回顧録8 ~何も変わらなくても~
4人の子達が、口々に喋り出す。
「あんな風に死んじゃうのはイヤだよ」
「どうしてあの子達は死ななきゃいけなかったの?」
「逃げて、次は誰が庇護してくれるの?」
「逃げなければ良かったんだよ」
耳から入ってくる言葉なのに、有毒なガスを吸いこんだような息苦しさを感じた。その場に凍り付いたまま、何も言い返すことが出来ない。
傷の少年が、一歩前に出ると口を開いた。
「弟を助けてくれたことには礼を言う……でも、お前がどんなに強くたって、俺たちは助けられない。他人より能力があるからって、思い上がるな」
違う、そんなつもりじゃなかったんだ。
そう言おうとしたけれど、声にならなかった。震える肩を掴んでいる、美威の手の温かさだけで、かろうじて正気を保っていた。
「僕たちは行かないよ。もう怖いのはイヤだ」
「死んじゃった子がかわいそう……」
何が原因で恵麻達を死なせることになったのかは、怖いほどにはっきりとしていた。
生半可な気持ちで関わったんじゃない。ただ、力が足りなかった。甘かった。分かっていないことがあるのに、気付かなかった。
「神様……」
女の子が一人、そう手を合わせて祈った。亡くなった子達への弔いなのか、この先の自分たちのためなのか、分からないけれど。
少年はその姿を見て、皮肉に唇の端をあげた。
「俺は神には祈らない。祈るのとは違うやり方で、俺は俺の望みを叶える……お前の手も借りない」
少年の言葉には、少しのためらいもなかった。弟を抱え上げると、昼間と同じように路地の向こうに去って行く。
その後を、4人の子供達が追うようについていった。
私も美威も、それを引き留めるだけの言葉を持っていなかった。
もう「一緒に逃げよう」とは言えなかった。
その場に取り残されて、何をどうすれば良かったのか、答えの出ないことだけをぐるぐると考える。
奴隷商はきっとまたすぐに動き出すだろう。これからも、この国が大きく変わることはない。あの子達は、その中で生きていく。
結局、何も変わらないんだ。
傍らで涙ぐんでいる美威の服には、赤黒い血がべったりとついていた。
それを見たら、汚してしまったことを後悔しないではいられなかった。
恵麻達が失われてしまったこと以上に、美威に背負わせたくないものを背負わせたことが、重く心にのしかかった。
そんな身勝手な自分を、どうかしていると思う。
「美威……ごめん」
「飛那ちゃんが、悪いんじゃないよ……」
「助けに行こうなんて言わなければ、良かった。私が……余計なことしたから」
私の言葉を遮るように、美威が力一杯抱きついてきた。
「っ私も、私も言ったよ! 助けに行こうって……! 飛那ちゃんだけが、悪いんじゃない」
あったかい、と思った。
私より少し身長の低い美威が、一生懸命に慰めてくれているのが分かった。
何だろう、これは。罵られた方が楽じゃないだろうか。
だって、こんな温もりを、恵麻達はもう感じることが出来ないのに。
(どうすれば良かったんだ……何もしない方が良かったのか……)
その答えが、出るはずもなかった。
夜明けが来るまで、私と美威はその場から動くことが出来なかった。
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喧噪の中、市場を歩いて行く傷の男の子が、変な動きをしたように見えた。
商品の入った袋をすっと抱え直して、足早にその場を去って行く。
「……美威、ちょっと行ってくる」
飛那ちゃんはそう言って歩いて行くと、後ろから男の子の首根っこを捕まえた。
何か叫んでいるようだけど、気にせずそのままつまみ上げて、私のところまで戻ってくる。
買い物袋の中からは、買っていないだろうパンが出て来た。
男の子は青い顔で膝をつくと、地面にこすりつけるように頭を下げた。
「すみません……! 返すから……殺さないで……!」
「殺されるかもしれないって分かってるなら、腹が減っても盗むのはやめておけ」
「……えっ?」
「盗むことでしか満腹になる方法はないのか? 違うだろう?」
男の子はよく分からないという顔で、飛那ちゃんを見上げた。
少しの後、説教されていることに気付いたみたいだ。
「……おっ、俺にはそういう方法しかないんだよ」
「このパンのために殺されてもか?」
「……死んじまったって、俺の代わりなんて、いくらでもいるだろ」
吐き捨てるように言った男の子に、飛那ちゃんは「馬鹿が」と呟いた。
「お前の代わりなんて、どこにもいない。自分で自分の価値を下げるようなことを言うな」
「うるさい! 分かったようなこと言いやがって……! 何なんだよお前……説教したいなら他のヤツにしろよ! 俺だって好きでこんな暮らししてるワケじゃない!」
「生きるために必要なら、盗むのもやむを得ない時があるのは分かる。それでも、泥棒を正当化する理由にはならない。ただ……パンを盗んで殺されてもいい覚悟があるなら、もっと他の事だって出来るだろうって言ってるんだ」
「なんだよ……他のことって……」
怪訝そうな男の子に向かって、飛那ちゃんは淡々とした口調で続けた。
「死ぬ気になれば、何でも出来るだろ。奴隷の立場から逃げ出して、働く気になればどんなに安い賃金でも働くことは出来る。こそこそ盗まないでも、自分で手に入れた金で食べ物を買うことが出来る。そうは考えられないのか?」
「俺が、働く……?」
「この国では子供は働くことも出来ないのか? そうでないんなら、お前のはただの甘えだ」
「……っ」
「自分が変わらなきゃ環境も何も変わらない。嫌なんだったら、変えろよ」
「……うるさいんだよ! えらそうに……」
男の子は悔しそうに叫んで、飛那ちゃんの手から買い物袋をひったくった。中から、パンが転がり出てきたけど、男の子はそれを見ただけで、拾わなかった。
「……俺を雇ってくれるところなんて……ない。稼ぐなんて、出来るわけがない」
「出来るわけないって言ってるヤツには、出来ないだろうな」
「うるさいうるさい!!」
癇癪を起こしたように真っ赤な顔で叫ぶと、男の子は走って行ってしまった。
飛那ちゃんはもう、追わなかった。
「飛那ちゃん……」
「分かってる。余計なお世話だ……何にもならないって分かってるけど、今回は見ないフリ出来なかったんだ……あんまり似てたから、アイツ」
「うん、それでいいと思うよ」
「……良かった、のかな」
「少なくとも今回はね。だってあの子、少し考える気になったみたいだった。結局は自分で考えなきゃ、ダメなことだから」
「……そうか。そうだな」
飛那ちゃんは、少しだけほっとした顔で男の子の駆けていった方を見た。
「なあ美威、もし自分が王だったら……って考えたことあるか?」
「え? あるわけないじゃん。そんなこと考える気になるのは、元王族の飛那ちゃんだからでしょ?」
「そっか……」
「もし飛那ちゃんが王様だったら? なんなの?」
「うん。奴隷なんてものがない、子供が理不尽に虐げられない国が作りたいな、と思って」
「……」
「胸クソ悪くなるような馬鹿なことが、当たり前にまかり通る国には……住みたくないだろ?」
「そうだね……」
何が正しいかは分からない。正しければ正しいほど、間違っていることも世の中にはある。
今日を必死で生きている人に、私達が説教できることなんて、きっとない。
でも、そんな人と関わるのが怖くなっていた私達にも、何か出来ることはあるのかもしれない。
飛那ちゃんの視線の先を追って見ていたら、理屈じゃなく、そう思えた。
暗い……もう完全に前章のノリでした。
何故第2章にこれを持ってきてしまったか。
外せない話ではあったので、そのうちどこかに避けることも考えつつ、ひとまずこのまま置いておきます。お付き合いくださってありがとうございました。
「もっと明るい話プリーズ!」という方の為に……
大蜘蛛編の短い閑話を、夕方くらいに投稿します(気分的に作者が耐えられなくなったので)。