行っていたのだ?」
何か含んだような笑いを浮かべて、父上がそう尋ねてこられる。
「南のエベレスです。赤レンガの町並を一度見てみたかったのと、知り合いがちょうどそこに滞在しているようでしたので、会って参りました」
「知り合いとは、剣の腕が立つという傭兵のことか?」
「ええ、イーラスからお聞きになりましたか」
「うむ、あの侍従はよくお前に仕えているな。この私が質問しても、お前の不利になるようなことは決して口にしないときてる。いい度胸をしているよ」
「お褒めにあずかり、彼も光栄でしょう」
笑顔でそう返すと、父上は首を横に振った。
「はぐらかすでないぞ、アレクシス。其方、先日ヒートウィッグにイザベラ姫への贈り物を頼んだであろう?」
「お菓子のことでしょうか」
「それだ。聞けばお前から贈って欲しいと、姫が直接頼んだそうではないか」
「西の国のお菓子が気に入ったというお話だったので、そのようには聞こえませんでした。誰から贈っても変わりは無いと思ったものですから」
「アレクシス……あの姫は厄介だ。王太子妃に迎えろとは言わんが、邪険にすると今回のようなことが起こりかねない」
「……と、申しますと?」
「国境付近の襲撃事件だが、どうも北の仕業の可能性が高い」
「……それは、本当ですか?」
「使われている武器や土地勘。まだ調査中だが、おそらく間違いない。証拠は出ないだろうがな」
「……申し訳、ありません」
自分が対応を間違えたばかりに、一つの騎士隊が潰されたというのか。予測できなかった事態に、全身が寒くなるような感覚を覚えた。
己の甘さを後悔するのとともに、非道とも言える行いに怒りがこみ上げてくる。
「むごいことになったが、お前が悪いわけではない。しかし軽く流せるような話でないのも確かだ。今後も、北への対応には気を付けなければならないだろう……正直なところを聞かせてくれ、アレクシス。お前は、現時点で王太子妃として誰を迎えるのが良いと思っているのだ?」
「……それは、まだ」
「北からも南からも内々の打診が後を絶たない。まだ決まっていないと言うにしても、いつまでに決めるくらいの返事はそろそろせねばなるまい」
「……はい」
「政治的な話だけを考えても、西の王太子妃の立場は、諸国にとって是が非でも手に入れたいものだろう。要らぬ争いを生むようなことは避けなければならん」
父上は私の顔をじっと見て、仕方なさそうにため息をついた。
「……アレクシス、王としてではなく、父親としてお前に聞きたいことがある」
「……? なんでしょう?」
「もしや、心に想う姫がいるのではないのか?」
突然の質問だったが、私は表情を変えないまま正面からの視線を受けた。
「……何故そのようなことを」
「お前が以前より婚姻に関することを煩わしく感じていることは知っている。しかし、いざそうとなればお前のことだ。感情を抜きにしても自国に尤も有利な縁談を選ぶだろう」
「……」
「そうしないのは、他に理由があるのでは、と思ってな」
「……想う姫など、おりません」
姫というくくりで言うのなら、それは嘘ではない。
「いいか、アレクシス。国は大切だが、お前自身の幸せも捨ててはならんぞ。もし、そのような姫がいるのなら……隠さずに言え。身分が低いのなら、ある程度の地位を与えてから、側室として迎えることも出来る」
妥協案を提示されているのだろう。
父上が私を気遣ってくれていることは、よく分かった。
しかしその「身分が低いのなら」には、一般民は含まれない。最低限、貴族の娘という肩書きが必要だろうと思えた。
「……ありがとうございます、父上。ですが、そのようなご心配は無用です。来たるべき時が来ましたら、王太子妃となる人は選ぶつもりです」
「……そうか。ならば良い……長旅で疲れたろう、もう戻って休みなさい。駐屯地の件については、また明日話そう」
「はい、ではこれで失礼します」
部屋を出ると、廊下の端でイーラスが心配そうに私を待っていた。
「イーラス、戻ろう」
いつも彼には気苦労をかけてしまっているな……謝罪の意味も含めて、笑顔で声をかけた。
彼の忠臣ぶりを再確認して少し心が和んだが、それ以上に父王との会話は、腹の底に沈んだ石のような塊を残した。
(43名の兵が……あんな、贈り物一つのことだけで……信じられない)
これは警告なのだろうか。誰を妻として迎えるのか、よく考えろという……
(戦争を避けるには、北から迎えるしかないということなのか……?)
大国の王太子という肩書きを、これほどに疎ましく思う日が来るとは。
それは自分でも予想していなかった、苦い思いだった。
この世界標準の考え方で、王族の結婚相手は一夫多妻制です。
正室(正式な奥さん)以外に、側室(その他の奥さん)を持たない人もいます。側室がいっぱいいる人もいます。
紗里真は、国としては珍しい、一夫一妻制でした。
次回、飛那姫と美威に新しいお仕事です。しばらく、北の大国関連のお話が続きます。
明日か、明後日の更新になります。
※第1章の修正作業、ちょっと遅れてます……合間見てのんびりで、すみません。